丁寧な取材に裏打ちされて、色んな現実が見えてきました。
当事者の多くは高齢者あります。
この国は社会の底が抜けているのではありますまいか。
2019年12月10日発行
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-〜ことばの旗よひるがえれ〜-
あんたの夢ば教えんね?
「ALWAYS三丁目の夕日」というシネマがあって、昭和30年代が舞台でありました。
そこには、ランニングシャツで走り回る子供や、個性的な大人たちが作り出す人生の楽しさや切
なさが描かれているのですが、ワタクシは画面に現れる色々な昭和の建物や家電製品などの小道
具に目を奪われ、まばたきするのも惜しんで見入ったのでありました。
すると、自分の子供時代
の風景が重なり、まるで画面の世界にランニングシャツを着たワタクシもいて、走り回ることは
できないまでも、乳母車に乗って、他の子たちがそれを押してくれて遊んでいるのであります。
何人かで遊んでいると、よく大人が話しかけてくるのであります。
「あんた大きくなったら何に
なると?」と、よく聞くのであります。子供たちは慣れたもので、野球選手、看護婦、相撲取り、
探偵などと応えていき、次は自分の番だと思うと必ず順番を飛ばされるのでありました。
そういうのには慣れていたのですが、ある日、質問したおばさんは違っていたのであります。
「はい、次はあんたの夢ば教えんね」といったのであります。
予想していなかったので何も浮か
びません。
おばさんは「あんたはしゃべれるとやけん、そうねラジオのアナウンサーでん、結婚
詐欺にでんなれるたい」と言ったのであります。
ワタクシはその時、もしかしたら「自分も夢を
持っていいんだ」と、初めて感じたのであります。
当時のワタクシは天領町2丁目に住んでいた
のであります。
その「2丁目の夕日」はワタクシに素敵な言葉をくれたのでありました。
ページ2
-学習学/共遊・共生-
アダプテッドスポーツ/共遊・共生/インクルージョン
年が明ければ「2020東京パラリンピック」であります。
メディアも障害者スポーツを取り上
げ、有名な選手はCM出演も果たし、いやが上にも本番への期待感が高まるのであります。
それはそれでいいのですが、身近な私たちの暮らしの中でのスポーツと障害者の関係は気になる
のであります。
リハビリではなく、楽しみたい、勝ちたい、記録更新したいなどの意思を持って
取り組むスポーツを障害者は気楽にやれるのでありましょうか?
政府の統計によれば、障害者のスポーツ実施率は、健常者の半分以下であります。
理由は様々
でありましょうが、やれるスポーツの選択肢が少ないという基本構造があるのであります。
それは何故でありましょうか?
スポーツを司るルールと用具のありように障害特性が合わせられ
ないからであります。
だとすれば、ルールを変え、用具を工夫し、スポーツを人に合わせればい
いのだと気付きます。
そういえば最近「アダプテッドスポーツ」という言葉を見聞きするのであ
ります。定義すれば『障害者や高齢者、子どもあるいは女性や体力が弱い人たちが参加できるよ
うにルールや用具を修正したり、新たに創ったユニバーサルなスポーツ、レクリエーション全般
を指す』ということになるのであります。
人がスポーツに合わせるのではなく、スポーツが人に
合わせるということであります。考えてみたら、長年続いているサン・アビ主催の軽スポーツ講
座は、卓球バレーやボッチャなど誰でも参加できるアダプテッドスポーツが揃っていて、賑やか
で楽しそうであります。
アダプテッドスポーツは、人とスポーツを、人と人をゆるやかにつない
でくれるのであります。多様性を活かすルールへの変更や用具の修正は、障害者差別解消法が謳
う合理的配慮と言えます。
人が共に遊び、共に生きるための工夫「合理的配慮」は、理屈ではな
く、暮らしの現場で、楽しく遊ぶ知恵として生まれるのであります。
勝って喜び負けて悔しがる楽しさの中で、共生の文化が息づくアダプテッドスポーツを拡げて
いきたいものであります。
ページ3
-不死鳥案ちゃん・・ほほえむ!-
〜命の危機を脱し、生まれ変わったように〜
「お姉ちゃんと、ラーメンを食べに行ったよ」と、穏やかに話す案浦さん。
遅くなったけど、もやいのTシャツをプレゼントすると、とても喜んでくれました。
十月五日(土曜)たいようの里にて
☆ ベッドから移動が出来やすい手動の車イス、ナイスデザインでした。
★「たいようの里じゃなくて、大食の里じゃないの?」と冗談を飛ばしつつ、話が弾んだのでありました。
ページ4
-ありがとうございました-
連合福岡・南筑後地域協議会様より
パソコンの寄贈を受け取りました!
このたび、連合福岡・南筑後地域協議会様より、パソコンとイラストのソフトを頂きました。
財政が厳しい中、なかなか買えずにいたところでした。有り難くて助かります。
このパソコンを活用して、地域に役立つ情報提供をさらに進めたいと思います。
本当にありがとうございました。
逢う!=10.19 恵愛園
人と人、人と地域を近づける 施設たらんと 秋の晴れ
笑う!=10.20 金魚と鯉の郷まつり
移動性 高気圧さん ありがとう 秋晴れ見事 あっぱれあっぱれ
売る!=10.26/27 サン・アビ祭
懐かしき 人の声顔 集まりて お互い年ねと 笑いはじける
ページ5
-シネマで愛して/華麗なる挑戦-ジュニアボナー
ジュッシュ・ランダルは、お尋ね者を追いかける賞金稼ぎ、ウインチェスター銃の銃身を短く
改造した愛銃ランダルと共に西部を駆け巡る・・・。
ワタクシの子供時代のヒーローは、テレビという箱の中にいたのであります。悪くない人を助
ける「弁護士ペリーメイスマン」や誰でも助けてしまう「スーパーマン」や、悪くないのに逃げ
なければならない「逃亡者」等々・・・。
アメリカのドラマのヒーローにワクワクしていたので
あります。その中にあって、悪い奴を追いかける「拳銃無宿」という西部劇がかっこよく、主役
のスティーブ・マックイーンにあこがれてしまったのであります。
愛銃ランダルをクルリと回転させ、悪に立ち向かうストーリーにうっとりしたものでありました。
苦しくても、時間がかかっても「愛は勝つ」という神話を信じられた時代でもありました。
大人になって、不正義な社会にもまれながら、マックイーンのシネマをできる限り見続けたの
であります。その中で「ゲッタウェイ」や「パピヨン」は印象に残るものでありました。
特にパピヨンは、時間がかかりすぎだけど正義は勝つという物語だったので、懐かしかったのと、
マックイーンとダスティホフマンとの絡みがとてもよくて、名作に仕上がってると思えたのであ
ります。
さて、今回取り上げた作品は、最近初めて見たのであります。
西部劇でありますが、一発の銃声もしないドラマなのであります。
時代が変わる中で、何かを守
ろうとする男の哀愁ただようシネマであります。
正義、不正義でしなく、消えゆく時代と、やってくる時代が擦れ合う切なさを醸し出す演技を
みせるマックイーンはさすがでありました。
ワタクシも年を取り、時代の入れ替わりの狭間にい
るようで、時々切なくなるときがあるのであります。
しかし、切なさを時代のせいにしてはならないのでありましょう。
ページ6
-一台のリヤカーが立ち向かう/中川五郎-
♪大きな世界を変えるのは一人の小さな動きから♪
♪オー人生は悩みよちっとも楽しくない 恋なんてしないまにふけちゃったわびしい夢に
はかない楽しみ 思い通りには何もならない♪
素敵で覚えやすいメロディーのアイルランド民謡に、中川五郎さんが詩を書き歌った「知る人
ぞ知る迷曲・主婦のブルース」は、平凡な人生を生き抜いてきた多くの主婦の、鉄頭鉄尾悔やみ
の歌であります。
半世紀前につくられたこの歌は、施設の中のワタクシに憑依し、特に♪思い通
りには何もならない♪というフレーズが、ワタクシの人生の実感と重なり感情移入したのでした。
当時は下手なギターで夢中になりコピーをしたものであります。
いや、今でも時々口ずさむので
あります。
中川五郎さんは、反権力、反差別などを核とした会社性のある歌を歌う硬派なシンガーでしたが、
フォークの時代が過ぎ、プロテストソングは重すぎるお荷物として受け止められる時代になると
歌を止め、翻訳家として、又小説家として活躍されていたのです。
しかし、最近再びギターを持ち、小さなお店やライブハウスで歌い続けておられることを知った
のであります。ならば聞かねば!と聞いた歌の中にあったこの歌が、ワタクシの心に再び憑依し
たのでありました。
「活動の原点忘れまじ!」と呼びかける歌なのでございます。
編集後記
年の瀬は何故かザワザワするのであります。
風邪を煩いコンコン、仕事に追われバタバタ、タバコ吸ってはゴホゴホ、嫁に怒られヘナヘナ、
犬に吠えられワナワナ、記憶出てこずイイライラ、スマホ探してグルグル、正月近いとジリジリ、
頻尿堪えてウンウン、
あー12月などなくていい!と思うのであります。
皆様、今年も読んでいただきありがとうございました。
2019年9月10日発行
ページ1
-ことばの旗よひるがえれ-
わたしたちぬきにわたしたちのことをきめないで
いつだって私たちのことは、私たち以外の人が決め、私たちはそれを無条件で受け入れざるを
得なかったり、たまには抗議をしたりしても最終的には受け入れさせられていた時代があったので
あります。
いや正確に言えば昔ほどではないにせよ、今もそれは続いているのであります。
もうそんなことを繰り返さないために、わたくしたちも社会参加し、当事者として発言し、常識
的に、効率的、合理的な共生の地域づくりを進めていかねばと思うのであります。
特にその思いを強くしたのは、夏の参議院選挙で、大型車いすを使用される2名の方が当選され
政治参加されたことによる環境の劇的変化を目の当たりにしたからであります。
国会のバリアフ
リーはあっという間に整備され、2名の方が使われていた「重度訪問介護」は、職場では制度上
使用できないので、特例として参議院が費用負担を行うこととなりました。
しかし、2名の方は、
議員だからというのではなく、該当する障害者全員が「重度訪問介護」を職場で使えるよう求め
られています。与党もそれを受け、制度改正のプロジェクトを立ち上げられたのであります。
また、大阪府は2名の議員の方と同じ論理で、該当した希望する障害者には費用負担することを、
早くも決定されたのであります。
当事者参加の衝撃を感じます。
早ければ来年の国会で制度改正が承認されるのではとの見方も
出ています。国も大阪府もスピードをもって応えてくれています。嬉しい限りであります。
国連の権利条約制定の過程で全盲の障害者の人が発したことばの旗が国会でひるがえるのであり
ます。
ページ2
-障害学/人と人を近くづけ・・-
人と人を近づけ 人と地域を近づけ 人と希望を近づける
秋の夜はなかなかいいものであります。
散らばって光る星くずを見てると希望について考えて
しまいます。先が見えたとあるいは先が見えないと、多くの障害者やその家族がイソップのキツ
ネのように自分を騙してあきらめた希望。
本来ならあり得た人生が生きられず、空の上で星くず
になり泣いているのであります。だからいつも夜は悲しいのでありましょう。私たちの暮らす地
域の中で産みだされる、誤解や偏見はまなざしとなり障害者とその家族はまなざされる中で「望
む物語」を外側から歪められ「望まない物語」を生きざるを得ない面があるのであります。
人は他人を見るときに、相手の特性や行動から何らかの評価を下します。そのモノサシは「美/
醜」「善/悪」「優/劣」「正/誤」「生産的/非生産的」などであります。そういう物差しで多く
の人から同じまなざしでまなざされると、人は周りの人から自分がどうみられるかによって自分
の言動や行動を決めがちですから、否定的なまなざしを受ければ、それはその人の人生の選択で
ありように大きな影響を与えるのであります。
また、ワタクシもそうでありましたが、自分をま
なざす他人がいなくても、まなざしをヒシヒシと感じるようになり、自分で自分を否定するまな
ざしを持つ「まなざしの内面化」が起きるのであります。
そうなると、他者への信頼や信愛など
が薄れ、人や地域から遠ざかり孤立化しがちであります。
また、可能性が制限され、存在できる
枠が狭まる中で自分への価値が見いだせず自分のあり方や、今ここで自分がやっていることに意
味を感じられなくなるアイディンティティの危機に陥るのであります。
「あり得たはずの人生」と言う名の星くずを見るたび、まなざす側の価値観やモノサシに従わ
せようとする「まなざしの文化」を、多様な特性の尊重と命の平等性に立って、人と人を近づけ
人と地域を近づけ人と希望を近づける「まなざしの文化」に変革していきたいと思わずにいられ
ないのであります。
ページ3
-みなさんのおかげです!-
三方よしTシャツ売り上げの一部を赤い羽根共同募金に!
多くのみなさんにお買い上げいただいた「三方よしTシャツ」の売り上げの一部を、
お届けしました。
小さな社会貢献ができてちょっと幸せ・・・。
九月二日大牟田市社会福祉協議会にて
☆ありがとうございました
令和元年度の「三方よしTシャツの」の販売が8月31日で終了しました。
今年度は例年以上に売れました。
多くのみなさんのご協力のおかげです。
もやい一同心よりお礼を申し上げたいと思います。本当にありがとうございました。
障害がある人もない人も共に生きれる地域づくりに向けて、合理的配慮を地域の隅々にまで
拡げるメッセージをデザインしたTシャツを、多くの人が着用してくれたことに感謝したいと思
います。
来年度も、願いを込めたデザインのTシャツをみんなで考えたと思っています。
どうぞ、来年もよろしくお願いいたします。
障害者地域活動支援センター もやい 一同
ページ4
-釘の花の滝-
もやいのレクレーションは突然始まるのであります。
この日も突然滝を見たいというリクエス
トが実現したのであります。
ミニナイアガラという冴えないコピーに誘われて、1時間半前後私
たちはナイアガラの前にいたのであります
滝とはなんでありましょうか?段差が有り、水が落ち
ていく場所のことでありましょう。
ただ、それだけのことなのに、見つめていると吸い込まれそ
うな、いや、はじき飛ばされそうな不思議な感覚に陥るのでありました。
滝とは、水が落ちるだけでなく「なかなかいいぞ!」でありました。
水には不思議な力があるんですね。
ページ5
-シネマで愛して/こんな夜更けにバナナかよ-
コミカルな邦画は時々見ていて気恥ずかしい時があるのですが、このシネマに限って言えば
それはなくて、同じテンションで見続けられたのであります。
これってなかなかありがたいのでありまして、見終わって少し元気が出たのであります。
また「こんな夜更けにバナナかよ」というタイトルがこのシネマの有り様を上手に表しているの
にも感心したのであります。
介護を受ける重度の障害者と、介護を提供するボランティアの重なる思いや、すれ違う期待が
物語を彩っていくのですが、丁々発止の言葉のやりとりや駆け引きが、30年前の大牟田で自立生
活を始めた障害者と介護者が交わした会話に被り、語られたセリフが何だか懐かしく、何だか切
なく何だか嬉しかったのであります。
人が人に近づこうとする際に起きる、習慣や価値観や予定調和や感性などの衝突が、明るくテン
ポよく軽妙に編集されており、感動ポルノに流れずに障害者が主役のシネマとして珍しくエンタ
テイメントとして成立している気がするのであります。
これはとても大事なことであります。
気になったのは、シネマを見終わった人の感想であります。
ほぼ、どの感想にも大泉洋さん演じる主役の鹿野さんの「我がまま」が前提になっていることで
あります。
しかし、シネマの中で鹿野さんは何度も言います。「自分の家だ」と。
誰でも自分の家では、自由に起き、寝て、食して、排泄するのであります。バナナが食いたく
なれば夜更けでもコンビニに・・・となるわけであります。
鹿野さんも、そんな自由を求め実践しただけのことであります
わたくしも施設を出た理由の一
つは、起床と消灯があったからであります。鹿野さんに心が共鳴し、思わず笑ってしまいました。
このシネマは言葉だけで自由を獲得しなければならない鹿野さんが、あらゆる言葉をつかって、
自分の家の自分になろうとするシネマであります。
多くの人々へ元気を届けることでしょう。
ページ6
-私たちの望むものは/岡林信康-
♪今ある不幸せに 止まってはならない♪
サァー、まだ見ぬ世界へ!と、迷うわたしの背中を「押す」歌というのが、誰であろうかと思
います。
ワタクシの背中を「押す」歌の一つは、半世際紀前に聴いたこの歌であります。
社会変革を叫ぶ強烈なメッセージに心が揺さぶられ、18歳のワタクシは呆然としたであります。
社会改革などという理屈は何もわからなかったし、当時のワタクシは、悲しみや怒りや怨嗟など
人である故の様々な情念は持ち得ていたものの、「望み」だけは持ち得ていなかったのでありま
す。
しかし、「私たが望むものは」というフレーズが18回も繰り返されるレコードを、すり切れ
るほど聴きながら「望め」と何度も何度も背中を押される感覚に陥ったのでありました。
多分、無意識にこのワードをワタクシは持っていたのかもしれません。
そしてさらに、「今あ
る不幸せに止まってはならない」というフレーズが無条件で心を鼓舞してくれたのであります。
そうだ、「望み」を持てる、よりよき現在を作り出すためには、「止まってはならない」のだと、
この歌に背中を押されて、ワタクシはふらふらと半歩前に出たのでありました。
すると少し景色が変わって見えてきたのでありました。
編集後記
暑すぎたり、涼しすぎたり、梅雨のようだったり、なんとも不思議な夏でした。
みなさま、お変わりございませんでしょうか?
ワタクシはなんとか乗り切れたみたいであります。
さて、秋でございます。
読書や創作やスポーツなど心や体を楽しませてくれる季節でございます。
どんなに忙しくても、自分が自分である時間を大切にお過ごしあれ。
2019年6月10日発行
ページ1
-命よ喜べ、ここが太平洋だ!-
寝たきり芸人 あそどっくさん講演会レポート
重度の障害者の多くは、あの得たはずの人生をあきらめ、なりたい自分になれずに施設の中で、
親がかりの中でその人生を終えてきた歴史があるのであります。
そして現在、長い障害者運動
の中で自立生活や社会的事業所など「共生・共働」の文化が拡がっているとはいえ、大きな海原
が見えているのに、船に乗れない水夫として無念を抱きしめざるを得ない状況は続いており、最
重度の障害者がなりたい自分になることは未だ容易ではないはずであります。
しかし、あそどっくさんは水夫として船に乗り込み、なりたい自分になる航路を航海中であります。
サン・アビの研修室は、人と笑いで溢れたのでありました。プロの芸人さんとして自分の見せ
方、話の聞かせ方に工夫があり、エンターテイメントとして本当に楽しませていただいたのであ
りました。全てを笑いに転化してつくられていく「場」の中でさりげなく語られた一言がありま
す。
「僕は早く死なないといけない存在と思っています」
芸人としてではなく、人として発されたこの言葉を、参加者の多くが笑いながらも胸の中に大切
にしまい込んだのであります。
夜、その言葉が蘇えって来てなかなか寝付けず夜中に起き出しコ
ーヒーを飲みながら想像するのでありました
命を絶たねばならないと思い定めていた少年は、なりたかった芸人となり初舞台に出る瞬間、
恐らく絶たれる覚悟をしていた自分の命に向かって、あそどっくと言う名の水夫として、こう叫
んだのでありますまいか。
「命よ喜べ、ここがわたしの太平洋だ!」
ページ2
-障害学/差別との位置取りについて-
希望という感情は、努力をすれば報われると感じられると生まれ、絶望とは努力してもしなく
ても同じと感じられると生まれるのであります。
その努力を差別が無効化して人が希望を持つ
動機を奪い取る訳です。
奪い取られた人は先が見えたと今日を嘆き先が見えないと明日を愁い、
あり得たはずの人生をあきらめていくのであります。希望について考える時、あらためて差別は
あってはならないと思います。
多くの人もそう思うとおもいますが、しかし、差別は続いてきた
し続いているし、続いていく・・・
一体何故でありましょうか?差別はどこで起き、誰がお越こし、
どういう言葉でどういう行為で行われるのか、何故、私たちの暮らしの現場で生まれ、人の「望
む生活」を外から歪め「望まない物語」が押しつけられるのか。差別の謎を解きたいしそんな状
況を変えたいと思うのであります。
そう思う時、人の差別との向き合い方「差別とワタクシの位
置とり」が気になるのであります。多くの人が「差別をする特別な人たちと、差別をされる特別
な人達がいる。私はそのどちらでもなく、差別はなくすべきと考えている第三者の位置にいる」
と言い、あるべき規範が語られ差別反対のスローガンが繰り返される。果たしてそうでありまし
ょうか。
状況を変えるには、状況を創りだす差別と出会わなければいけないと思うのであります。
どうすれば出会えるか?それは差別とわたしをつなぐこと。そうすることで差別とわたしのリア
ルな関係が見えてくるのであります
第三者の位置については差別と出会えないのであります。
「ワタシは差別を産み出す暮らしの文化のなかで生きており、望まずとも差別をする存在だ」と
いう位置取りが必要であります。
差別と無関係の第三者ではなく、差別の当事者性を持っている
ことを自覚することは、差別を無意味化する出発点となるのであります。
何故差別と出会わないといけないかといえば、差別とは、よりよい生き方の具体的手がかりにな
るものであり差別を考え、読み解き、解体していく作業を通じて人はよりよき生を送るための変
化していくことができるからであります。
SOS活動の冊子が作成されました。
SOS活動とはまさに
その変化を遂げようとした「運動(もがき)」だったのであります。
ページ3
-三方よしTシャツ2019-
皆様、Tシャツ販売へのご協力本当にありがとうございます。
2019年Tシャツは「合理的配慮」が地域の隅々に拡がるとどうなるのかをキーワードに
「三方よし」をデザインしました。
障害者の求めに応じ合理的配慮が提供されると、ただ単に障害者の地域活動や就労などの社会参
加が進むだけでなく、行政や事業所が求めに応えることで、平等な市民サービスの提供や差別な
き雇用による人材確保など社会正義の実現が進みます。
また、「求める・応える」が積み重ねられると、誰もが支え合い助け合う「共に生きる」が地域
の文化となり、だれが、いつ、どんな状況や状態になっても希望を手放さないくてよい「安全・
安心」の地域づくりが進み、全市民の利益となります。
合理的配慮は、求めてよし(社会参加)応えてよし(社会正義)地域によし(安全・安心)だという
「着るメッセージ」を、皆様と共に拡げていけたらと願います。
どうぞ、ご協力よろしくお願いします。
三方よし 求めてよし 応えてよし 地域によし 合理的配慮
☆江戸時代、行商で富を成した近江商人は「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」「三方よし」
の精神で商いを営み、富を築きながらも常に社会への還元を忘れませんでした。
Tシャツ=800円
問い合わせ:もやい?56-9142
★売り上げの一部は赤い羽根共同募金に寄付されます。
ページ4
-第1回街なかさわやかフェスタ開催-
福祉マルシェで逢いましょう〜新栄町一番街にもやい開店〜
商工会議所さんが中心となって、大障協も実行委員会になって開催された
3月16日「街なかさわやかフェスタ」にもやいも出店しました!
多少寒かったのですが、ほっとかんスタッフの宮本さんが暖かいお茶を出してくれたので
ほっとしたのであります。ありがとうございました。
のんびりと、延命公園のさくらを愛でたのでした
桜咲くから春と逢い 桜散るから春を待つ
諸富町の「徐福ロード」さくらも愛でたのでした
桜のトンネルをぬけるとそこは春の国であった・・・
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-シネマで愛して/しあわせの絵の具-
1930年代。若年性リウマチにより手足が不自由で絵を描くのが好きな女性モードは、早くに両
親を亡くし、親戚からは疎まれ、兄からは見捨てられ、差別的で保守的な叔母さんと暮らさざえ
るを得ないのでありました。
そこには、お約束通り希望を産み出す自由はありませでした。
なんともリアルであります。実話ですので当たり前ではあるのですが、障害者で女性のモードに
注ぐ叔母のまなざしは厳しく、夜遊び一つ許されないのであります。
鬱々していたモードに運命が変わる出会いが訪れるのであります。この出会いのシーンがとても
いいのであります。
かっこよくなく劇的でもなく、しかしながら、運命が変わろうとするギアの
音が聞こえてくるような、どこか切実で、どこかこっけいで、どこかゆるいキセキの出会いなの
であります。
モードが出会った男エベレットは孤児院育ちで読み書きができず、友人もなく、魚の行商で生
計を立てており、電気もガスもない一間の小屋で暮らしていたのであります。
モードとエペレット、この二人が家政婦と雇用者として、ぶつかりあう中でモードは絵を描き
始めます。内壁を始め色んな物に描き続けているのであります。狭いその小屋自体がモードの作
品となっていくのであります。何だかとても心をほっとさせるモードの絵を見ながら物語は続き、
二人は夫婦になるのでありました。
夫婦になっても、ぶつかり合う二人でしたが、モードの絵が各方面から認められ、ニクソン副
大統領から注文があるほどになっても、二人は小さな小屋でぶつかり合いました。
そして、二人
は年を重ねていき、共に愛し合って生きてきたことを伝え合うのでありました。
ラストシーンで肺気腫で死んだモードの缶から、エペレットはあの運命を変えた出会いを思い
出させるメモを発見するのであります。再びキセキであります。
ページ6
-悲しくてやりきれない/ザ・フォーククルセダーズ-
♪この限りないむなしさの 救いはなんだろうか♪
♪胸に染みる空のかがやき今日も遠くながめ涙を流す♪
で始まるこの歌の詩はとてもシンプルすぎるのでありますが、それだけに親しい友のように、片
手をあげて心の中にスーッと入ってくる歌であります。
当時のワタクシは、彼女もなく友達もな
く、夢もなく、時が進まない施設の中で「どうせ」と「しょせん」をリフレインするだけの我が
心の内に、スッーと入ってくるこの歌を歓迎したのであります。
尚且つ、歌っているのが大好きなフォークでありましたから、気がつくといつの間にか愛唱歌の
の一つとなっていたのであります。
♪この限りないむなしさの救いはなんだろか♪
この歌を口ずさみながら、十代後半だったワタクシはむなしさはどこから産まれて、救いはどこ
に隠れているのだろう・・・などと答えのない問いを発し続けておりました。
今、思えば自己肯
定ができずに、自己否定に押し潰されまいとしていたのでしょうが、如何せん自己肯定する材料
がなく、途方に暮れるばかりでした。
ただ一つの救いとは言えない救いはフォークルの自由で斬
新な発言や態度振る舞いにあこがれ、ワタクシもいつか誰にも管理されず自由の海に船を出した
いという気持ちが少し芽生えた事でありました。
編集後記
10連休と、新元号が話題となった5月もアッという間に過ぎました。
みなさまお体の調子はいかがですか?
さてさて、入梅でございます。
気象学的には春の終わりと
夏の始まりを告げる雨季を、梅雨と言うのですが、田植えに水が欲しいとき梅雨がやってくる。
世の中うまくできております。
この自然の摂理、壊れないでほしいものです。
2019年3月10日発行
ページ1
-紙での声に神対応・・なんてね!-
トイレに困らぬ文化は誰一人不ウンにしない!
2017年度のもやいは、続々と脳梗塞に襲われたり、障害の重度化が進行したりする中、
「スマホでピッ!トイレでパッ」をキーワードに、多目的トイレの場所と機能を知らせる「多目
的トイレマップ」を作成し、ホームページにUPしたのでありました。
息も絶え絶えになるほど疲れましたが、完成すればそれはそれで嬉しいものがあります。
しかし、
インターネットやスマホは苦手なので「紙で作って欲しい!」とのニーズ。気力、体力、財力もな
いのに「がってん承知!」と応えてしまったばかりに2018年度は紙でつくる多目的トイレマップに
又また息も絶え絶えに!お金の方は赤い羽根の助成を受けられることに、天は我を見捨てない!
のでありました。
問題は気力と体力でありますが、そこはなんとか自分にスーパーマンと言い聞
かせ、何とか完成させたのであります。
現在、完成したパンフを公的機関や民間事業所等合わせ
て40ヶ所を越えるところに置かせてもらっています。ありがたいことであります。
多目的トイレなどがなかった時代、行った先のトイレのことを考え修学旅行に行かず、その理
由も言い出せなかった障害のある少年少女たちのあの時代の無念を、今、多目的トイレの水洗で
流せた気がするのでありました。
ページ2
-こいつぁ春から縁起がいいニャー!-
回復のほほえみ
満面のほほえみを見せるのは、案浦丈晴さんであります。
通称・案ちゃんであります。
その後ろでこれまた満面のほほえみを見せるのは案ちゃんの姉上で
あられます。
今年のお正月明けには、意識不明となり、姉上から連絡を受け福岡の和白病院に駆
けつけましたが、
案ちゃんの意識はなく色んなチューブが付けられており、命の危機を目の前に
言葉を失いました。
しかし、奇跡の回復!現在は食事も普通食に!案ちゃんよかったね。
もやいの空気の中で育った人が元気でいてくれるのが、私たちは一番うれしいのであります。
還暦のちょっと微妙なほほえみ
ありがたいけどおそろしい・・・と半面のほほえみなのは、ついに還暦を迎えてしまった感の
ある、もやい職員永遠の文学少年木下和彦氏であります。
みんなから贈られた花束の中心には赤い花が鎮座し、ケーキの中心に赤いイチゴが鎮座。
ちゃんちゃんこや帽子の代わりを務めているのであります。
地味に目立たぬさりげない介護を続
ける木下和彦氏に合わせ、地味で目立たぬさりげない還暦のお祝いでありました。
ではまた古希に!
ページ3
-障害学/あなたなるひと-
「うまく」というと語弊がありますが、ワタクシは母親とうまく関係が結べない中で母親を亡
くしているので、なるべく「母」というワードには蓋をしてスルーしたいのであります。
しかし一方では、幼くして家を離れ遠い施設で夕日を見ていると、心の中で鐘が鳴りふと気づく
と母物の歌を口ずさんでいたり、瞼の母という古い舞台劇の主役の番場の忠太郎がやっと探し出
し母親を慕いながらも身を引いていくセリフを呟いたりしていたのであります。
あー心というのは不思議であります。
「あの鐘を鳴らすのはあなた」という名曲を歌ったのは
和田アキ子さんでありますが、ときたまワタクシの心の鐘を鳴らしてくれる「あなたなる人」が
現れてくれるのであります。
あー人生は不思議な旅であります。
「あなたなる人」Yさんは、80歳を超えておられると思われるのですが、常に50代で精神に
重度の障害がある息子さんと共に、バザーに会議にと参加するアクティブな女性なのであります。
語りの社会学として「どう生きて来たのか」「どう生きているのか」「どう生きていくのか」
Yさんのお話が聞きたいなと思いお願いしたところ、お話を聞くことができたのでありました。
「香取慎吾!」「一千万!」とかクイズの答を大声で叫ぶのよ、隣近所に聞こえるでしょう。
障害者であることを隠すなんて出来ないじゃない、だからオープンよ。私の時間?息子が寝てか
らの2時間だけね。うれしいのはね、兄弟が穏やかに仲よさそうに語っている風景をみること。
息子が発病する前に、「母さんも手芸したら」と言ってくれたので始めたのだけど、今や生きが
いなの。真夜中の手芸が私を支えてる。
Yさんの物語は、体験された経験された物語として、飾ることのない暮らしの言葉で語られる
のであります。
語られる物語の言葉・態度・情緒・感情・沈黙・緊張・安心・潜思・自信・不安
過剰・過小・諦念・・・の現場に寄り添ったワタクシは、語られた事柄で教えられ、語られなか
った事柄を推し量り、Yさんの生の事実の一部を知ることができたのでありました。
息子さんが寝た後、わずかな時間をいとしむように誰もいない世界での「私」へともどる。
自分の睡眠時間を削ることでしか成立しない「私」。また朝が来たから休めない日常に帰ってい
くのであります。
そこには本来あり得たはずの人生を棚に上げ、悔いの一つも残してないように
見せていくYさんの生き様がある。語られる明るさの影に横たわっているのは、実は社会がYさん
の善良さに依存し、社会的手立てを講じずにいるという事実であり、それは結果において、Yさん
が女性として人として本来「あり得た人生」を社会が奪い続けているということではありますま
いか?
それにしても、息子さんとの日常の風景を切り取った見事な語りは、その軽妙さが語りに含ま
れる重たさを中和し、厳しい状況さえも笑い飛ばしてやり過ごすという、平穏から遠ざけられた
者の暮らしの知恵であり少しでも楽に生きるための工夫ではないのかと思い至り、抱きしめたく
なるのでありました。
数多いエピソードの中でワタクシの印象に残ったのは、息子さんが浜田省吾さんの古いファン
であること、そしてそれにまつわる語りが、母子一体化を自然と阻止するための息子さんの個性
を表現し、尊重するものとして存在していた事でありました。
また、息子さんと二人で大都会で浜田省吾さんのコンサートに初めて行ってきたことを宝物のよ
うに愛しそうに語るYさんを見るとき、これは息子さんが老いた母の手を引き導いた「東京だよお
っ母さん」である!と思えたその時、ワタクシの心に鐘が鳴り響いたのでありました。
重度障害者の生きざまに学ぶ啓発
講演会〜お笑い芸人あそどっく流お笑い生活〜
3月23日(土曜)13:30〜15:00 サン・アビリティーズおおむた研修室
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-シネマで愛して/永遠のジャンゴ-
大牟田での講演のため、前日に現地入りされた藤井克徳さん(JD日本障害者協議会代表)との
夕食会に誘われる幸運に恵まれたのであります。
10名ほどの夕食会でありましたが、なんと、
ワタクシ藤井さんの真正面に座らせていただいたのであります。
世のありようを変えねばと本当
に思っている過激なひとは、穏やかで優しい人である。とワタクシは思うのでありますが、藤井
さんはまさにその思いを体現されている人であると感じたのであります。
色んなお話が続く中で、
ドイツで起きた優生思想による障害者虐殺のT4作戦のお話が一番心にきざまれたのであります。
昨年現地に行かれた藤井さんのお話は熱を帯びドイツ行きを強く勧められたのでありました。
それから1週間後に、BSで偶然このシネマを見たのでありました。
ジプシー出身のギタリスト、ジャンゴ・ラインハルトがナチスに見下げられつつ、利用され追い
詰められていく真実のドラマであります。
ワタクシ恥ずかしながらこのお方を知らずにおりまし
たが、シネマの冒頭1943年、ナチス・ドイツ占領下のフランス・パリでの演奏シーンの音楽がと
てもよく、一発で心をつかまれたのでありました。
恐ろしいまでの早弾きのスイングに酔いなが
らまさにこの時、藤井さんが語るT4作戦がドイツで実行されていたのだと思い、どんどんシネマ
に感情移入していったのであります。
また、ジャンゴ・ラインハルトも、ジプシー出身ということで優生思想の標的となり、劣等民
族との非合理なカテゴリー化をされるのであります。
排除差別されるその姿にシンパシ―を感じ
ざるを得ないのでありました。障害者であること、ジプシーであることなどの多様性を、一切認
めず排除していく文化は、今現在も私たちの暮らしの文化に息づいているのであります。
この文化を再編成し、誰も排除しない殺さない文化をつくることを目指してきたのが障害者運動
でありますが未だ道遠しであります。
あーもう少し若ければドイツに行きたいと思うのでありました。
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-遠くへ行きたい/ジェリー藤尾さん-
♪愛する人とめぐり逢いたい どこか遠くへ行きたい♪
60年代、ワタクシは養護学校の寮生活の中で他の障害者の動きについていけずに馬鹿にされ、
喧嘩も弱く馬鹿にされ隠れてタバコを吸えば職員に見つかり馬鹿にされ、なんとも居心地の悪
い日々を過ごしておりました。
そんな中にあってワタクシを楽しませてくれたのは、ビートルズ
であり007でありました。
今現在でも、ビートルズには無防備でヘイジュードなど聴くと幸せになり、007シリーズも欠
かさず見ては、手に汗握るのであります。
しかし、それでも日々の暮らしの中で他の障害者や職
員の、上から目線のまなざしわ払拭まではできずに孤独感を深めておりましたが、そんな時は、
この歌を歌って心が逃がそうと努めたのであります。
どこか遠くへ行きたかったのですが、行け
ないことはわかっているので、架空の脱出を何度も何度も何度も想像したのであります。
愛する人とめぐり逢わなくてもいいから。本当に遠くへ行きたかったのであります。
また、この
歌を歌ってるジェリー藤尾さんが、かっこよく笑顔がとても素敵な人だったので、よけいにこの
歌が好きになり、今でも口ずさむのであります。
大人になって知ったのですが、ジェリー藤尾さ
んは厳しい差別を受けて生きてこられたのであります。
それでもあの笑顔!あーワタクシの葬式のBGMにはこの歌を!
編集後記
三池初市も終了し、本格的に春が訪れた気がします。
それにしても皆々様、インフルエンザ大流行の冬をご無事にお過ごしだったでしょうか。
ワタクシ、インフルを警戒しながら普通の風邪を引き、2週間近くも寝込んだのであります。
あー健康管理が甘い!と反省。
さてさて、もやいはトイレットペーパーの配布作業が終盤を迎えております。どこの作業所も
気持ちよく預かっていただいており、感謝、感謝であります。
誰一人トイレで困らない文化を
作りあげたいのであります。
2018年12月10日発行
ページ1
-あー、近松門左衛門よ-
此の世の名残。夜も名残 死に行く身を譬ふれば、あだしが原の道の霜
一足づゝに消えて行く 夢の夢こそ あはれなり
♪この木 なんの木 気になる木♪という歌を口ずさみながら今はワタクシが木に、いや気に
なっているのは、近松門左衛門という江戸時代の戯作者であります。
というのも、大牟田で講演
してもらったご縁で、講演後語り合う中でとても素敵な知的障害者のお父さんであることが感じ
取れ、さらに中島みゆきさんのファンであることもわかり、それ以来、ワタクシご尊敬申し上げ
ている次第でありますが、その毎日新聞の主任論説委員野澤和弘さんが最近コラムに書かれた文
章に、ワタクシの好きな近松門左衛門が出てきたからであります。
好きだといっても、まったく
知らなかったのですが近松門左衛門には、実は重度の知的障害の子がいたこと、そしてその子の
存在は魂の奥底で木枯らしが吹く情景を描きだしたら右に出る者などないほどに、近松門左衛門
の芸術を昇華させてきたのではないか、そうであれば、その子は生きていることで、文化芸術に
目に見えない生産性を発揮していると言える。と野澤さんは書いておられます。
ワタクシも深く静かにその論理と直感に共感したのであります。性的少数派や、重度の障害者を
生産性がないと決めつける社会の風潮がありますが、見える生産性だけを見る排除の価値観から、
見えない生産性も見る共生の価値観をワタクシたちは手にしたいものであります。
あー。久しぶりに名作「曽根崎心中」を読み返したい気分であります。
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-2018 秋のバザー お天気良し!-
10/20 (土曜)恵愛まつり
毎年出店させてもらってる「恵愛まつり」お天気良し!温度良し!売り上げよし!の「三方良し」
でありました
こんなことめったにありません。
何に感謝すればいいのでしょうか。とりあえずは、お天道様にサンクスを!
10/21 (日曜)
毎年出店させてもらっている長洲の「金魚まつり」お天気良し!の中、バザー頑張ってまいり
ました。
広い公園は開放的で百を超えるフリーマーのお店は、色んな色のテントが張られ、青空
の下、多様性の楽しさが表現されているかのようでありました。
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-何年ぶりでありましょうか!-
連日晴れたぞ、サン・アビ祭
11/3・4 (土・日) サンアビ祭
毎年恒例の「サン・アビ祭」なんと今年で40回目を迎えました。
だからというわけではないでしょうが、2日間秋晴れが続きました。
ここ数年必ず雨に見舞われ
ていたのですが、なんと連日晴れたのであります!だからというわけでしょうか、例年を上回る
人出でありました。
そしてお蔭で、売り上げも例年を大きく上回りました!
実行委員会のみなさん、地域のみなさん、スタッフやボランティアのみなさん、サン・アビの職
員のみなさんありがとうございました。
そして、お疲れ様でした。
日本一早い年賀状〜明けてないけど〜
明けましておめでとうございます
江戸時代から明治の近江商人の哲学は
売り手に良し、買い手に良し、世間に良し、でありました。
いわゆる「三方良し」であります。
合理的配慮をこれになぞらえれば
バリア除去の求め手に生きがたさが一つ減って良し
配慮する受け手は平等という社会正義が実現できて良し
求め手と受け手が暮らす社会は活性化して良し
求め手に良し、受けてに良し、社会に良し
「三方良し」であります。
皆々様、昨年中は大変お世話になりました。
2019年も、もやいは、もやいの歩幅で合理的配慮を隅々まで拡げ
三方良しのまちづくりを目指してまいります。
どうぞ本年もよろしくお願いいたします。
もやい一同
ページ4
-NO拘束日記A-
久富宏二のNO拘束日記A
もうCP屋なんて言える者じゃないと思うなよ・その弐波乱盤上
CP屋!(久富) 「あの子が振っていた、真っ赤な「CP」誰の為だと思っているのか」と○○が悪
さ〜P38のように飛んで(誰の為でも、いいじゃないか皆その気でいればいい)ーーー
宇宙戦艦ヤマトより・「真っかなCP」より。
話は変わりますが、自分が夜の帝王だと呼ばれていた頃の最後の弟子が、おおむた障害者応援
センターにかえって来たのだ!
弟子と自分との関係ですが、私の記憶が正しければ、23年ほどまえ「すべての道は障害者解放
へとつながるCP屋」ですよねー。
(障害者解放のシャフトで)アンコールして焼酎片手に吠えるあ
んたを「ララララ ラララララ」とか言いながら、夜の街おおむたを徘徊し案浦に次回は「夜
はこれからよ」と、時には警察に厄介になって、二・三人連れ、そんな中人は人をいい事書くの
で俺は俺・・・○○が。
悪さ〜P38が心をぶちぬく○○が悪さ〜P38が心をぶちぬかれるお願い
はにー巨人の星悪さ〜P38自分が言いたかった事、深確かなパソコン機能をあの子が振っていた
真っかな「CP」きっと、この日をむかえてほしい。
今は遥々。
施設のかなた、夢を見るのもコス
モ零「ララララ ラララララ」「い・け・な・い」事ーーー宇宙戦艦ヤマトより・「真っかなCP」
よりか、ハラハラしながら書いてる・のは、覚悟の上で、もやいにて書いて 遺言!
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-シネマで愛して/パターソン-
なんでありましょうか?このシネマ。
路線バスの運転手パターソンと自由奔放な妻ローラと二人の愛犬マーヴィンの一週間が描かれる
だけなのであります。
何かに向けたストーリーがあるのではなく、ただ淡々と繰り返される日常
がそこにあるだけなのに、見入ってしまい、その静けさにユーモアに、男と女のありように、マ
ーヴィンの振る舞いに、その街の佇まいに心が奪われるのでありました。
そして何より、バスの運転手の傍ら、言葉を紡ぎ、日常に存在するものを題材に男が作り続け
る詩が画面に現れ、背景の風景と重ねられ何とも言えぬ心地よさを誘うのであります。
日常に突然起きる非日常という事件を描くシネマに慣れていると、このシネマはあくびをしな
がら最後は寝てしまうのかもしれませんが、そうはさせないものがこのシネマにはあるのであり
ます。
日常の繰り返しの中色んなエピソードの中で、少しずつ気付かされることがあるわけですが、そ
の一つに、主人公パターソンの詩作への姿勢があるのであります。秘密のノートに、その才能を
認め世に出すように進めるのでありますが、パターソンは浮かぬ顔であります。
恐らくは彼にと
っての詩作とは、日差しを浴びるように、雨に濡れるように、バスの乗客の何気ない会話に苦
笑するように、はたまた一日の終わりに落とすため息のように、ワタクシがワタクシとして生き
るための普通の呼吸であり、けして自分の詩を社会的に評価して欲しいとか、認めさせたいとか
お金につなげたいとかではないのでありましょう。
それが肩肘張らずに、自然とできてるところが、見ている人をゆっくりさせるのであります。
恐らく恐らくではありますが、パターソンとローラとマーヴィンは、一番近い幸せに向かうバス
に乗っているのではありますまいか。
シネマの終わりの方で、誰もが知っている日本人俳優登場。このサプライズも楽しめたのであ
ります。
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-真夜中のギター/千賀かほる-
♪黙って夜明けまで ギターを奏こうよ♪
養護学校の卒業の門は潜ったものの、職業訓練校からは重度だから入所はダメと断られ、ワタ
クシは行き場がなく、家に引きこもるしかないのでありました。
施設暮らしが続いていたので、
友達もなく孤独でありました。
孤独さを辛いと思うことはあまりなかったのでありますが、何し
ろ夢を見がちな18歳でありましたので、その若さを持て余して俺は何をしたいのだろうと考え込
むと、とても落ち込むのでありました。
このよくわからない正体不明の哀しみみたいなものから
わずかでも逃れさせたのは、唯一の友達であるテレビとラジオから流れる歌でありました。
哀しいときは、希望に満ちた元気な歌を!と思いがちでありますが、ワタクシの場合は、哀しい
歌を求めたのであります。
それは何故なのかよくわかりませんが、この歌もその一つなのであります。
透き通ったような歌声と、歌詞に出てくる「何かをなくした」「似たもの同士なのよ」というフ
レーズが、心をうつのでありました。今、振り返って思うに、この歌を通じて、哀しみを正しく
哀しむことができたのは良かったのであります。
下手にごまかさずに、自分と世間に向き合えた時期だった気がするのであります。単純なワタク
シは、ギターを鳴らし、この歌をまねたのでありました。
暗い青春は色んなことを教えてくれた
のであります。
編集後記
今年最後の通信となりました。
光陰矢のごとしとはいうものの、本当に時が過ぎる早さが身に染むのであります。
二度と帰らぬ場所がアッと言う間に遠ざかるのでありました。
2019年はもう少しゆっくりと過ぎて欲しいのであります。
テレビでひとり暮らしの高齢者の方が
「後は施設に入るか、墓に入るかだ!」といわれておりました。
ワタクシどちらもイヤだと思う
のでありますが、そうはいかないのが人生でありましょうね。
ならば、せめて今日は風呂に入ろう!
2018年10月10日発行
ページ1
-ことばの旗よひるがえれ!-
生に意味付けするのは他人ではない、自分なのだ
〜東田直樹さん〜
重度の自閉症で、パソコンおよび文字盤によりコミュニケーションをとる東田直樹さんが、
社会で理解されにくい自閉症の内面について13歳の時に綴った「自閉症の僕が跳びはねる理由」
は、20ヵ国以上で翻訳されベストセラーとなったのであります。
その彼の新作「自閉症のうた」を読みたいと思い、先日やっとネットを通じて手に入れ、真夜中
コーヒーを四杯、タバコを7本も吸いながら朝方読み終えたのであります。今回の本には短編小
説が一編入っており、その短い作品は激しく優しく悲しくワタクシの胸を打つ作品でありました。
主人公で重度自閉症の女の子は、14歳で特別支援学校に在籍。会話ができず気持ちが高ぶると
体の動きを制御できないのであります。
彼女は、学校からの帰り道にあるマンホールのふたを全
て踏むのだ。というこだわりがあるのであります。
物語は、少女がマンホールのふたを踏み損ね、
混乱しパニックになり道路へ走り出し交通事故に遭うシーンから始まれます。入院中に寝たきり
の重度障害者の少年と知り合い、自分と同じようにコミュニケーションに苦労している少年に親
しみを感じると同時に哀れみを持つのでありす。
物語の終盤、それまで意思表示を一切しない少
年が、わすがに人差し指を動かし、少女と視線を交えるシーンがあるのであります。わずかな動
作ですが、少女と少年はそれだけで思いを共有。少女は、少年は哀れみの対象ではなく、無限の
可能性を秘めていることを実感するのであります。
お互いに認め合い尊重し合う一瞬のインスパ
イヤの美しさに、ワタクシはしばらくページをめくれなかったのであります。
ページ2
-大牟田市総合防災訓練-
大牟田市総合防災訓練シンさん参加
毎年、防災訓練に参加する末藤さん。
今年ももやいを代表して参加(拍手!)熱い中、がんばりました。
今年のカレーの味はどうだったのでしょうか?
熱い体育館内、氷の横で涼をとる末藤さんでありました・・大変お疲れ様でした。
日程◇2018年9月2日 (日曜)
場所◇大牟田市立三池小学校
案浦さん現る! 少し元気になってたよ。
ヒーローは呼べば現れますが、呼んでもいないのに突然現れたアンチャンマンは、少し元気に
なっていたのでみんな一安心。
現在は、福岡市のグループホームで暮らしています。体調の回復
にはまだまだ時間がかかりそうではあります
しかし、大量のお昼ご飯をペロリ!さすが大食い
チャンプであります。
福岡市ガイドヘルパーさんもビックリ!「オーマイゴッド」と叫んだとか。
案ちゃんまたおいで!
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-2018もやいオリジナルTシャツ販売へのご協力-
ほんとうにありがとうございました
おおむたの障害者支援事業所で
一番小さな事業所「もやい」が
コツコツと続けていることがいくつかあるのですが
そのうちのひとつに私たちの思いをデザインした
オリジナルTシャツの制作販売があります
少しでも人の心に届けばと始めたのですが>
時を重ねるにつれ色んな方のご協力をいただけるようになり
私たちの力ではとても及ばない枚数が売れるようになりました
とてもありがたくお礼を申し上げます
2018年のオリジナルTシャツ
今年も多くの皆さんにご協力いただき販売が終了しました
ご協力ありがとうございました
もやい一同こころよりお礼申し上げます
今年はテレビ番組でサン・アビに来られた
フィギアスケーターの浅田真央さんがオリジナルTシャツを着て
撮影に挑まれる大きなサプライズもあり
記憶に残る年となりました
また皆さんのおかげで売り上げの一部を
赤い羽根共同募金に寄付することもできました
みなさんに感謝です
ほんとうにありがとうございました
ページ4
-NO拘束日記@-
久富宏二のNO拘束日記@
もうCP屋なんて言える者じゃないと、思うなよ・その壱
脳梗塞でたおれ救急車で・・・・
なぜ、なぜ、一人暮らしが良いのか、一人部屋をよういしたのにと、ドクターが言った。
なぜ、なぜと三ヵ月ほど考えていた。もちろん、この病院を出て一番にしたい事は、きまってい
てセブンで「たばこ、酒」そして、子供の飛鳥、会いたかったよ!
病院から退院し自分の家。車イスと家族専用の住宅へとヘルパーと帰ってきた時、雨がゆっく
り降り始め、リハビリも修行も終え待たせたな!静かだ!本当に静かだ!と思えた。(雨がゆっくり)
降り始め、雨と雨との間を電動車イスで・・)
静かだ!本当に静かだ!・・だって勝手に離婚されてしまいましたから・・
残念・・。残鉄剣C・P屋・切り・・又、つまらぬ者を切ってしまった。
ところで、CP屋とは、「演劇・ムーン」で自分がもらった。
最強な自分・・例えるなら、石川伍
右衛門が満月を切る。残鉄剣・C・P・屋・・切り、CP屋を、又、つまらぬ声を、からしってまつ
た。
例えるなら(Drスランプアラレちゃん)ウンチャー、ウンチャー、コモス零、発進っていうこ
とよ・・わかるかな・わかんねぇだろな。私の記憶が正しければ、その時ヘルパーステーション
が話題に・・もやいグループ、ヘルパーステーションCP屋なんてありかな。
ただ、ただ。どんだけCP屋を感じられるかってことよ。CP屋CP屋CP屋CP屋C・P屋コスモ零!
☆もやいの自由人で、自称元祖CP屋を名乗る久富さんのコラムが、本人たっての希望で始まりました。
脳梗塞で倒れるシーンから始まるこのコラム、どこに行き着くのか不明であります。
本人も時々行方不明に!拘束したくてもできないので、GPSが必要であります。
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-シネマで愛して/あん-
「知れ渡る」怖さが身に染みている人が、恐れている偏見が知れ渡ったと知ったとき、どうい
う態度をとるのかは、人それぞれであります。
このシネマの主人公は、嘆くでなく、怒るでなく
泣くでなく、謙虚に軽やかに微笑みながら去って行くのであります。
差別偏見を共有した暮らし
の文化のまなざしは、60年の隔離の中で、やっと社会とつながり、餡づくりという特性を活かし
75歳にして生き始めた主人公を再び隔離し直すのでありました。
そして、流行らないどら焼き屋を、丹念な餡作りで行列のできる店にした主人公は、一瞬の生
を感じたバイトをやめ、自ら静かにあの場所へ戻っていくのでありました。
あの場所・・・ハンセン病の療養施設であります。法的には国も長年の過ちを認め隔離政策は
廃止になったのですが、親兄弟や親戚から縁を切られ、棄民となった人々に帰る場所はなく、今
もその場所に亡くなるまで居るしかないのが現状であります。
宿命を背負いながらも、人の心をほぐしていく笑顔の持ち主の主人公の生き様を表現しなければ
ならないのであります。
誰がそんなに表現をできるものかと思います。この国は、樹樹希林さん
がいたのであります。
ひとつひとつの仕草、まなざし、声の抑揚、間・・・その何気ない演技のすごさと軽やかさが
融合して、丁寧に丁寧に作りあげる上質の餡のように「深く静かで正しい哀しみ」が、出来上が
り、多くの人の胸に届けられるのでありました。
ワタクシもワタクシの「あの場所」があった故
にでありましょうか、自然にその哀しみを受け入れて、笑いながら涙を落としたのでありました。
その機樹希林さんが亡くなられました。心よりご冥福をお祈りします。 合掌
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-ひとり部屋にいて/友部正人さん-
♪ひとり部屋にいて 聞くのは遠くレールの響き♪
1972年冬
施設暮らしに飽きていた21歳のワタクシは、夜誰も居ない食堂に懐中電灯を持っ
て入り、ステレオで22歳のシンガーのレコードを聴いたのであります。
♪僕は10トントラック
で大阪にやってきた♪とギターをかき鳴らし、叫ぶように歌う迫力に圧倒されながら、この歌は、
自分自身の生を始めようとする者の狼煙であると実感したのでありました。
自分の生を始め事が
できないワタクシを、詩人でシンガーの友部さんが「大阪にやってきた」という歌で、「君も狼
煙をあげよ」と誘ってくれるような気がしたのであります。
気のせいではありましたが・・・。
あれから46年・・豊かで新鮮で鋭いことば達を引き連れて、色んな歌を歌い続けておられる
のであります。
数多い作品の中で地味で叫ばずに歌うあまり知られていないこの歌が、今ワタク
シの胸にスーツと漂着して寄り添ってくれているのであります。
「幼きて親なき孤といい、老いて子なきを独という」という言葉がありますが、「人情なきを
孤といい、希望なきを独という」世界を生きている人々にとって、この歌は否定も肯定も説得も
せずに静かに寄り添う友人のような存在であります。
叫んでも、叫ばなくても友部さんの歌は、
素敵であり続けるのでありました。
編集後記
いつもと違うことがあると脳が怒り出す。
歯車が一つでも替わると自分が壊れてしまうように
感じる。
だからいつもと違うことが起きないよう力の限り抵抗するのだ・・・重度自閉症の作家
東田さんが語る自閉症の風景はとてもリアルであります。
当事者の実感は、私たちに自閉症の世界のありようを知らせてくれるのであります。
みなさん、気づけば秋であります。眠れぬ夜は、本をお供に遠い世界にお出かけを!
2018年7月10日発行
ページ1
-鳥は空へ人は地域へ!-
鳥は、朝の青空に向かってスーッと旅立ったのであります。
家の中で放し飼いしていたクーと言う名の鳥は、振り向くこともなく自然に去って行ったのであり
ます。居なくなった淋しさに耐えながら何故か懐かしい言葉を思い出してしまいました。
1960年代後半ぐらいから障害者運動の新しい波が起き、様々な社会への異議申立や抗議活動が
表現され続けてきました。その中で色んな言葉の旗が翻り多くの障害者の思いをつなぎな合わせ
る役目をはたしたのであります。その中の一つに80年代に入り「鳥は空へ人は地域へ」という言
葉が出現したのであります。
誰が言い出した言葉か知らないのでありますが、おそらくは、私が
望んだ場所ではなく、周りが望んだ場所に連れて行かれ、その場所で夢や希望を堰き止められた
人々が、心の奥底で願った「いつの日か、ここでないどこかへ」という思いがつながりあって産
まれ出た言葉でありましょう。
言葉は、人であろうとする思いに寄り添い、旅を共にしてくれる存在なのであります。例え遅
々として進まぬ旅であろうと、そこに人であろうとする思いがある限り、言葉はワタクシたちの
側を去らぬ同伴旅行者であり続けるのであります。
ワタクシたちのまち大牟田でも少数ではありますが、この言葉をポケットに入れて、「ここで
はないどこかへ」と向かい始める障害者が出現したのでありました。
「自立生活」と呼ばれたそ
の場所へたどり着くまで、人がつくり出す差別が降り注ぎ、ゆくてを阻むのですが、その差別を
制するのも人であると、多くの支援者が現れ一人又一人と、自立生活が開始されていったのであ
ります。
それは、重度障害者は施設か親元で保護される生き方しか出来ないと決めつけられていた世間
の文化をひっくり返す革命がありました。
その革命が成し遂げられたことに一番驚いたのは当事者でありました。
ページ2
-白川水源-
南阿蘇の湧水の代名詞とも言える水源で、一般河川白川の総水源であります。
毎分60トンもの湧水が地底の砂とともに勢いよく湧き上げり、とうとうと流れる水音は、絶える
ことなく木々の間に心地よく響き渡るのであります。
五月晴れ 水と戯むる レクレーション
さつき晴れの日、白川水源に行って参りました!
暑さの中の涼しい風と清らかな水、さすが阿蘇でございます。
なにより心が落ち着くのでありま
した。
帰りに寄ったキムチの里は地震の影響で仮店舗。
地震の爪痕はまだ生々しいのでありました。
ページ3
-ふつうがいっぱい!-
ふつうがいっぱい!Usually Fullでごわす!
愛しい人へl Love you!を言うヤバイ瞬間こそ人生最大のドラマであります。
「どんな方法で言うの?」「普通言葉でしょう!」となりがちであります。しかし、言葉で伝える
のが困難な障害特性のある人たちは別の方法を使います。
例えば、手話で、絵のカードで、身振
り手振りで、表情で、筆談で、触手話で、文字盤で、マカトンサイン(知的障害のある人用に動作
によるコミュニケーション)で・・と様々です。ついつい、わたくし達は「普通は一つ」と決め
つけがちでありますが、よく考えればどの方法も、その人はとっては「普通」だということであ
ります。「普通」は一様でなく、多様だということに気づきます。
空は空を分けず、星は星と競わず、夜空を楽しくするようにワタクシ達が暮らすことのまちも、
それぞれの「普通」が認め合い、支え合い様々のl Love you!が響き合う「ふつうがいっぱい」
の楽しいまちであってほしいと思うのであります。
皆々様、いつもTシャツ販売へのご協力やご声援、本当にありがとうございます。
今年のTシャツのデザインは、障害特性の地域理解に向けて「ふつうがいっぱい」というコピー
で「様々な形の花が地域と言う名の木に咲いている」をイメージした作品となりました。
少しでも地域へのメッセージになれば願います。どうぞよろしくお願いいたします。
2018オリジナルTシャツ800円
※売り上げの一部は赤い羽根共同募金に寄付されます。
問い合わせ:地域活動支援センター・もやい п@56-9142
ページ4
-多目的トイレマップ-
多目的トイレマップ・パンフレット トイレットペーパーP始動!
バリアフリーのおもてなしぜよ! トイレを選択致し候
インターネット情報に続く多目的トイレ情報第2弾
パンフレットによる情報提供 18年12月に開始!
インターネットより紙の情報がいい方はご活用ください。
多目的トイレがどこにあるかわからないと、障害があったり、高齢だったり、幼児連れだったり、
オストミーという内部障害だったりする人たちは、外出先で途方に暮れることになりますし、外
出自体を億劫に感じ社会参加の意欲減退につながります。
私達は、「求める人が求める形での情報を提供する」をキーワードに、市内にある屋外、屋内、
コンビニエスストアの「多目的トイレ」の位置情報を市内地図に表記した「多目的トイレパンフ
レット」を作成し、希望する人には無料で配布します。
また、市役所や観光プラザ等、市内の公
共的な場所に置かせてもらうことで、誰もが活用できるようにするとともに、世界遺産見学等の
来街者へのおもてなしとして、市内観光の情報提供も行いたいと思います。
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-シネマで愛して/私は、ダニエル・ブレイク-
演技がスゴ過ぎると、ドキュメントを見ている気になることがあるのだと、始めて思ったので
あります。何となくBSのシネマを見ていたら、このシネマと出会ったのであります。
見終わって「これってスゴくないか」と思わず自分に問い、そのままパソコンを開き、このシネ
マを少し調べたのであります。
主役の演技は大物俳優ならではであろうし、女優さんもさぞや名のあるお方であろうと決
めつけていたら、主役はシネマ初出演のコメディアンの方であり、女優さんはオーディションで
選ばれた無名の方でありました。オーマイゴッド!スゴすぎる。だからシネマはやめられない
のであります。
さてさて、このシネマには「そうなのだ」「そうだった」「ある、ある」と何度も膝を叩き、
相づちを打つエピソードが出てきて、自分の体験がフラッシュバック。リアルはリアルを呼び、
シネマと一体化、胸の古傷が痛み始めるものの、散りばめられたユーモアに助けられ落ち着
いて最後まで見続けることができたのでありました。
国の緊縮財政の中で、オンライン化された福祉制度がつくり出す不条理に翻弄され、生きるた
めの努力を裏切られていく男の悲惨さと、貧しさに追い詰められていく一人親家庭の悲惨が交差
し、互いに支え合おうとするのですが・・という物語であります。
印象に残るシーンがいくつも出てきますが、食事か取れない母親が市民団体のフードバンクを
訪れ、空腹に耐えきれずに説明中に缶詰をむさぼるシーンは衝撃的で、女優さんの演技は演技を
越え、人は人としての誇りをも食わねば
ならない生き物なのだと、その表情一つで表現して見せるのでありました。
あー何たるリアルでありましょう。
一瞬の演技が一冊の本を凌駕する一瞬に立ち会った喜びに包まれて「いやぁ、映画って本当に
いいもんですね〜」と言い続けた映画評論家水野春郎さんを思いだしたのであります。
ページ6
-一匹のカニ/小室 等-
♪おれがうらやましいのはきみよりも 赤い甲羅の一匹のカニさ♪
施設という狭い惑星の中で、起床から消灯まで子供のように管理されることに慣れてしまい、
また、煮詰まって出口のない人間関係に絶望しては毎日ため息をついていたのでありますが、本
当に深いため息ほつくるのは、そんな暮らしをおくる惨めな自分に対してできなく、惑星の外の
社会の中で、自由に生きて好きにことがやれてる人々をうらやむときでありました。
この「うら
やむ」という感情はやっかいなもので、歯槽膿漏のような心にむしばむのでありました。
ワタクシは、それから少しでも逃れる方法を考えておりました。
ある日、プロテストソングと
いう一枚のアルバムを買ったところ、そのアルバムの中にこの歌があったのであります。
軽い調子で歌われる何てことはないような歌なのです。
しかし、当時のワタクシには、とてもと
ても心に響いたのであります。
♪あなたはハワイに行った、私は江ノ島にしか行けない、しかし、うらやましいのは君よりも
一匹のカニさ。負け惜しみかもしれないけれど♪・・そんな感じの歌でありました。
「負け惜しみかもしれないけどうらやましい」というフレーズがとても気に入り、ワタクシの愛
唱歌になったのであります。
そして、ワタクシの心の歯ブラシとなって歯槽膿漏から防いでくれたのであります。
編集後記
普通基本的に「カニは横に歩く」のであります。
何故か?といえば、関節のありようがそうなっているからであります。
基本的に前に歩くのが普
通の人間からすると不思議であります。
しかし、カニから見れば人間の歩きは不思議であります。
よく考えてみると、普通は一つではないのであります。人間にも歩き方にはステッキや歩行車や松
葉杖や車いすなど、色んな歩き方があるのであります。
「ふつうがいっぱい」であります。あー強引なTシャツの宣伝になりました。お許しを!!
2018年4月10日発行
ページ1
-旅立てぬ-
旅立てぬ 無念に寄り添い 散りしゆく 桃色吐息よ やがて来る日を
毎年、満開の桜の下で思うことがあります。卒業の門をくぐり、新たな門へ向かう同級生の背中
を見送りながら、自分は向かう場所があらかじめ奪われているのだと気づいた少年時代の現在。
2018年の桜咲く現在にあってなお、向かう場所が奪われている少年少女達がいるという二つの
現在についてであります。
あの春、途方に暮れたワタクシは「無念」という感情に振り回され、桜の下で大きな吐息を吐き、
自分を嫌い始めたのでありました。この春、障害のある少年少女達の中にも、桜の花びらに包ま
れ吐息を落としている少年少女がいるのでありましょうか。
あの春からこの春まで半世紀が立つなかで、障害者差別の解消を目指し、平等公正のルールが
定められたのであります。
しかし、いくつもの無念を産みだしてきた暮らしの文化は、そう簡単
にその景色を変えることはないのであります。
誰もが間違っていない「あたりまえ」と思い込んでいる暮らしの文化の一部に紛れ込んでいる価
値観やそれに基づく方法論やまなざしに異議を唱え、説明し、差別を証明するには大変な労力を
必要とするわけですが、少しでもより良き現在に向けて進んでいくしかないのであります。
「私もすべての人の旅立ちを祝いたいのです」と満開の桜がつぶやき大きな桃色吐息を落とす
のでありました
ページ2
-浅井の一本桜-
浅井の一本桜を見れませんでした。
3月26日 気まぐれレクレーション・・しっぱい!
溜池の水面に鏡映しになる「逆さ桜」で人気がある。
樹齢110年のヤマザクラ。「浅井の一本桜」を見に行きました!
しかし、しかし、なんと開花0パーセント!
残念無念でありました。隣の写真は皆さんも満開を見たいだろうと忖度し、ネットから引っ張っ
てきて写真を改ざんした一本桜であります。
平成3年の台風で被害を受け一時樹勢が衰退したそうですが、樹木医による回復作業を施し樹勢
が回復したということであります。
「逆さ桜」風情があります。
夜の闇に浮かび上がる姿を想
像すると、ぞくぞくするのであります。来年は開花時に!
♪花見という字は花を見ると書くのね!♪
3月29日 花見、桜満開の中あたたかいお日様が・・・せいこう!!
春風の さくら匂うよ 晴れた日に naruyosi
ページ3
-どなたでもご自由にお使いください-
多目的トイレマップ〜バリアフリーのおもてなし〜
赤い羽根共同募金助成金事業に決定
多目的トイレがどこにあるかわからないと、障害があったり、高齢だったり、幼児連れだったり、
オストミーという内部障害だったりする人たちは、外出先で途方に暮れることになるのでありま
す。
私達は「多目的トイレ」の位置情報を市内地図に表記した「多目的トイレパンフレット」
を作成し希望する人には無料で配布したいと思います。
また、市内の公共的な場所に置かせてもら
うことで、世界遺産見学等来街者へのおもてなしとして、市内観光資源もできるだけ地図に付与
した情報提供も併せて行います。
情報を提供することによってめざす効果は以下の通りであります。
1、トイレの心配がなくなることによる外出意欲の向上
2、外出による心身の健康維持や文化とのふれあいの増大
3、家族や友人達と行動を共にする機会の増大
4、利用者が増えることによる社会資源整備の政策効果の拡大
5、バリアフリーのおもてなしによる街のイメージアップ
2018年12月(障害者週刊)完成予定
多目的トイレマップパンフレット
ページ4
-障害学/出ない出会い・出る出会い-
ワタシの惑星を出て、アナタの惑星へ!
「息子は、目を離すと何をするのかわからないのです。
家の外ではもちろん、家の中でも危ない
行為をすることがいっぱいあります。だから私は、何もしてない時も、何かをしているときも、
片時も息子から目を離しませんでした。まるで監視カメラのように。それが私の務めだといつも
思ってました。
ただ、それはとても疲れる行為です。身も心もほとほと疲れます。そのストレス
に負けそうになり、ため息を落としたその時です。ふと、思ったんです」
お母さんは、不特定多数の前で語るという非日常的行為に緊張されていて15分という持ち時間
の長さがつらそうに見えたのであります。
それでも自閉症の息子さんとの日常を正しく伝えようとする真摯な態度は、参加者に染みわたり
小さな学習会会場には、何一つ聞き逃してはならないという空気がピーンと張りつめておりまし
た。
人は、見た夢をいきいきと語る時があります。その時の口調は軽やかで、情景描写は的確で
あります。
聞く方も引き込まれていくのでありますが、お母さんもまた、夢の中の出来事のよう
に、そしてまるで小さな希望でも見つけたように、語りが軽やかになり始めたのでありました。
「もしかして疲れているのは見続ける私だけじゃなく、見られ続ける息子も疲れているのではな
いか」お母さんの話は、「ふと、思ったんです」を分水嶺に、お母さんの見える景色が大きく変
わった気がしたのであります。大げさに言えば、お母さんはワタシという惑星を出て、息子とい
う惑星に移動し、息子という惑星からワタシという惑星を初めて見たのだと思えたのであります。
「不思議なことにそう思うと、少し気が楽になりました。そのせいでしょうか、息子も又ほんの
少しですが最近落ち着きが出てきてる気がします」
ほんの少し、親子間に流れる空気が和らいだ暮らしのありようを聞きながら、ワタクシ達は他者
と出会うとき、ワタクシという惑星から一歩も動かず他者を理解しようとしがちであり、理解し
たと思いがちであります。しかし、それは本当の出会いになっているのでありましょうか。
わたくしの体験から言えば、人は、相手を知らない、知ろうとも思わない。しかし、相手をこ
うだと決めつけている場合が多いのであります。ワタクシという惑星から一歩も動かず、多くの
人と共有するあたのまえという価値観を押しつけ、それを物差しに人を縦に見下し、横に遠ざけ
がちであります。残念ながら、人は人と出会う前から、その人をこういう人だ、人たちだと定義
してその人を見るのであります。
何故出会う前に定義できるのかと言えば、多くの人と共有する
「あたりまえ」の空気を吸っているからであります。空気とは、日々暮らしの中で流通する暮ら
しの文化であります。
しかし、その暮らしの文化の中に、人に人を差別させてゆく契機が紛れ込
み、隠れ潜んでいるのであります。それを防ぐためには、根拠なき「あたりまえ」が絶対化され
たワタシの惑星を出て、アナタ、或いはアナタ達という惑星に移動し、お母さんのように、その
惑星からワタシという惑星を見直し、根拠なき確信があれば修正することが必要となるのであり
ます。
ページ5
-シネマで愛して/陽光桜-
陽光桜という桜があるのであります。
この美しい桜は人であることのかなしみ、人であろうと
することを願う物語が産みだした花なのであります。
このシネマ、ワタクシに泣けとばかりに感情移入を迫るのでありました。確かにグッとくるので
すが、泣いてたまるかと土俵際で踏ん張っていると、主人公がつぶやく「たまらんがな」で、土
俵を割ったのでありました
あの頃、春になると施設の中庭で「桜が見たかね」と毎年同じ愚痴を言い合い「一生施設暮ら
しやけんテレビで見るしかなかばい」と笑い合うのでありました。ワタクシは数年後施設を出て
娑婆の差別と向き合い押し潰されながらも、桜を生で見ながら「私は人である」と自分に言い聞
かせ地域の障害者と出会っていきました
そして莫大な時が流れる中で、桜が咲く度に、あの中
庭で毎年交わした、平凡な会話を思い出したものでありました。
そして、あのときあの場所にい
た人が今もその場所に何人かいることに、言いようのない切なさを感じ、娑婆に出て何かを楽し
んでいる時、ふと襲う罪悪感に近い感情に支配され考え込むのでありました。
空は空を分けず、星は星と競わず、ただそこにあるだけで「楽しい」をつくるのに、何故人は
人を分けて競い、ただそこに在ることさえ許さないのでありましょうか。
誰もが地域で暮らしていける社会づくりを進める中で、何度もシネマの主人公のセリフをワタク
シ達は繰り返してきたのであります。
これからも、シネマの主人公のように「たまらんがな」の思いを大切にして進んでいくしかあ
りません。
そう思った瞬間THE BLLE HEARTSの「終らない歌」が流れ、一気にテンションが上が
り、ついに涙がポトリ!桜は涙を呼ぶ花であります。
ページ6
-笑えれば/ウルフルズ-
♪とにかく笑えれば 最後に笑えれば♪
ある地方競馬に、どんなに懸命に走っても勝てない馬が居て連敗記録を更新し続けるうちに、
応援する人が一人増え二人増えしていったのであります。
馬は益々懸命に走るのですが、それで
も「勝てない」が続くのであります。ここまで負け続けても三人増え、四人増え声援の輪は静か
に広がり続けるのでありました。応援者は一体何を応援しているのでありましょうか
勝つことから一番遠くの場所にいるこの馬の何を応援すねのでありましょうか?
それは、常に変
わらぬ「懸命さ」ではありますまいか。応援者もまた自分自身の中にある「懸命さ」が脆いこと
を知り尽くしている故に「懸命さ」が、自分自身から消えないように願いを込めて声援を送るの
ではありますまいか。
この「懸命さ」を応援する歌を探したら、この歌にあったのであります。
力強いメロディーに切ないポエム「懸命さ」を失わない人々の心を吹き抜けるシンプルな歌「笑
えれば」。
さすがはウルフルズ!♪バンザイ君に会えてよかった♪であります。
編集後記
さくらの花ほど歌になっている花はないのであります。
その満開のさくらの花をゆっくり眺めていると、舞い散る花びらが、ノンアルコールを注いだ紙
コップにひらひら舞い落ちたので、これは一句読まねばと慌てて「偽物の ビールに酔いし 花
びらよ」と読み、あまりの駄作ぶりに自己嫌悪。
下がったテンションからどう立ち直ろうかと思
案していたら、花見弁当がとてもおいしいことに気づき、急激にテンションが回復。
ワタクシは花より団子派だと確信したのでありました。
2017年12月10日発行
ページ1
-2018 よいさ!よいやさ!ダイバーシティーへ-
♪時に情けない♪
と、中島みゆきさんは新曲「慕情」で歌っているのであります。異議なし!
であります。
時に情けや忖度があってはなりませぬ。時の非情さに泣き濡れようと、ここはやせ
我慢。時の平等さを称えるべしでありましょう。
しかし、時は平等なのに時の体積の中で少数で
はありますが人は変わりゆくのであります。時が人を変えるのか、人が勝手に変わるのか、よ
くわかりませんが、人とは変わりゆく生き物であります。
ある一つの認識が変われば、感情が変
わり、感情が変われば、態度が変わり、態度が変われば、関係が変わり、関係が変われば、社会
が変わるのであります。振り返れば、ワタクシ達は運動の名の下に、共生の旗の下に、あらゆる
言葉を使い、論理を組み立て、イベントを企画し、様々な人々と出会って来たのであります。
その取り組みは、自分自身も含めて人が持つ、ある一つの認識を変えようとする行為であります。
しかし、いつも年が変わる頃になると、その認識を変えようとする行為は、時がかかり過ぎる
のに、時は無情に過ぎてゆくという感概であります。時に対して「あんたは冷たい」「あんたは
非情だ」と八つ当たりをしたくなるのであります。
'17年がゆきます。この1年なにかやれたかなと思うとため息が出ますが、別のカテゴリーで
同じようなことを目指す人々がいること、そして、耳を澄ませばどこからともなく「よいさ、よ
いやさ」と、多様な特性を認め合い支え合おうとするお囃子が聞こえる気がすること、それらの
ことがため息を止めてくれるのであります
"18年、大蛇山が多くの人のお囃子でこの街のアイディンティティになっているように、多様性
を認め合い支え合うダイバーシテイのお囃子がこの街のアイディンティティになるように、ワタ
クシ達は来年もマイペースでありますが、「よいさ、よいやさ」と歩いて行くのであります。
時よ、よろしく、もう陰口は叩かない。
ページ2
-お日様と雨がお客のバザールDay-
秋はバザーの季節であります。
バザーで気になるのはお天気でございます。
いつも参加させてもらう「恵愛まつり」は少し雨。サン・アビ祭は2日間雨でありました。
スタッフの方々、雨の中お疲れ様でした。お世話になりました。
初めて開催された「三川坑まつ
り」にも参加しました。こちらはお日様が出て、ひなたぼっこをしながらのんびりとしたバザー
となりました。
バザーというのは、懐かしい人との再会や、新しい出会いを産み出してくれるの
で、これからも色んなところへ出店したいと思います。
編集前記
♪季節を報せない花なんてないさ♪
社会福祉学部を卒業した若者は、世にもまれながら歌い、そして演じる人となり、今年紅白に出
場するのであります。
息子から教えてもらった竹原ピストルさんの歌を最近よく聞くのですが、彼の歌はとても正直で
率直です。このフレーズを聴いたときは重度の障害者の意思決定支援を考えるとき、果たして意
志そのものがあるのだろうか?という問いかけが出ますが、その問いかけに見事に応える言葉で
もあります。歌に励まされることがよくあります。
名曲♪見上げてごらん夜の星を♪は、集団就
職して定時制高校に通う若者を励ますためにつくられ、多くの若者に歌われました。障害のある
人たちに寄り添い、肩を叩き、背中を押す歌も数多くあります。
2017年も色んな歌が作られ、アーチスト達がメッセージを発信しました。
皆さんの心に届いた歌
は何だったでしょうか?
2018年も心に寄り添ってくれる歌と出会いたいと思います。
ページ3
-〜必要なトイレ情報をあなたへ〜さぁー、街に出よう-
近年、整備された「多目的トイレ」は、誰でも利用できるというユニバーサルデザインの考え
方に従って、障害者や高齢者や子ども連れの人なども使いやすいよう、ベンチやベット、おむつ
換えシートやベビーチェア、オストメイト対応設備などが設置されています。私達の街にもたく
さんの多目的トイレがあります。
しかし、外出先で急に多目的トイレが必要になったとき、「ど
こにあるの?どんな設備?どう行くの?」と悩んで焦ってしまいます。
世界遺産を見に来られた市
外の人たちだったら、尚更と思います。
今回、私達は障害当事者として、外出時にトイレで困った経験を活かして「どこにあるの?どん
な設備?どう行くの?」に応えるために「どこ?ここ!プロジェクト」をつくり、現地を調査し、
市内の主要な多目的トイレの場所情報・整備情報・経路情報をまとめた「多目的トイレマップ」
を、障害者週間(毎年12月3日〜9日)に合わせて、ホームページ上に公開いたします。
スマホでNPOSOSと、アクセスしてもらえるとスマホでビッ!トイレがパッ!という表紙がでます。
次に、黒い便器をクリックしてください。
スタートでございます。
この多目的トイレマップが、誰ひとり外出に気後れせず、外出先でトイレに困らず、安心して
街を楽しめる一助になれば幸いです。
大牟田市障害者地域活動支援センターもやい/どこ?ここ!プロジェクト一同
電話/FAX:0944-56-9142
ページ4
-日本で一番早い年賀状をどうぞ!-
あけましておめでとうございます。
日頃より、色んな場所から、色んなご支援頂きありがとうございます。
2017年も、Tシャツ販売や、トイレマップづくりに多くの皆さんからご支援頂きました。
重ねてお礼申し上げます。
2018年が始まりました。
新たな年が始まったといって、私たちの活動が変わったり、弾んだりするわけではありません。
いつものように、等身大の活動をコツコツと続けるだけです。
障害者権利条約や、障害者差別解消法など、私たちの思いや願いが込められた条約や法律を、
私たちが暮らすこの場所に根付かせていきたいと思います。
本年もよろしくお願いいたします。
2018年 1月1日
大牟田市障害者地域活動支援センターV型・もやい一同
ページ5
-施設百話/イタリアの背広リタイヤ泣きながら-
夜中に、月刊誌を読んでたらイタリア製の背広の広告が目にとまり、施設時代の出来事を思い
出したのであります。
ある日、同室の重度の障害者のベットの上に、高そうな背広が吊るされたのであります。聞けば
妹の結婚式のために誂えたのだと言うのであります。なんとイタリア製と聞きビックリ。値段を
聞いてまたビックリでありました。
妹への思いの深さが詰まった背広は、なんとなくワタクシ達と娑婆がつながっていることを示す
象徴としての旗となり、6人部屋に敢然と翻ったのであります。口の悪い連中は、色がどうのこ
うのとか、成金趣味でみっともないしもったいないとか、散々からかいながらも、何となく嬉し
そうで、部屋中にお目出度い空気が漂ったのであります。
しかし、であります。
「まさかお兄ちゃんば連れてくるとやなかろうねって、あれの言うてきかんとさ。すまんね。す
まんね。こらえてくれんね」結婚式まであと数日となった日、訪れた母親は、肩より低く頭を垂
れて彼に告げたのであります。彼は震える右腕を左手で抑えながら文字盤の「よ」と「か」を二
度押したのでありました。
「よかよか」と。
その日、6人部屋に翻った背広という名の旗は降ろされ、部屋にはいつもの空気が戻り、誰もが
「なんだやっぱり夢か」という、あの寝起きの気怠い感覚に包まれたのであります。
それ以来、あの背広を二度と見ることはなかったのであります。
この時強く思ったのであります。
娑婆は帰るところではなく、変えるところなのだと。
ワタクシは忘れてはならない出来事に出合うたびに、その出来事を詩にしたり歌にしたり短歌
にしたりして、心の奥の本棚に仕舞う癖があるのですが、長い間この出来事を形にできずにいた
のであります。
しかし、なんとか娑婆に出て数年後に、川柳という形にして記憶にしたのであり
ます。
あの日彼に「よかよか」と言わせた娑婆の空気のありようを、今、ワタクシ達は少しでも変え
得ているのだろうかと、ひらひらと翻る背広の幻影を追いながら、思うのでありました。
こんな時飲むコーヒーは苦いのであります。
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-悲しみは言葉にならない/フォーク・クルセダーズ-
♪天気は曇り のちに晴れ のちに晴れ♪
1960年代後半、17歳のワタクシは、差別という引力に押しつけられる努力と根性はノーサンキ
ュー!
愛と正義大嫌い!お為ごかしはいらないぜ!と、希望を表す言葉と態度に反抗し、ひねくれ
ていたのであります。お蔭で居場所もなく、友達もなく、ラジオとテレビが居場所で友達であり
ました。
そのラジオやテレビで流れる歌もまた、希望を歌うのでありますが、今までと同じ言葉
で希望を歌うのに、今までと違う感覚が味わえる歌が現れ始めたのであります。そんな歌を歌う
人たちは、みんな若く、ラブ&ピースを基本に、自分で詞と曲を書き、他者の心や社会に向けて
自分で歌い出したのであります。
そんな歌を聞いてる内に、心が弾み始め、ふと気付くとノーサンキューや大嫌いな言葉と出会い
直していたのであります。
この時代、色んな面白い人やバンドが出てきたのでありますが、その中に、美しい希望の言葉達
を、穏やかで美しいメロディーに乗せて歌うフォークルがいたのであります。
彼らの歌を聞きながら、引力に押しつけられる希望と、自己の内側から立ち上ってくる希望に
ついて、ワタクシは考え始めたのであります。
そのフォークルのセンターで歌い、晩年に難病を煩っていた、はしだのりひこさんが先日死去
されたのであります。心より合掌。
編集後記
トイレマップが完成。
久しぶりに長期に渡り皆で取り組んだプロジェクトでした。色んな人が利用してくれると嬉しい
です。
もやいでは障害の重度化が進行し、昔のように、面白いことがなかなかやれないのですが、
知恵を絞り、動かずに出来ることに取り組んで、社会貢献のまね事を進めたいと思っています。
2018年も、あきれず!あきらず!あやしまず!おつきあいの程お願いいたします。
2017年9月10日発行
ページ1
-見えない像を描き聞こえぬ鐘を鳴らそう-
ワタクシ達の活動は、「障害者運動」という括りで認識され、それはそれで間違いではない
のですが、しかしそれだけでは「言い足りていない、言い得ていない」感がするのであります。
ワタクシたちは、差別を受ける当事者として差別の禁止を求めている訳ですが、そもそも降りか
かる差別はどこから来るのかと言えば、差別をする人々の住む大地から差別をされる人々の大地
にやって来るのではなく、差別をする人もされる人も地続きの同じ大地に暮らしているこの場所
で空気のようにうみだされているのであり、ワタクシたちも又、呼吸をする生き物として、その
空気を吸っては吐いてを繰り返す中で、差別をし、差別をされる人生を生きてるのであります。
であるならば、ワタクシたちは、差別の禁止を求めるというより、差別を生み出す空気を構成す
る成分を、差別をしない空気の成分に変えていかなければいけないのではないかと思うのであり
ます。
空気、この見えないけれど人という生き物の人生や希望を一瞬で奪い去る気体の正体を暴くに
は「見えない」気体の像を描きださねばなりません。
また、空気が読めないと言われても、人で
ある事を脅かす出来事には、そうではないのではないかという鐘を一人でも静かに鳴らさねばな
りません。
ワタクシたちは、小さな筆を持ち、小さな鐘を持ち、それぞれの場所で像を描き、鐘を鳴らす
人々とつながりながら、差別を「しないさせない」おいしい空気づくりを進めていきたいと思う
のであります。
ページ2
-大牟田市防災訓練-
9月3日(日曜)大牟田市防災訓練が開催されました。
もやいは毎年、大障協を通じて参加し続けています。
障害当事者の参加はとても大切だと思うか
らです。今回も久富・末藤が参加しました。
つい最近の九州北部豪雨らおいて被害を受けた朝倉
市と朝倉郡では、身障連の会員2名が亡くなられ、2名の聴覚障害者宅が床上浸水に見舞われたと
のことです。
いざ災害の時、どう逃げるか?どこへ逃げるか、避難先でどう暮らすか?課題はいっ
ぱいです。でも防災訓練に参加することで、課題解決のヒントがつかめるかもむしれません。
これからも参加して、色々考えていきたいと思います。
編集前記
何という夏だったのだ!雨は少なく、朝から夜まで暑さはどこまでも続き、この国にもう二度と
秋は来ないのだと心が折れまくるのでありました。
何という夏だったのだ!
お尻の「おでき」
が「あせも」と連携して、這うたびに痛みが強まり、なるべく痛くないように体を傾けて這ってい
たら腰に激痛、体が悲鳴を上げるのでありました。
何という夏だったのだ!
パソコン開いて目ま
い。本を読み目まい、外に出て目まい、布団の中で目まい、夢の中でも目まい、これでワタクシ
もお終いだと・・天を仰ぐのでありました。
何という夏だったのだ!
清水の舞台から飛び降りて携帯をスマホに替えたら全然扱えずにトラブル続き、捨てた携帯が忘
れられず毎晩泣いて思いだすのでありました。
何という夏だったのだ!
夕立に濡れ、日差しに焼かれ、蚊に刺され、千にひとつもいいことはなかったのに、過ぎてしま
えば、夏を懐かしんでいるのであります。
恋人とよりを戻そうとしている冴えない男のように・
・・
皆様、夏にご用心!イラッとしても懐かしい不思議な季節であります。
ページ3
-Tシャツ販売へのご協力本当にありがとうございました-
炎暑が続いた夏がゆき、秋の夕焼けにやすらぎを感じるこの頃。
皆様、お元気でご活躍の事と存じます。
さて、本年も「もやいオリジナルTシャツの販売にご理解とご協力」をいただき、本当にありが
とうございました。
なお、売り上げの一部を、些少ではありますが、社会福祉協議会を通じて、福岡県共同募金会
の「福岡県大雨災害義援金」へ寄付させていただきました。
一日も早い復興を心からお祈りいたします。
〒8396-0853
大牟田市上町2-4-7イッツビル102号
地域活動支援センター もやい
TEL/FAX:56-9142
ページ4
-スマホでビッ! トイレがパッ!-
どこ?ここ!プロジェクト
〜2017年障害者週刊に情報提供めざしスタート!〜
障害があると社会環境との関係で困ることは山ほどあるのですが、その中で特にトイレの問題
は大きいのです。
ほかの事なら今日は我慢しとこうと自分に言い聞かせることが出来ますが、襲
い来る尿意と便意はそういうわけにはいきません!
脂汗を流しながら、私にできるトイレは「どこ
?」。ここから一番近いトイレは「どこ?」と探し回らねばならない一大事です。
この切実な2つの「どこ?」に「ここ!」と応える「多目的トイレ情報提供サービス」を行おうと、
もやいで上記のプロジェクトを立ち上げました。
大牟田市内の多目的トイレ(屋外・屋内)を、利用者である障害当事者が見て回り、必要なトイ
レ基礎情報と地図情報を作成し、スマホで気軽に情報を得てもらうというコンセプトです。
9月の風に吹かれて調査活動開始。12月の障害者週刊に情報提供スタートの予定です。
ページ5
-シネマで愛して/酒とバラの日々-
9月になると、必ず思い出す出来事があるのであります。
長い施設暮らしの中で、とっくにす
り切れた希望と目を合わせずに、今日の退屈さをやり過ごすのが日課になっていた中で、話をし
てて楽しいと思えた先輩が一人いたのであります。その人と話している間は退屈しなかったので
す。ワタクシと同じ障害で歳が一回り上のその人は、いつも酔っていて、職員から怒られ、他の
障害者からはホラ吹きと笑われていたのであります。
しかし、ワタクシはホラも含めて、色んな
物語や夢を聞かせてくれるその人が面白くてたまりませんでした。
9月のある日、起床になった
ので起こしに行くと、その人は死んでいました。アルコール性肝硬変が死因であります。
その人はアルコール依存症でありました。心配で何度か「酒を少し控えたら」と言ったことがあ
りましたが、「酒だけが俺のともだちたい!」と嬉しそうに飲むその人の笑顔にいつもワタクシは
黙り込んだのでありました。アルコール依存症のことも全然知らずにいて、知っていたことは、
古いこのシネマを見てた記憶だけでした。
ワタクシの大好きな役者ジャックレモン主演のこのシネマは、アルコール依存に巻き込まれた人
の悲惨を表現した古典的な作品であります。
細かいストーリなどは覚えていませんが、「飲酒」
という行為を自らの意志でコントロール出来なくなったときの悲しみ、怖さが、これでもかと描か
れるのであります。意志という人を人たらしめている構造が破壊されていくのであります。
その絶望から逃れるためには、飲酒しかないという地獄のルーティンに唖然としたのであります。
多くの人に、しばしの癒やしと生きていくエネルギーを与え、人と人をつなぐ飲酒が、一方で
は、それら全てを破壊していくのであります。
9月の風に吹かれ、もう一度このシネマを見直しながら、その人の「酒とバラの日々」に思い
を馳せ、止まらなかった物語を見つめたいと思うのであります。
ページ6
-あの鐘を鳴らすのはあなた/和田アキ子-
♪あなたには希望が匂いがする♪
20代の頃、閉ざされた障害者施設の中で、希望にはグッバイして死んだように生きていたので
あります。
ある日、新聞の投書欄に「障害者よ立ち上がれ」という重度障害者の投書が載ってい
て、短い文章ですが、差別に負けてはいけないこと、人らしく生きていくことの大切さが書かれ
ていました。
ワタクシは、その文章を読んだとき、これは本音が書いてあると直感しましたし、
重度の障害者が本音を叫ぶそのこと自体に衝撃を受けたのでありました。
たぶん、この人は自分を重度障害者としてではなく、自分を人と名付け、そこから全てを出発さ
せているのだと思えたのであります。いや、それだけではなく、全ての障害者に「そのこと」を呼
びかけているのだと感じたのでありました。
「そのこと」はワタクシの心に刺さり、何かを告げ
る鐘の音のように鳴り響いたのでありました。
そんな時聞いた歌が阿久悠さんが作詞し、ブルースの匂いがする和田アキ子さんが歌うこの歌で
ありました。「町は今、砂漠の中」どんな厳しい状況であろうと「あの鐘を鳴らすのはあなた」
希望はつくりだせるのだと歌うこの歌でありました。
この歌を聞いて6年後ワタクシはオドオド
と施設を出て砂漠の中へ戻ってたのであります。
そしてそこで、あの鐘を鳴らす「あなたなる人々」と出会っていったのでありました。
編集後記
♪それは九月だった♪
でいきなり始まる「すみれSeptember love」を口ずさんで9月を迎えし
たのであります。
幻想的な恋の情景を歌ったこの歌のように、素敵な恋がいっぱい生まれればと
思うのであります。
9月のお月様には、なんだかそんな願いが叶うような雰囲気があります。
差別を越えて♪今夜はSeptember dreamin♪です。お月様はきっとあなたの味方であります。
2017年6月10日発行
ページ1
-ダイバーシティ&インクルージョン-
それぞれのふつうをみとめ ふつうのつながるまちづくり
友達が少ないワタクシの友達のひとりKさんは、脳性麻痺の障害があり、両手の代わりに全て
の動きを足で行うのであります。食事、ひげそり、運転、名刺交換、ハイタッチ、トランプ、じ
ゃんけんも・・・ありとあらゆる事を。
Kさんにとっては、それは「ふつう」のことであります。
よく考えれば誰だって自分にとって「ふつう」の動きをやってるわけでありますが、この「ふつ
う」を健常者の「ふつう」という枠だけでくくり、これのみが正しい「ふつう」であると決めつ
けた瞬間、Kさんの「ふつう」は「ふつう」ではなくなるのであります。「ふつう」ではないの
なら「いじょう」ということになるのであります。そうなると「ふつう」という枠に入るように
修正を強要されたり、それがだめなら遠ざけられたり、見下されたりするようになります。
さて、ものの見方には2種類あるとおもうのであります。
一様(同じふつうのみ含まれているさま)と多様(さまざまなふつうが含まれているさま)であり
ます。障害のある人の多くが一様のまなざしを受け続けてきました。
しかし、地域が多様の
まなざしに変われば、Kさんの動きも「ふつう」ということになります。レストランから入店拒
否を受けることもなくなりました。Kさんも、いや障害のある人々も、自分の「ふつう」に自信
をもつことができるのであります。
そして地域とつながり自分の居場所と出番を築けるので
はないでしようか。
そうなれば色んな「ふつう」と言う名のピースが組み合わされたジグソーパズルが完成するの
あります。
ダイバーシティー&インクルージョンとは、それぞれのふつうをつなぎ、市民の数だけ夢が咲
くまちづくりのことであります。
ページ2
-ホームページ生まれ変わりました!-
長いこと、更新と言えば「もやい通信」のみの時期が続いていたホームページですが、深い反
省と怪しい自信?に支えられリニューアルいたしました。
ひらがな表記と、わかりやすい表現でつくった当事者が見やすい「社会資源マップ」もアップ
しました。
もやいでつくっている作品を紹介するコーナーや、30年以上つづいている「もやい通信」のプレ
イバックが次々とアップされつつありました。
当時の障害者運動の空気が漂う記事が見れます。
また、誰ものぞんでいないとは思いますが、動画のコーナーも少し充実させていく予定です。
現在、「燃えて100年もう一つの物語・Dentizamon」公開中!
-長洲 金魚まつり-
5月4日、恒例の「金魚まつり」へ!
熱い中行って参りました。自分自身にご苦労様と言いたいと思います。
例年、あまり売れないのですが広く開放感がある場所なので気持ちがいいです。
それに、以外と
売れましたので幸せです。
しかし、5月というのは緑のパワーがすごいですね。
とっても空気がおいしくて、ごちそうさまでした!
ページ3
-バイバーシティ Tシャツ-
"17オリジナルTシャツは「共に生きる願い」を込めた一筆書き
それぞれちがって多様でござる! 大蛇シティはダイバーシティ
ダイバーシティ(Diversity/多様性)とは、雇用の機会均等、多様な働き方を指す言葉です。
もともとは、アメリカにおいてマイノリティーや女性の積極的な採用、差別ない処遇を実現する
ために広がったもです。その考え方は労働だけでなく教育や福祉などへ広がりを見せ、日本にお
いては、性別、価値観、ライフスタイル、障害等の面に注目した多様性として捉えられ、多様な
違いを持った人々が協力しあうことで、誰もが暮らしやすい地域をつくることを表現した言葉と
なっています。
「大蛇シティおおむたを、ダイバーシティ多様でござる」へ!誰もが居場所と出番がある地域へ!
との願いを゜こめてデザインしました。どうぞ来年もご支援よろしくお願いいたします。
定価800円
※ご支援ありがとうございす。今回は、350枚限定発売となりますので、売り切れになる場合が
あります。
ご了承ださい。
●お問い合わせ
障害者地域活動支援センター・もやい
〒836-0853
大牟田市上町2丁目-4-7イッツビル102号
電話・ファックス 56-9142
ページ4
-バイバーシティ/多様でござる-
ダイバーシティ/多様でござる
詞・曲・歌:SOSバンド
大蛇cityはDiversity 丸に三角四角に五角
大蛇cityはDiversity それぞれ違ってそれぞれふつう
あー 認めあい支えあい
市民の数だけ夢が咲く まちにしようね
希望のワードはDiversity 人が真ん中多様でござる
大蛇cityはDiversity 赤青緑に紫黄色
大蛇cityはDieversity それぞれ違えば虹にもなれる
あー 分りあい分かちあい
一人の悲しみ見逃さぬ まちにしようね
希望のワードはDieversity 人が真ん中多様でござる
あー 平等に公平に
全ての命を輝かす まちにしようね
希望のワードはDieversity 人が真ん中多様でござる
SOSバンドも高齢のため、声は出ない状態でありますが、
TシャツのCMソングだけは歌わなくてはと、かってに頑張っています
ページ5
-シネマで愛して/アーティスト-
まさか2012年という時代にサイレントシネマが「スー」と現れ、アカデミー賞5部門を「パー」
とさらっていくとは思わなかったのであります。
空を見ろ、鳥だ、飛行機だ、あっ!「スーパー
マン」だ!みたいな感じであります。
物語の時代設定は1920年代のハリウッドであります。トーキーシネマへの移行が徐々に進む中
サイレント映画の大スターである中年男と、女優志望の若い女が出会い恋に落ち、愛しあい求め
あう物語なのであります。
大スターの中年男は、次第に時代に取り残されスターから転落し、
女優志望の若い女は時代に抱きしめられ、人気女優へと・・
さてさて、落ちる男と、昇る女の愛の行方は・・というのが見せ所なのであります。
愛という二人だけの「私状況」に、堕とす昇らせるなどの社会的評価を下す「公状況」が突き付
けられたとき、「私状況」の愛は変わらざるを得ないのか?ワタクシは、それが気になり画面に
引き付けられたのでありました。
何故かと言うと、ワタクシたち障害者の愛のありようも、二人の「私状況」に差別の「公状況」
が突き付けられ、本来あり得たはずの純愛が崩されることがくあるからであります。
この世は、崩された純愛の星屑で溢れているのです。
だから、夜は悲しいのであり、だから人は
♪昭和枯れすすき♪を口ずさむのでありましょう。
しかし、この物語、最後にワタクシを救ってくれました。やはりスーパースター!であります。
言葉のない世界で、こんなに豊かに愛のありようを表現できるのかと、うれしくなるシネマでし
た。
そして、忘れてはいけないのが、犬アギーの名演技!でありましょう。
助演男優賞をあげるべきだ!と本気で思ったのでありました。
☆名演技をみせた犬のアギーは、2015年13歳で亡くなったのであります。 合掌
ページ6
-負けるなよ -ホン・ヨンウン-
♪負けるなよ、負けるなよ!チョッパリ♪
叫ばずにはいられない「生」を生き、一方で叫ぶつらさを引き受けて、叫ばずにいる多くの
人々を励まし、叫ばせない社会を打つ、そんなシンガーに出会うときがたまにあるのです。
在日朝鮮人2世として大阪で生まれ、1973年『熱い街』1985年『雨の朝』1988年『一人町の中
で』を発表。2003年46歳の若さで亡くなったロッカー、ホン・ヨンウンさんは、本物の叫ぶ人
でありました。
80年代後半大牟田に来てくれたホンさんの歌を初めて聞いた時、その叫ぶの熱にワタクシの
心は火傷したのであります。
観客は30人程度だったのですが、ホンさんはマイク無しで足踏みしながらギターをかき鳴らし、
汗を飛び散らせ、修行僧のようなまなざしで最後まで叫んだのでありました。
ライブ終了後、ワタクシの家に泊まってもらったのですが、叫ばぬホンさんは静かで優しい人で、
気付くと、周りの障害者の介護をしてくれたのであります。
翌日、何人かの障害者で、福岡に行
くと知ったホンさんは、介護が足りないみたいだから福岡まで一緒に行きますよと。
どこまでもやさしいホンさんでありました。
今でも時々、どこからかホンさんの叫びが聞こえてくるような気がします。その声が聞こえる
と、くたびれた心に点滴をしてるような感じになり、不思議と力が湧くのであります。
編集後記
いよいよハピバースディ梅雨であります。
この時期ワタクシ何故か「頭が重い」「イライラする」「疲労感が取れない」などなど「不定愁
訴」といわれる状態になるのであります。
低い気圧のせいでありましょうか?よくわかりませんが、
みなさま、体調を壊しやすい時期なのかもしれません。
どうぞ、お体に気をつけてお過ごしください。夏までのカウントダウン始まりました。
2017年3月10日発行
ページ1
-夢は咲いたか自立はまだかいな!-
介護に来てください!
そう書かれたビラを受け取る人は少なかったのですが、それでも誰かひとりでも介護をしてくれ
る人を見つけなくてはと切実さに押されて、春とは名のみの肌寒さの中ワタクシたちはビラ
を配り続けたのでありました。
あれから30数年が経ち、あの日のように春とは名のみの肌寒さの中ふと思うのであります。
ビラを配らなくともヘルパーが来て、十分とは言えなくても移動も出来るようになった今。「社
会保障」はワタクシたちの切実さをやわらげてくれたように思えます。しかし、社会保障の送り
出す福祉サービスでワタクシたちの暮らしは便利になったものの、サービスを活用して「望む暮
らし」に向けた希望に溢れているとはいえないのであります。
また、暮らしの文化に紛れ込
む差別の種子がつくりだす社会のまなざしの中で、障害者も家族も「望む暮らし」をあきらめたり、
孤立を余儀なくされたり、社会保障と出会えなかったりと、いくつもの生きがたさを抱えながら
何とか現状を変えねばという切実さと日々向き合っているのであります。その切実さに応えてい
くのは社会保障の充実だけでは無理であります。
桜に見送らる人はそれぞれの希望を持って旅立つ春のように、誰もが心にひとつの望みがもて
るような暮らしの文化、その文化が投げかけるあたたかいまなざしをつくりだすことが、切実さ
という冬を終わらせることになると思うのであります。その動きを「共生保障」と名付けたいと
思います。
大牟田でも色んな人が色んな場所で色んなやり方でコツコツと取り組んでおられるので
あります。この誰もが希望を持てる「共生保障」の駅から社会保障と言う名の汽車に乗る時「望
む暮らし」への本当の旅立ちが始まるのではありますまいか。
ページ2
-もやい、突然柳川へ梅を見に行きました!-
梅は寒さには強く日当たりのよい場所で生育し
早春の頃、一重咲から八重咲きの白、ピンク、赤の花を咲かせます
2月初めの梅は三分咲きです。
まだ、肌寒いので人通りもなく閑散としています。散歩す
る犬の姿もありません。寂しい限りです。
しかし、春は確かに来るのだと春を信じる確信と、咲きつつあるその状態は、私達に新しい出来
事や、新しい出会いの予感を感じさせてくれるようです。
江戸時代の頃は、花見と言えば梅
の事でしたが、現代はその主役の座を桜に譲り、静かに春の訪れを告げる先駆けの役を果たして
います。
耳を澄ますと、春を呼ぶメロディーが聞こえてきそうな気がします。
現地よりサランがお送りしました。
ページ3
-入居マンション消火訓練に参加!-
脱出
まず、火災が起きたら逃げねばなりません。冷静に車いすを操作して、とりあえず外へ!
2月20日月曜日、もやいが入居するマンション「イッツビル」において、消防署のみなさんの
指導で、火災時における避難訓練と消火訓練が行われました。もやいも他の入居者の皆さんと共
に参加。もしもの火災が起きたらどうするか?を体験しました。とても勉強になりました!
消化
まず、火災が起きたら消さねばなりません。
実際に消火器を使っての実践訓練が行われました。
もやいの職員が消火に挑戦!やや頼りない感じでありましたが、消防署員の方の指導もあり無事
消化!
消防署のみなさん、ありがとうございました!
ページ4
-カラム・こらむ/〜感動ポルノ〜-
長崎県大村市の障害者施設に入所していた頃、正月とお盆だけ大牟田に帰省していたのであり
ます。
タクシーを頼み約3時間かけての帰省はなんだか気が重く運転手さんとの会話を何と
か盛りあげねばならないと、勝手に思い込み話を進めるのですが、施設という狭い世界にいるワ
タクシと色んなお客さんを乗せ、様々な人生ドラマを見てきた運転手さんでは「話題」の量に差
がありすぎて「そうですか」「なるほど」などと気を遣ってしゃべってくれる運転手さんに相づ
ちを打つのが精一杯でありました。
施設以外に振る話がない!施設に居るということはこういうことなのだ!と思い知るのでありまし
た。
帰省の度、毎回運転手さんは替わるのですが、変わらない「話の傾向」いや、話から得ようと
する「あるもの」がどの運転手さんも共通していることに気づいたのであります。
「あるもの」とは、感動であります。
話は、その感動に向けての道筋を探すカーナビの役割を果たすのであります。道中、ワタクシの
ライフヒストリーを聞き取りながら、運転手さんはしきりに、且つ過剰にワタクシを褒めてくれ
るのでありました。「すごいですね!健常者は見習わなければ!」と感動してくれるのでありまし
た。
別に「すごいですね」に匹敵するような奮闘努力もまた才能もなく、ただ流されて普通
に生きてきただけなのに、何故こんな感じになるのかが不思議でありました。いつも「ひどいで
すね」というまなざしを受けて、自己否定気味に生きざるを得ない現実の中で「すごい」ですね
と言われると、戸惑うしかないのであります。
戸惑いの中でよく考えると「ひどい」も「すごい」も、ワタクシの普通をわかってくれず、あー
なっちゃダメよ、あーならないとだめよ!健常者の世界が必要とする教材として扱われているの
では?に思い至るのでありました。
そういえば、ワタクシの幼い頃、頑張る障害者のドラマを見せられ、あんなに頑張る人がいる
のに、あなたはダメね!見習いなさい!といわれ続け、自分流の努力と軽く否定されたものであり
ます。それとは逆に、特別の努力もせず普通にやっている事なのに、さもすごいということで感
動されたりすることもあったのであります。
それとは逆に、特別の努力もせず普通にやってる事なのに、さもすごいとうことで感動されたり
することもあったのであります。
多くの人は、障害者を「定義して見る」のではありますまいか?障害者はワタクシを感動させる
存在である!と定義し、サー、感動させてくださいと。これは、もうそろそろ終わらせたいもので
あります。「五体不満足」を書いた乙武さんも同じ思いをもっておらりるようで、「すごい」と言
われ続ける中で、彼は等身大の自分を表現していくのですが、周りは過剰な賞賛を惜しまず、感
動の輪で乙武さんを包みこむのであります。乙武さんは、自分は普通にやってるだけなのだと言
うのですが、社会の乙武さんへの定義は変わらないのでありました。社会の定義を変えるのは大
変なことであります。
この「すごい」と障害者を感動の教材にする行為を「感動ポルノ」と名付けたのは、難病にか
かりながらコメデアン兼ジャーナリストとして活躍し2014年に亡くなったオランダのステラ・
ヤングさんであります。「私は皆さんの感動の対象ではありせん。どうぞよろしく」電動車椅子
に乗り各地で健常者の感動を呼ぶために障害者を取り上げる風潮を批判し、障害者問題に対する
社会の理解を求め続けたのであります。
ページ5
-国宝-青井阿蘇神社へ初詣しました!〜-
恋人にあやまる如く手を合わす かじかむ指にからむ思い
【黒塗りで急な勾配が見事な茅葺屋根】
平安時代に創建され、平成18年に創建1200年を迎えました。
阿蘇神社の三神を祭神とし、鎌倉時代から明治維新までの約700年に渡ってこの地を治めた
相良家歴代当主の保護により、たびたび改修が行われてきました。
ページ6
-別れのサンバ 長谷川きよし〜-
♪心の奥の淋しさを ああ わかってあげれば♪
「この人は、音楽から愛された人なのだ」
19歳のワタクシは初めてこの歌をききながら確信したのであります。サングラスと帽子とギタ
ーを身に着けて、イントロから圧倒的なリアルを産み出し、切ない物語を語る少ない言葉が願い
や祈りへと昇華され、聴く者の心に届けられるのであります。
恋愛などと程遠い地平にいるワタクシでさえ、別れがもたらす淋しさを先取りしたような感覚に
陥ったのであります。愛する人との出会いの喜びは未だ知らないのに、別れることの淋しさを最
早知ってる19歳となったワタクシは愛を恐れながら、20歳を迎え大人の世界に迷い込んだのであ
りました。
しかし、縁とは不思議なもので、15年後、ワタクシたちの障害者運動の活動資金確保
に向けて、長谷川きよしコンサートを計画。大牟田文化会館で開催することができたのでありま
す。
奇跡は起こるものであります。ワタクシたちの力不足もあり、大ホールを満杯にすることは
できませんでしたが、音楽から愛された人の音楽は、集まった人々を抱きしめたのであります。
「拍手の音からすると人集めに苦労したみたいだね。ありがとう」長谷川さんはやさしくそう言
って去って行ったのであります。
編集後記
みなさま、春でございます。
あー何とか今年もたどり着いたね。と胸をなでおろしたくなりま
す。差別と闘う前に、寄る年波のせいで体の痛みや不調と戦わざるを得ない上に二次障害の進行!
髪の毛減って薬は増える、年金下がって血圧上がる。
あーこのお寒い現実を和らげるのは、春の
ゆるーい暖かさしかないのであります。
一瞬の春を命の息抜きに過ごしてまいりましよう!
2016年12月10日発行
ページ1
-`16年の喜びと悲しみをそして`17年の足音に乾杯を!-
`16年の喜びと悲しみを心の後ろに刻んだら
肩より高く頭を上げて`17年の足音に乾杯を!
出来るわけないと思われいた障害者差別解消法が出来たのは、重度障害のある子を持つ無名の
政治家たちが無派を超えた地味で長い説得の取り組みを続けた事が成立の一因ですが、その政
治家たちの背中を押したのは、物言えぬ重度障害のある娘さんや息子さんたちの今ここで懸命
にそして確かに生きているという生の現実です。もっと言えば、ワタクシたちの活動が壁にぶ
つかり、逃げ出したくなったりした時に踏みとどまり、また歩き出せるのは、逢うこともない
多くの命たちが寄り添ってくれるからではないかと思います。重度障害者として、懸命に生き
る彼や彼女らの存在抜きに、誰もが生きれる文化づくりは進みません。彼や彼女らの存在が産
み出すその文化は、すべての人を包みこむ文化です。そう、彼や彼女らを生きる価値のない人
と決めつける、優生思想に染まった人々をも包みこむ豊かさを持っているのです。差別と闘う
ということは、当事者であれ、家族であれ、物言わぬ、支援者であれ、或は物言えぬ彼ら彼女
らと共にあることを証明する旅なのだと思えてなりません。
`16年が終わります。ワタクシたちは、障害者差別を無くし、誰もが平等公平に生きることを
目指す法律が発効した喜びと同時に、人の命を、「生きてもいい命」と「生きてはいけない命」
に選別する優生思想に導かれた相模原の障害者支援施設殺傷事件が発生した悲しみの中に居ます。
`17年の足音が近づく中、途方に暮れるワタクシたちですが、耳を澄ませば、目を細めれば、
心を静めれば、彼ら彼女らを感じる事が出来ます。身近にいて懸命に生きる名もなき人々を、中
島みゆきさんは地上の星と呼びました。彼ら彼女らも地上の星として、その生の現実で、「地
上を正しく」照らす光源となってワタクシたちをインスパイヤしてくれるでしょう。
ワタクシたちは名もなき地上の星たちと繋がりあい、肩より高く頭を上げて、彼ら彼女らと
共に静かに`17年を歩いていきましょう。
静けさに勝る強さはないのですから。
ページ2
-若鷹軍団!スタジアム筑後/バリアフリー情報-
「タマホームスタジアム筑後」は、福岡ソフトバンクホークスの選手育成の場のメインスタジア
ムとして、ウエスタン・リーグ公式戦や3軍戦の開催をはじめ、青少年の健全な育成を目的とし
た野球振興や地域活性化の場として、野球の魅力を感じられるボールパークの中核施設として機
能しています。そのスタジアムのバリアフリー状況はどうなのかなと思っていたところ、もやい
のメンバーも何人か所属している「大牟田市肢体障害者福祉協会」さんの研修で、10月21日にス
タジアム見学がおこなわれ、もやいからも1名参加しました。
当日は、生憎の小雨ではありましたが、担当職員の片がつきっきりで、丁寧にバリアフリーの
状況を説明してくれました。また、特別に室内練習にいれてもらい、若い選手達の練習風景を見
せて、どれだけ彼らが頑張っているか、熱く語ってくれました。担当者の方は、本当に野球が好
きで、野球に打ち込む若い選手達が好きなのだというのが伝わってきました。そこで得た情報を
いただきましたので、お知らせします。
野球に興味のある方やホークスファンの方で障害のある
人にこの情報が届けばいいなと思います。
ご協力いただいた大牟田市肢体障害者福祉協会さん、
あがとうございました。
☆敬愛まつり
10月15日 (土曜日)
★サン・アビ際
10月29日 (土曜日)
10月30日 (日曜日)
ページ3
-大牟田市総合防災訓練へ参加! -
11月20日に倉永小学校で開催された「大牟田市総合防災訓練」に参加してきました。
昨年も参加したのですが、今年の総合防災訓練は昨年と違い、事前に大障協と防災対策室で打ち
合わせがなされ、どうすれば地域住民と障害者が触れあえるかが具体的に工夫されており、とて
も実践的な訓練となりました。
避難所の受付では、配慮を必要とする障害者がいることが意識され、ボランテァアも配慮され
るなど、皆で協力してやっていこうという空気に満ちていました。
食事介護をしてくれたボラン
ティアさん!ありがとうございました。
いくつもの風船を熊本の空へ!
熊本地震から8か月が過ぎました。被災した障害者を支援する「被災地障害者センターくまも
と」と連携をとりあいながら、大牟田からの支援が続いています。
センターと行政との協働で、熊本市内の全障害者宅にSOSを受け付けるチラシが配布され、困り
ごとの支援要請が今も多数寄せられています。
障害に起因して、日々の暮らしの中で生き難さを抱えながらも声も上げず、孤立し、他者への
信頼を萎まされている多くの人々が、災害という非常事態の中でさらに生き難さを拡大して途方
に暮らしている様子が伺えます。
センターに寄せられる全てのニーズに応えられるはずもありませんが、できる限り応えようと
頑張る人々がいます。その思いと取り組みは、他者への信頼という風船を少しづつ膨らませてい
くものと信じます。そしてその膨らみは、恐らく支援者をエンパワメントし、被支援、支援の関
係を超え、日々の暮らしの新たな文化を作ってくパートナーという、もうひとつの関係をつくり
あげるのかもしれません。
ページ4
-カラム・こらむ 〜愛散散〜-
秋になると美空ひばりさんのCDを聴くのであります。
ヤクルトを飲みながら「美空ひばりの声」という楽器が表現する物語の世界に酔いしれ、しみじ
みと至福の時を過ごすのであります。読書をすれば本を突っつき、顔をペロペロするなど、ワタ
クシが何かに熱中すると必ず傍若無人な振る舞いに至る我が愛鳥と愛犬も、不思議にこの時ばか
りは騒がずに謙虚になっているのであります。
まさに一斎検挙であります。心揺さぶる歌に逮捕されたのでありましょう。
一人と一羽と一匹の観客を前に、名曲の数々が流れる中、ワタクシの心に寄って来る歌は「愛
燦燦」であります。この歌がBGMになり、若き日の自分の愛のありようの未熟さや、切なさや恥ず
かしさや腹立だしさなどが詰まった出来事が、再現ドラマのように現れてきて、オーマイゴツト
となるのであります。
1970年代。二十歳になったワタクシは、入所型の重度身体障害者授産施設で、退屈という名の
緩やかな拷問を受けておりました。「技術を身につけて社会復帰」という施設のコンセプトは絵
空事のように思え、成人のお祝いに母親から手帳をもらっても、何一つ書き込む予定などなくて
屑籠へ放り込み、青春のため息をつくばかりでありました。この狭い閉鎖的な空間で退屈との闘
いに勝つには、心が震えることをしなくてはと思ったワタクシはバンドを始めたのであります。
歌を通して、心の片隅に隠れていた言葉を紡ぎ、中学生のような詩を書き曲を付け、音をはずし
ながら歌いもしたのでありす。このことで少し調子に乗ったワタクシは、娑婆での仕事が出来な
い自分など人を愛する資格はないという封印を解き、入所者の車いすの女性と付き合い始めるの
であります。入所仲間の先輩たちからは「車いす同士はダメ、自力で歩ける女性を選べ」などと、
人の愛し方に干渉されたのですが、歌と愛だけは自分の心に従うのだ、ワタクシのボスはワタク
シなのだ!と。生意気にも息巻いたのであります。
そして目指したのは絵空事の現実であり
ます。施設の言う社会復帰であります。娑婆での就労に向け彼女を残し別の施設に入所。新たな
技術を身に着けて娑婆で働き、彼女を迎えに行くストーリーだったのであります。
しかし、であります。1年後のある日、電話がかかるのであります。「あなたを大好きだけど親
が反対だし、二番目に好きな職員と結婚する。親も賛成なので」と突然梯を外されたのでありま
した。ワタクシの短い愛の冒険は見事に失敗に終わり、結局ワタクシは、あの退屈な世界に帰り、
時々愛のあり方について自問自答する暗い日々を過ごすのでありますが、その1年後、風の噂に
職員の親の反対で二人は別れたと知るのであります。
あー、誰一人幸せにならない「愛散散」の THE・ENDであります。
古い時代の話でありますが、それにしても、働いて稼げる場所がないから愛を止めたり、障害
者だから愛の対象そのものから排除されたり、親という名の他者が介入したりと、障害者の愛の
ありようは未だ差別の呪縛から解き放たれず、誰もが愛を愛のままに生きれることができる文化
をワタクシ達は未だ手にしていないのであります。
愛散散に泣く人が愛燦燦に近づくには、暮らしの現場を支配する愛に纏わる「こうでなければ」
という狭く単純な文化を拡げ豊かな文化にしていくしかないのであります。
耳を澄ませば「愛し
あっているかい!」と天国から忌野清志郎さんが今日も呼びかけているであります。
ページ5
-心が痛い 〜りりィ〜-
♪心が痛い 心が痛い 心がはりさけそうだ♪
1970年代の10年間は障害者施設に入所していたのであります。
施設の暮らしは単調で20代のワ
タクシにとっては、まるで退屈という名の拷問を受けている気がしたのでした。
そして、この拷問から逃れるには心が震える出来事を自分でつくりだすしかないのだと思い、恋愛
なる出来事を作りあげていくのでありました。
その恋愛なる出来事は、確かにワタクシの心を震わせ暮らしの中に四季が産まれたきがしたの
であります。しかし、運命は必ず梯子を外し身の程を思い知らせるのであります。
出来事の共犯者である相手は逃げだし、出来事はあっけなく潰れ去り、ワタクシは、肩より高く
頭を垂れ、何も起きない退屈の世界に舞い戻ったのでありました。
その時でありました。深い喪失感を叫ぶこの歌と出会ったのであります。とてもとても切なくな
ると心は痛くなるのであります。そうなのだ、そうなのだと、「溺れる者は歌にもすがる」ので
ありました。なんてかっこいい女性が、なんて魅力的な声で、なんて世界をつくるのだ!と、
ベットで聞き惚れたのでありました。
そのりりィさんが先日亡くなられたのであります。どことなくワタクシの心が痛いのであります。
あー、りりィさん、いい歌を本当にありがとうございました! 合掌。
編集後記
もやいの創設メンバーである二人が相次いで脳梗塞で入院。二次障害の影もチラつき心配であ
ります。
一名は退院。しかし、改めて健康の大事さを再認識したのであります。
みなさま、健康ににはくれぐれもご用心くださいませ。
まずは、とりあえず風邪のご用心を!!
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2015年12月10日発行
ページ1
-卒業-GRADUATION-
「心身共に健康」は不必要!インクルージョンにしたら!卒業−グラデュエーション−菊池桃子さん発信す!
恥ずかしながら写真集まで買ってしまった山口百恵さんや、独特の詩と高速のダンスで一世を風靡したピンク
レディさんが引退し、70年代のアイドル時代が終了。少々落ち込んでいたら、松田聖子さんがデビュー。それか
ら堰を切ったように80年代の芸能界は、アイドルで満ちたのであります。
その中で、派手でないことで目立っていたアイドルが居たのであります。考古学者になる夢を持った少女は、
絶叫しがちなアイドルと違い、どちらかというと、話しかけるように、ささやくように詩の世界を伝えようとし
ていましたし、衣装も地味で自然でありました。叫ばず、ギンギラギンでもない、静かなアイドル菊池桃子さん
はその静けさにおいてワタクシの記憶に残っているのであります。
その菊池さんは現在、短大の客員教授として学生さんに労働問題の講義をされているのであります。そして、
「一億総活躍社会」の実現を目指し政府が立ち上げた「一億総活躍社会国民会議」の民間議員になられたところ
であります。
その会議の中で、なるほどと思う発言をされているのであります。こういう会議初体験でなかなか発言できる
ものではないのですが、彼女には、発言せざるを得ない切実さや思いがあるのであります。子供さんの障害をカ
ミングアウトされていますがその子供さんの教育の場の経験上、教育機関への入学条件や労働の場の雇用条件に
必ずと言っていいほど記載されている「心身共に健康であること」という項目は、障害のある人や病気の人を心
理上排除しかねないので削除して欲しい。また、「一億総活躍社会」というネーミングは「インクルージョン
(誰も排除しない包摂社会)」に変えたらどうか?などなどであります。さすが当事者の親御さん!名曲「卒業」
聞き直したいと思うのであります。
ページ2
-歴史と景色と方程式?『熊本でゆったりしてきました!』-
秋のレクリェーションで熊本は水前寺成趣園と熊本城に行ってきました。天気もよくて、レクリェーション日和で
ありました。歴史ある園内はひろくて、阿蘇の湧水が流れ込んでいる池には、それはそれは、私のたいどより大き
な鯉が気持ちよさそうに泳ぎ回っていい景色でした。みんな園内を一周しましたがあまりに「ひろ〜い」ので驚き
ました。平日なので、少しお客さんが少ないようでしたが、緑をいっぱい見て、いい空気をいっぱい吸うと気持ち
よくなるという、幸せの方程式を実感しました!
水前寺成趣園
鳥居をくぐると広がる東海道五十三次を模した桃山式日本三大名園です。
漢文の詩から「成趣園」と名付けられた日本三大名園の一つであります。東海道五十三次を表した眺めは必見!電
動でも周りをゆっくりと回れる散策コースがあるのであります。
一服のお茶のような渋い感動をどうぞ。
出水神社
西南の役の後、細川家旧藩士らにより平和を願って建てられた神社。
西南の役で、城下は焼け野ヶ原となりました。旧藩主を敬い慕っていた旧藩士たちは、藩主の御霊を祀り、荒んだ人
心を安定させ、熊本の町を発展させようとの願望から協賛者を集い、細川家に関係の深い水前寺成趣園の地を選びこ
こに社殿を創健したのであります。
古今伝授の間
桂宮智仁親王の書院を兼ねた茶室を細川家が移築したのであります。
四百年前、京都御所の中に建っていたもので、宮智仁親王の書院を兼ねた茶室。細川幽斎公が桂宮智仁親王に「古今
和歌集の解説の奥義」を伝授されたことからこの名前がつき、明治に細川家に譲られ大正元年に水前寺講演正面の現
在の地に昔の型通り移築したのでありました。
熊本城
江戸時代初期にかけて加藤清正が現在のような姿の熊本城を築いたそうです。日本三名城の一つとされ、石垣の上に
御殿。大小天守、五階櫓などが詰め込んだように建てられ、一大名の城としては「日本一」であります。
※熊本城メモ
入場者全国一の城ですよ。
別名「銀杏城」と言われています。
昔は「隈本城」でしたが、隈は「おそれ」ということなので、加藤清正が「熊本城」と名付け直しました。
西南戦争で、熊本城に立て籠った官軍は、西郷隆盛の反乱軍の攻撃を耐え抜きました。攻めきれず退去した西郷隆盛
はこう言いました。「わしは官軍に負けたのではない、熊本城に負けたのだ!」
いろんなことがあったのですね!
ページ3
-秋はバザーの季節であります。-
10月31日〜11月1日 サンアビ祭。天気に恵まれて良かったです!
11月15日 荒尾自動車教習所フリーマーケット初参加!
長洲町高齢の金魚祭りへ!
秋はバザーの季節であります。売れる売れないは関係なく、天気さへ良ければ、お出かけしきすどこまでも!って
いう感じであります。
売り場を交代して付近をうろつくと、日差しの暖かさや、空気の透明さや、日陰のありがたさや、緑の懐かしさや
水のしずけさなど、色んなことを感じたり気付いたりする時があります。外に出るというのは、体や心に眠っている
ものを呼び覚ますのであります。
ページ4
-障害学/愛は沈む夕日のその先に-
私たち障害当事者は、あらかじめ奪われた様々なものを、私たちのものとし、障害のない市民と同じように「平等で
公正な機会均等」の社会をつくりだすことを目指しているのであります。
しかし、障害者差別の一断面として、「これは差別ではなく、あなたのためを思っておこなうものだ」という愛を盾と
したやっかいな現実が、いつも立ちはだかってきました。私たちは子供扱いされたり、住む場所や役割を決めつけられ
たりと「パターナリズム」という方法論で言わば植民地化されてきたのですが、その背後には、正義の実践を伴う愛の
存在がありました。人は愛に基づく正義の実践と思えば、まじめに本気で取り組むものであります。その愛のありよう
へクレームをつけるのは、簡単なことではないのであります。多くの人の反発も招きますし、一方で愛のありようを自
分の中に取り入れ、長い間依存してきた私たち自身も、その心地よさから抜けられないというジレンマも抱えています。
だからこそやっかいなのであります。
自分のことは自分で決める。自分は自分らしく生きる。という「当たり前」に行き着くには、この愛のやっかいさと
向き合わなくてはならないのであります。それは私たちが常に福祉という領域で語られてきたやっかいさや、経済の領
域で語られてきた不自然さと向き合うことにつながることでもあります。
私たちが、あるいは社会が、語られる福祉や経済の前に、障害者と健常者のあいだにある不平等で不公平な関係性の
中でやりとりされる愛のありようについて語り出さねばならないのであります。
知的障害当事者の言葉の中に、ワタクシの好きな言葉があります。
「わたしの前に立たないで、わたしはあなたに従ってしまいます。わたしの後に立たないで、わたしはどうしていいか
らなくなります。どうかわたしの横にいてください。」
切実で、そして実感に基づいた嘘のない見事な表現であります。問題の多くは人と人の間にあるのですが、その「間」
を産み出す人と人の関係性を、支配被支配でなく、優位劣位でなく、支え合い信頼し合う場に変えていく願いに溢れて
います。
この「みんなちがって、みんないっしょ」という世界観を共有し、私たち障害当事者は、半世紀にわたってそういう
人と人の関係性の変革を、自分自身の変革を進めてきたのであります。
そしてそれは、障害者権利条約や差別解消法を産み出しました。この条約や法律を社会全体のものとするキーワード
は、障害当事者の「意思表明」であります。この意思表明が、積み重ねられて、社会のまなざしや障害当事者のまなざ
しが文化を司るとき、愛はゆっくりと静かに、差別に加担しない、人を活かす本来のありようを発揮するのであります。
今、愛は沈む夕日のその先にあります。私たちはいつか夕日に追いつき、出会える気がします。何故なら、希望の匂い
がするからであります。
ページ5
-一人の手/本田路津子-
♪みんなの手と手をあわせれば 何か出きる 何か出きる♪
確かイギリスのお医者さんの詩にピート・シンガーが曲を付けたOne man's handsという歌が原曲であります。
原作歌詞は、政治犯を救うために「刑務所をぶち壊せ!」などと、当時のアメリカの社会改革や公民権運動の闘いを象
徴して、とても過激でありましたが、その過激な詩をやさしい日本語に訳して本田路津子さんが歌われたのがこの歌で
あります。わたくしはこの歌を施設で知るわけであります。当時のわたくしは、無力感や無常観につつまれ、それはそ
れは暗い青春を送っていたのであります。そんなわたくしでありましたので、この歌が心に寄り添ってくれるのが自然
なのであります。しかし、若気の至りで、寄り添って欲しいくせに「人生を甘く見て、きれい事で着飾った歌である」
と決めつけ、遠ざけたのでありました。当時のワタクシは素直ではなく、面倒くさい若者だったのです。
そして今、面倒くさい老人になって気付くのであります。施設を飛び出して36年、ワタクシの活動を支えてくれてき
たのは、おそらく♪一人の小さな手 何も出来ないけど みんなの手と手をあわせれば 何か出きる何か出きる♪
というこの歌の世界観であります。遠ざけたはずのこの歌が、どんな時も近くにいてくれたのだと思い知るのであり
ます。
長い施設暮らしを終え、大牟田に帰ってきて歌手の名前を知ったのであります。そして彼女が大牟田生まれであるこ
とも。不思議な縁であります。差別解消法が始まる今、歌い継がれる必要がある歌なのであります。
編集後記
お寒うございます〜。みなさま、お変わりありませんか?寒さに弱い障害者の人、風邪ひいちゃダメですよ。暖かくなる
まで頑張りましょうね。桜の咲くころには、差別解消法がスタートです。「やっとここまできたか」という思いと、「さ
ぁこれからだ」という思いが交差しますね。ただこれだけは言えますね。「ここではないどこか」へわたしたちはいくの
だと・・・。だからここで風邪をひくわけにはまいりませぬ。
「布団を敷いても風邪ひくな、共に生きるの幕引くな」であります。
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2015年5月10日発行
ページ1
-合理的配慮という新しい道理を!-
ほととぎす 鳴くや五月のあやめぐさ あやめも知らぬ 恋もするかな
「ほととぎす鳴くや五月のあやめぐさあやめも知らぬ恋もするかな」の五月です。「あやめ」とは道理のこと
をいうので、この和歌「あやめぐさ」にひっかけた駄洒落のようで、まるで座布団が行き交う笑点のようであり
ます。
しかし、道理を知らぬ恋とは何でしょうか?世間が許さない恋に違いありません。昔、切なく切実に人権とい
うものに恋をしたワタクシは、この道理という言葉に過剰反応するのであります。
考えれば、ワタクシたちは、この道理なるものが、万人が人らしく生きていけるよう正しい道筋を示す道しる
べではなく、地域という共同体の同一性を守らんとして、ささいな人の違いを口実とした排除のまなざしを産み
出すものだという体験をしてきたのであります。この違いを認めずみんな同じであるべきという同一性を強いる
道理は、歴史的に厳しい隔離や差別を産み出してきました。それは、それは多くの障害当事者とその家族が、本
来なら輝く才能や、目指す夢や、まっすぐな恋や、やりたい仕事や、何気ない平凡な幸せなどを生きられずに、
無数の希望は星屑になったのであります。だから夜は悲しいのでありましょう。
自分らしく生きようとすれば「あやめも知らぬ恋もするかな」的な扱いを受けてきたのでありますが。しかし、
長年の運動の積み重ねの上に、この道理のありよう自体を変える権利条約が発効しました。
みんなちがってみんないっしょという条約のもつ世界観は、合理的配慮という新しい道理も生み出しました。こ
の道理を本当の道理とするには、ワタクシたち自身が変わらねばならないのであります。あきらめの方程式から解
き放たれて、希望をカタチにするための意思表明を!「あやめを知りて恋もするかな」であります。
ページ2
-満開の桜の下で弁当を-
桜を国花だと思い込んでる人もいるくらい、桜はこの国を象徴する花のようであります。化石の発見により、数
百万年前から桜は咲いていたことが実証されているのですが、桜の下で食をなす「花見」という行為あるいは、文
化はいつごろから行われているのでありましょうか?ひらひらと桜が舞い降りて食を彩り、酒を彩り、緩やかな桃
色の世界に人々は心をほどいていく・・・なかなかいい風情であります。
また桜は門をくぐりぬけ、新しい門をくぐる別れと旅立ちを彩る象徴でもあります。しかし、障害のある人々す
べてに門が開かれているわけではないのであります。機会均等の門を開かねばなりません。そのためにも権利条約
を私たちのものにせねばと、桜吹雪の下で思うのでありました。
桜花 夏に芽を成し 冬に耐え 春はここぞと 咲きて 散りゆく
4月2日。続いた雨が止み、穏やかで温かい花見日和が出現。もやいはレクリェーションとしてみんなで近くの公
園に移動。満開の桜の下で弁当を開きました。 野外で食べる弁当はなぜこんなにおいしいのでありましょう!そし
て、何気ない会話がいつもよりなぜ楽しいのでありましょう!さらに、心がこんなになぜほっくりするのでありま
しょう!いくつもの「なぜ」を産み出す桜は桜は何も語らず、ときたま吹く風に愛おしい桃色の花びらを散らし、
そこにいる人々の肩に、髪の毛に、手のひらに、背中に、つま先に、そして車いすに静かに寄り添うのでありまし
た。「弁当の真ん中にある椎茸太さぁ〜て思いよったらぼたもちやったばい!」とだれかが言い出し、貴重?な
情報提供に笑いの波がゆっくりひろがるのでありました。あー、「春うらら」であります。
ページ3
-2015もやいオリジナル合理的配慮拡がれTシャツ-
2015もやいオリジナル合理的配慮拡がれTシャツ〔2014障害者権利条約発効・2016障害者差別解消法施行〕
デザイン【1】虹(にじ)
にじのむこうの ほんとのあしたに だれもしらない ドラマをつくろう
そしていうんだ さよならさべつと そしていうんだ あえたねきぼうと
デザイン【2】壁(かべ)
かべのむこうに ひろがるせかいを コークかたてに みんなでみようよ
そしていうんだ さよならさべつと そしていうんだ あえたねきぼうと
皆様、毎年Tシャツ販売へのご協力、本当にありがとうございます。
2015年もやいオリジナルTシャツは、昨年発効した「障害者権利条約」と、来年施行される「障害者差別解消法」
に明記された障害者と健常者が共に生きるための工夫「合理的配慮」が、この街の隅々まで拡がっていくことを願
って、デザインしました。
このTシャツが、合理的配慮を考え、実践するきっかけになれば幸いです。どうぞ、本年もご協力よろしく願い
いたします。
ページ4
-「ごうりてきはいりょ」ってな〜に?-
「ごうりてきはいりょ」ってな〜に?
「合理的配慮」という言葉をご存知でしょかか?2011年に改正された障害者基本法に初めて登場しました。一言
で言えば「障害者ひとり一人の必要なニーズ考え、その状況に応じた変更や調整などを、お金や労力などの負担が
かかりすぎない範囲で行うこと」となります。
例えば、行政や事業所の窓口に発達障害のある人手続きに訪れたら、普通の言葉の説明だけでなく、メモや図な
ども加えて、ゆっくり確認しながら進めるなど「障害の多様性に対応する配慮」のことをいいます。
2016年には、障害者差別解消法と改正障害者雇用促進法という2つの法律が施行され、暮らしの場での「合理的
配慮の提供」が行政は義務。民間事業所は努力義務(雇用の場では義務)となります。お金や労力などの負担がか
かりすぎない範囲という制約はありますが、これからは合理的配慮を求める側の障害者も「社会参加するためにこ
ういう合理的配慮をお願いしたい」と具体的な意思表明をおこない、求められた側も、当事者と一緒に様々な工夫
を試みることが必要となります。
合理的配慮というと難しいと思われるかもしれませんが、筆談、メニューの読み上げ、棚から商品を取るなどの
配慮。多様性を理解し柔軟な考え方をすることでできる配慮。休める場所を確保する配慮。手話や点字などスキル
を身につけることでできる配慮など、誰にでもできることはいっぱいあります。
合理的配慮が地域の隅々にまで広がることは、障害者も機会均等を得て、誰もが希望のもてる地域づくりにつな
がると思います。
【「ごうりてきはいりょ」とは だれひとりさべつしない まちづくりのレシピです!】
ページ5
-シネマで愛して 柘榴坂の仇討-
意地なのか、矜持なのか、自分でもよくわからないのですが、自分の在り方をどうしても変えられないところがあ
るのであります。例えばそのことで損をしても、他者と溝ができても、それは宿命みたいなものでしょうがないのだ
と思ってしまうのであります。もうそろそろ宗旨替えてもいいのではないか?誰が見るわけでもないだろう?と自分
わ甘く誘ってもダメなのであります。頭にきて、変えない理由はなんだ!と自分に強く怒鳴っても♪答えは風の中ね♪
と松田聖子になって、よくわからずに終わります。
このやっかいな自分というものを持て余しながらここまで生きてきたのでありますが、先日何気にTVを見ている
と、コメンテーターが只ならぬ覚悟を秘めて、打ち合わせを無視し、あることを訴え始めたのでありました。最後に
彼は、ガンジーの言葉を引用したのであります。「語るのは世界を変えるためではなく、世界を変えられないためで
ある」と・・・。
たぶんこのコメンテーター、今後TVに出演できなくなると思います。しかし語ることの真偽はともかく、語るこ
とへの覚悟には敬意を払いたいと思うのであります。この人もまた、自分を変えようとしてダメだったのでありまし
ょうか?いや、それとも、変えようとさえ思わなかったのでありましょうか?しかし、久しぶりに「ひとりでもやる!
ひとりでもやめる!」という、言葉を思い浮かべたのでありました。
自分が何故自分かということを考え始めると、やっかいさが増すばかりでありますが、そんなことを頭の隅っこで
考えている人に見てほしいシネマであります。
しかし、主役の中井貴一さん、あの「ふぞろいの林檎たち」から、見事に成長されて、いい役者さんになっておら
れました。ストレートで生真面目な設定で、尚且つ少なめのセリフという中での演技は難しいでしょうが、じわっと
醸し出す雰囲気で物語の奥深さを見事に表現してくれたのでありました。
ページ6
-相子 高田渡-
♪人様の分まで盗ってはいけんぞと母は言い ひもじい日々を形見にしてくれた♪
SOSが立ち上がった頃というと、もう30年以上前になるのですが、お願いしたら高田渡さんが来てくれて歌って
くれたのであります。80人ほど人が集まり、渡さんはお約束のほろ酔い加減で「俺の歌なんてみんな同じようなもの
だから・・・」と、早くライブを終えようとし、観客はそうはさせじと拍手と声援に力をいれるという、「高田渡ラ
イブ」となったのであります。確か何人かの観客は「やる気が見えない」と帰ったのでありました。わたくしは尊敬
する渡さんの歌とトークに初めて生で触れて、酒は飲めないくせに酔ったのであります。歌は、色んな詩人の作品に
渡さんが曲をつけたものでありました。けしてアジらず、叫ばず、訴えず。人の日常の哀しみと、可笑しみを語るよ
うに歌う渡さんの歌は、古くなっても着やすくていつまでも着ているセーターみたいに、自然と心になじむようであ
りました。
渡さんが選んだ詩人の言葉に曲がのると、言葉が言葉を取り戻すというか、血が通い始め、まとわりつく手垢をそ
ぎ落とし、言葉が本来の色彩につつまれるのであります。詩人たちの言葉には不必要な言葉はないので、歌はすべて
短い歌なのですが、ふわ〜っと心に不時着する言葉たちが溢れていて、時々無性に聞きたくなるのであります。その
詩人の中に、放浪の詩人と言われる人がいて、それは新鮮で素敵な言葉を紡がれるのであります。この歌もその熊本
出身で現代の山頭火といわれる方の詩なのであります。渡さんの曲と声と生き様が詩に重なり、わたくしの名曲とな
りました。
言葉は人にとって最大のご馳走であります。
編集後記
今年の春の天気は寒暖の差が大きくて体調を崩した人も多いと聞きました。みなさん大丈夫でしたか?もやいのメ
ンバーも二次障害や病気や寒暖の差で体調を壊す人が多く、元気な人が少数派という感じです。あらためて健康の大
切さを思いしります。これから梅雨を乗り切り、夏を乗り切らねばなりません。何か体にいいものを食べて、季節を
楽しみながら乗り切りたいものであります。
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2015年2月10日発行
ページ1
-権利条約を筆として差別解消法を笛として-
高齢者福祉と障害者福祉の有り様の決定的な違いはどこにあるかというと「当事者主権」にあります。民
主主義という多勢に無勢のルールは、愛と正義の旗の下、少数者にとって差別の固定化をもたらすことがあ
ります。少数者が社会の空気を作り出す源の多勢に向かい、異を唱えるには、勇気と覚悟が求められるので
ありますが、一部の障害当事者やその家族や支援者は、「当事者主権」を打ち出し、「私は人である」とい
う運動を長年続けてきたのであります。
そして今、その到達点として、権利条約が発効し差別解消法の施行が迫っているのであ ります。
たったひとつの条約で、たったひとつの法律で、オセロゲームのように一瞬で世界は変わりません。しか
し、長年のわたしたちの運動が積み重ねてきた思いが込められた条約と法律が施行することで、今まで出逢
わなかったより多くの人々と会えて、話して、共に解決策を考えて、実践する広がりができるのであります。
「障害があるのだから障害がない人と平等にならないのはしょうがない」という考え方から解き放たれて、
「障害があってもどうすれば障害のない人と平等になれるか」という考え方を出発点に据え、さらにこの
「どうすれば」を「みんなでつくり出していこう!」という空気が満ちる街をつくりたいと思います。
障害者運動第1章は、当事者主権にたどり着くまでの道のりでしたが、障害者運動第2章は、当事者主権を
基本に、幅広い人々といっしょに「この街の中から誰ひとりも遠ざけない・この街の中で誰ひとりも見下さ
ない」という社会文化、世間の空気をつくり出す「社会施策の展開」であります。
筆持てば書を成し、笛持てば音を成すように、事を通じれば心が動くといいます。
権利条約を筆として差別解消法を笛として、2015年初めの一歩をいざ!
ページ2
-佐嘉神社八社参りに行ってきました-
佐嘉藩10代藩主鍋島直正と11代藩主鍋島直大を祀る神社であります。直正は藩政改革を行い、大隈重信・
江藤新平らの人材を育成したのであります。直大は戊辰戦争で官軍として戦い、明治2年には版籍奉還を申し
出ました。直正没後の明治6年直正の威徳を賛え、鍋島家の祖先を祀る松原神社に南殿を造営し、直正を祀っ
た。昭和4年直正を祀る別格官幣社・佐嘉神社の創建が決定。昭和8年に現在地に社殿を造営し、松原神社の
直正の霊を遷座。昭和23年松原神社南殿に祀られていた直大の霊が佐嘉神社に合祀されたのであります。
佐嘉神社境内には「文化・交通・学問の神」を祭る一番社佐嘉神社のほかに「礼道・芸道・学問の神」
を祭る二番社・松根社・日峰さんで知られる三番社・松原神社を始め八社が鎮座しているのであります。
各社がそれぞれ違った御利益があるとされ、一括して願いが叶うスポットとなっております。
我々には大助かりでありました。2015年の新春に、皆で八社参りを行い、初春の健康を祈ったのでありま
した。
神社内には、一部バリアがあったのでありますが、三井製作所の労働組合からいただいた寄付金で購入し
た“持ち運びのスロープ”が大活躍!なんとか乗り越えたのであります。
改めて寄付金のありがたさに感謝なのでありました。
背中の少年は、心配だったのでありましょう。皆が渡り終えるまでじっと見届けてくれて、渡り終えると
母親に「良かったね」といっていました。ありがとう少年A君!
ページ3
-赤い羽根共同募金フェア−1月25日総合福祉センター
それから上官校区第2回防災運動会-
アンテナショップとして「むつごろう」さんと一緒に出店しました。あまり売れませんでしたが、寒い中が
んばってきました。
上官校区第2回防災運動会に参加しました!面白かったです!
防災運動会がありました。ボクは興味があったし、もやいも同じ校区なので、災害があったときのために何
か役に立つと思って参加しました。
この防災運動会は今回が2度目で、去年の第1回目は、福岡県では初めての防災運動会だったようです。すご
いなと思いました。中身は、ゲーム感覚で、災害が起きたときに必要になる大声をあげることや、バケツリレ
ーに挑戦するようになっていて、楽しみながら学べて、とてもいいなと感じました。
ボクが一番楽しみにしていた非常食の昼食は、梅干しを使ってあって「まいう」でした。めったにできない
経験ができて、ごちそうさまでした!本当は、おかわりしたかったのですが、がまんしました。
スタッフのみなさん、参加者のみなさんお疲れ様でした。
[どこでも行くぞ!案浦レポート=1月18日・上官小学校=]
ページ4
-シネマで愛して!
人生ここにあり/未来は自分で照らすのさ-
名もない役者の名演技に出会ったときの喜びは、どう表現していいのかわかりませんが、とりあえず幸せを感
じるのであります。このシネマに出てくる元精神科病院の患者たちを演じるすべての役者がとてもリアルな演技
を見せて、「実話に基づく」を支えております。おかげで最後まで感情移入ができて、共に惑い、笑い、怒り、
悲しみ、疑い、夢み、落ち込み、悩みながらも、ラテンの乗りで、作品のメッセージである「やればできるさ」
がわたくしの身体にしみこんできて、心を晴れやかにしてくれるのでありました。
このシネマ一言で言えば、イタリアのミラノの精神科病院を舞台に、元患者が協同組合のもとで、就労の場を
自分達で作り社会参加を進めていく物語で、精神疾患の治療を受けつつ、人生の再構築をめざす生き様をコメデ
ィータッチで描く社会派ドラマということになるのであります。
一つ一つのエピソードがとてもリアルに心を揺さぶり、一つ一つのセリフが深く心を励ますのであります。
精神障害者の労働の問題が根っこにあるのですが、このシネマの時代から30年。精神障害者だけでなく、労働
の現場から排除されがちな人々も含めた協同組合方式は、イタリア全土に広がり、2500の組合で3万人が働いてい
るのであります。就労困難者を真ん中に据えたこの協同組合方式は、ヨーロッパではソーシャルファームと呼ば
れ、日本では社会的事業所と呼ばれ、新しい労働の文化を形作ろうとしているのであります。
「物事の捉え方や、枠組みを転換しようよ。そこには混乱も起きるけど、やればできる!新しい文化がきっと
産まれるさ。だから間違っても♪おまえのオールを任せるな♪」と、シネマがラテンの乗りで歌い出すのであり
ました。
ページ5
-灰皿の前で=東俊裕さんかく語りき=-
●熊本も大牟田もそうだけど、全国でコツコツと障害者運動続けてきたことが、権利条約の批准につながったとよ。
●障害者施策は中央だけに任せとくとだめ!地方が声をあげて実践していかんといかん
●あんたと最後に会ったとは何年前かね・・・あんた思いださん?俺も・・・場所はどこやったかね?あんた思い
ださん?俺も・・・お互い年ね。
●タバコに福祉税かけて、それを障害者福祉に使うなら、俺はがんばってもっと吸うよ!
●全国を講演で回ると疲れるけど、色んな障害者に会うので、それで元気がでるね。
●差別解消法も完全じゃない。法律は変えていけるので、いい形にみんなで進化させていかんとね。
●お互いポストポリオ(二次障害)で苦労するね。ポリオを知らない医者も増えたしね。
●あんたを振った女の人は俺も知っとるよ。火の国の女の人は強い人が多いよね。
●これからの運動は、責めず、焦らず、あきらめず、相手の立場に立った説得力が必要になるね。
●障害者福祉から介護保険に移行する際サービスが低下する現象は障害者にとっては自由の制限になる。いずれ全
国的訴訟に発展していくかもしれんね。それぐらい重要な問題やもんね。
ページ6
-TRAIN−TRAIN=ブルーハーツ=-
♪世界中に定められたどんな記念日なんかより
あなたが生きている今日は、どんなに素晴らしいだろう。♪
障害者運動というのは、やりたくてやるのではなく、人としてあたりまえに生きたいと思えば、やらざるを
得ないようなものであります。しかし、やりだせば、けっこう心も身体も傷つくものでありますし、さらに終
わりの見えないようなものでもあります。そのたびに、天秤ばかりが「やめる」に傾くのですが、しばらくす
ると「やろう」と逆のほうに傾くのであります。不思議なことに、「やめる」「やろう」どっちに傾くかをき
めるのは、どちらとも人の存在であります。
落ち込んで、人にも会いたくないと思う夜に現れるのは、会ったこともない最重度の障害者であります。1
ミリたりとも動くことも叶わず、意思の表明も困難な状況で生きている人々であります。そんな夜、わたした
ちの運動は会ったこともないこのような人々とつながっているのだと感じるのであります。そして、翌朝には
最重度の障害者施設を見学した有名な某政治家が「彼らは生きてるって言えるのかね」と発言したニュースを
聞いて、この国にある命そのものに寄せる敬意の貧弱と浅ましい空気を変えねばと「はがゆさ」を抱きしめる
のでありました。
80年代後半、天秤ばかりの傾きに一喜一憂していた頃、ストレートにわたくしを支える歌がひとつありました。
その歌は、命を祝う思いに溢れておりました。
そして今、世界の障害者運動の到達点として障害者権利条約が発効し、差別解消法施行が迫った2015年の始ま
りにもっともふさわしい歌として、再び、わたくしの胸の奥に鳴り響くのであります。
編集後記
1月17日某法人主催、大障協講演のシンポジウムで、講師を務めた東さんと再会したのであります。何年ぶりの
再会なのか?最後に会った場所どこだったのか?お互い思い出せないのでありました。40年前の若い頃の話はお互
い鮮明で盛り上がったのですが、直近の記憶の怪しさに衝撃を受けたのであります。あー・・・しかし、東さんの
講演やシンポジウムの助言はさすがでありました。
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2014年10月10日発行
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-募金百貨店-
募金百貨店PプレイベントINゆめタウンへ初参加
大障協のアンテナショップ関連で、もやいもいろんな場所に出店させてもらっていますが、9月15日は、初めて「ゆめタウン」に出店させてもらいました。募金百貨店としてもやいも調印しましたので、この日のもやいの売り上げの一部は、自動的に赤い羽根共同募金に寄付されました。少しではあるのですが、もやいとして社会貢献ができたので、とてもうれしく思います。
もやいは、重度の障害者が多いので、作業に限界がありますが、アイデアと工夫とPCを使って、アートな作品を産み出していきたいと思います。これからは、もやいの作品を買えば、その一部は赤い羽根共同募金に使われます。どうぞよろしくお願いします。
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-巨峰摘み 秋風の歌聞こえしや 田主丸なり 楽しまるなり-
巨峰摘み 秋風の歌聞こえしや 田主丸なり 楽しまるなり
9/11お約束のぶどう狩りは上天気でありました!
毎年恒例のレクレーションの中でも、人気が高い「ぶどう狩り」今年は雨ばかり続くので、ダメかも?
と思っておりました。しかし、「まぁ、なんということでしょう!」的な上天気の日を迎え、無事決行となったのでありました。いざ、リフトカー2台連ねて、毎年気持ちよく迎えてくれる田主丸の「林巨峰園」へ!
途中、三連水車に寄り新鮮な空気を吸い、食う気が満ちていたので、道の駅で弁当を購入。野外で弁当を開いたのであります。いつも狭い事務所ですので、開放感満喫。身も心も癒されたのであります。そして巨峰と再会。みんな夢中で巨峰とたわむれ楽しんだのでありました。
さて、田主丸の開祖は菊池丹後という人であります。その丹後の往生観である「我極楽世界楽生」の「我楽しう生まる」から「たぬしまる」の名が付いたと伝えられているのであります。そのため、現在でも高齢者の人々は「たのしまる」と呼ぶ人が多いと聞いたことがあります。あー。なんとすてきなエピソードでありましょうか。「たのしまる」うーん。すごくいい!のであります。
みなさま、「存命の喜び日々たのしまる」で参りましょう!
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-シンさん、還暦おめでとうございます!-
還暦の 年まで命いただきて 楽しむざらんや 差別を超えて
シンさんが見事に?還暦を迎えたのであります。気持ちばかりの、ささやかな祝宴が開かれました。サプライズだったのでシンさんは、驚き、照れながらも、写真のように、それはそれはすてきな笑顔を見せてくれたのであります。教育も奪われ差別の辛酸をなめてきたシンさん。差別を超えて、少しでも人生を楽しんで喜怒哀楽って奴の帳尻を合わせて欲しいのであります。
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-もやいオリジナルTシャツ販売ご協力ありがとうございました-
『障害者権利条約発効記念』
もやいオリジナルTシャツ販売後協力ありがとうございました。
Tシャツをお買い上げいただいた皆さんに感謝いたします。また、購入を取りまとめていただいた皆さんにもお礼申し上げます。
毎年、思いを持ってオリジナルTシャツをデザインし販売していますが、今年は、世界の障害者が参加して作り上げた「障害者権利条約」を日本が批准し発効したことを記念してのTシャツだったので。思いも深く、多くの人にこの条約を知ってもらえたらと願ったところです。
お蔭さまで多くの人に届けることができました。街の中で見知らぬ人がこのTシャツを着ているのを見たときは、とてもうれしいものがありました。共に生きる街づくりを一緒にやっているのだという気になって少し幸せでありました。
この条約はゴールではなく、新しいまちづくりのスタートを告げるものです。今までのようにコツコツと皆で活動を進めてまいりましょう。
お蔭様で多くの人にご購入いただき障害者権利条約の周知に役立ちました。
来年もよろしくお願いします。
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-シネマで愛して!
セント・オブ・ウーマン/夢の香り-
人生が肯定できずにいると、心がささくれ立つのは人の常でありますが、このシネマの主人公である全盲の退役軍人スレード中佐も気むずかしく、人を拒絶し、エキセントリックに毒舌を吐き散らしながら、深い孤独に沈み、自殺の旅へ出るのであります。聞き分けの良い、そして他者への気遣いや感謝を忘れない障害者像を期待している人には、不愉快な人物設定でありますが、わたくしはその設定に引き込まれたのであります。そのスレード中佐(アル・パチーノ)の旅の介護をアルバイトでするのが、人のいい気弱な学生チャーリーであります。
こういう設定での物語の作り方は、アメリカシネマはとても上手であります。さらに、存在証明をかけた主人公の生き様を演じるアル・パチーノの演技がとても素敵で、特に、瞬きを見せず、心情を表さない目の演技は、人を物語に強く引き寄せる力があるのでありました。
主人公と学生の距離は、世代を超え、障害者非障害者を超え、経験を超え波のように寄せたり引いたりを繰り返すエピソードが散りばめられるのであります。見る人にとってどり公が女性と踊るダンスシーンと音楽がとても気に入ってしまったのであります。そして主役が発するセリフのひとかけらが、心をあたためてくれるのであります。
「足が絡まっても、踊り続ければいい」
この瞬間このシネマはわたくしの中で名画になったのでありました。あーシネマには夢の香りが溢れているのであります。
シネマの勢いというものでありましょう。しかし、たとえラストシーンがないとしても、このシネマ、十分成立しているのであります。盲導犬を傷つけたり、視覚障害者の女性を傷つけたりというひどいニュースがここのところつづきました。ため息をつきながら、このシネマを見直そうと思ったのでありました。
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-いつでも夢を=橋幸夫・吉永小百合-
♪はかない涙を うれしい涙に あの娘は かえる 歌声で♪
記憶に残る歌というのは、いつ聞いたのかが重要でります。この歌は、養護学校の寮でラジオで11歳の時に
聞いたのであります。とてもわかりやすい詞とメロディーで、すぐに口ずさむことができました。なによりタ
イトルがさわやかで前向きで気に入っていたのであります。具体的な夢など思い浮かばなかったのですが、い
つでも夢をもっていいんだという気にさせる歌でありました。しかし、養護学校を卒業後行き場のない状況に
直面したり、また、大人になって様々な差別事象にぶつかるたびに、この歌から離れていったのであります。
いや、嫌いになったのであります。長い期間口ずさむことはありませんでした。だが再びしかし、であります。
いつのまにか気がついたら何人かの障害者と障害者運動なるものを始めていたのであります。差別と向き合い、
人権に恋をし、自分を否定しながら生きてきた自分史を見つめ直す中でふと気づきます。差別は人から言葉を
奪い、誇りを奪い、仕事を奪い、教育を奪い、外出を奪い、経験を奪い、恋愛を奪い・・・と何でも奪うので
すが、何より人が生きていること生きていくことを支える夢を奪うのだと実感したときに、わたくしたちの戦
いは「わたくしの夢」を見ることであることにも気づいたのであります。その瞬間において、長年忘れ去って
いたこの歌が、リバイバルソングとして蘇り、再会したのでありました。「いつでも夢を」どんな状況であろ
うと、どんな状態であろうと、いつでも、どこからでも、人は夢をつくり出せると歌ったこの歌を、わたくし
は一生手放さないと決めたのであります。吉田拓郎もこの歌をカバーしているのであります。さすがです。
編集後記
しめっぽい雨が多く、なんだか変な夏が去ってしまい秋本番。みなさまお元気でしょうか?ゆっくり本など
読みたいのに、なにかと雑用に振り回されてはいませんか。PCやスマホの画面ばかりみても飽きがきますよ
ね。ここは、本という紙を見て秋の夜長を想像力で飛び回って見たいものです。色んな人生、色んな人間、色
んな物語と色んな言葉と出逢う秋を楽しんでくださいね。
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2014年6月10日発行
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-よかもん商店街-
■よかもん商店街出張販売に初参加
こもれび/3.25 道の駅/3.29
■苦節10年!天はもやいを見放さず!
福祉車両いただきました。ありがとう/3.11
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■藤に酔い/4.24
藤棚の 下で歌った アベマリア などと記憶を 引き寄せたりし
柳川市は三橋町の「中山藤」を見てまいりました!
■人に酔い/5.3
赤きひれ さよならだけと 振りざりし 掬いを持たぬ 五月の主よ
GWもなんのその!毎年恒例の長洲の「弟十九回火の国長洲金魚まつり」に出店しました。暑い日でしたの
で、Tシャツが結構売れたのでありました。家族連れで賑わい、人、ひと、ヒトに少し目まいがしたのであります
が、なんとかみんなの協力で乗り切りました。前日体調を壊していた案浦さんも復活!安心いたしました。
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障害者権利条約ワンポイント解説
条約の目的
すべての人に無条件で認められている権利が、障害がある人には認められていない事が多いので、その権利を確保
し、すべての人が平等に権利を使えるようにすると述べられています。
第1条
障害のある人の社会参加を拒む社会的障壁という差別が禁止されています。
※社会的障壁=段差などの物理的障壁や制度や情報や意識などの障壁
第2条
障害のある人の社会参加に向けて、合理的配慮(障害特性に対応した工夫)をしないことは、障害者差別とされて
います。
☆例:情報の合理的配慮=手話や点字や指文字やイラストやわかりやすい説明等
第3条
地域の中で障害のある人を排除せずに、障害特性を尊重し、共に生きていくことを呼びかけています。
第10条
生命に関する権利が謳われています。
※障害のある人が虐待を受け死亡したり、親子心中などで亡くなったりと、障害のある人の命が、けして軽視され
ないように入れられた大事な部分です。
障害者権利条約は日本国憲法といろんな法律との間に位置づけられることとなっています。 つまり、この条約に
反する国内の法律を作ることは許されなくなります。日本は世界で140番目(EUを含めると141番目)の批准国と
なりました。批准というのは、条約のルールを守りますよと、日本が世界と契約したということです。
これから大切な事は、障害者権利条約のルールをみんなが知り、そのルールを活かして、誰もが差別されずに人
権が守られ、共に生きていく地域づくりを、みんなで協働して進めていくことです。
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『ともにいきるためのせかいルール』障害者権利条約発効記念オリジナルTシャツ・2014
いつもご協力ありがとうございます!
2014年1月20日、日本は「障害者権利条約」を批准しました。そして、2月19日。条約発効しました。この条約は
障害のある子どもたちや大人たちの権利を、世界中の政府が守らなければならないということを決めた、世界の国
々の約束です。
障害のある人と障害のない人とを、必ず平等に扱うことを決めたこの約束は、人としての権利をどのように使え
ばいいのか、また、行政や地域が、すべての障害者がその権利を実現するために、どのような行動をとらなければ
いけないかを明らかにしてくれます。この世界との約束を、一人でも多くの人に知ってほしいとの願いを込めて、
今年のTシャツをデザインしました。どうぞよろしくお願いします。
■デザインT あそぶ人
障害者権利条約をつくるのに世界中の障害者が力を合わせましたその時の言葉
Nothing About Us Without Us 『わたしたちのことをわたしたちぬきにきめないで!』
をイメージしました。
■デザインU まなぶ人
障害者権利条約には誰もが共に生きる精神と、共に生きる工夫の大切さが詰っています。その内容を多くの人と共
有し、地域で活かしていこうという思いをイメージしました。
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人権に恋をしてSOSという革命【証言ドキュメント84ー00】
今、色んな人たちが集まって大牟田の障害者運動史づくりが始まっています。過去を知り現在に活かすことは、未
来をつくることにもつながっているものと思われます。
もやいも参加していますので、古い資料などを提供しています。
そんな動きに連動して、今年度、わたしたち自身で、80年代中頃から2000年位までのSOSという名の活動が、私
たち障害者にとって一体何だったのか?を検証する「証言ドキュメント」のDVDの制作を行うことにしました。ち
ゃんとした記録が残っているわけでもなく、ちゃんとした記憶が残っているわけでもありませんので、どんなドキュ
メントができあがるのかまったく検討もつきません。しかし、検討がつかないところが何となく刺激的で面白そうで
もあります。少しワクワクしながら、取り組みたいと思います。
『あの頃、自力で移動が困難なわたしたち重度障害者は、出会うことさえ叶わずに孤立し、イソップのキツネのよう
にブドウは甘くないのだと己に言い聞かせ、あり得たかもしれない人生を遠くに放り投げていたのでした。』当時の重度
障害者の生き方は二つ。一つは施設の中で保護される人々として管理されていくか、もう一つは在宅で家族の世話にな
りながら一生を終えるかでした。
そういった中で、なんの偶然か、重度障害者同士が出会い始めます。そして、重度障害者と健全者が出会います。出
会いはさらなる出会いを誘発し、出会いの連鎖は化学反応を起こし始めるのです。その化学反応は、ラジオが友達テレ
ビが恋人という外出など夢のまた夢だった重度障害者の外出という夢を実現させたのです。
初めて見る桜、初めて行く喫茶店、初めて食べる焼き鳥、初めて行く友人宅、初めて行く市役所、初めて行く郵便局
初めて行くドライブ、初めて感じる異性への思い・・・無数の初めてが体験される日々の始まりでした。
私たちは、その中で二つの言葉を獲得します。「行ってきます」そして「ただいま」です。
わたしは今、行く場所があり、帰る場所を持つ「人」である実感をもたらしてくれたこの言葉を発するとき、心の奥
深いところにある開かずの扉が、かすかに軋む音を聞いたのです。
その音の集合体こそが、『人権に恋をしたもの達が集うSOSという革命だったのです。』
この証言ドキュメントは6ヶ月かけて制作します。ご協力よろしくお願いします。
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帰れないんだよ/ちあきなおみ
♪秋田へ帰る汽車賃が あればひと月生きられる♪
人は誰もがそうかもしれないのでありますが、確かに或は何かに励まされないと、やってられない時があるのであり
ます。ワタクシの場合、歌によって励まされたことが多かったのであります。もうこれまでかと希望を放り投げようと
するその瞬間に、歌のジャンル問わず、浮かび上がる詩のフレーズに、あるいは詩全体に流れる情感に、何度も励まさ
れてきたのであります。
「帰れないんだよ」を聞いたときは、一片の劇を見せられたような気分になり、帰れないわけを持った人の悲しみが、
施設時代のワタクシと重なり、胸を締め付けられたのであります。それと同時に、こういう状況にある人へのまなざし
を忘れない作者のありように、人生すてたものではないと励まされたのでありました。作者は、今はもうすでに亡くな
っていますが、元船乗りたったその人は、胸を患い入院。船乗りを辞めざるを得ない挫折を乗り越え、作詞家に転進。
数々のヒット作をだしました。
その人の詩に共通するのは、どんな形であれ、人を励ますのだという願いであります。
海の上に立ち、待つ人の居る陸に無事にたどりつくことを祈った経験を持つその人が書いた歌の世界観を、見事にちあ
きなおみさんが表現し、人の切なさを歌う名曲となりました。
編集後記
障害者権利条約の発効は、社会に大きな仕組みの変更を迫る条例なのですが、その認知度の低さには衝撃を受けます。
なんとしても認知度をあげなきゃとおもいます。そう思っていたら、「障害者権利条約」のTシャツを思いつきました!
なんだかあざとい?という意見もあるでしょうが、認知のきっかけになればと思います。皆様、この夏のTシャツコレク
ションの1枚にお加えくださいませ。
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2014年2月10日発行
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-えるる-
1月17日(金)
『えるる』が歌と踊りのエンターティメントで溢れたのでありました!
大牟田特別支援学校高等部と地域学習で交流しました!
高等部の生徒さんと、もやいのメンバー&大牟田恵愛園の利用者で肢体障害者福祉教協会の嘉藤美咲さんが参加して、
大牟田特別支援学校高等部の地域学習会が開催されました。
中心商店街をみんなで散策した後、新栄町にある『えるる』を借りて、交流会を行いました!もやいのメンバーでつくる電
動騒乱隊のDVDをみんなで鑑賞した後、生で感じてもらおうと久冨さんと案浦さんによるダンスが披露され、アンコールが
起こり再度踊るなど盛り上がったのでありました。
お返しに生徒さんが「ビリーブ」という歌を手話つきで、そして最後に支援学校校歌を歌ってくれました。
とても素敵で心に残る歌声でありました。生徒のみなさん、先生方、楽しい時間をありがとうございました。
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ありがとう!また会おう!
☆地域学習の別のグループも「ほっとかん」を尋ねる途中で、ダンスを見に来てくれました。観客が増えたので緊張
が増した久冨さんと案浦さんでしたが、振り付けを間違えることなく、決めてくれたのでありました。さすがであります。
☆生徒さんの中には、もやいのメンバーが小さい頃をよく知ってる萌さんがいました。
18歳の素敵なレディに成長。時の早さに唖然としながら今年、そして来年卒業していく生徒さんたちが、自分のもってい
る可能性を表現できるような環境がつくられて、本来ならあり得た人生を送れるような社会になって欲しいとつくづく思うのでありました。
誰にとっても「卒業という言葉が希望という言葉と同意になる日」を迎えたいものであります。
☆悲しみや苦しみが いつか喜びに I blive in Future 信じてる♪
生徒さんたちが歌ってくれたビリーブは、どうしてこんなに胸を打つのだろうてと思いました。
歌と願いが一つになるからでしょうか。インスパイアされたような気がします。元気をいただきました。
ごちそうさま!であります。
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シネマで愛して・・・暗闇から手をのばせ
経済産業省というお固い役所も応援している「ゆうばり国際フェスタスティック映画祭2013」で、オフシアター部門のグランプ
リに輝いたシネマがあるのであります。
そのシネマは、ほとんど宣伝も行わず、都会にある一部のミニシアターで今も細々と上映されているのであります。
この状況はとても残念であります。そのシネマは「暗闇から手をのばせ」であります。
シネマに詳しい古い知人Sさんから提供されるまで知らなかったのでありますが、このシネマ、ある種タブー視されがちな
「障害者の性」をあっけらかんとエンターテイメントに仕上げている作品なのであります。
「性」は、誰にとっても厄介で切なかったりする「人間」の抱える本質的な問題でありますが、障害者に降り注ぐ誤解と偏見
のまなざしの中で、「障害者の性は見えないコト或いは見てはならないモノにしておこう」という空気が形作られている気が
するのであります。
その空気を暗闇から手をのばしてかき混ぜる、そんな感じのシネマなのであります。
かき混ぜるのでありますから、観客に化学反応を起こすのであります。それは、物語を媒介として、各人が楽しんだり考えた
り、きっかけにしたり無視したりと、自由に受け止めることができるシネマ文化の醍醐味であります。
主役のデリヘル嬢を演じた役者さんは、初めて見る役者さんですが、主人公の戸惑いや、反発や、自己嫌悪や、人であろう
とする心の変遷が自然に表現されていて素敵でありました。
障害当事者の芸能人として活躍中のホーキング青山さんの演技は楽しくも不適でありました。
そしてもう一人、デリヘル店の店長役の役者さんの演技は実にリアリティーが溢れ無敵でありました。
このシネマ、素敵と不適と無敵が重なり合って、成立しているのであります。こういう人たちとシネマが作られたら楽しいだろ
うなと、真夜中、こんぶ茶を飲みながらうらやんだのであります。
さてさて、一種タブーとされている感のある「障害者の性」の現場を舞台にしたこのシネマ、表層面において批判も受けるか
もしれませんし、眉をしかめられたりすることもあるだろうと想定しますが、物語から少し引いて、このシネマ全体に流れる製
作者の視点、視線、まなざしを感じることが大切と思えるのであります。
そうすることで、映画祭のテーマである【一歩その先へ】進んでいくことができるのかもしれないと、こんぶ茶を飲み終えて
思ったのでありました。
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権利条約批准・差別解消法施行・障害者計画策定
誰もが希望の持てる3つのルールへ!
1月20日。「障害者権利条約」という世界ルールを日本が批准したのであります。
この国で憲法の次に優先されるこの条約ができるまでには、国連を舞台に長い時間をかけて、世界の障害者が協力し合
う物語と、障害者をよく知らない法律の専門家と、法律をよく知らない障害者との間の軋轢と歩み寄りの物語があったので
あります。
ともあれ、この条約という名の障害者に対する世界ルールを守ることを、この国が世界に向けて約束した意義はとても大き
いのであります。
昨年「障害者差別解消法」が成立しました。権利条約と同じで障害当事者参加のもとでできた事実はとても貴重でありま
す。完全形ではないにしろ、先頭に立って頑張ってくれた人たちに敬意を表したいのであります。
あとは、ワタクシたちが「合理的配慮」という権利の獲得をどう進め、障害者の権利の獲得が全ての人の幸せに繋がってい
ることを実証することが鍵となってきます。
そのために「障害者差別解消法」は誰もが共に生きるための日本ルールであること、すべての人が希望を抱くことが出来る
日本ルールブックということを「あたりまえ」とする空気を広げたいと思うのであります。
平成27年度から5年間の障害者福祉施策の指針となる「大牟田市障害者福祉計画」づくりが始まる年であります。大牟田
市における障害者福祉施策をどう改善し、開発し、障害者の地域での自立と社会参加を実現していくのかその方法論を定
めた大牟田ルールづくりとなります。
このルールの在り様は、障害者やその家族の暮らしと未来を大きく左右するものとなねのであります。
また、支援者にとっては、当事者中心のニーズの実現に向けて最高の支援ができるかどうかがかかってくるのであります。
障害者もその家族も、支援者も、現場の当事者として力を合わせこのルールづくりに関心を持ち、ニーズを出し合い、まとめ
ていきたいものであります。
「世界ルールと日本ルールと大牟田ルール」障害者の権利と尊厳と、すべての人と共生をめざすダンゴ3兄弟であります。
団子を貫いている「一本の串」は、差別された障害者がたとえ表現できなくとも、ふと悲しみの向こうに垣間見えるモノであり
ます。それをなんと表現するかは人により違うのでありますが、ワタクシは希望と呼びたいのであります。
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海上の神『宗像大社』に初詣にいってきました!
もやい高齢の「新春レク」今年は1月19日に、海上の神が宿るといわれる宗像大社&宮地獄神社に行ってまいりました。寒く
はあるものの天気は快晴でありました。誰が何を祈ったかはわかりませんが。おそらく共通するのは「どうか健康であります
ように」ではないでしょうか。加齢や二次障害が引き起こす体の不調ほど、憂鬱なものはないのであります。とりあえずみん
なが健康な一年であってほしいものであります。帰りの夕食は、みんなで鍋を囲み、まるで新年会のような雰囲気となりまし
た。参加者の皆さんお疲れ様でした。松ヶ餅おいしゅうございました。!
■たまたま通りかかった巫女さんにお願いしての記念撮影であります。笑顔が素敵な若い巫女さんでありました。来て良かっ
た!と思えた瞬間であります。
■宗像大社の本殿の巨大なしめ縄の下で手を合わせているのは久冨さんであります。小さな段差が続くのぼり道を、一気呵成に
登りあげた迫力は凄みを感じました。お参りにチカラが入っているのでした。一体何を祈られたのでありましょうか?
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プリズナー・・・柳ジョージ&レイニーウッド
♪人はみんなプリズナー! 広い都会の 見えない鎖につながれても 踊り続けるよ♪
人であることの「やっかいさ」をどこで感じるか、どこに感じるかは、けっこう重要なのであります。わたくしは、なんとな
く障害者入所施設の中で、感じたのであります。当時それをいうい表す言葉を持たなかったのでその「感じ」を自分自身にさえ
説明できないのでありました。もやもやとした時が過ぎゆくある日、すごく胸の奥深くに入ってくる渋い声とR&Bのの香りに
誘われ、あるアルバムを買い求めたのであります。その中の一曲であるこの曲と出遭い、何度も聞くうちに、「やっかいさ」の
正体と出逢ったのでありました。
プリズナー(囚人という意味を持つ)。この歌のように、何かに囚われた自分がそこに居ることに気づくのは、かなりことで
あります。見えない鎖を自分自身が作りだしていることを認めることはもっときついことであります。しかし、それを超えない
と、「世間の現実」の囚人で終わってしまうのであります。
自分を変える。それを望むワタクシと望まないワタクシがそこにいることの「やっかいさ」が、時に自分を苦しめるのであり
ます。そういう人の切なさを見事に描き出したこの歌は、人とは何かを問い詰める歌の純文学であります。 さてさて、「何かに囚われて大事なものに気づかない」「気づいても自分を変えられない」という「やっかいさ」は福祉の世
界にも多く垣間見えるのであります。あ〜人はみんなプリズナーであります。
編集後記
唱歌の中で♪春は名のみの風の寒さや♪という「早春賦」がとても好きで、今でもこの時期になると口ずさむのであります。季
節の方向性が決まる分かれ目の情景を見事に切り取った名曲であります。14年度は、「障害者福祉計画」が立案されるなど、大牟
田の障害者福祉の方向性が決まる分かれ目の情景となります。みんなの力と思いを寄せて、当事者主体の「名計画」をつくりあげ
ましょう!
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2013年10月10日発行
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-こがらしや-
こがらしや 海に夕日を 吹き落とす ・・漱石
夏目漱石のこの句は、少々大げさですが、理屈に走らない素直な作品で、わかりやすく忘れにくい句となっている
のであります。「夕日」の部分をなんにでも言い換えることができるのも面白いところであります。
さて、それはともかく「こがらし」の季節なのであります。
電動車いすでの移動時に吹きつけるこの「こがらし」は、時としてワタクシを吹き落とすつもりかと思う時さえあるのであり
ます。そんな時「ワタクシは夕日ではないのだ」と自分に言い聞かせひたすら耐えるのであります。
思えば、障害者やその家族には昔から、そして今も、「生き難い」という名の「こがらし」が吹き付けているのであります。油
断すれば、あるいは孤立すれば、簡単に海に吹き落とされそうであります。現在過去未来を貫いて吹き通す「こがらし」簡単
に止みそうもないのであります。
この「こがらし」を止めるために、福祉があるのであります。福祉は特定の人に吹き付ける「こがらし」を止める営みの事を言
うのであります。それでは、止まればそれでいいのか?問題解決か?といえば、そうでもないのであります。今は止まってい
てもまた吹くかもしれないのであります。
となれば「こがらし」を産み出すメカニズム自体を変える人権が必要であります。 「こがらし」を和らげたり止めたりする福祉
と「こがらし」が吹き付ける構造自体を変える人権は車の両輪であります。
この両輪を持ち「ひとりでもやる!ひとりでもやめる!」という覚悟を持った当事者や家族の運動に、福祉を担う支援者が加
わりそして市民へと広がっていけば、夕日のその先に、誰もが海に吹き落とされない季節をつくれるのであります。
「我輩は夕日である」とつぶやく秋であります。
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障害者アートの波!ここと思えばそこがルーブル!
随分前ですが、事務局として初期の大障協を支えておられた、あけぼの会の高田さんのおかげで、山下清さんの原画展が
行われたことがありました。
あの時、素敵な絵に囲まれて幸せな感覚を味わったのであります。今も、特別支援学校の生徒さんの作品や事業所に通所
する人たちの作品を見ると、思わず歓声をあげたくなるときがあるのであります。
そんな時アートの持つチカラを感じざるを得ません。「歓声」をあげるというより「歓声」をあげるという方があっているような気
がしますが・・・。
さてさて厚生省の次年度の概算要求を見ると、障害者アートに力が入っていることに気づかされます。
国が力を入れ始めるのには訳があって、地方においては、もう先進的な取り組みがいくつもされているのであります。障害
のある人たちが、自宅や事業所で、様々な手法で表現するアートは昔からあるわけですが、その作品群が社会化、市場化
はほとんどありませんでしたし、そのルールも無いに等しい感じでありましたが、最近は、作品の市場化や社会化がやや広
がりつつあります。
併せて、作者である障害者の権利を守るためのルール作りの必要性も進んできている気がします。
障害者の中には、絵を描くことや表現することが好きで得意な人がいるのでありますが、そのことを生かし、社会そして市場
へと結びつけていく回路を開く地方の動きが刺激となって、国レベルの動きとなっているのであります。
国が力をいれるのはいいことですが、現状での多様性を認めない、画一的な施策にならないようにして欲しいものでありま
す。アートが産み出すものは、作品だけではありません。
福祉以外の様々な専門家や企業、自治体などと福祉の協働自体を作り出しますし、人の感性や情操につながるアートを産
みだすことで、事業所は地域の社会資源としてのさらなる広がりがもててくるのであります。
そういうアートを通した動きは結果において、障害者への合理的配慮を自然と作り出す柔らかい切り口の一つになるのでは
ないかと思えます。 来年度の障害者アートの予算が成果を上げることを祈念したいものであります。
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ごあいさつ/バザー/お客様/おかげ・・・
もやいのできごと
☆9月14日(土) 久冨代表・・絆フェスタでごあいさつ
もやいは、赤い羽根共同募金をもらって機関紙を作ったり、福祉マップを更新したりと、社会貢献に使っています。
社協主催の催しで、そのお礼を言う場が設けられたので、久冨代表が、緊張の中、多くの参加者の前で、お礼のごあいさつ
をおこないました。原稿なしで堂々のごあいさつ。あっぱれでありました!
☆9月21日(土)恵愛まつりバザー
9月とはいえ、まだまだ暑いまだ暑い中、恵愛まつりが開催。
なんと今年は30周年のメモリルイヤーだとか・・・おまつりにも力が入っているのでありました。
毎年バザーを出させてもらっているもやい。今年も出店いたしました。
ことしバザー初デビューのKIYOSHIさんも、無口ながら販売に頑張ってくれました。
ボランティアグループ『インスパイア』のKAJIHARAさんもお手伝いにきてくれました。
2人のおかげでとても助かったのでありました。
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☆いらっしゃいませ!『工房まる』さん
障害者アートの可能性を切り開いておられる福岡の『工房まる』さんの職員の方が来館されたのであります。
もやいの作品をネタ?iに色々と意見交換と世間話をしました。なんだか楽しく夢のある時間が過ごせました。
これからも楽しくコラボしていけたらと思うのでありました。
☆おじゃまします!『ゆとろぎ』さん
筑後市と久留米市の堺のところにある就労継続A型事業所『ゆとろぎ』さんで遊んできました。
のどかな田園風景の中にある『ゆとろぎ』は、船とぽにーとウコッケイがある、そして居る不思議な小宇宙でありました!
「船とポニーとウコッケイ」なんだか小説を書きたくなるような映画を撮りたくなるようなワードであります。
さてここは、釣堀と手作り木工作品が作られている事業所なんです。
でも、なにより、ここは化学として清浄な空気と人が作り出す文化としてのあたたかい空気が漂っているのであります。
こういうA型は経営が大変でしょうが、応援したいと思うのでありました。
突然の訪問にも関わらず、ていねいな対応とスペシャルのそうめん流しありがとうございました!
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「えるる」オープン記念式典にバザー出店!
10月5日、新栄町商店街に建てられた市民交流施設「えるる」のオープン記念式典に大障協のアンテナショップの一員と
して、もやいも出店しました。
とてもにぎやかな式典でありました!店番は、もやいの助さん格さんと言われている、ウタさんキヨシさんであります。
新作のブックカバーやおなじみの切り絵が予想以上に売れました!ありがとうございます!
ピースサイクルの超人!森谷さん!10月8日もやい来館鳥取から長崎へ!毎年平和を願いながら自転車でゆく「ピースサ
イクル」の森谷がもやいに立ち寄ってくれました。
諸般の事情で今年は10月になりましたが、とても元気そうでした。朝早かったので、みんなではおめにかかれませんでした
が、一番乗りのウタさんがお相手しました。
森谷さんお疲れ様でした!台風の中、まさに超人のようでありました。また来年もお会いしましょう!
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気持ちだよ・・・よしだたくろう
♪気持ちだよ 気持ちだよ ヒトを つないでるのは♪
一度あこがれてしまうと、どこまでもあこがれてしまう弱さがワタクシにはあるのであります。
「イメージの詩」を歌ったときのたくろうは、ワタクシにとって英雄でありまして、入所施設の中で鬱々自由の風を送ってくれた
のでありました。
しかし、ここ数年はいいなと思う歌は聞けずにいたのですが、久しぶりに心地よい歌を聞いたのであります。
歌うたくろうも、聞き続けるワタクシも、同じように年をとったせいか、叫ぶような歌でなく、気負った歌でなく、自然体のあふ
れた言葉で構成され、ありふれ曲調で表現される世界でOK!たどりついたような気がするのであります。
そんなつもりでなくても、障害者運動といわれるものの中で生きてきたワタクシとして思うことが多々あるのですが、その中
にあって思うことのひとつに、人は、言葉や理屈や、哲学などというものに振り回されすぎているのではないかというのがあ
るのであります。そして、振り回される中で人のありようを図っているところがあるのではないか。
うーん、なんと傲慢なと反省!であります。
そんなとき、この歌が流れると景色がかわります。表面的なものでなく、人が本来持っている素朴で暖かな、一匹の蟻に
エールを送りたくなる心の動き、気持ちってやつがとてもたいせつであり、人を本当の意味でつないでいくのではないか・・・
あー、たくろうはそこにいきついたのだ!やはり永遠にたくろうはワタクシの英雄であり続けるのであります。
編集後記
秋のバザーシーズン。もやいの作品作りは大変であります。手作りなので、一つの作品の完成に時間がかかります。
その割りには値段が安い!その割には売れない?を繰り返しておりますが、まぁー、「楽しい創作」がもやいのモットーなので新製品
の開発を楽しんでいきたいと思います。
みなさん、夏の疲れはとれましたか?秋を楽しめてますか?どこかでもやいのバザーを見たらよろしくね!であります。
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2013年08月10日発行
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-残暑お見舞い-
残暑お見舞い申し上げます!
ゆく夏よ 有明海に打ち寄せし 波の上には はや秋の風
人は、去りゆく西暦2013年の夏を、「あー、あれがあった夏だ!」と、どのようなエピソードで記憶し思いだすのでありましょう
か?ある人は凶悪な事件で、ある人はひと夏の恋愛で、ある人は、サザンの復活で・・・と、人様々でありましょう。
ワタクシ的には5月に「成年被後見人の選挙権の回復等のための公職選挙法等の一部を改正する法律」が成立公布さ
れ、7月1日以後に公示・告示される選挙について成年被後見人が選挙権を有することになり、先の参議院選挙にいて投
票行動が実施されたことであります。知的障害者や認知症など、全国で13万人を超える人の人権が回復された人権の夏と
して記憶したいのであります。
成年被後見人の投票に関しては、様々な懸念が提出されているのでありますが、まずは、選挙権という人権の基本にお
いて、差別があってはならないというところから全てが出発しなければと思うのであります。そしてそこから懸念を乗り越える
ための営みを始めるべきであります。
NPO法人も社会福祉法人も行政も、正義を実践する経営体として、懸念の解決に向けて共に工夫を進めていくことが求め
られているのであります。
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明智君、残暑お見舞い申し上げるよ!
明智君、生きてるかい?生きてるよね?生きてるっていってくれ!ワタシだよ!ワタシ。誰に対しても上から目線のワタシだ
よ。世の中から忘れ去られた哀愁を抱きしめて、ひっそりと高専賃で生きている怪人二十面相だよ。明智君。お久しぶり・・・
いやー、昭和がやけに遠いところにいってしまったね。
いつのまにか犯罪にも美学がなくなっちって、かつてのワタシのように、犯罪予告をし、その目的も世界一美術館をつくるこ
となのだと夢を語る、そんな正々堂々とした犯罪が少なくなっちまった・・・
正義に燃える君たちと戦いながらも、君たちが怪我しないよう配慮しながらやってたあの頃・・・
高度犯罪成長期だよね。楽しかったな。わたしを手こずらせた少年探偵団はおそらく後期高齢者となりディサービスで活躍
しているのだろうね。
小林少年は相変わらずかい?職員相手に「子ども扱いはやめたまえ!」なんて、正義の使者を演じているんだろうね。嫌わ
れながら・・・ハハハハハ!♪ぼ、ぼ、ぼくらは高齢探偵団♪なんてね。そんなことはどうでもいいが。
実はね明智君、ワタシは今障害者として暮らしているんだよ、ほとんど動けない状態でね。もう昔のようにパァーッとマントを
翻すなんてできないんだよ。できるのは前言を翻すことくらいさ。
しかしね、こうなってわかっことが一つあるのだよ。障害者やその家族は多かれ少なかれ、強盗という犯罪の被害者だよ
ね。何を盗まれたのかって?それはね、希望ってやつだよ明智くん。
♪希望という名の あなたを訪ねて 遠い国へと また汽車に乗る♪
膠原病を患った岸恵子が祈るように謳いあげた希望ってやつだよ。共に育ち、学び、働き、愛し、愛され、笑い、泣き、老い
ていくという人の営みを支える希望ってやつだよ。こんな大きなものを盗む奴がいるんだよね。いくつかの美術品を盗んだワ
タクシの罪など軽いものだよ。自己規定しちゃうけど希望を盗んだ奴に比べるとワタシなど小物なのだよ。
♪いつかあなたに またあうまでは わたしの旅は 終わりのない旅♪
そうなのだ明智君!終わりのない旅が続くのだよ。
被害者全員が希望ってやつを手のひらにのせる日までね。厳しいね、疲れるね、時間がかかるよね、何度も何度も膝を折り、
空をにらみつける日々が繰り返されることだろう。しかし、しかしだね明智君。
♪涙ぐむ時 その時聞こえる 希望という名の おなたのあの歌♪
どこかで、だれかが、泣きながら、笑いながら怒りながら、励ましあいながら、あきらめずに、盗まれた希望を探し続けて汽車
に乗っていることを知るとき、その長き営みと深い思い自体が実は希望ってやつではないかと気づかされるのだよ。
明智君、もしかしたら希望ってやつは、その人が死ぬまで決して先には死なない生き物なのじゃないか?
そうだろう明智君?そうだよね明智君!いま、ワタシの心の中でパァーッとマントが翻ったよ。
聞こえたかい?このかかっこいい風を切る音が。さっきは小物だと自己規定したけどパァーッと前言を翻すよ。
やっぱりワタシは大物なのだ明智君。
これからは希望を奪う正体不明の者達と闘って、だれの希望も奪わせない世界を創っていくのだ。社会正義を実現する集
合体こそを国というべきだろう明智君、だよね。
さぁ、少年探偵団も呼びたまえ、怪人二十面相の第二章を始めようじゃないか。盗まれた希望を取りもどす物語の始まりだ
よ明智君!すべてのワタシの希望を奪わない「まだ見ぬ国」をつくるのだよ明智君!
♪そうよあなたに また逢うために わたしの旅は 今またはじまる♪
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シネマで愛して・・・明日の記憶
予想もしないことが我が身に起きたとき、人は途方に暮れるものであります。
ましてその出来事が職を奪い、家族を巻き込み、自分自身さえ奪われるかもしれないとなれば、誰であれ途方にくれずに生
きれるものではないのであります。
そんな中で、人はどう生きて、愛する人とどう向き合うのでありましょう。
2006年アカデミー賞優秀作品賞を受賞したこのシネマは、そんな過酷な出来事と真正面から向き合った作品であります。
主役の渡辺謙さんは、今やハリウッドスターみたいな感じであります。彼の濃いキャラと演技の迫力は独特でありまして、人
によって評価が分かれるのでありますが、このシネマの原作となった小説を読んだ彼は、小説家に映画化を熱望する手紙
を出し続けたそうであります。
小説家はいたずらと思い込んでいたら本当だったので、おどろいたそうであります。渡辺謙さん、さすがであります。
想像するに白血病という役者生命を絶たれるかもしれない難病を患った経験をもつ渡辺謙さんは、途方に暮れたあの日の
自分を、この主人公に重ね合わせ、人が少しでも途方に暮れな世界をつくるために映画化を熱望したのではないか?と思
えてならないのであります。
その彼の迫力ある演技はは画面から伝わり、ワタクシもまた現場にいる一人のように感情移入ができたのであります。伝え
たい思いと伝え得る当事者性が重なるとき、演技を超えた演技が生れる瞬間が舞い降りてくるのであります。
その瞬間を目撃する時、シネマに愛される幸せを感じるのであります。
このシネマを見て、うと思うのが、大牟田で長年やってる俳諧模擬訓練は認知症の人の徘徊を地域でサポートすることを目
指しているのですが、その取り組みにより認知症であることを恥じない空気が自然に広がりつつあります。
それは恐らくこのシネマのように、認知症の方やその家族の方。シネマの主人公と同じく若年性認知症の方やその家族の
方が途方に暮れるのを少しでも防ぐ「共に生きる」文化となって多くの人を励ますことでありましょう。
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雨上がりの夜空に・・・RCサクセション
♪OH 雨上がりの夜空に響く WOO 雲の切れ間にちりばめられたダイヤモンド♪
40年前、ワタクシは入所施設の中で窒息しそうな毎日を過ごしていたのであります。
そんなワタクシに新鮮な空気を送って息をさせてくれたのは、歌と本なのでありました。歌を聞き、本を読むことで、何とか生
きてたような気がします。
その歌の中に、RCサクションの初期の作品で♪僕の好きな先生♪という歌があり、その詩の世界とリズムと歌い方が面白
かったので、それ以来RCサクセションの歌を聞き続けたのであります。
80年代でバンドとしては終了しましたが、数多い作品の中で、今回取り上げたこの歌が、今でも時々窒息しそうになるワタク
シに酸素を送ってくれるのであります。
いつも書いていますが、歌のチカラにはすごいものがあって、理屈抜きに人をエンパワメントさせるのであります。
しかも無料で!あー助かるのであります。
この歌は、今は亡き忌野清志郎の詩人としてのあたたかい世界観が凝縮し、日々の暮らしの中でうずくまるワタクシたちの
モチベーションを、R&Bをベースにした明るいロックのリズムに乗せて「サー、ここではないどこかに行こうぜ」と誘ってくれ
るのであります。この軽い誘いというのがよろしいのであります。
サザンを始め、多くのミュージシャンに影響を与えたRCサクセションの今の歌を聞けないのは残念であります。
この時代RCサクセションならどんな歌をつくったろうと、夏の夜に夢想するワタクシでありました。
編集後記
みなさんの夏はいかがでしょうか?いやー、暑い夏でしたね。
電動車いすで街を移動していると、地熱のすごさを体感します。
アメリカのある州では、町興しとして「アメリカで一番暑い町」をアピールするため、市民の多くがアスファルトで目玉焼きをつ
くるのが流行しているそうです。しかし、後片付けがされずに問題化しているとのこと・・・
なんだか不思議なニュースであります。卵がもったいないのではと心配であります。
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2013年05月10日発行
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-緑成りエンパワメント-
緑成す エンパワメントの午後1時 奪えしものなら 我に皐月を
5月3日・・長洲“なんさまきてみなっせ市
いつの間にやら「神に供える稲を植える月」皐月であります。
木々や花々や名もなきくさたちが、なんだかイキイキと萌えだして、生き物たちも空も海も山も月も、まるでエンパワメント
したかのように感じるのであります。
♪若葉が町に急に萌えだした♪
と天地真理さんが歌って教えてくれたあの季節の到来でございます。拍手!パチパチ!この生きとし生けるもののエンパワ
メントの波を受けて感じるのは、総合支援法が始まり、差別解消法が国会に提出され、今後もいろんな法律や制度の改変
が予定されている現状の中で、これからの社会資源のありようを、障害当事者やその家族や支援者にとって、使い勝手の
よい、また、誰もがあり得るはずの人生を想像力の射程にとらえられるようにしていくためには、わたしたちが持っていて未
だ発揮していない力を「引き出してつなげていく」ことが大事であります。
若葉のささやきを聞きながら、わたくしは暖かい午後1時、自問自答するのでありました。
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当事者が産み出す社会学
障害学・・・差別解消法で何を解消するか?
4月26日に「障害者差別解消法」が閣議決定され、同日法案が国会に提出されたのであります。
この法律が提案されるまでに長い時間がかかり、いろんなドラマもあったのでしょうが、問題はこの法律をどういかしていく
かということだと思えます。
「差別をしてはいけない」ということに異議を唱える人はあまりいませんし、そのための啓発や教育も取り組まれています。
しかし、そう、しかしなのです。差別が一向に解消しないのはなぜでしょうか?それは多分「わたし」と「差別」の向き合い方にあ
るのではないでしょうか?一番最初のボタンを掛け違えたまま次のボタンを手にしようとしているのではないでしょうか?
おそらくわたしたちは、「少なくともわたしは差別をしてもいないしされてもいない善意の第三者である」を出発点に、わたしと差別
との距離を取っていますし、取りたいと思っているところがあります。
この出発点は、わたしを大いに安心させてくれますし、わたしというアイディンティティは安定します。
しかし、本当にそうでしょうか?
よく考えてみれば、好みもしないのに、いつのまにか「あの人たち」はこうだと思い込み、決めつけて、偏見と友達になってい
る自分に気づかされる時があります。その気づく瞬間がとても大切なのであります。気づいたからには、修正しなければなり
ません。なぜ、そう思ったのか、そう思うことで「あの人たち」をどう傷つけたか・・・
そしてゆっくりと現実を見据えて、差別との距離を取りなおさなければと思います。ボタンをはずし、最初からやり直しです。
すると「わたしは差別はするし、されるかもしれない。だからこそ、差別とキチンと向き合い、差別を少しでも解消していこう」
を出発点に置けるのであります。種発点が変われば、風景が変わります。
もうわたしは「善意の第三者」という観客でなく、差別を解消していくプレーヤーとして、地域というあるいは暮らしというグラ
ンドに立つのであります。
そこでは、偏見や差別というエラーや三振をしながらも、たまにはヒットを打ったり、送りバンドでチャンスをひろげたりと、
チームプレーで共に生きるという勝利を目指せるのであります。
差別解消を、共に生きるとつなげていくには、遠回りのようですが「善意の第三者」という差別と向き合うことから逃げる意識
を解消し、差別とまっすぐ向き合うことだと直感的に思います。希望とは、わたしが「変わり」現実を「変える」ことなのであり
ます。
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2013もやいオリジナルTシャツ
着る絵手紙
いつも、もやいTシャツをご愛顧いただきありがとうございます!
2013年のもやいTシャツは、もやいの利用者「塚本宇耐」の絵と書による「着る絵手紙」となりました。
この夏、「着る絵手紙」を、多くの市民のみなさんに受け取っていただけたら幸いです。
MadeinUTAE
UTAEストーリー
王貞治さんが初ホームランを打った昭和34年生まれのUTEAさんは、知的障害者として生きています。
色んな場所で経験を積み重ね、もやいに登場して5年、人のいいおせっかい屋さん?として、みんなに頼られています。
毎週NHKの歌謡コンサートを楽しみにしている演歌おじさんでもあります。週1回絵の教室に通い、ほのぼのとした絵をかきます。
色々苦労はあったでしょうが、ニコニコとほほえむ姿は、人生のホームランかもしれません。お母さんと2人暮らしです。
★Tシャツ販売の利益は福祉マップや自立マップづくり活動に使用します。
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13年度総会終了!
「いつやるの?今でしょ!」をキーワードにした、SOS総会を5月5日開催しました。
12年度事業・決算の承認、定款変更案や、事業案及び予算案も全会一致で承認されました。
障害当事者の連帯と、自分自身の中に眠っている才能を発揮しようという基本方針と、総合支援法や差別解消法を活用し
て、当事者が本当に望む生活の実現を目指していこうということで、盛り上がりました。
有松由里子でございます
みなさま、手術入院で各方面にご迷惑をおかけしています。申し訳ありません。
現在、おかげさまで、手術も成功し、術後の状態も良好です。
リハビリづけの毎日ですが、このままいけば、早ければ6月にも復帰できるかなという感じです。
誰も待っていなくても復帰します!
匂へどもみる人もなき桜花 ただひとりみて哀しくぞ思ふ
今年の花見は、お天気に恵まれてのんびりと満開の桜を楽しみました。
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シネマで愛して・・・HeIp the/こころがつなぐストーリー
物語の舞台がどこかは、とても大きな意味を持つのでありますが、ミシシッピーとくれば、「ミシシッピーバーニング」というシ
ネマをどうしても思い出します。
黒人に対する差別が一番根深い場所であります。奴隷制の廃止を規定した合衆国憲法の修正案を批准したのは50州の中
で一番遅く、なんと1995年なのであります。
さて、そんな歴史をもつミシシッピーのジャクソンという町で起きた、実話に基づくこのシネマ。何の予備知識もなく見たので
あります。役者さんも誰一人名前も知らなかったのですが、ぐいぐいとストーリーに引き込まれていったのでありました。
シネマに出てくる魅力的な黒人女性たちと共に怒り、恐れ、悲しみ、笑い、時にはちょっと彼女たちに引きながら、シネマの
世界にとっぷり浸れたのは、実話に基づくというリアリティーのせいでもありますが、物語がエンタテイメントでありながら、差
別は、「いいorわるい」?というステレオタイプに陥らず、また、上から降ってくる理想に現実をあわせるためでなく、暮らしと
いう人が生きあう現場で、わたしもまたあなたと同じ人であろうとするときに起こるまなざしの衝突として描けているからであ
りましょう。
古いアメリカシネマには必ず黒人のメイドが登場するわけですが、このシネマのように、一人ひとりのメイドに降り注ぐ差別の
まなざしがあり、ドラマがあるのだと、しみじみ思うのでありました。
勇気を振り絞り立ち上がる黒人女性の地に足のついた生き方は、人が人を差別しない共に生きる暮らしの文化を耕してい
くことでありましょう。
ラストシーンで、職を失った黒人女性が歩いていく姿を、どう受け止めるかは、人によって違うでしょうが、私には希望が感じ
られるラストでした。
なお、現在、舞台になったこの街の市長は黒人の方が勤められているのであります。
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川は流れる・・・中曽根美樹
♪なお生きる水をみつめて 嘆くまい明日は明るく♪
そう好きでも嫌いでもないのに、覚え続けている歌があるのであります。覚えているというより、忘れられずにというのが正
解かも知れません。
実に、実に暗い歌でありまして、もう、イントロからして、来たぞ!って感じでありまして、大勢でカラオケなどに行ったときには
歌えない歌であります。
しかししかし、人生の非情と人の無情を見事に切り取った詩の風景の美しさ。
そしてそして、心の襞に染み入っていく静かなメロディーの情感。なんと人の心をつかんで離さないのでありましょうか。
わたくしもふと口をついて出るこの歌に、長い付き合いだなと思いつつ、何故か癒されるのであります。
この暗い歌に何故ひかれるのかといつも思うのですが、歌っていると何故か少し元気が出るのであります。
不思議であります。
♪ささやかな望み破れて♪も、♪哀しみに染まる瞳に♪
になっても「川は流れる」のであり、
♪ある人は心つめたく♪とも♪ある人は好きで別れて♪も、
「川は流れる」のであります。
川面に浮かぶ病葉をみつめ、孤独と哀愁を抱きしめる歌なのですが、しかし、この歌は、それだけにとどまらず、生きること
の悲哀を引き受け、生きるための希望を恋いうる歌となっている気がします。
孤独は空になく街にあり、悲惨は人になく人の間にあるのだと思ます。
三島由紀夫さんも愛したこの歌は、人としての悲しみを背負いながらも生きていこうとする人の再生を願った歌かも知れな
いと最近思っているのであります。
編集後記
もやいのメンバーの多くは、何らかの形で二次障害による健康被害に悩まされ、全員が顔を合わせるのが難しい日が続く
今日この頃、「健康」保持が大きな課題であるとしみじみ思うのであります。
体調管理に万全を期して、みんなで活動をすすめたいものであります。
二次障害に対する先進国デンマークの状況を詳しく知りたいなと思うこのごろであるのですが、それより禁煙が先だろう?と
いう声が・・・
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2013年02月10日発行
ページ1
-初詣・箱崎宮-
古い建物には、色んな物語が潜んで異空間を形作っているので、なんだか日常を離れ、厳かな気分で、自分のありようを
変えられる気がするのであります。逆に言えば、変えねばならない自分の至らなさがよく見えたりするのであります。
しかし、それでいて、強要されたり誘導されたりの圧迫感がないのが不思議であります。もやいもはそんな場所でありたいも
のです。自分を変え得るのは自分しかないのであります。なんておもっていたら、目の前に成人の迎えた振袖の素敵な女性
が、宮内で祖母と思われる人と記念写真を取られているのに遭遇したのであります。
車いすの祖母をいたわり、成人の喜びを分け合うかのように並んだ2人を、父親がうれしそうにカメラを抱えシャッター切った
のであります。
何気ない風景なのですが、そこに漂う空気にわたくしも記憶のシャッターを切ったのであります。カシャ!
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当事者が産み出すみんなの社会学
障害学・・・梅は咲いたか自立はまだかいな!
2012年を振り返るとき、象徴的な指標としての記念碑を人はそれぞれ持っているのでしょうが、わたくしは、一人の友人の
死を持って、2012年を記憶に止めることになるのだと思います。
その友人は、わたくしとは真逆キャラクターであり、真逆の人生を送ったのであります。共通するものは、同じ障害を抱えた
ことと、障害者差別に対峙する歌を作ったことくらいかもしれません。
その彼は、豊かな家庭でお坊ちゃま的に育ち、家業の倒産で債権者に追われ、苦しい生活の中、天才的なギャグを飛ばし
続け、どれだけの重度障害者を笑わせ元気づけたことでありましょう。
この「笑い」の人をひきつけるパワーは筑後地区に忽然と現れ消滅していった「障尊塾」を産み出し、固定化した障害者運
動に、新た運動のありようがあることを知らしめたのであります。
80年代後半という時代に、現代のキーワードになっている「協働」「イノベーション」をもち込んだのであります。恐るべき慧眼
であります。苦しい生活の中での障害者運動と並行して当事者主体の事業を展開し、大学の非常勤講師としても学生たち
に障害学を伝えていったのであります。エネルギッシュな人生であります。周りが求める障害者像や、障害者運動象など蹴
飛ばして、自分のやりたいことを自分流でやっていくというマグマがたぎっているのであります。このマグマはよく爆発し、笑
いという隕石となって降り注ぐので、みんなやけどをしたものでありました。
さて、最近は、公的制度の充実や、社会資源の充実で、重度の障害者の地域自立も進んだという言説が当然のように流
通しています。確かに自立のカタチとしては進んでいるのですが、彼のように、自分のやりたいことを自分流でやっていくと
いうマグマがたぎっているかといえば、そうではないような気がするのであります。
彼が作った反差別の歌には涙の痕跡を感じるのであります。それは、彼の障害者同士の連帯への思いを表しているわけで
すが、その連帯への思いも薄れているような気がします。
福祉サービスは個人化されているように、他者への思いもまた個人化されつつある気がしてならないのであります。おそらく、
彼のギャグや、ジョークに腹を抱えて笑い、世の不合理に意義を唱える歌声に共感を覚えたのも、彼のベースに、障害者
という他者に思いを馳せるマグマが存在したからではないかと、思うのであります。
「梅は咲いたが桜はまだ」であります。行きつ戻りつの自立の旅はまだまだつづくのでありましょう。
だよね。山下恭平君。
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クリスマスパーティー
12月20日。高齢の、いや、恒例のクリスマスパーティーを開催。木曜日のゲストを中心に、ささやかに盛り上がりました。
プレゼント交換も、毎年頭を悩ませながらも、安くていいものをそれぞれ選び、交換いたしました。
交換日記?なんてね!あーやっぱり高齢だ!
'12 忘年会
12月30日、高齢のいや、恒例の忘年会開催。前回の出し物サプライズは無声シネマでしたが、今回は、アニメ的紙芝居「で
んちざえもん」でありました。言語障害者堂々のアテレコ出演は、とても新鮮で、楽しめたのであります。
今年も小さな文化を楽しみましょう。最後はカラオケ大会となりました。
♪ウララ、ウララ、ウラウラよ♪と盛り上がっていったのでありました。
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シネマで愛して・・・ツレがうつになりまして
宮崎あおいさん演ずるハルさんのお日様のような満開の微笑と、堺雅人さん演じるツレのお月様のようなあいまいな微笑
と、物言わぬイグアナの住む一家の物語なのであります。
ほとんどのシーンが家の中という感じなので、コメディ風のおしゃれな舞台劇にもできるよね、と思ってしまうのですが、そこ
はシネマの世界。様々な小物を使ってシネマならではのファンタジーを演出するのであります。
「うつ」は風邪にかかったようなものであるというメッセージは、精神科医の北山修さんも本に書かれていましたが、このシネ
マでも発信されています。
それにしても、このご夫婦素敵であります。訪れた「うつ」に影響を受けながらも、この一家の生き方の文化の一つとしてこ
れはありなのだという、ゆるやかな受け入れがなされている気がするのであります。
クジラとモーツァルトというシネマがあります。発達障害のある若い男女のラブコメディ風シネマなのですがこのシネマを見た
ときにも思ったのであります。なにか障害がからむと、極端な啓発シネマや泣けるシネマ、がんばれシネマになってしまいが
ちなのですが、そうではないシネマが出てきているのであります。
そのシネマが発達障害を代表しているということではなく、その一部を生き生きと描いているようにこのシネマもまた、「うつ」
になった人を代表しているのではなく、私たちの場合はこうやって生きていますよというまなざしなのであります。
そうなると、物語を構えずに、比べずに見れますし、感情移入もスムーズにできて、シネマの醍醐味がより深く感じ取れるの
であります。
それにしてもハルさんの微笑みはとてもいいのであります。どんな薬より利きそうでありました。
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糸・・・中島みゆき
♪逢うべき糸に 出逢えることを 人は 仕合わせと 呼びます♪
この世は、障害に起因して、いや、もっと正しく言えば、障害に対する、社会の暮らしの文化が引き起こす化学反応と、その
反応の乱反射を受ける障害者やその家族との関係の中で、障害当事者やその家族があきらめた、本来あり得たかもしれ
ない人生であふれているのであります。
そういうことを思うとき、希望について考えます。その希望について考えるとき、いつも寄り添ってくれる歌がこの「糸」であり
ます。
90年代の中ごろ民間企業に就職した知的障害のある若者たちが、職場において厳しい虐待にあった実話を元に作られた
テレビドラマの主題歌でもあります。
♪縦の糸はあなた横の糸はわたし 織り成す布はいつか誰かを温め得るかもしれない♪
で始まるこの歌は、もう人生の先が見えたといっては、また、先が見えないといっては希望を棄てがちなわたしたちに、逢うべき糸が
あること、そして出逢えることを伝えるのであります。
そしてふと気づきます。希望はいつでも、どこからでもつくれるものであることを。
昨年行われた研修会の中で、発達障害の子を持つお母さんが講演中にこう言いました。「このままで、この子の先は見えてるんです
よね。だからわたしは枠にはまらずにこの子と色々やってみたいと思っています」この言葉には大切なものがいっぱい詰っているの
であります。なにより希望が詰っています。
このお母さんと子どもの希望という縦糸が、人権という横糸と出逢い、本来あり得る人生にむけて生きられんことを願ってやまないの
であります。
希望は、あなたやわたしより先には死なないのであります。
編集後記
"13年はどういう年になるのでしょうか?巳年になぞらえて、強引に色んなことが言えると思います。
なにかが「巳につく」「巳になる」そんな年になればいいのですが。
「巳からでた錆」「巳ての極楽住んでの地獄」ということもあり、油断はできないのでります。
一方、こういう言い伝えもあります。
「蛇は山に千年海に千年住めば竜になる」というのであります。
うーん、大切なのは継続なのかもしれませんね。本年もどうぞよろしくね!
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2012年8月10日発行
ページ1
-夏と呼ぶ-
夏と呼ぶ 汗にまみれし 夢ありて 遠雷となり 今も轟く
人には、忘れがたい体験というものがあり、それは身にしみるどにその人の活動の原風景として希望のロマ
ネスクとなっていくことがあります。
時がどんなに記憶を風化させようと、ある日突然轟く遠雷のように、あの日の原風景は現れるのであります。
わたくしの原風景は30年前の「障害者と健全者の交流サマーキャンプ」と名づけられたキャンプでありました。そのキャンプ
は、ある障害者団体が主催しており、県内各地から障害者と健全者の集まったそのキャンプは他の障害者が参加するいか
なるキャンプとも違っていたのであります。
何がって、料理やイベントではありません。料理はカレーであり、イベントは花火と平凡でありました。
違っていたのは、そのキャンプの存在そのもので、キャンプ全体を包む雰囲気です。空気です。雰囲気や空気が産み出す
「小宇宙」といってもいいかもしれません。
その「小宇宙」は、障害当事者として感じ取ってきた「私は管理されている、指導されている、哀れまれている」ではなく、なん
だか対等だぜ的であり、だれでも主体者だぜ的であり、自己否定を解き放つ風に包まれたのであります。
ワイルドだろう!であります。料理にしても私たちは一方的に与えられる存在ではなく、ハウスバーモンドカレーであったにせ
よ、料理をつくる主体として、ボランティアと共にカレーを作ったのであります。
恐ろしい暑さの中で恐ろしいくらいの汗が、障害者とボランティアから流れ落ち、ポタポタという共に生きる音が、キャンプ場
を包みこんだのであります。
夜、誰一人寝ないキャンプ場で星を見ていると体中の血管が元気に走り始め、私はこのまま狼男に変身するのではないか
という気がしたのであります。
あれから30年!なんだか綾小路きみまろ風ですが・・・夏の遠雷を聞くと、未だに夏の出来事を思い出すのであります。
あの日感じた感触にしばし浸ったならば、
いざ、熱中症に気をつけて、そうだ血圧にも気をつけて、なんとかこの夏を乗り切ろう!
ページ2
当事者が産み出すみんなの社会学
障害学・・・リンゴとミカン
むかし、むかし、ハデ国とジミ国という、とても仲の悪い国が、隣り合わせにありました。ハデ国の国民は、みんな何かにつ
けて表現がハデでした。天気がいいというだけで朝から歓声をあげ拍手がまきおこります。
王様が病気にでもなると国民は治るまで泣き叫びます。
隣のジミ国の国民は、表現がジミでした。天気がいいと少し唇をゆるめてしずかにしずかに仕事を始めます。王様が病気だ
と少し瞳をくもらせますが、よく見ていないとその変化はわかりません。
ある日、王様同士がいっしょにお食事をすることになりました。まず、ハデ国の王様が一緒に食事ができてうれしいとジミ国
の王様に抱きつき大げさに肩を叩くと、我慢しきれないようにお祝いの踊りを踊りだしました。
家来たちは大声で歌いだし大騒ぎになりました。ジミ国の王様と家来たちは、眉をひそめて、小さな声でつぶやきました。「な
んてうるさい下品な連中だ。我が国を攻めてくるつもりだな」続いて、ジミ国の王様が小さな声であいさつを行いました。家来
たちはうつむいて静かに聞いています。
ハデ国の王様と家来たちは大きな声で叫びました。「おかしな奴らだ、ちょっとも嬉しそうではないぞ、油断させて我が国
を攻めてくるつもりだな!」その声を聴いたジミ国の家来たちは全員武器を持って静かに立ち上がりました。
するとハデ国の家来たちも大慌てで全員武器を取り、立ち上がりました。両国の家来は、ヤリと刀を構えて今にも戦争がは
じまりそうになりました。
その時です、「待て」という大きな声がかかりました。ハデ国の王子でした。みんなが王子を見ました。すると「待って」と小さ
な声がかかりました。今度はジミ国の王女でした。みんなが王女を見ました。2人王様もそれぞれに息子と娘を見ました。
王子が大きな声で叫びます。「ジミ国のみなさん、ハデ国の一番おいしいリンゴを食べてください心を込めて作りました」続い
て、ジミ国の王女がささやくように言いました。
「ハデ国のみなさん、ジミ国の一番おいしいミカンを食べてください心を込めて作りました」両国の家来は右手に武器を持っ
たまま、それぞれリンゴとミカンを食べました。リンゴを食べたジミ国の王女と家来は、少し笑うと武器を置きました。ミカンを食べたハデ国の
王様と家来は、歓声を上げ、拍手をするために武器を置きました。
です」そうすると、ハデ国の家来たちからは大きな歓声とガッツポーズが、ジミ国の家来たちからは小さな歓声とガッツポー
ズが!二人の王様も肩を組んで歌い始めました。
家来たちはみんな入り混じってそれぞれの形で歓びを表現する踊りを始めました。
王子がミカンを手に王女に向かって大きく手を振ります。王女もまたリンゴを手に小さく手を振りました。
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大蛇山・2012 総踊りに参加!
大蛇山総踊りが、7月28日、国道309号を歩行者天国にした大正町おまつり広場であり、もやいも、大障協の一員として参加
しました。
まだまだ暑さが残る中での沿う総踊りですが、みんなで楽しんできました。
終了後みんなでもやいに戻り、いつものようにお疲れ様会をやりました。ビールがおいしかったのであります。
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もやいTシャツ'12”みなさんのお蔭で過去最高の売り上げ
残暑お見舞い申し上げます。
もやいTシャツ"'12の販売にご協力いただきました皆さん
ご協力ありがとうございました。
もやい一同、心よりお礼申し上げます。
お蔭さまで過去最高の売り上げを記録することができました。
多くの方にもやいもやいオリジナルTシャツを着てもらう喜び
「誰もが希望のランナーはやくゆっくり」というメッセージが広がる喜び
利益で福祉マップや自立マップなどを作る喜び
利益の一部を災害支援に寄付できる喜び
4つの喜びをみんなでかみしめています。
これからもよろしくお願いします
まだまだ厳しい暑さが続きます。
どうぞ、熱中症などには十分気をつけてお過ごし下さい。
地域活動支援センターもやい
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シネマで愛して・・・ALWAYS3丁目の夕日
シリーズ3作目となるこのシネマ。変わらず素朴な面白さに溢れていて、あざとくなく、不器用にまっすぐの力技によるギャグ
満載であります。特定の時代の特定の人々の、暮らしの中の出来事を描くというスタイルも変わらずでありまして。
「相変わらず」は一つの価値である!としみじみ思うのであります。懐かしい童話を手に取ったような安心感とうれしさを感じる
のでありました。
今回のシネマを貫くキーワードは、「出発」であります。「自立」といってもいいかもしれません。
「出発」は今暮らしている場所から離れることであり、「自立」は、人と人の依存的関係性から離れることです。
このシネマを彩る子ども達もそれぞれの出発と自立が、摩擦を起こし、疑惑や混乱を招く大騒動へ!の展開なのですが、や
がて、子供たちの意思は周囲の人々の深い他者への思いを呼び覚ますのであります。その風景は、このシネマを見る全て
の人が何らかの形で自分の人生の中で、通り過ぎてきた風景と重なるものでありましょう。
きれいごとばかりで見るに堪えないという批判もあります。おとぎ話だという指摘もあります。音楽が泣かせようと誘いすぎる
というやつあたりもあります。まあまあ、それも含めてシネマですからもっとおおらかに楽しみたいものです。
このシネマの背景には東京オリンピックがあります。今、毎日リアルタイムでロンドンオリンピックを見る中で、このシネマを
見たので、私の頭の中はオリンピックモード全開!
48年間を行ったり来たりしているときに、ロンドンパラリンピックに大牟田在住の人が出場するということを知りびっくり。
また偶然東京オリンピックが障害者スポーツを大きく進展させた歴史も知り、不思議な繋がりを感じたのであります。
このシネマに金メダルをあげたい気分です!
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春夏秋冬・・・泉谷しげる
♪季節のない町に生まれ 風のない丘に育ち 夢のない家を出て 愛のない人に会う♪
20代始め、熊本の学校の体育館で泉谷のコンサートを見たのであります。
乱暴な言葉遣いと、ギターのチューニングはやったのかと疑いたくなるほどの不協和音と、かすれ気味の吠えるような声に
圧倒されながらも、繊細で人の本質に迫る詩が、わたくしの人生にヨッ!と片手を上げて漂着するのでした。
全ての歌に反応したのですが、特に春夏秋冬には心が震えたのです。
生まれ、育ち、旅立ち、出会うという人の営みにおけるステージに、季節、風、夢、愛が不在であることを前提に出発するこ
の詩は、社会に対する底辺からの恨みの投石的歌が多い泉谷の中で、最終的に「今日で全てが始まるさ」に希望が託され
るように、同じく社会の底辺で阻害され、混乱し、自己否定に向かおうとする人々に、耳元でささやくようにつぶやかれ、や
がてそれぞれの心に侵入する詩として成立しています。
いや、そんな理屈はともかく、泉谷は私と同じように障害を抱え、中卒で、ギターのチューニングさえ妖しいが、それでも歌わ
ねばならずそして叫ばねば収まらぬ根拠を持ったシンガー泉谷に、私は自分を投影せざるをえなかったのかもしれません。
「山口百恵は菩薩である」という本がありましたが、それに因めば少なくともわたくし的には、泉谷しげるは当事者同士で支
えあう「セルフヘルプのシンガーである」ということになるのであります。
編集後記
大牟田在住の26歳の青年が、オリンピックの車いすテニス最重度の部門に出場するために、ロンドンへ飛び立つのであり
ます。 人は様々なものを通じて自分を表現する生きものだと思いますが、スポーツもその一つであります。
ロンドンの空の下で精一杯自分を表現してきて欲しいなと思いますし、表現できる事柄に出会えた幸せを満喫してきて欲しいなと思わずにはいられません。障害があると、なかなか自己表現できる事柄と出
会うことが困難になりがちです。
そう思うと、使い古された言葉ですが障害者の「社会参加」を進めることが、事柄との出会いを進めることにつながるのだ
と、あらためて思う夏なのでありました。
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2012年4月10日発行
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-散る花を惜しむ心やとどまりて-
散る花を 惜しむ心やとどまりて また来ん春の たねになるべき
桜の見事な美しさと出会うと、ドキッとするときがあります。
見入っていると、どこか知らない世界に連れて行かれそうな気がして、少しあわてるのであります。
桜は何故こんなにも美しく危なげなのかと思います。
そんな時、「桜の樹の下にはしたいが埋まっている!」断定する出だしで始まる梶井基次郎の「桜の樹の下には」という掌
編を思い出すのであります。
それは小説というよりも散文詩に近い作品ですが、美しさの裏側に残酷見ることで美しさを受け止めようとする男の独り言
で構成されているのであります。印象に残る作品です。美しいものは、人の想像力を誘惑するのであります。
さてさて、今年の桜はもう散りゆきましたが、来年の今頃、「桜の樹下には」障害当事者や家族や支援者の人権と生活に大
きな影響を与える「総合支援法」が施行されます。この法律の骨格を作る総合福祉部会は画期的で「私たち抜きにわたした
ちのことを決めないで」を合言葉に、当事者・家族・支援団体が参加し、議論を尽くして骨格を作り上げたのでした。
しかし、厚生省や政治家の判断で、そのほとんどは採用されず、継続審議に回され、厚生省案が国会に提出されました。
無念であります。
来年の春、私たちは満開の桜したで、「桜の樹の下には無念が埋まっている!」ことを再確認せざるを得ません。
ほろ苦い花見になりそうであります。桜前線と共に「あ〜あ」というため息が日本列島を北上していくでありましょう。
しかし、しかし、私たちの共に生きる文化の取り組みは、挫折が恋人、無念が友達でやってきたのであります。
これくらいで留まるものではありません。
生きる現場で、みんなの力を寄せて、あきらめることなく共に生きる文化を耕していきましょう。
我ら、「また来ん春の たねになるべき」であります。
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わらび家のみなさまへ
わらび家のみなさま、お元気でしょうか?
いつもいつも、「わらび通信」ありがとうございます。
手書きで、人の香りが匂いたつ通信をいただきはじめて、もう、20年を超えるのではないでしょうか。
読むたびに、精神障害を抱えながら生きることで起きる不安や、きつさ。ささやかな楽しみや喜び、何かを気取らない、何か
を目指さない、何かを決め付けない、等身大の日々の暮らしの風景が目に浮かびます。
もやいも又、その始まりのときから精神障害のある人たちが時々訪れてくれますので、色んなお話しが聞けて、今も楽しい
時間が過ごせたりします。
通信のスケジュールを見ると、夕食会がとても大事にされているのですね。もやいも週1回、食事会をしながら話をします。
が、一緒にご飯を食べるというのは大切だなと思います。
また、よくありがちないろんな行事がてんこ盛り的なところがなく、もやいと一緒で、ゆったりとした時間が流れているような
気がして、親しみを感じてしまいます。
昔は、全国的にも、スローライフ的な居場所が多かったのですが、今は少なくなってきました。
福岡市という大都会の中にわらび家というゆったりとした居場所があるのは、うれしい限りです。
今後も通信を楽しみにしています。
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人はみんな希望のランナー
もやいTシャツ・2012
毎年、毎年、ご協力本当にありがとうございます。
もやい2012オリジナルTシャツのキーワードはマラソンであります。
一人ひとりの個性を認め合い、一人ひとりの個性を輝かせたい。
そんな思いをもってみんなでデザインしました。
私たちの望むマラソンは競走ではなく、共走であります。
5月より販売開始となります。
ゆるキャラ「じゃじゃりこ大ちゃん」と「かませの大ちゃん」と共に
今年の夏を駆け抜けてくださいね! どうぞよろしくお願いします。
Tシャツの主題歌「はやくゆっくり」もYouTubeで流れます。
きみのペースで、ぼくのテンポで
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こんにちは!って感じで、ウタえもん美術展に出展す!
★もやいのドラえもんこと、ウタえもん?「塚本宇耐」さんは、絵の勉強をしてますが、このたび「西部美術学園展」に作品を出
展しました。天気のいい日、もやいのメンバーと出展会場に赴きました。
会場はなんだか、心がいやされる感じで、とても心地よい世界でありました。
ウタさんの作品も、ウタさんワ ールド全開でありまして、お約束に縛られない自由な翼で気持ちよく空を飛んでいる。
そんな気がする作品でありました。
この作品を前にすると、誰もが心の戒厳令を解くでありましょう。実に、平和をもたらすアートであります。
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シネマで愛して・・・パピヨン
「脱獄」シネマには、とてもとても弱いワタクシであります。
特に「脱」という字には、ロマンを感じてしまいます。ここをいつか脱することで、生きなおしができるのだと、最後の希望が
ささやくからでありましょう。
このささやきが、天使のささやきなのか、悪魔の罠なのかは運次第ではありますが・・・。
その脱獄シネマで初めて感動したのが、このパピヨンであります。そして最後に感動したのがショーシャンクでありました。
この2作を超えるものは出てこない気がします。さて、このシネマ、スティーブマックイーンとダスティンホフマンの熱演が何
といっても素晴らしいのですが、音楽がその熱演を鎮めるように落ち着いているのがとても心地よかったのであります。
ものがたりは、実話をもとにしていますので、とてもリアルで、脱獄の日までの気の遠くなる努力と、それを支える強靭な意
志の存在が、色んなエピソードを重ねる中で見えてくるのであります。ショーシャンクもそうですが、獄の中でも、いや獄の中
だからこそかもしれませんが、友情もまた芽生えてくるのです。
その日が少しづつ近づいてくるたびに、見ているだけのワタクシも緊張を高めたのであります。いよいよ脱出のの瞬間、脱
出を試みる勇気をなくしたドガ(ダスティンホフマン)は残ることを選択し、主役のパピオン(スティーブマックイーン)と抱き合
い、別れを告げるのであります。
海に飛び込んだパピオンが波に乗り自由の身になった見届けるドガ。このシーンほど切なく、胸に迫るものはないのであ
ります。そして、これでもかと、哀愁そのものをメロディーにした音楽が、これでもかこれでもかと胸を揺さぶるのでありまし
た。熱い友情を築き、同じ夢を見た2人を、最後の最後で、脱する者と残る者に、分けたものはなんなので在りましょうか?
いまだに考えさせられるのであります。
このシネマの原作になった小説があるとのこと、40年ぶりに活字で脱獄ドラマを見てみようかなと思うのでありました。
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記念樹・・・小坂一也
♪それでも寂しきゃ 大きな声で 呼んでみるのさ 母さんと♪
テレビが、物語りのチカラを持っていた時代が、確かにあったのであります。
大げさに言えば、テレビと私たちの暮らしが重なり、共に泣き笑えた時代。その時テレビからテレビから流れる歌は、心に染
み入るものでありました。
その中には、未だに胸に迫る歌があるのです。60年代を一世風靡したシンガー小坂一也が、静かに歌った「記念樹」であり
ます。この歌は、1960年代中ごろのテレビドラマ「記念樹」の主題歌でありました。
身寄りのない子供たちが集う施設を舞台にしたこのドラマは、施設で育った子供たち一人一人が、世間に出て、社会の偏
見と拒絶中で、苦しみ悶える姿を毎回描きだすのであります。
しかし、さまざまな困難に出会いながらも、みんなで植えた記念樹の桜の木が、苦しむ子供たちと、施設職員の心の絆をつ
なぐのでありました。
私は障害児施設の中で毎週見ていたのですが、そのたびに、自分の現在と未来を暗示するようで、毎回胸をしめつけられ
る気がしたものです。ドラマの山場でこの歌が流れるのです。
♪桜の苗が大きく育つ頃 僕らはみんな大人になるんだ♪すると涙の堰が切れるのでありました。
生きている限り寄りそってくれる歌が誰にも1つはあるはずですが、私にはこの歌がそうなのであります。
桜が咲くたびにこの歌が胸の奥で咲いてくれるのであります。
編集後記
当事者参加で作られた骨格提言が活かされなかった「総合支援法」のドラマを見ていると、組織や我が身の思惑や都合優
先の「術を知る者」と、つらい体験を共有化し共に生きる思いを抱いた「道を知る者」の文化の衝突だったように思えます。
今回は、「術を知る者」の案が法律となっていくのですが、「道を知る者」は、なに変わることのない歩みを進め、よりよい「総
合支援法」を目指していくことでしょう。
その道の行つく先は、満開の桜のように「術を知る者」も含めたすべての人の人権とエンパワメントができる地域社会である
はずです。
あー、その桜の下でこそ花見をして、心底酔える酒を飲みたいものですね。
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2012年1月10日発行
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-有り得た人生を-
有り得た人生を産み出す舞台を
誰にも言えないけれど、ある日ふと心の奥底から浮上する「有り得たかもしれないもう1つの人生を生きる私」を想
像すると、ヤバイことに、切なさと愛しさで、心が「グラリ」と揺れるのであります。
見渡せば、この世は生きられなかった「有り得た人生」で溢れているのであります。
そこに「障害」が加わると障害に起因した社会とのかかわりの中で、「有り得た人生」そして当然「有り得なければならない人
生」が使われることなく、あきらめという名の倉庫にしまわれがちであります。
いや、もっと正しく言いましょう。障害当事者だけでなく、例えばその母親や父親や兄弟達が、もっと言えば障害当事者が愛
する恋人や、妻や夫や子どもが、「本来は有り得た人生」を産み出すはずはずの舞台を奪われている現実もあるのであります。
誰もが「有り得た人生」にため息をつくのですが、それが障害に起因する社会との関係、障害を取り巻く文化によってつかさ
れるとき、障害当事者の自尊感情は損なわれるのであります。
おそらくは、障害当事者やその家族、支援者。障害者に思いを馳せる人々によって進められる障害者福祉の取り組み
は、「有り得なければならない人生」はもちろん、「有り得た人生」を産み出す舞台を、この地域に作り出す営みであります。
そしてそれは、障害の有る無しに関係なく、人として、誰もが「有り得た人生」を産み出せる舞台づくりに連なるものでありま
す。2012年。障害当事者の皆さん!その家族の皆さん!応援してくれる全ての皆さん!本年も、人が真ん中の文化を共に
つくってまいりましょう。
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もやいのスピードとテンポで2011年を、早くゆっくり駆け抜けました!
障害当事者で運営されるもやいの世界は、例えばGNP最優先みたいな成長・競争主義にはついていけないし、かといっ
て、何もしないのもおもしろくないので、なんとなく自分のやりたいことや好きなことがあればそれをやろうよね!という感じで
す。そしてもうひとつ、全ての障害者がやりたいことや好きなことをやれるようになれば嬉しいので、そんな社会にするため
の活動もやっています。
そのときはみんなで一つのことを協力しあってやっています。みんな色んな差別を受けてきているのでそれぞれ濃いキャラ
がそろっていて、信じられない出来事も起こったりと波乱万丈で、なんだかひょっこりひょうたん島みたいです。
いろいろぶつかり合いもありますが、それも大事なことのような気がします。
ただ、ここのところ、もやいの文化活動が少ないので寂しい気がします。そのかわりに、もやいの忘年会用に、ショートシネ
マの無声映画「もやい版・赤ずきんちゃん」をつくって楽しみました。2012年は、何か面白い文化活動をやれればと思います。
さて、年の初めに、東日本大震災で苦しむ障害者の皆さんやその家族の皆さん、そして支援者の皆さんにエールを贈りたい
と思います。私たちもここで東日本のことを忘れずに日々の活動を進めることで皆さんとつながっていきたいと思います。
いつももやいを応援してくれるみなさん、今年もよろしくお願いします。
◆作業風景
各人、やりたいことを勝手にシンドバットであります。
◆イオンでのバザー
とても新鮮でございました。お買い物もできて助かりました。
◆文化会館でのバザー
室内ということもあり、静かなので落ち着いて選んでもらえるのであります。
◆恵愛園でのバザー
いろんな人に会えるのもバザーの楽しみの一つであります。
◆サンアビ祭でのバザー
雨も降りましたが、東日本震災のバザーもあり有意義な祭りとなりました。
◆秋のレクレーション
おいしい巨峰を求めて田主丸方向へ!
あたたかな秋晴れの中、のどかな三連水車に心を和ませる一同でありました。
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クリスマスだよ さぁ1杯!
★♪12月はクリスマスで酒が飲めるぞ!酒が飲める飲めるぞ酒が飲めるぞ♪
ということでクリスマス会開催!この日の主役は2歳の女の子「瑠奈(ルナ)」ちゃんでありました。
その日から1週間後・・・・・
★12月は忘年会は酒が飲めるぞ!酒が飲める飲めるぞ酒が飲めるぞ♪
ということで忘年会を開催!温泉で1年間の疲れを落とし今年最後の宴が終了しました。
◎毎年恒例のクリスマス会は、12月22日に開催されました。担当の人が食事の手配や小さな企画を準備してくれました。
プレゼント交換やカラオケなど行いながら、みんなで楽しんだのであります。
入院で来れなかった人も何人かいて残念でしたが、飛び入りを含めてにぎやかなパーティーとなりました
忘年会だよ もう1杯!
◎SOSの事務局忘年会は、12月30日にいつもの温泉で1年間の疲れを取り乾杯!
飲んで、語って、歌って
そして久しぶりにつくったショートシネマ第3弾
アニメと実写と無声映画の組み合わせという「赤ずきんちゃん」の上映で盛り上がりピークに!
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シネマで愛して・・・最後の忠臣蔵
最近、時代小説を読むせいでありましょうか、つられてシネマも「武士の家計簿」やら「桜田門外ノ変」やらと色々見たのであ
ります。今年見た中で、心の奥深いところにささやきかけてきたシネマは2時間20分を超える長〜い、このシネマだけであり
ました。
なんと忠臣蔵というスタンダードな物語に、なにを今更?と思うのでありますが、このシネマは、忠臣蔵の討ち入り後16年経
過したころから話が始まるフィクションであります。
な〜んだフィクションなどと侮ってはなりません。なんだか武士道とは、今死する事で成立するようなところがあるのですが、
このシネマでは、死なずに汚名を浴びて生き延びることで成立することもあるのだと教えてくれるのであります。
「忠義。そして忠義を守るという信念」討ち入り直前に大石内蔵助の極命を受け、討ち入りという悲願を奪われ、死ぬ機会さ
え奪われた浪士の16年間を支えたのはこの信念でありました。
しかし、討ち入りという自己実現を奪われながら、誰からもどこからも、評価されることの無い、世捨て人のような暮らしの中
においても人はこうも矜持をもって生きられるのだと、少しづつ心が温まってきたのであります。
この浪士の役を役所広司さんが、落ち着いた佇まいと目線で演じてくれて、フィクション性を忘れさせ、このシネマをマジ、リ
アルにしているのであります。拍手パチパチであります。
長〜いシネマといいましたが、最後の方に人であることの幸せを感じさせてくれるシーンが用意してあるのでありました。
「フィルドオブドリームス」のラストシーンを彷彿とさせるそのシーンと、16年間の役目を果たした浪士の一人で迎える最期の
シーンがこのシネマを名作にしているのであります。
「忠臣蔵」自体もう御伽新のような存在なのでありますが、その上に、もう一つの御伽新を重ねることで、「忠臣蔵」という、長
い間この国で語り継がれる物語に託された本質が、さらに豊かに、深く、表現されたのであります。
それは、武士道という小さな虚構を超えて、一人の人間に宿っている人であり続けようとする静かな覚悟と揺るがない暮ら
しの風景でありました。
原作者は誰か知りませんが、鳴り止まぬ拍手を贈りたいものであります。本年もシネマに愛されたいものです。
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夜明けのスキャット・・・由紀さおり
♪ルールルルル ルールルルル ルールルルル ルルルル ラーララララ ラーララララ♪
42年前、わたくしはラジオだけが友達でありました。朝も昼も夜も深夜も、ラジオは天気のありようを語り続け、人の仕出
かす出来事を伝え続け、そして、様々な歌を届け続けたものです。
わたくしは耳に届く音を聞きながら、18歳の青春の無人島で、わたくしの居場所は、この小さな音を運ぶ箱の中にしかないのではと
思い始めていました。どうも社会という大きな箱の中には入れてもらえないのだと思わざるを得ない体験を繰り返すたびに、それは確
信に近いものとなっていました。
なんともまぁ、静かで暗い青春でありました。その中で歌は唯一心に寄せてくるさざ波のようで、この波に乗ってわたくしは、社会を超
える世界を獲得するのではないかと夢想したものでした。
このうぬぼれはけっこうわたくしを支えてくれたのであります。想像力は鳥よりも高く飛び、花よりも美しく咲くことを教えてくれた歌た
ちの中で、一番わたくしを挑発したのはこの歌でありまた。ほとんど言葉のないこの歌は、わたくしをなぐさめ、はげまし、なにより甘
美に挑発したのであります。
わたくしは透明でゆるぎない音程のスキャットに包まれながら、その美しさに対峙できることばを探したのでありました。
最近、この歌が偶然外国のピアニストの手にとられ、今世界的ヒットとなり再び脚光を浴びています。
わたくしは、しばらくぶりに再会したこの歌に、少しの気恥ずかしさをもって手をふるのであります。「やぁー久しぶり!」
編集後記
最近、「オール大牟田」という言い方が増えました。いい発想なのでしょうが「なぜそうなのか」の説明が不足していて合理
的になりえていません。
しかし、障害者施策についていえば、もうずいぶん前から、すべての人の暮らしやすさを実現する社会施策だと説明してき
ました。
障害者と女性の自立はイコールであり、身体機能の衰えた高齢者の社会参加促進とイコールであり、障害者が働くことは
経済活性化とイコールであり・・・etc。障害者施策こそオール大牟田で!
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2011年8月10日発行
ページ1
-それでも徒労の数を数えるな-
それでも 徒労の数を数えるな!
「心が折れる」という言葉が良く聞かれるのであります。「あの状況でよく心が折れませんでしたね?」とアナウンサーも、「心
は折らずにマニュフェストを実現する!」と政治家も言います。
心ってやつは折れるぐらいだから元々硬いのだと思い込んでしまいそうです。果たして心は硬いのか?が問いたいわけでは
ないのですが、もし折れのるなら何故折れるのか、その要因について知りたいと思うのであります。
人は何かを求めて努力をする生き物ですが、その「努力が叶わないとき心が折れるのだ」というわかりやすい仮説で間違っ
てもいないのですが、でも、心が傷つきはするのでしょうが折れることはない気がします。なぜなら求めたものは得られな
いにしろ、そのための努力はしたのだというある種の「意味」が存在するからです。
その意味は傷を癒す薬にもなりえるものです。むしろ「意味」が存在しないときが問題ではないかと思います。何かを求めさ
の実現のためにした努力が何の意味も見出せない行為があったとしたら、人はその無意味な自己犠牲に耐ええるのでしょ
うか?かなり困難かもしれません。
「徒労」という言葉がありますが、その言葉にはそういう状況を含む響きがあります。だらでしょうか、私は今まで重ねてきた
徒労の数を数えてはため息と舌打ちを繰り返してきました。これは多くの人にもありがちのような気がします。
障害者福祉の現場でも当事者、その家族、支援者問わず日々活動の中で誰もが徒労を繰り返し、ため息とともに汗と涙の
詰まった徒労の数をついつい数えてしまいがちです。
しかし、よくよく考えれば無意味さの前には何かを求めた思いがあるはずです。そうであるなら思いが産み出す行為の全て
に無意味さは存在しないはずです。
だとしたに、本当に心を折るものは無意味さでなく、徒労の数を数えてしまうこと自体にあるのかもしれません。
徒労の数を数えない。そんなことができるはずもないのでしょうが、それでも徒労の数を数えるなと自分に言い聞かせること
はできます。私もそうしたいなと最近思うのです。
いや、徒労だけでなく、年の数も数えたくないのですが・・・。
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新大牟田駅のバリアフリーを学ぶ!
身障連の健康促進とサン・アビの共催で毎年行われている「ふれあい勉強会」に参加し、新大牟田駅のバリアフリーを学ん
できました。
注目は転落防止のホームドアです。全国で視力障害者の人の転落死が続いていますが、このホームドアを設置した駅で
は、転落事故はゼロが続いているそうです。ただコストの面で設置が広がらないのはとても残念です。
でも、新大牟田駅に設置されたのはとてもうれしい!
今回仕入れた新大牟田駅と、大牟田駅のエレベーターも取材したので、近いうちに福祉マップにUPしたいと思います。
夏が来ればやって来るペダルの音セミの声
もやいには、時々いろんな人が尋ねてくれる
夏の客人は、なんといっても
鹿児島から長崎まで自転車で行くピースサイクルだ
ひたすら平和を祈ってペダルを漕ぐ客人であります
今年の夏はチームではなく森谷和司さんが
一人でやって来てくれた
もやいでしばらく休息された後
息つく暇もなく長崎を目指して出発されました
目的地を目指す思いや意志の強さはもちろんですが
完走を可能にするための苛酷なトレーニング
仕事の合間にこなしていくことに耐える体力は
すごいなと思います
立ち去られる後ろ姿を見送りながら
無事を祈るのみでありました
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東日本大震災復興プロジェクトへ Tシャツ売り上げの一部をカンパ
東日本で起きた大震災は、多くの尊い人命を奪い、人の日々の暮らしを成り立たせていた建物を破壊しました。
本当に心が痛みます。少しでも現地の復興に役立てばと、みんなで話し合い、今年のTシャツの売り上げの一部を「東日本
大震災復興プロジェクトおおむた」の支援金に使ってもらおうと8月9日カンパを渡してきました。
これも、Tシャツを買ってもらった皆さんのお陰です。あらためて感謝します。ありがとうございました。
当日は、忙しい中プロジェクトの西村代表じきじきに受け取っていただきました。ありがとうございました。
現地の一日も早い復興を心から願いたいと思います。
大牟田での防災体制に障害のある人たちへの合理的配慮が盛り込まれるよう、私たちも活動していかねばと思います。
Tシャツ販売へのご協力ありがとうございました
2011年度「もやいオリジナルTシャツあしたのワン・あしたのニャン」の販売ご協力いただいた皆様、本当にありがとうござい
ました。皆様のお陰で私たちの予想を超える売れ行きとなりました。心よりお礼申し上げます。
昔むかし、もやいでやっていた「障害者と健全者のサマーキャンプ」の中から生まれたTシャツ作りも、20年を過ぎました。
今も昔も、一つ一つアイロンをかけていく手作業や、障害当事者でデザインやメッセージを決めることなど、何も変わることなく
やり続けています。どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
〜もやい一同〜
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第2回 イオンモールのえがおまつり!
イオンは広いな大きいな♪と、しみじみ思います。
さて、第2回目になる、大障協アンテナショップと一品堂のコラボでやり始めたこの企画も2回目。
企画自体の統一感を出すために、つくられた「えがおまつり」と書かれた旗がひるがえり、全体の雰囲気を盛り上げてくれま
した。もやいでは前回に引き続き、切り絵しおりやTシャツなどの販売をしました。
会場全体がバリアフリーで広いので電動車いすで動きやすくて助かりますし、トイレの心配も無いので気が楽です。
それと、雨の心配もないのであります。心配事はただ一つ売れるかな?であります。
第1回目ほどには売れなかったのでありますが、次に出るときには新製品を開発し売りたいと思います。
いろんなを試しながら進化していこう!
皆様へ
早秋のみぎり
みなさま健やかにお過ごしのことと思います
常日頃より、様々な場所から様々な形の応援本当にありがとうございます
夏の終わりを何で感じるのかは、これも様々でありますが
もやいはTシャツの製造が一段落した今、夏の終わりを実感しているところです
さてさて、夏が去り、早秋の風が吹き、今年度後半戦が始まりますが、もやいは
それぞれの特性をいかした新製品の開発と各種マップの更新に取り掛かります
皆様も夏の疲れに気をつけられて、良き秋をお迎えください
〜もやい一同〜
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法律を友達に、自立を恋人に!
(改正)障害者基本法成立!
障害者の定義を見直し、社会的な障壁を取り除くための配慮を行政などに求めた改正障害者基本法が成立しました。
これは、2006年に国連総会で採択された障害者権利条約の批准に必要な法整備の一環であります。障害の有無にかかわら
ず、人格と個性を尊重する「共生社会」の実現を目的に掲げました。
ポイントは障害者の定義を、制度や慣行など社会的障壁により日常・社会参加に相当な制限を受ける状態にあるもの、とひ
ろげたことであります。
障害者が社会参加できない理由には社会の側のバリアーがあるよという私たちがいってきた「社会モデル」が採用されてい
ます。ほかには、円滑な投票のための投票所の整備や、裁判など司法手続きの祭に手話など障害者の特性に応じた意思
疎通の手段を確保することの配慮、関係職員に対する研修などを義務づけています。
教育については、市町村教委によって障害のある子どもの受け入れ対応が異なるため、本人や保護者に対し、「十分な情
報を提供し、可能な限りその意向を尊重しなければならない」と定めました。
また、東日本大震災で障害者に避難情報が伝わらなかったケースを踏まえ、防災・防犯について必要な施策を講じることも義務づけられ
たのであります。
この基本法の掲げる「共生社会」実現ために、必要な福祉サービスを統括する法律が今検討中の「総合福祉法」なります。
少しややこしいので整理しますと、まずこの国の最高の法律は「憲法」です。その下に「国連の権利条約」がきます。
その下に「障害者基本法」がきます。その下に「総合福祉法」「虐待防止法」「差別禁止法」が横並びにきます。
★もやいでは、法律を友達に自立を恋人に!を合い言葉に、わかりやすい学習会を始めていきたいと思います。
できた法律を私たち自身が知らなくては意味がありませんので、少し頑張って障害当事者の視点かを活かし自分たち自
身で法律を読み解いていきたいと思います。
そして、今後の自立生活運動に活用していきたいと思います。
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ワルツ・・・ 友川かずき
♪冬空をけちらして君 いざり来る 春もまたある♪
♪流れてそして君 ボロボロになるのだや君
ただ単にシンプルなメロディーと詩でできている歌と、シンプルではあるが、一度地獄に下降し、そこから立ち上がってきた
メロディーと詩でできている歌は、シンプルさで同じですが深さで違ってきます。友川かずきさんは、デビュー以来、後者の歌
作りをやり続けています。友川さんを特徴づけるものに鉄道自殺を遂げた弟さんに捧げる歌に象徴される慟哭の歌唱スタイ
ルがあります。それには賛否両論あり好き嫌いがはっきり分かれるところでしょうが、その歌唱は何故か心を激しく揺さぶる
瞬間があります。
♪晒すのが恥しかない ありのままあらん限り
もうひとつ友川さんを特徴付けるのは故郷です。秋田県北部に生まれたことです。太宰治のように、故郷がその創作の根
拠地になっている気がします。それは画家としての友川さんの色彩にも表れている気がします。
そう、このワルツの詩の中にも出てくる「君」が「チミ」と歌われるように、言葉のありようもまたそうであります。
♪切なさを生きて君 前向きになるのだや君
印象に残る歌が多いのですが、なぜかこのワルツが心にしみるのであります。良く聞けばメロディーの美しさに心が乗せら
れていく感じがします。
♪冬空をけちらして君 いざり来る 春もまたある
美しいメロディーに誘われワルツを舞う心に、届く詩は心の穴にストーンと落ち、心の深いところへたどり着くのであります。
言葉の霊媒師は、今夜も小さなライブ会場で慟哭しているのであります。
編集後記
国連の障害者権利条約に合わせるために、基本法が改正され、虐待防止法が成立。
また、総合福祉法と差別禁止法の成立に向けた準備が進んでいます。
この法律ができれば、国内の法律(労働法・教育法等)もいくつかそれに合わせた改定が行われます。
法律のありようで障害当事者やその関係者の暮らしが劇的に変わることとなります。
みなさま、この秋法律の行方をどうぞ注視してくださいね!
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2011年6月10日発行
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-朝早く本を読む癖-
朝早く本を読む癖がつきまして、といっても30分程度ですが、なかなかいいものです。本を読みながらだと、なぜかインスタ
ントコーヒーもたばこも、さらにおいしく感じるのであります。
今は主に時代劇を読むのでありますが、その中で最近知って面白かったのは、柳生家の家訓であります。柳生一族という
と、なんだか千葉真一さんが今にも現れそうで・・・その家訓とは「小才は縁に出会って縁に気づかず、中才は縁に気づいて
縁を活かさず、大才は袖刷りあうは他生の縁と活かして使う」であります。
なんとなんとネットワークの重要性を説いているのでありませんか。さすが柳生一族文武両道であります。NHKのニュースよ
りも時代劇の一冊が「現代に必要なニュース」を伝えてくれるのであります。
ビフォーアフターではありませんが「まあ、なんということでしょう!」であります。大災害などが起きたとは、普段の暮らしの中
でのネットワークができているかが問われます。私たちも柳生一族に学ばなければいけないのであります。
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5月3日長洲金魚祭りにおじゃま虫
災い転じて福となす!
妖しげな天気でありましたが、ついに雨が・・・トホホホ。
と思いきや、なんとなんともやいは大量のレインコートを持ってきていたのです。でかした!
販売したところ飛ぶように売れたのでありました。喜びが隠せず、腰に手を当て高笑いをしたのであります。
「ピンチをチャンスに」「災いを福に」の一日でありました。
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もやいオリジナル夏Tシャツ
あしたのワン あしたのニャン
皆々様、夏でございます。
Tシャツでございます。もやいでございます。毎年お買い上げ本当にありがとうございます!
希望は終わらない〜どんなにつらくても明日へのあしあとをつづける人へエールを〜これが2011年のテーマです。
売り上げの利益はいつものように、福祉マップや自立マップ、温泉マップの社会参加情報の追加と更新活動に使わせていた
だきます。どうぞよろしくお願いいたします。
皆々様、素敵な夏をお過ごしくださいね。
だれだって あしあとをつづければ あしたのジョーだ!
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5月5日・・NPO法人・SOS総会を開催しました。
SOS総会を開催しました。'10年度の事業報告や決算報告。'11年度の事業案や予算案を審議しました。全議案承認され、
今年度もマイペースでやっていこうということになりました。事業案の基本方針は下記のとおりです。
総会終了後は、交流会に切り替えて狭い事務所の中でささやかな食事会を行いました。ゴールデンウイークの真っ最中に、
のんびりとした時間が流れたのでした。
基本方針ーだれでも、あしたのジョーなのだ!
障害者と自立と社会参加は、障害当事者が中心になってつくっていかなければいけません。
中島みゆきが叫ぶように「おまえのオールは任せるな」であります。まず第一に、わたしたちは、主体性を大事にしましょう。
自分自身をしっかり持ちましょう。そして第二に、わたしたちは、同じ障害者を大事にしましょう。差別を受けたもの同士が
力を合わせなければ差別はなくなりません。
さらに第三に、わたしたちは、まだ外に出していない自分の才能を探して引き出していきましょう。
そして最後に、わたしたちは主体性を持ち力を合わせ、自分の持っている才能を発揮し、いろんな人と連帯し地域という名
のリングで、いつの日か差別をKOする「あしたのジョー」になりましょう。
障害学/暗号を解読しよう
一方的な事ってけっこう人生にはありがちです。大概その時は多数派に対してというのが多いのであります。
しかし、多数派に従え式の傲慢さが産み出す「支配文化」を無邪気に信仰してはいけないのであります。とくに最近おもうの
は、発達障害のある人たちのことであります。
彼ら彼女らは暮らしの中で、特にコミュニケーションおいて様々な困難に出会います。周囲の人たちも彼ら彼女らにどう対応
すればいいのか途方にくれて結局は「意思疎通ができない困った人たち」という一方的な決め付けに到着します。でもよく想
像してみましょう。そうイマジンです。
彼ら彼女らは、社会に溶け込もうと家族や支援者と共に努力しています。なぜそうしなければいけないのか・・彼ら彼女らに
は、他の人たちの言葉や概念や態度や思惑などによるコミュニケーション文化は、まるで暗号みたいで解読不能なのであり
ます。
「ちょっと待って」とはよく使う言葉なのですが、その「ちょっと」を私たちは概ねどのくらいの時間域は期間を推測できます。
なぜでしょう?それは、言葉を成立させている状況や経験や関係性などを総合的に判断するからです。それが苦手な彼ら彼
女らは、文字やイラストなど視覚的な方法でその暗号を解読しようとしているのです。そのための支援プログラム「ソーシャル
ストーリー」が成果を挙げて注目を浴びています。
しかし、ここでふと思います。彼ら彼女らもまたそれぞれのコミュニケーション文化を持っていて、それは私たちにとって理解
できにくい暗号になっているということです。そうであるならば、私たちにも彼ら彼女らのコミュニケーション文化を理解するた
めに暗号を解読するソーシャルストーリーが必要ではないかと思うのです。発達障害とそうでない人の間に橋のない川があ
るのなら、両岸から橋を架けていく努力がされなければなりません。
そういう努力や営みが「合理的配慮」の基本姿勢になっていかないといけないと思います。
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ヨイトマケの唄・・・美和明宏
♪どんなきれいな声よりも 僕を励ましなぐさめた 母ちゃんの唄こそ世界一♪
放送禁止歌といわれ、メディアで聞けない歌が昔は多かったのであります。
しかし、不思議なことにその中には、心をわしづかみする名曲があったりします。この唄もそうであります。小学生の頃聞い
たのですが、意味もよくわからずに心がジーンとした記憶があります。「職場に貴賎なし」とか「差別はいけない」と学校で
習ったのに、現実はそうではないと身に沁みていたせいかもしれません。
おまけに、三輪(当時は丸山)さんがテレビでこの歌を歌い終えて、「実はわたくし・・」と、今で言う性同一性障害であることを
カミングアウトしたのにも衝撃を受けたのでありました。
多くの人に感動を与えたこの歌も、禁止歌としてパンドラの箱に入れられ、もう日の目を見る事はないと思っていたのです
が、突然パンドラの箱を開け、この歌を取り出し堂々とテレビで歌う人が現れました。
サザンの桑田佳祐さんであります。そり以後、多くの歌手がこの歌をカバーしています。この歌の持つ主題をしてこうも多く
の歌手をひきつけるのであります。
私の好きな歌手の一人である泉谷しげるさんもまた、この歌を歌っている一人であります。彼の野太い声もまた味があるの
であります。
大人になってこの歌を聞きなおすと三輪さんの人生と桑田さん始め、歌手の人たちとつながる半世紀にわたるドラマそのも
のが歌のような気がします。
耳を澄ませば、どこからかエーンヤコラのかけ声が聞こえてきそうであります。
編集後記
今年の夏はどんなものでしようか?節電の必要性が叫ばれています。
普段の暮らしから「もったいない」が消えた文化をいきすぎた私たちには、少し辛い夏かもしれません。
そう思うとここにきて、生き方の文化の大切さが身にしみてきます。
社会に流されて消費文化に合わせていると、結局自分の首を絞めることにつながるのでしょうね。
今年はクーラーのスイッチを入れる瞬間、そして設定温度に、ちょっと迷う?と思うのであります。
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2011年3月10日発行
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-継続のエンジン-
継続のエンジンは、あきらめへのサヨナラ
人はいくつも、いくつも、あきらめを重ねるとイソップ物語の狐のように「ブドウは苦いから」という常識をつくりだすことは、誰
もが身をもって知ってるはずであります。
そして一度つくられた常識を変えていくことの大変さも知ってます。それを変えていく作業は困難を極め、何より膨大な時間
がかかるのであります。
その果てのない旅は人を疲れさせるのですが、それでもコツコツと旅を継続する人々を支えるものは「あきらめへのサヨナ
ラ」への強い願いであります。
「私だけでなく、あなたもまた」と願うエンジンをふかせ、時に道草を食いながら少々くたびれた
オンボロ車の旅は続くのであります。
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春の足音聞こえましたか?
三池初市に参上!
「春の縁日」三池初市に行って参りました。
初市の歴史は古く、なんと江戸時代にさかのぼるのであります。
当時宿場町として栄えていた三池で、住民らが物々交換したことから始まったのであります。歴史と伝統の重みがズッシリ
であります。県道の一部が歩行者天国となり、植木やたこ焼き、おもちゃなどの露店約200店が並び、親子連れなどの買い
物客で大賑わいでありました。
春の足音が聞こえたか?って。う〜ん、少しね!
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シネマで愛して・・・THE WRESTLER
私子供の頃から何故かわからないのですが、レスラーが大好きなのであります。
テレビのプロレス中継は楽しみの一つでありました。多分、身体を張って正義は必ず勝のだという物語を見せてくれるレス
ラーを尊敬したのだと思います。
今はもうプロレスを見ることはなくなったのですが、昔のレスラーたちのその後の人生などに触れた本があればついつい購
入してしまうのであります。その経験からいえば、多くのレスラーの引退直前の環境は苛酷なものであります。引退後はなお
さらなのであります。
私に元気を与えてくれた物語の出演者たちのその後の辛い人生に気が重くなるのであります。
その気分を見事に切り取って見せてくれたのが、このシネマであります。
人気は凋落、身体はボロボロ、家族関係は最悪、金は無い、落ちぶれた引退直前の中年レスラーの悲哀が、これでもかと
いう具合に描かれているのですが、すごいのは、そのリアリティーであります。それも演技だけでなく、役者そのものの実生
活がかもし出す実在のリアリティーであります。
そのリアリティーさは、主役のミッキーロークを知らない人でも巻き込んでしまうパワーがあるのであります。金のためにいや
なバイトをこなし、娘のために約束を守ろうとするのですが、何をしてもうまくいかない主人公。引退すべき年齢であることと、
もう体力が限界であることを自覚していたのですが、ついに心臓発作を起こしレスラー生命を経たれるのであります。
しかも、しかも、彼の最大の理解者である彼女からも振られるのであります。しかし、彼は落ちても落ちても尊厳を失わな
いのであります。
シネマのラストシーン。彼は自分が一番輝く場所へ、私が子供の頃、目を懲らしたリングへ颯爽と帰ってくるのでありました。
私は子供のときのように拍手を送ったのでありました。
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人権学習・総合的な学習に活用できます!
DVD「大牟田でくらすひさとみさんの一日」ができました!
笹林小学校では、2010年12月の人権学習に、大牟田障害者応援センターから有松さんをはじめ3名の車いすの障害者の
方々に来て頂きました。
その際、車いすの障害者の方の一日を知ってもらうためにということで、大牟田障害者応援センターの方から、DVDを製作
してもらい、子ども達と視聴しました。
小学校の低学年にもよく分かるように、何度も打ち合わせを重ねて完成したDVDです。
8分間=1枚300円・ DVDの紹介 (8分間)
DVDは「地域活動支援センター・もやい」で働く脳性麻痺の障害者・ひさとみこうじさんの一日を紹介したドキュメントです。
ひさとみさんは、大牟田に生まれ、大牟田の地域に暮らしています。車いすの障害者がどうやって一人で地域で暮らしてい
るのかということを、小学1年生にもわかるようにと、ごくごく短い時間でまとめました。
朝起きて、ヘルパーさんの食事介助を受けて朝食。アパートでのトイレやお風呂のバリアフリーの紹介。電動車いすで出
勤。途中の段差や、スロープに置かれた自転車がバリアになってしまいます。
支援センターもやいでの仕事風景。
いろんな仕事を、いろんな人が分担しながら進めています。もやいで作られる物や、市役所でのバザーも紹介しました。
字幕も、できるだけひらがなを使うようにしました。
時間も8分ですので、授業の導入に使ったり、まとめに使ったり、実際に障害者の方のお話を聞く全段に使ったり等、自由に活用できます。
実際に、ひさとみさんをGT(ゲストティチャー)に招くこともできます。
お問い合わせ=NPO法人おおむた障害者応援センター
地域活動支援センターもやい
TEL・FAX=0944-56-9142
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◇ハッピーバースデーツーユーをもう一度
塚本宇耐さんがもやいにくるようになって2年を超えたのであります。
宇耐さんのつくりだす世界は、とても柔らかくほのぼのとしており、いまやもやいに欠かせない人となっているのであります。
毎日誰にも公平に繰り出される、あわただしいおせっかいは、なんだか落語に出てくる気のいい長屋の住民が繰り広げる
暮らしをイメージさせるものであります。
ひょっとすると、宇耐さんのありようは、無縁社会を有縁社会にかえる大切なありようの一つなのかもしれません。
その宇耐さん2月の終りに誕生日を迎えました。自然とみんなの乾杯が始まったのであります。
★自立マップの改定作業を開始!
障害者の自立と社会参加を応援する情報提供を目指す「自立マップ」の改訂作業を開始しました。
自立支援法の改定も始まりますが、今後総合福祉法などができて社会資源も大きく変わっていきそうです。できるだけ最新
の情報を取り入れて、正確な情報提供をめざしていきたいと思っています。
やりながら思うことは、調べてきたことをみんなで目を通して、今ある制度の勉強になったり、今はない制度の必要性など
が段々わかってくるのだということです。
最近、昔に比べて、公的な社会資源は増え、有償ボランティア活動や、障害者にとっても便利な民間事業の一般のサービ
スも増えました。自立に向けた環境は整いつつあるのですが、今後の課題として、その資源をどのように何のために使って
いくのかという、セルフマネジメントが求められてくる気がします。
そしてそれは、障害当事者自身が人生をエンパワメンとするためにつくりだしていかねばと思います。
そのための資源の取り合わせのモデルづくりが今後の課題かもしれません。
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出発の歌・・上条恒彦&六文銭
♪さあ今銀河の向こうに跳んでいけ♪
施設で迎える成人式は少し寂しいものだ。
大人になった実感を求めるのだが、髪を伸ばせば事務長に呼び出され、夜遅く本を読めば怒られる世界において、それは
困難なことなのだ。そんなとき知った歌があった。
それは怒られても怒られても聴くのを止めなかった深夜ラジオから流れ出した歌だった。
♪自由な日々が失われた時に/残されたものは出発の歌 さあ今 銀河の向こうに飛んでいけ♪
何度か聴くうちに、この歌だけがワタクシの成人を祝ってくれたいるような気になって、いやなことがあるとサビの部分を口
ずさんだものだ。当時覚えかけのギターでコードを探して何度も歌ったのに、今、コードはすっかり忘れ果てている。
しかし、成人式のニュースなどを目にすると、未だにこの歌がよみがえるのだ。
あの頃、意地のように
♪さあ今、さあ今♪
と叫んでいた時代の匂いが消えた現在も、この歌に反応してしまうのは何故だろうかと思う。
この歌を歌いながら、明日はここを出るのだと自分に言い聞かせ続けた日々。しかし、銀河の向こうという名の社会に飛ん
でいけたのは、成人式から10年後だった。
この歌は「ここではないどこかへ」を目指す人々の、ためらいやおびえを抱きしめる名曲なのだ。
編集後記
インフルエンザにも罹らずに、無事に冬をやり過ごしたはずなのに、3月に入って悪寒が・・みなさまはいかがでしたでしょう
か。やっと春になりました。
新幹線が走り、大型店がオープンして、街のあり方も大きく変化しそうです。
しかし、一方で買い物に困る人も孤立する一人暮らしなど無縁社会が静かに広がっています。
街の大きな変化と暮らしの中の小さな変化を良い方向につなげていく方法論が作り出せないかと思うこの頃であります。
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2011年1月10日発行
ページ1
-三井金属労働組合様より寄贈-
三井金属労働組合様より寄贈!
ー大型テレビがやってきたー
財政が厳しく買えずにいた、大型テレビを「三井金属労働組合」様より寄贈していただきました。
本当にありがとうございます。
パソコンとつなげ、会議の資料説明や、Tシャツや切り絵等のデザインの検討、手作りビデオの鑑賞など、色んな形で活用さ
せてもらいます。組合員のお一人お一人に、心より御礼申し上げます。
ページ2
希望は終わらない
あけましておめでとうございます
新しい年の初めは、白紙の本をめくるのに似ています。
そこに物語は書かれてはいないので、自前で物語をつくらねばなりません。誰もが自分らしい2011年の「私の物語」をつくれ
ればいいなと思うのであります。
その物語をつくる術を「暮らし」と言い、私も物語をつくれる存在だと認識することを「希望」というのであります。この暮らしと
希望を奪うことを差別と言い、獲得することを人権と言うのであります。
2011年。「障害のある人もない人も共に生きる」を目指す私たちも、立場や、場所を越えて、誰もが、生まれ、育ち、学び、働
き、愛し、老いていく「暮らしと希望」を手にできる「社会の物語」をつくらねばなりません。
それは人が人であろうとする営みなのですが、残念ながら、私たちの願いや思いは、常に政治に翻弄され、財源に左右さ
れ、誤解や無理解の前に立ちすくみます
しかし、白紙の本の前に、一人ひとりが私の物語を、そして、つながりあう社会の物語をつくり続けていきましょう。
♪空に太陽がある限り♪希望は「終わらない」のであります。
長い長い物語はきっと誰かが、書き次いでいくのであり、いつの日か完成するのであります。
もやいは微力ですが、物語の続きを、今年も皆さんと書き始めたいと思います。どうぞ、今年もよろしくお願いします。
ページ3
シネマで愛して・・・獄(ひとや)に咲く花
どのシネマにも、つまらないシーンや無駄な演技が出てくるのであります。
そして、それをもってして駄作と結論付けてしまいがちですが、様々な粗をこえて「それにしても見事だ!」があれば、そのシネ
マは名画となるのであります。
甘い甘い!人間が描けていない!思想と愛が切り結んでいない!・・・
いろいろとご批判があろうとおもいますが、ご一同、ここはひとつ、獄(ひとや)という小宇宙のなかで出会った2つの惑星が凛
として愛し合う美しさを横糸に、また、そこに生きるものたちを自己肯定にいざなう文化革命を縦糸に、はかない運命の御伽
噺として、心素直にご鑑賞いただきたいのであります。
吉田松陰を愛する久が、シネマが進むにつれ美しくなっていき、最後は息を呑むほどになっていくのであります。
♪君は薔薇より美しい♪
と昔布施明さんが歌い上げましたが、♪久は花より美しい♪のであります。何がって、こころのありようが、であります。
吉田松陰の弟も出てくるのですが、聴覚障害者で、母親との会話は、今で言う手話でおこなうのであります。いつの時代で
も、人はコミュニケーションの方法を作り出して暮らしていくのであります。
明治維新にまつわる物語に、こんな純愛の切り口があったのかと感心します。さすが直木賞作家である古川薫さんの原作
であります。見事であります。
このシネマで、吉田松陰を愛する女因、高洲久を演じた近藤はなさんは本当によかったであります。パチパチ!
余計なことですが、ワタクシ、あなたの祖父である近衛十四郎さんのファンでありました。あの「素浪人月影兵庫」は、毎週欠
かさず拝見しておりました。いや、お孫さんのあなたが、こんなに大きくなって、こんな見事な演技を見せてくれるとは、嬉し
い限りでございます。切なく美しい御伽噺どうぞご覧あれ!
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12月23日 クリスマスイブのイブパーティー
毎年恒例のクリスマスパーティーを12月23日に行いました。
中川さん持ち込んだ「被り物」が大受け!したのであります。ピザやチキンやケーキを食べながらプレゼント交換。
大盛り上がりのお昼の宴は続いたのであります。
12月26日 雪の降る日事務局忘年会やりました。
毎年恒例の事務局忘年会を12月26日に行いました。
末藤伸也さんプロデュースのゲームや賞品がかかったイントロクイズなどをして楽しみました。
玉名は雪が降り続け、露天風呂での景色は最高でありました。
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笹原小学校こどもたちの障害学
自立生活ドキュメントシネマ自主制作!
子供たちは、いつの世も希望の種であります。
好奇心という想像力の翼をどこまでも広げられる存在であります。
「なぜ」と「どうして」の左右の翼を打ち振り、人生という空を飛び回るのであります。
この「なぜなぜ君」と「どうしてちゃん」たちと、もやいは遊んでまいりました。笹原小学校低学年の子供たちは、いくつもの率
直な「?」を私たちにぶつけてくれました。「障害」ってなんだろうという、わかろうとする好奇心がとてもうれしかったのです。
事前に、教師と打ち合わせて、もやいオリジナルの自立生活を送る障害者のドキュメントシネマをつくり、教材としてみんな
に見てもらいました。
起立!礼!こどもたち楽しい一日をありがとう!
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帰れないんだよ・・ちあきなおみ
♪そりゃ死ぬほど恋しくて/飛んでいきたいオレだけど
年末になると思ってしまうのは、入所型の施設で、帰る場所がなく、正月帰省できない人のことだ。
必ず施設の中で何人かはいた。私がいた施設もそうだった。「土産を頼む」という残る者と、わざと「ハ〜イ」と語尾を延ばす
帰る者のやり取りが毎年繰り返されていた。
帰る者とて、ふるさとに一時帰省してもあたたかい居場所があるわけではないのだが、それでも帰る場所と帰れる金がある
のと無いのでは違う。見送る方も切ないだろうが、見送られる方としても、なんだか切なくなったものだ。
そんな施設を出て、ふるさとに帰り30年が過ぎた。正月帰省の度に感じた切なさを実感することはなくなったが、今度は、切
なさの現場からと遠ざかった引け目が新たな切なさとなってまとわりついている。
痛みといつてもいいだろうその感覚は一生続くのだろうか。そんなことを考える夜に浮上する歌がある。
その歌は、社会から遠ざけられた者たちを支援するための理屈っぽい社会派ソングなどでなく、暮らしの現場で切なさや痛みを実感する
ものたちから立ち上がる言葉で構成させる。
その古い形式と平凡な言葉の羅列故に、時に嘲りをうける歌。演歌である。
♪そりゃ死ぬほど恋しくて/跳んで行きたいオレだけど
秋田へ帰る汽車賃が/あればひと月生きられる
だからよだからよ/帰れないんだよ♪
この「帰れないんだよ」が包括する範囲は広い、障害者のみならず、ふるさとやアイディンティティや希望を喪失した人々に、
立ち去らずそっと寄り添う歌である。
つねにその眼差しを失わなかった作詞家星野哲朗さんは残念ながら今年亡くなった。
しかし、その思いを見事に表現した、ちあきなおみさんの歌が思いを引き継ぎ、聞くものの側を立ち去らず寄り添うのだ。
「土産を頼む」と「ハ〜イ」が飛び交う状況が続く限りこの歌を聴き、きっと何度も同じ個所で私は泣くだろう。
編集後記
海援隊の名曲「思えば遠くへ来たもんだ」という曲があります。ほんなこつよか歌です!
まさにこの歌のように、2011年は始まり、しみじみと遠くに来たよな〜と思います。時代はどんどん良くなって
いると思えませんが、時代はどんどん進んでいることだけは実感できるのであります。
さてさて、今年は障害者福祉にとっては、大改革の骨格が決まる年になります。
制度改革に向けた動きを注視しつつ、地域現場で出来る改革をコツコツ積み上げていきたいものです。
そして愛し合う男女がついにめぐり合うように、制度改革と地域現場の幸せな出会いの実現を!
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2010年10月10日発行
ページ1
-銀色のテントの中で-
銀色のテントの中で否定された肉体は開示されなにものかを獲得するのでした。
2010年9月8日〜11日
劇団態変公演「自由からの逃走」公演直前の風景。
多くの観客が会場を埋める。大阪城公園太陽の広場特設テント内で。
ページ2
久冨宏二入魂のパフォーマンス
長期間大阪にて過酷な練習をこなし、3日間連続公演に出演してきました!
「カンパをくれた人、本当にありがとうございました!」 by久冨宏二
ページ3
シネマで愛して・・・オアシス
小さな頃から、どこに居ても何をしても、「等身大の自分がわかってもらえない」という感覚が付きまとっているのであります。
それが障害がある故の事だと気づくのに時間はかからなかったのであります。
これは永遠に続くものでありましょう。当事者の実感というものは、非当事者が創り出す理屈など軽く超えてしまい、瞬間に
真実をつかむ事があります。
しかし、表現する術を奪われているので、唾と一緒に飲み込んでいるのであります。
さて、さて、こっけいなほどの上から目線のまなざしや、まれに出会う妙な下から目線のまなざし。その後ろ側にあるものは、
非当事者が創り上げた「障害者ストーリー」であります。「障害者役割」ともいいましょうか、「こうあるべきで、こうああっては
ならない、こうあるはずがない」が空気のように存在し、そこにタブーが生まれ育つのであります。
しかし、このタブー、誰のためのタブーでありましょうか?
まるで、検察が一方的なストリーを作り、容疑者をそれに誘導し、有利な証言のみを採用し、不利な証言はタブーに!という
パターンに少し似ている?そんな気もします。
なんだか今回は、なかなかシネマの本題に入れないのであります。それぐらい衝撃的なシネマであります。「障害にまつわ
るタブーは解き放とう!誰もが性という厄介で大切な要求を持った人である」という先頭を走ることは、勇気のいることであり
ます。まして、大金を投資したシネマそれを表現するのは、大きな冒険です。役割り規定に基づいた予定調和的な感動の拍
手は起こらず、非難を浴びることは目に見えているからであります。
しかもそこに、シネマがシネマとして成立するアート性があらねばなりません。これってミッションインポッシブル!でありま
す。それに挑戦したのがこの韓国シネマ「オアシス」であります。
重度の脳性小児麻痺の女性を健全者の役者が演じる!「あー勘弁してよ!」ってな感じですが。その思いは見事に裏切ら
れます。体中がゆれ続けるのですが、その指の形、首の角度、視線の行方、唇のゆがみ、足の動き、手の動き、一つ一つ
の体のパーツのありようのリアルさと、全体の体の整合性のリアルさは、見事に芸術に昇華された演技であります。
また彼女を愛する前科者を演じる男優のリアルさも、見るものを圧倒するのであります。
それにも増して、役割規定にしばられた人々の関係性や社会のありようの上に立つこのシネマのストーリーのリアルさは、
何度も何度も胸を締め付けるものがあるのであります。
タブーを恐れず、人とは何かを問う、恐るべき韓国シネマの登場であります。
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秋だ!天気だ!そうくりゃ阿蘇だ!
秋空の広がる木曜日。
普段パソコンや手芸で目を酷使しているので、「目にも休息を」と理屈をつけまして、阿蘇に行ってまいりました。
日帰りレクには久しぶりに武田さんも参加。阿蘇の風や空やすすきを堪能してまいりました。
あー、自然はやさしく!だご汁はうまかったのでありました!
バザーは続くよどこまでも
10月16日(土)秋のおもしか市
10月24日(日)三井化学バザー
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秋のバザーIN恵愛園祭り なぜか、なまはげ!
★いつもおじゃましている「恵愛まつり」。よく雨が降るのですが、今年は、晴れ。うれしい!それだけで大成功であります。
バザーのリーダー松本優子さんの側には、ボランティアの田中さん(本当にいつもありがとうございます!)
そして、二人の横にはなぜかなまはげ。このコンセプト不明の組み合わせってなかなか面白い!
仮装対象あげちゃいます。
★売れ行きはまあまあでしたが、いろんな人に会えて、塚本宇多耐さんもうれしそうであります。
もやいで一番の人脈を持っているのでありましょう!色んな人から声がかかります。
バザーには欠かせぬ人なのでありました。
★整いました!バザーと掛けて、おいしいイチジクと解きます。「その心は?」売れどきが大事です。
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ファイト・・・中島みゆき
♪戦う君の歌を戦わない奴らが笑うだろう♪
歌と天候は因果関係があるのであります。
晴天の友、曇天の友という言葉がありますように、人生好調なときは、友達が増えますが、助けてくれる友は今何処!という
苦しい時は誰もいなくなったりして、何度こぶしの中に爪を突き刺したことでありましょう。
まさにそのように、好調なときに歌う「晴天の歌」は無数にあるのですが、心折れてもはやここまでかという苦しいとき、最後
の最後に聞こえてくるワタクシがワタクシであり続けるための「曇天の歌」はなかなかあるものではありません。
ある中卒の女性の悔しさと悲しさのメッセージに応える形で作られた歌であります。
ベースだけで構成された、ささやくようなファイトが、後半力強いファイトに変化し、リードギターが切なさと悔しさを、そしてそ
の先の先にある希望を信じろと叫ぶのであります。
♪あたし中卒やからね♪
という言葉で、もうウルウルとしてしまうのは、年のせいでありましょうか。
しかし、70年代はイメージの詩があり、80年代にはこのファイトがあり、かたじけなさに涙あふれるのであります。全国の片
隅で、こぶしから血を流しているみなさん。誰が笑おうと、ファイトであります!
♪冷たい水の中を震えながらのぼっていけ♪
であります。
♪ワタシの敵はワタシです♪
であります。なんに負けてもいいのです。
ただ、希望を殺す差別にだけはファイティングポーズを崩してならないのであります。
編集後記
秋らしい秋となりました。なんだか心がおちつく感じとなりました。
それにしても、福祉関係者の秋のイベントとバザーと会議に追われる季節でもあります。
しかも日常的な仕事も輪をかけて忙しくなったりするものであります。どちらさまも体や心に気をつけて下さい。
「あまりに忙しい」は、ジカンだけを奪うものではなく、色んなものを奪います。
忙しさの渦中にあっても、大切なものはなくさぬように、みなさまご用心の程を!
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2010年8月10日発行
ページ1
-あるがまま、ありのまま-
暑中お見舞い申し上げます。
あるがまま、ありのまま
時々、自分は?背伸びせず且つ縮こまず、等身大で生きてるか?と問うときがあります。
「ありのままに生きてる」つもりなのですが、それは、周りの環境との調和であって、「あるがままに生きてる」だけではない
かと思えるのであります。
あるがままの自分とは出会っても、ありのままの自分と出会うのはけっこう難しいのであります。人との関係や、社会との関
係においては、誰もがアイディンティテイゲームと言われる「お付き合いという名の人間関係の政治」をやらざるを得ません
が、その場面で深く傷つくと、ありのままの自分が逃げ出します。
しかし、こころの琴線に触れる出逢いなどがあると、ありのままの自分が近づいてきたりします。追えば離れ、逃げりゃ近づく
厄介さは、ややこしい恋愛のようでもあります。障害という個性もですが、「いろんなことを含めて、ありのままに生きれたら
いいね」という世間話から、もやいの今年のオリジナルTシャツが生まれました。
このTシャツを通して、少しでも本来の自分を取り戻せる夏に出来ればなと願うのであります。
ページ2
歴史の中で人間は自由を求めて自らの命を懸け戦ってきた。
長い戦いの果てに、自由は勝利し、人民は枷から解放された。
そのようなものであったはずの自由を、
あるとき人々は、いとも簡単に投げ捨ててしまった。
ちょっと手を伸ばしたら抱きしめられたはずの自由から、
彼らは一目散に逃げだした。まるで恐怖にかられたように。
久冨、劇団態変の舞台出演へ!
もやい代表の久冨が、あの「劇団態変」から指名され、夏の大阪城での公演に出演が決定いたしました。
奇跡は起きるものですね。みんなで「ドーン」と背中を叩いて送り出したいと思います。
自由からの逃走
第10回大阪野外演劇フェステバル参加公演 第2回むりやり堺筋演劇祭参加公演
2010・9・8(wed)〜11(sat)
大阪城公園 太陽の広場特設
NGR現色テント/雨天決行!
各自19:30開演
劇団態変
1983年、大阪で結成。出演者は全員、身体障害者であり、「言語に頼らず、障碍者の肉体そのものを最大の表現力」とするパフォ
ーマンスを行っている。脳性麻痺、ポリオなどによる重度の障害者も多い。
その舞台は、世界に類をみない、独自の身体障害であり、“物語る肉体”として芸術性が高く評価されている。
ページ3
障害学/金満里の静かな革命
よく障害者が生きていく上での差別として、4つのバリアがいわれます。
物理的・心理的、制度的・情報的バリアです。それらへの取り組みは個別に進んでいるのです。しかし、障害当事者として、
人権侵害や生き難さの実感はなかなか減りません。
支援するソーシャルネットワークの人たちも肌で感じていることと思います。うまく表現できませんが、障害者総体への認識
の根拠が揺らがずに、変わることを拒否しているように感じます。
どんなに人権を叫ぼうと「そうだよね、差別はいけないよね」に絡めとられ、叫びはなかなか根拠に達していないままのよう
な気がします。なぜでしょうか?人を差別する根拠地を解体しない限り、同じ差別事件が生まれては消えていくと思います。
いろんな人が、色んな立場で、共生を目指して努力を重ねています。それは、極論すれば障害に対する考えの根拠地を共
生モデルに転換する文化の革命だといえます。
そう、革命なのです。誤解を恐れずに言えば、革命手法の画一性がその原因ではないかと思います。論理的に反差別を求
めていくと、その合理性に誰も異議はだせません。
しかし、それは「わかった」というのではないのです。人が「わかる」には、感性という海が必要となります。
その海の上を論理という船が進んでいくとき「わかる」がやってくるのではないかと思います。
そういう意味で、言葉という論理を一切排した「劇団変態」の身体芸術は、海をつくる静かな革命であります。
ページ4
2010大蛇山市民総踊り、踊ってまいりました!
思い起こせば、昨年は突然降りだした雨に、もやいの総踊りは総崩れとなり、踊れませんでしたが、今年は、雨もなく、無事
に踊ってまいりました。
総踊りの楽しみは、意外な人と再会することです。いたるところで、「お久しぶり!」が舞い散るのでありました。
参加者の皆様、お疲れさまでした。
総踊りに障害者も参加するのは、ノーマライゼーションであります。
終了後に宴会に参加するのは、ノーマライゼーションであります。
そして〆はカラオケであります。一番反響があったのは、某ヘルパーが熱唱した「ZOO〜愛をください〜」でありました!
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‘10 もやい・オリジナルTシャツご協力ありがとうございました!
毎年、多くの皆さんにご協力いただいているオリジナルTシャツの販売は、今年も多くの皆さんにご協力いただきました。
本当にありがとうございました。
新しく出会った方々や、事業所の皆さんからもご協力いただいて、随分と輪が広がりました。重ねてご御礼申し上げます。
これからも、みんなでデザインの腕をあげ、私たちの願いをメッセージに込めたTシャツ作りを続けていきたいと思います。
暑い日が続いていますが、どうぞ体に気をつけていただいて、夏を楽しんでいただければと思います。
まずは、お礼までに。
ご協力いただいた皆様方へ
地域活動支援センターもやい 2010年 盛夏
ページ6
夢よ叫べ・・遠藤賢司
♪そうさそんな夜に/負けるな友よ/夢よ叫べ♪
「どうせ、どうせ、どうせ!」
「しょせん、しょせん、しょせん!」
「どうせ」と「しょせん」を唱えながら、燃えるごみと共に夢を袋に捨てようとするとき必ず彼のこの歌が響きだしたものでした。
「♪言い訳なんかじゃあの夢は騙せやしない」エノケンこと遠藤賢司の「夢よ叫べ」であります。
この人、自分の才能を社会に合わせることなどには無頓着であります。だから一般受けはしないのですが、少数のコアな
ファンが今も居続けるのであります。
時々、有松温之さんにもらったDVDをみることがありますが、なんと先日テレビで拝見したのです。彼は一曲だけ歌いまし
た。誰が考えても最大のヒットを記録した名曲「カレーライス」を歌うものと思うところですが、彼は「夢を叫べ」を歌いました。
ギターテクニックや、歌唱は、尋常ではないくらいのテンションでありました。
いっぱい歌手が出ていて懐かしい歌が次々と披露されていた雰囲気が、彼の歌で一変したのでありました。
さすがでありました。そっと、ごみ袋の夢を拾い上げ、ポケットに入れなおさなくては!
編集後記
読書の秋などという常識に騙されてはなりません。夏の読書もなかなかよろしいものです!
短編小説や友人から借りた評論などを何冊も用意し、その日の気分で読み分けていくと、いい言葉や、テーマにぶつかり、
胸の中を一陣の涼風が吹き抜けるのであります。
心が涼しくなる!これこそ、夏を乗り切る最強の栄養ドリンクではないでしょうが?
山口百恵のご子息のCM「ファイト一発」ふうに言えば「ドクショ一発!」であります。皆様も夏の一冊を是非!
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2010年4月10日発行
ページ1
-もっこす元気な愛-
「もっこす元気な愛」上映会ご協力ありがとうございました。
「短剣なんぞ憂うべき、一歩これに加うべし」
その昔、渡辺朗さんという政治家がいました。彼は2歳のときポリオにかかり、杖を手に政治の世界を飛び回った人です。こ
の人、こういいました。「自分に障害があることを憂う必要はありません。そのことで知りえた人間観を生かして、自分のやりたいことをやるべしです」と。そしてそのあとに、冒頭の言葉が続いたのであ
ります。 記憶が定かではありませんが、心に刻まれた「ことば」というより「言霊(ことだま)」であります。
60年半ばで亡くなられました。残念であります。
4月10日の上映会で行われたトークショーで、映画の主役である倉田さんはこう言いました。「障害を恥じることなく、障害の
あることでふりかかる差別から解放されたい」と。ニコニコと、そして穏やかに・・・。
古来、この国は、「言霊(ことだま)の幸(さき)わう国」といわれたのですが、今は言霊なき言葉が行き交う国となっている気
がします。
多分、言霊とは、「ワタシ」を超えて、誰かと共に生きようとしている人が発する希望の鈴の音ではないかと、シネマを見て
思ったのでした。
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希望は人が生きていくための物語なのだ!
4月10日土曜日のお昼下がり、「もっこす元気な愛上映会&トークショー」を開催したところ、ぽかぽか天気の中、多くの皆さ
んに見に来ていただきました。みなさん、本当にありがとうございました。
後援していただいた「大牟田市」はじめ、「社会福祉協議会」「大牟田市教育委員会」「大牟田障害者協議会」さんにも心よ
り感謝します。
準備を手伝ってくれた皆さん、カンパや花束を頂戴した皆さん、お心遣いありがとうございました。
今回の企画が、少しでも「人が真ん中」の街つくりの一助になれば幸いです。今後もよろしくお願いします。
★NPO法人おおむた障害者応援センター/地域活動支援センターもやい一同
◎映画館の中に入りきれないほど見に来てもらったので、別室で映画を上映。トークショーは生中継で映像を送りました。
別室で見られた方、すみませんでした。
◎トークショーでは、短い時間ではありましたが色んなことが語られ、爆笑も!手話通訳の方お世話かけました。
◎終了後、映画の中に出てきた足で運転する改造車を公開!倉田さん自身が乗り込んで色々質問に答えてくれました。
何度も何度も改造を繰り返し、作りあげてくれた協力者の存在は本当にありがたいなとつくづく思います。
障害者の自立を裏で支えてくれる無名の人たちに感謝であります。倉田さん事故に気をつけてくださいね。
◎終了後、ささやかな交流会を行いました。倉田さんは一人ひとりの障害者に語りかけて話し込んでいました。
ぺーじ3
シネマで愛して・・・アバター
「ハート・ロッカー」とアカデミー賞の優秀作品賞を競い合い、おしくも受賞は逃したものの、その映像美と
3D方式でインパクトを与えたこのシネマ。SFを苦手としているワタクシにもワクラクと楽しませてくれたので
ありました。
脊髄損傷になり、車いす生活を送るジェイクは、衛星パンドラで、人間とナヴィ族のハイブリッドであるアバターに変化を遂
げ、単身惑星の奥深くに分け入って行くところから物語が始まるのですが、冒頭から車椅子?そしてそいつが主役?こんな
のあり?と意表を突かれるはじまりに、ワタクシのモチベーションはヒートアップ。それはそれは長い上映時間をものともせ
ず。最後まで緩むことなく維持し続けたのであります。
圧倒的装備を誇る人類に、矢で身を守るナヴィ族。衛星パンドラで繰り広げられる、訪れた強者による、そこに住んでいた
弱者への植民地化に抵抗するナヴィ族の闘いは、自然と子供の頃随分と観た西部劇の騎兵隊とインディアンの関係を思い
起こさせたのであります。
異なる生活習慣を持ち、価値観を持ち、身体や思想を持つものへの社会規範への従属を求める意識は、人類の間でも差
別や哀れみや、戦争という形で繰り返されているのであります。
違いを認め合い共に生きることの難しさをしみじみと感じつつ、SFという未来の御伽噺でなければできない「人とは何なの
か」への接近に、拍手パチパチ!であります。
いやー、すごく楽しく、また考えさせられた「飛び出す絵本」でありました。
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春なのに 桜のつぼみ 幼きて
「家なき子」という小説がありましたが、もやいの花見は、雨と風のため「花なき子」となり中止になったのでありました。
それでも弁当を注文し、その結果、一見宴会風のシーンとなりはてました。ごめんなさい。
もやいはいつも飲み食いしているぞと、世間の誤解が広まるばかりであります。しかし、この中で高齢の?いや、恒例の俳
句大会だけは行いました!
みなさん、花も無いのに、あるかのごとく、俳句を次々と読んだのであります。パチパチ!
厳正なる審査のもと、歴史ある「花見の際についでにやってしまう俳句大会」の最優秀賞に輝いたのは、鳥越さんの上記の
作品でありました。パチパチ!
このあと、おなじみのカラオケ大会へと・・・
あー来年は、桜の木の下でやりたいですね。と願いつつ、花なき花見終了でありました。
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希望 岸洋子
♪希望という名のあなたを尋ねて 遠い国へとまた汽車に乗る♪
「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」村上龍さんは小説「希望の国エクソダ
ス」の中で登場人物にそういわせているのであります。そうだよなとも思います。
しかし、希望はないからこそ、尋ねていく存在とした「ある」のではないかと思うのであります。そう思わせてくれるのが、岸さ
んのこの歌であります。
この歌を歌う岸洋子さんは、療養中にエディット・ピアフの歌に出会い歌手への道へと進むのですが、1992年敗血症で亡く
なるまで、その人生は難病との闘いと挫折の連続でありました。
膠原病と診断された年、偶然に「希望」の歌を聞き、この歌を歌わせてほしいと願い出て、最後まで大切に歌い続けたそうで
あります。岸洋子さん自身がこの歌を生きていたからでしょうか、未だにこの歌を口ずさむ人は多いのであります。ワタクシ
もその一人であります。
さてさて、人は、将来が見えないといっては、また、将来が見えたといっては希望を手放しがちです。手放す理由は簡単に見
つかるのであります。一方、希望を尋ねる旅に出るのは簡単ではありません。
障害があることで差別を受け自分はだめな人間だと思いこまされた人々にとってはなおさらです。差別は希望を奪うのであ
ります。
しかし、遠い国へと汽車に乗りましょう。尋ねていく存在としてそれは誰にも必ず「ある」のですから。
編集後記
寒かったり暑かったりと「ぶれる」春でしたが、不安定な季節はそれでも緑をンパワメントさせて「さつき」の風を送ってくれ
ます。
ゴールデンウイークが思い出になる頃、自然は梅雨の準備を進めているのであります。
自然ってすごいなと時々思います。あらゆる文化を生み出す「みなもと」なのであります。
散歩の際は、しばしそこにとどまって、自然と会話すると少し元気になるかも・・・。
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2010年3月18日発行
ページ1
-現場のチカラ-
権利を守るまちづくりフォーラムに見る現場のチカラ
「現場」。そこは、常に悲惨な現実が「現れる場」なのであります。しかし、もう一つ、目を凝らせば現れるものがあります。悲
惨さに打ち勝とうとする小さな小さな希望であります。
1月24日に行われた「権利を守るまちづくりフォーラム」は、虐待をする者は悪人であるという一面的な思い込みにとらわれ
ず、虐待の起きる社会的背景や、そのことに鈍感な私たちの意識の弱さなどが語られる中で、虐待を起こさないため人と人と
の関係の構築。人と社会資源の断絶回復の必要性が次々と提言されました。
そしてそのことを可能にする土壌として、障害や加齢により生じる生きがたさや、孤独を余儀なくされている人々がいるこ
と。そういった自覚や意思である「共生感」のある「地域」をつくっていくことの大切さが浮かび上がったのであります。
自転車のペダルを踏みしめ、靴の底をすり減らし、悲惨さにうんざりしながら走り回る「現場のチカラ」が織り成す「共に生き
る文化」への取り組みを大きく広げ、人が真ん中のまちづくりへ!さらなる一歩を踏み出すフォーラムでありました。
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山形国際ドキュメント招待作品・キネマ旬報文化部門第6位作品
もっこす 元気な愛
やってみんとわからんたい・・・
障害者の愛には覚悟が 夢には闘いが必要だった!
と き:4月10日(土)
ところ:エコサンクセンター
チケット:500円
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スタッフ
製作総指揮 馬垣安房
監督 寺田靖範
音楽 趙博
プロデュ−サー 神吉良輔
ストーリー
熊本市内にある小さな一軒家には、ささやかな夢をもって生きる 哲也と、仕事も家庭も失った小説家志望のリョウジ、仕
事の後のビールをこよなく愛する、爽やかな青年ヤスヒロが暮らしている。
小さな一軒家で巻き起こる大きな愛の物語
脳性マヒのため、両腕に障害がありながら前向きに生きる哲也。にっこり笑顔で人々を魅了しながら次々と騒動を巻き起こ
していく。手を使わず足だけで運転できるように車を改造して運転免許取得に挑戦したり、一軒家を借りて友人たちと共同
生活を始めたり・・・。そんな哲也が、友人の結婚式で運命の女性・美穂と出会った。
互いに支え合いながら交際を続けるうち、ふたりは結婚を決意する。しかし、彼女の母親に許してもらえない。いくら説得し
ても、娘の将来を案じる母とは意見がかみ合わず平行線をたどるばかり。ふたりは何度も話し合い、ある決断をくだすので
あった。
監督は、フィリピン女性との結婚生活を自ら記録し、在日外国人に対する日本人の差別意識を浮き彫りにして描いた「妻は
フィリピーナ」で日本映画監督協会新人賞を受賞した寺田靖範。
今回は障害者をテーマに、笑いと涙とドキドキを提供します。
ごあいさつ
もやいの活動の一つ、障害者の文化を楽しむ「夜会U」は、ダンス、演劇に続いて。今年は「障害者のドキュメントシネマ」で
あります。
主役の倉田さんともやいは、古い付き合いで、一緒に活動してきた仲間でもあります。その倉田さんの普段の暮らしを追っ
た、笑いあり、怒りあり、そして涙ありのドキュメントです。
見終わった後、何故か、中島みゆきさんの歌詞♪生まれた時/誰でも言われたはず/耳を澄まして/思い出して/最初に聴い
た/welcome♪が頭の中を巡りました。視点が変われば差別の概念も変わるのであります。
ぜひ多くの人に見てほしいと思うシネマなのです。皆様のご来場を心よりお待ちしております。
皆様からの声
★幸福と裕福はちがう。どのくらい違うかというとウナギとウナギぐらい違う。うっかりしていると間違えるっていうある人の
詩の意味が分かったような気がします。
★倉田さんの笑顔すてきでした。幸せをつかむためには自分が毎日笑顔で自分を、そして周りの人を受け入れていくことが
一番なのかなと思いました。
★「てっちゃん強くて優しい人だと思った。1回免許の試験に落ちたときも泣かないで「次頑張ります」って笑って本当に頑
張ったから。あきらめなかったのがスゴイ。それに足で運転できるのがスゴイ!僕ももし手が使えなくなったら足で運転し
たいので、てっちゃんに弟子入りしたいです。
★運転免許の学科試験にやっと受かったと言って号泣し、結婚を決めた美穂ちゃんの母が会ってくれないと知っても耐え
る。小学校教師の美穂ちゃんが1人暮らしの母を訪ねて「会ってほしい」と説得してる間、哲ちゃんは暗い車の中でじっと
待っている。つらいね。でも哲ちゃんは、その結果を報告する美穂ちゃんを逆になぐさめるのだ。そこには両手に余る想い
があふれている。いいねえ。
★過去に、熊本から「典子は、今」という、サリドマイドがテーマの映画作品が発表それた全国に感動を与えたけれど、時代
の持つ差別性を拭い切ることには成功しなかった。今度の倉田さんの映画は、その「典子は、今」から遙かな距離を飛躍
している。ラストシーンのストップモーション。
倉田さんの眼の色が強い。予断を持たずに、いろいろなひとに観てもらいたい。
倉田哲也さんセージ
くまもと「障害者」労働センターの代表をしています倉田哲也といいます。1981年に国際障害者年があり、その時、「典子は
今」という映画を見て、僕と同じように足を使って生活している人を見て、「じゃあ僕も足を使って生活していくんだ」という考え
方に変わりました。それから精神的にも自信を持てるようになりました。
くまもと「障害者」労働センターには、現在、十数名の人達が毎日自宅から通って来たり、アパートを借りてそこから電動車
椅子で通って働いている人もいます。今は、主に牛乳パックを学校やスーパーや郵便局や病院に回収に行っています。僕
が一番言いたいことは、「障害」ある、ないにかかわらず、お互いの違いを認め合って、共に生きていく社会を実現して行くこ
とが必要だと思います。これからは大人も子供も夢と希望をもって生きてほしいと思います。
当日、会場でお会いしましょう!
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緊急救命を勉強す!
と、ある日・・大牟田消防署のご協力で、「緊急救命」を勉強しました。
初めてのことですが、隊員の方のわかりやすい、ていねいな説明と、実技の指導をうけ、大変よかったと思います。
まあ、カーペットやカーテンも防災用に変えました。安全・安心な「もやい」を目指したいと思います!
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黒の舟唄
♪男と女のあいだには 深くて暗い河がある 誰にも渡れぬ河なれど えんやこら今夜も舟をだす♪
人が生きている現場には、どこにも「深くて暗い河」があるのであります。
男と女の「あいだ」だけではないのです。誰もが、橋のない河の前で足をすくませた記憶があるはずです。その「あいだ」を渡
るために「船をだす」のが「黒の舟唄」であります。サングラスにソバージュの長髪。全盲の歌手長谷川きよしさんが、1971
年に歌いました。
長谷川さんの高い音楽性と低音ヴォイスの魅力も加わり、未だにふと口ずさむ人が多いのであります。
この歌を聞くたび、いやな記憶が甦ります。マウスでつかみゴミ箱に放り込み、削除をクリックしていたはずなのに、この歌が
流れると、パソコンの奥から記憶がリカバーリーするのであります。不思議な歌なのです。
20数年前、大胆にも長谷川さんのコンサートを企画したのですが、1300席のホールなのに、コンサート10日前になっても30
枚程度しかチケットが売れず、真っ青になって拡声器のついた自動車で大牟田市内をぐるぐる回り宣伝に声を枯らしたの
でありました。
それはそれは孤独で絶望的な闘いでありました。そして、迎えたコンサート当日。広いホールにパラパラの観客の中で、ワタ
クシ挫折感に打ちひしがれておりましたが、その時、この歌が・・・「えんやこら今夜も舟を出す♪」が流れ、この暗さが、そ
の重さが、それでいて、地獄の底を蹴って浮上する望みが、ワタクシを包んでくれたのでありました。
その瞬間、これからもどんなに失敗しても、差別ある限り「船を出す」のだと、ワタクシ開き直ったのでありました。
長谷川さんは、拍手の音で、どのくらいの会場でどのくらいの観客数かを一瞬にして悟られたはずですが、一音たりとも手を
抜かず、見事な音楽をとどけてくれました。さすがプロであります。
編集後記
内閣府に設置された障害者制度改革推進会議が進んでいる。
DPIの尾上さんや、熊本の弁護士東さん、人権問題のキムジョンオクさん始め、障碍者解放運動を担ってきた人たちが、数
多く参加している。
そこで語られる「差別」や「人権」の話には、障害者解放運動の原風景が立ち現われる。
今、障害者福祉を市場に投げ出すだけだった無責任な「法律」の廃止の後に、差別をなくし、障害者と障害者を支援する
人々を支える「新しい公共」を確立し、人間関係の文化の作り直しに向かう「根拠地」とする機会が訪れている。上尾さんが
「早くゆっくりやりますよ」と言った。OK!それこそ障害者解放運動40年が作り出した教訓だ。
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2009年12月10日発行
ページ1
-さらば2009年-
さらば2009年!振り向くな振り向くな後に夢はない!
09年の365日を振り返れば、私は頑張れたのか?とけっこう落ち込むのであります。
しかし、うつ状態からのリカバリーを果たした吉田拓郎さんが、「大いなる明日へ〜復活!吉田拓郎〜」の中で「♪頑張らな
くてもいいでしょう/私なりのペースでもいいでしょう♪」と歌う「ガンバラなくてもいいでしょう」という楽曲に励まされつつ、09
年にサヨナラができそうであります。
考えてみれば、「頑張る」のとらえ方に対する人々の考え方の違いが、人を苦しめる部分でもあります。そんなときは多分、
外側から要求される「頑張る」に私のペースを超えた「頑張り」が重なっているのかもしれません。私の内側にある志の実現
に向けて私の内側で沸き起こる「頑張る」に私のペースの「頑張り」で応えたほうが自然のような気がします。
そう思うと、再びやる気が出てくるのであります。さて、さて、どんなに09年を振り返ってもそこに夢はないのであります。君の
ペースで、僕のテンポで!さりげなく、来るべく10年に向かってまいりましょう。
ページ2
新製品のアートコースター・きらめきコースター登場!
サンアビ祭・ワコー福祉ブース・障害者週間バザーまとめてご報告!
ビーズ製品のスノーエンジェル今年も売れました!
「サンアビ祭」への出店。そして、大障協と地元のスーパーのワコーが協力しあって始めることとなった「ワコーの福祉ブ
ース」(なんと常設であります)への出店。
さらに前年度から始まり、今年度で2回目を迎える「障害者週間バザー・市庁舎販売」への出店と、ここのところもやいは、
製品作りに追われたのであります。
「製作を楽しむ」がもやいの基本なので、あまり大量には作れませんし、お金も無いので機械も買えませんが、そのこと自
体を楽しみながら、手作業や、意外な発想や。窮余の策?なので盛り上がって作っております。
できてみればなんとなく製品に愛情を感じたりして、まるで娘を嫁に出すオヤジみたいになっているのであります。
☆ワコーショッピングセンター福祉ブース
小さなスペースですけど、みんなで頑張って福祉施設の製品の良さを多くの市民にわかってもらおうと張り切っています。
☆障害者週間バザー
各施設で協力し合ってやっています。福祉課のお世話で、市の職員の皆さんを中心に、色んな人たちが立ち寄ってくれま
す。売れ行きも好調です!
09年の「サンアビ祭」は、10月31日(土)11月1日(日)の2日間行われました。
2日目はあいにくの雨となりましたが、初日は快晴!もやいも張り切って出店いたしました。今年の特徴は、新製品のアート
コースターも販売しました。まだまだ工夫の余地のあるところですが、手書きや、パソコンを使ってみんなでデザインできるの
で、楽しみながら製作しています。
最新作は、なんとスワロフスキー入りの「きらめきコースター」であります。障害者週間バザーでデビューであります。
使いようによってはインテリアにも!みなさんよろしくお願いします。
☆女性陣の活躍で、人気のスノーエンジェルを始め、クリスマスイメージの、ビーズ製品が出揃いました。
☆男性陣の活躍で、きらめくコースターのデザインも、クリスマス仕様であります。ハッピークリスマスを!
ページ3
コラム/め組の目@
マニュアルマン?
久保田 恵(kubota megumi)
長い施設暮らしを経て、大牟田で自立生活を開始。現在生れ故郷の宗像で自立生活継続中
「マニュアル」を辞書で引くと、2つの意味がありますが、そのうちの1つ「利用説明書、手引書」について書こうと思います。
エアコンやテレビ等といった家電製品には必ず「マニュアル書」が付いていて、その通りに操作すれば機械は上手く動きます。
最近、「婚活」ブームで恋愛作戦法や結婚必勝マニュアル書等が、数多く出版されています。ある意味マニュアル書通りに
行けば楽ですが、人間の「心」は機械ではないので、そう上手く行くはずがありません。ですが、いわいる「マニュアル書依存
症」の人が多い気がします。
人には、喜怒哀楽があり、環境や性別によって心理も変化し、均一ではないのです。全部マニュアル書通りに人生を歩むのは、
機械的で何も面白味の無い人生で終わると思います。
マニュアル書に頼りすぎず、自分自身で意思決定をし、七転び八起きで良いのではないでしょうか。
さて、あなたは「マニュアル依存症」でしょうか?それとも・・・
2人芝居大阪公演終了。ナショナルキッドは口笛を吹けたのか!
12月5日大阪府茨木市の文化会館で、二人芝居の公演をしてまいりました。
役者の一人は、現地の新聞で障害をカミングアウトしていましたので、同じ障害のある人々も見に来てくれたと思います。
また、現地の障害者自立生活センターにも公演の後援や、終了後の打ち上げへの参加などの協力をいただきました。あり
がとうございました。脚本も大阪バージョンに変えての公演でしたが、何かを伝えることは出来たのではないかと思います。
現地の実行委員会の皆さんに心より感謝いたします。本当にありがとうございました。
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シネマで愛して・・・グラン・トリノ
他者への期待と、他者への絶望は、繰り返す波のうに襲ってくるものであります。だから頭が痛いし、胃が痛くなるわけであ
ります。それはおそらく、人への信頼度を誰からか問い詰められているわけでありましょう。
じゃあいったい誰が?それが自分だったりするから、人生はややこしいのであります。
絶望を避けるために、人に期待したり、期待を避けるために絶望したりと、人は自分を守るための存在証明を行います。
そのやり方によって周りから、「頑固者」「付き合いペタ」「浮いている」「変わり者」「お調子者」「イエスマン」エトセトラのラベリ
ングをされます。このシネマの現役を引退した主人公は「頑固者」というラベリングを受けており、家族からも疎まれ、人間関
係に何の希望も持たないのですが、逆にそのことを生きていく根拠に、世の中に悪態をつきながらも、悠々自適の人生を
送っているのです。それは、主人公が確かに自分の人生を生きてきた証として存在する「グラン・トリノ」に象徴されています。
ところが、なんの因果でありましょうか!そのグラン・トリノを盗もうとした、主人公の大嫌いな有色人種の若者が登場!しかもお隣に!
この展開、お上手ですよね。こうなりゃ、ドラマが生れないわけありませんものね。我らがダーティハリー、クリント・イースト
ウッド。老いて益々さすがであります。
このシネマ、主人公の不器用さを笑ってもいいし、あきれてもいいし、怒ってもいいし、泣いてもいいし、戸惑ってもいいし、
嫌ってもいいのですが、色んな見方を誘うことができるのは、主人公のキャラクター作りが見事に成功しているからであります。
なかなか感情移入が出来にくかったり、途中で破綻したりするシネマが多い中、「天晴れ!」であります。
人間関係に絶望した生を生きていた主人公が、最後の最後に、期待して死んでいく死んでいくラストシーンは賛否が分かれ
るでしょうが、わたくしはここで、ほろりとするのであります。頭の中であの低音で始まる高倉健さんの唐獅子牡丹が流れ、
死んでいく池辺良さんの哀愁の瞳が蘇るのでありました。
残された「グラン・トリノ」は、始めは主人公が嫌い、そして最後に期待した若者に渡されます。それは、一つの聖火が、多
くの人に手渡されてつながれていくようであります。「グラン・トリノ」とは、主人公そのものであてり、主人公の生を織りな
した希望そのものだったのかもしれません。
2009年の最後のシネマとなりましたが、心にのこるシネマとなり、うれしい限りであります。
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あゝ上野駅
この歌の「♪心の駅だ♪」というフレーズがずーっと心に残っているのであります。子供の頃、何度も何度も聴いたせいかも
しれません。
いや、歌の背景にある、中学卒業後、集団就職で遠くの異郷の地に赴く人たちに、自分の人生を重ねていたせいかもしれ
ません。いやそれ以上に、心の駅という言葉の持つ響きや匂いやメロディに、引かれたせいかもしれません。いや、いやそう
ではなく、歌う人が、歌手というにはあまりに素朴で若く、青森からでっかい夢をもって東京へ出てきてという、歌の当事者性
を持っていたせいかもしれません。
一種の応援歌なのですが、自分だけを励ます歌ではなく、中卒という幼さで、ふるさとを出て、厳しい生産現場で、いくつも
のいやな経験をした人々の群れに向けての大きな応援歌のような気がします。この歌を口ずさむと、私だけではない、あの
人たちもいる。
「♪くじけちゃならない人生を♪」生きているあの人たちがいると、元気付けられたものであります。
この国の成長をもたらした、無名の主役たちは、一つの塊として賞賛されたり、嘲笑されたりすることはあっても、個人個
人がスポットライトを当てられることもなく、今、高齢者の入り口に並ぶ塊として語られることが増えてきました。しかし、歌は
彼ら彼女らを応援し続けます。
中島みゆきの「地上の星」も「ファイト」も、この歌のDNAを正しく受け継いだ現代の「あゝ上野駅」のような気がします。
「♪心にゃでっかい夢がある♪」で終わるこの歌に励まされた一人に、元ボクシングチャンピオン、ファイティング原田さん
が居ます。彼を中心に同じ境遇を共有する人たちが、この歌への感謝をこめて、上野駅に歌碑を建てたのであります。
素朴で若かった歌手井沢八郎さんは2007年逝去。そのとき、彼の娘である工藤夕貴さんは記者会見で、この歌を歌い継
ぐことを宣言したのであります。ありがとう!
編集後記
その年を何によって記憶するかは人様々です。09年は、歴史的には「政権交代」というところでしょうがワタクシは、行く予
定のコンサートは中止になるし、好きなアーチストは死んでしまうしと、音楽関係の悲劇が、09年の記憶のワードとなります。
皆様は、どんなワードで09年を記憶されるのでしょうか。何をワードに選ぶかは、普段、自分でも気づかない、物事の優先順
位を浮かび上がらせるハットしたりします。 今年も「もやい」お世話になりました。よいお年を!
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2009年9月10日発行
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-夕暮れを見る前に跳べ蒼き海-
夕暮れを 見る前に跳べ 蒼き海
イルカがスーッと水面に現れて、宙を跳ぶとき、海に生息をする生き物が外海に現れる「あれっ?」という一種の意外感と、あ
り得ざるべきことが起きたことへの「おー!」という解放感に包まれるのであります。
一瞬ではあれ、海から脱したイルカは何を見るのでしょう。海を外海から眺め、日の光を直接浴び、空を直接見て、イルカ
は一体何を手にいれるのでありましょうか。
政治の世界でも、「あれっ!」と「おー!」が起きましたが、ここは冷静に、他者に対する過剰な期待や過剰な幻滅は謹みま
して、中島みゆきさんの発する「おまえのオールを任せるな」というメッセージを噛みしめたいと思いますし、知的障害者当事
者団体のピープルファーストが発する「私たち抜きに決めないで」を忘れないようにしたいものです。
障害者福祉という海の中で生きる私たちも、イルカのように見る前に跳ぶ必要があるのかもしれません。跳びあがりバ
シャーン!と海に帰ってきたイルカは、きっと新しい海を生み出していくのでしょうから。
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秋のレクレーションは海獣に出会う場所!でこころもリフレッシュ!
人はサカナであった!9月8日もやいレクレーション!海の中道マリンワールドでワタシ実感いたしました。涼しげに泳ぐサカ
ナたちを見ていると、今にもワタシも泳げそうな錯覚を覚えたのであります。それにしても色んなサカナがいました。もやいに
も色んなサカナに似た人がいますけど・・・「水の無い水族館もやい」なんちゃって!「金の無い水族館だ!」声が!ウーン
そうかも・・・。
???もやいのメンバーの質問攻めに、館内のスタッフの方が、身振り手振りで丁寧に答えてくださいました。おかげさまで
もやい一同、俄仕立てのサカナ博士に変身。幻想的で神秘的な時間を過ごせるのは、とても幸せな時間であります。帰り
は、海の中道と陸続きで、万葉集柿本人麻呂が歌っているシカノシマを周りました。ノコノシマも周りたかったのですが時間
が無くシカトシマした?
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9月12日恵愛祭バザー!お買い上げありがとう。
あいにくの雨にもかかわらず、色んな企画が用意されていて、お祭りは、例年以上に盛り上がりました!
め組の人参上!
SОSの元メンバーで、宗像で自立生活をしている久保田恵さんが10年ぶりに来館。短い時間ではありましたが色んなお
話しをしました。
あのころ二十歳そこそこで、活きのいい障害者解放運動のジャンヌダルクの雰囲気がありましたがいまや、素敵なレディ
に成長!されておりました。メール交換はしておりましたが、実際に会うと、なつかしくて、文字盤での会話も昔を思い出さ
せ、感慨にふけったのであります。宗像では、介護時間を行政と交渉して月250時間と移動を70時間を獲得したとの事。
SOS活動をした人が、大牟田以外の地で頑張っていることがとてもうれしく思え、小浜町の久保田恵さんのアパートで、会
議をしたり、宴会をした日々がよみがえりました。施設を出て自立した久保田恵さんはまるでイルカのように自由に跳び続け
るのであります。
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シネマで愛して・・・アリスの恋
ナガネンの夢。
一人胸に秘し、けっして誰にも語られることなきその夢は、その人の死と共に静かに役割を終えていくのであります。
普通、多くの人は、その夢を追わずに、めったに使わない実印のように、机の奥深く隠しておくものですが、時として、突然、
何かに憑かれたように、夢を追いかける人がいます。
理由は様々でしょうが、このシネマの主役、平凡な中年女性アリスは、DVのつまらない男と離婚し、十代の息子と二人、世
の中に放り出され、途方にくれたそのときに、机の奥からさび付いた夢という名の実印を取り出すのであります。
現実社会のやるせなさと、人間関係の不条理に叩きのめされたとき、人は二通りの活き方の選択を求められます。一つは、
自分を放り出した現実社会に再度適応しようとするのかもう一つは、自分が自分であるために隠していた夢に針路をとるの
かであります。
アリスは後者を選んだのであります。夢の正体は「歌」でありました。息子と共に、自分の夢に向かう、いわゆるロードムー
ビーの種なのですが、夢に向かって一直線、ハッピーエンド用意してますよという感じではありません。このシネマ人生をな
めちゃいけないのであります。
夢があっても、金がないと生きれません。アリスは、多くの一人親の女性の人たちと同じように、懸命に働くのであります。息
子は丁度反抗期に入り、母を理解しようとしながら反発し、逆らいながらも思いやるのであります。息子の友達として、少し
出てくる女の子がジュディフォスターだったりして楽しめます。
生活の苦労、職場の人間関係の苦労、息子関係の苦労、繰り返される失敗、信頼と裏切りなどなど。生きていくということ
は、実にやっかいであるのだと、しみじみと思わされます。
しかし。しかし、そうであっても、アリスは、自分のオールを漕ぎ出したのであります。波荒き海のなかで、汗をかき必死に
オールを漕ぐ自立した姿は、とても素敵であります。
このシネマ、女性シネマの決定版として1974年に公開されたのですが、ただ単に、女性の恋を扱っているのではない気がし
ます。見終わった後、アリスの生き方を見た息子は、きっとDV野郎にはならないし、自分のオールで、自分の夢に向かって
進む。素敵な男になるだろうと想像させるシネマであります。男性必見のシネマであります!
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イムジン河
今年の共同連のキャッチコピーは「分けない・切らない」でありました。このコピー、いまだに必要とされているのであります。
昔、むかし、家族と居る場所から分けられ、地域の人間関係から切られ、「どうしてワタシはここにいるのか?」という問いだ
けを抱きしめていた10代前半の頃。いや、分けられ、切られたのは、場所や関係だけではなく、希望のありようそのもので
はないかと気づいた10代後半の頃に、しみじみと心にしみこんでくる歌がありました。
そのメロディーは、大きな苦難と悲しみを清めるようであり、詩は、人のせつなさと人の再生を願うようなたたずまいでありま
した。当時、ワタクシの大好きなザ・フォーククルセダーズが歌ったせいもあり、日々口ずさんだものであります。
♪みずどり自由に/むらがり飛び交うよ/我が祖国南の地/おもいははるか♪
不思議なことに政治的思惑に巻き込まれ、「放送禁止歌」に指定され、聴くことが困難となったのであります。
しかし、なが〜い時を超え「パッチギ」というシネマで不死鳥のようによみがえったのでありました。「セイギが勝つにはジカン
がかかる」ように、「メイキョクを聴くにもジカンがかかる」のでありましょうか。
♪虹よかかっておくれ/河よ思いを伝えておくれ/ふるさとをいつまでも忘れはしないイムジン河水きよく/とうと
うとながる♪
人の希望のありようを、分けない・切らない社会を・・共同連シンポ「インクルージョンを目指して」で語っているとき、どこからか
ワタクシの中にイムジン河のメロディーとパッチギのあのシーンが鮮やかに甦ったのでありました。
編集後記
各団体・施設等での色んな行事が錯綜する季節となりました。ひとりでいくつもの企画を掛け持ちしている忙しい人も多いと
思います。公共事業に似て、一度始めるとなかなか止めにくい行事もあるのではないでしょうか。一度思い切って整理して、
より効果的で本来の業務との連続性が担保される企画に作り直す必要があるのかもしれませんね。
さてさて、新型インフルエンザの秋になりそうな予感がします。みなさん充分にご用心を。
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2009年7月10日発行
ページ1
-暑中お見舞い申し上げます-
暑中お見舞い申し上げます。
ヨイサ!ヨイサ!ヨイサ!ヨイサ!
大蛇山は終わっても、大牟田が夏の間はこの掛け声生きのいい「余韻」残るのであります。この余韻という見ることの出来
ない、感じる雰囲気が、なかなかいいところなのです。叶わぬ恋だったとしても、甘酸っばい余韻が残れば、救われること
だってあり、今居る場所から身を引いた人がなんとも言えぬ余韻を残すことだってあるのです。
毎日、毎日、仕事を終えてパソコンの画面を切っても、心地よい余韻は残らないし、ニュースを見ても気が滅入る事が多い
のであります。やはり、余韻とは、人の思いや生き方が作り出す「人が確かにそこに居た残り香」みたいなものかもしれませ
ん。風の噂に、退職した知人の「ジャズ喫茶開店」を聞いたのであります。あーいいな〜。久しぶりに余韻に浸ったのであり
ます。
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どこまでもどこまでも内輪なニュース
★♪夏が来れば思い出す。はるかな尾瀬〜ピースサイクル♪(字余り)というわけで、お馴染みの松江さんが長崎よりピー
スサイクルの事前の協力要請に来られました。おいしいカステラの差し入れありがとうございます!カステラもらったから
言うわけではありませんが、8月7日は、熱烈歓迎いたします!道中お気をつけてくださ〜い。
★大蛇山市民総踊りは、毎年「大障協」の一員としてもやいは参加していますが、今年だけは雨がひどく、不参加となりまし
た。しかし、打ち上げはやりました!プロジェクターで大蛇山祭りを見ながら、盛り上がりました。ついでに、前日誕生日を
迎えたもやいの代表のために、みんなで「エーサ、エイヤサ!」コールで祝いました。正直、やかましかったです!
でも、楽しかったのでありました。
ふらりとMさん登場!
年に1回あるかないかのサプライズ訪問であります。「いらっしゃい」何を隠そう将棋好きのMさん、ネトゲ将棋に挑戦!
頭でパソコンを操作してグラフィックに挑戦!
もやいの暑中お見舞いのデザインを担当するようになったNさん。大変そうだけど、楽しそうな作業風景であります。
デュエット
性別を超え、世代を超え、障害を越えた歌声であります。活動には、この「超え」が大事であります。
つらく、悲しく、はがゆさを持っている人々が、それを無くすためには、連帯をを求めて孤立を恐れずであります。
お二人の「超え」も「声」も共になかなか?ありました。
政権交代!
家庭内で万年野党のお二人。酒が入るにつれ、気が大きくなったのか家庭内「政権交代」を宣言!つい団結して立ち上
がったのですが、その場に与党のお二人が居たので、すぐに鎮圧されました 与党になり損ねたお二人にはトホホ・・の打ち
上げとなりました。
ヒーロー
♪ヒーロー疲労になるときAHそれは今♪
的な雰囲気で、ややお疲れ気味のお二人であります。しかし、マイクをとるや♪おまえのオールを任せるな♪♪千年の古〜
都♪と歌い上げ、盛り上げてくれました。さすがベテランであります。
歌姫
週二回もやいに登場するお二人は、もやいの歌姫であります。なぜ、こんなに新しい歌が歌えるのか?不思議でありま
す。しかし、新鮮であります。しっかりと宴会を盛り上げてくれたのです。日頃は、製品作りや、パソコン習得に、取り組んでいる
のであります。
ぺージ3
Tシャツのお礼・・ありがとうございました!
もやい2009オリジナルTシャツ販売については、多くの皆さんのご協力をいただきました。
本当にありがとうございました。こころより感謝します。おかげさまで、予定した枚数の販売に届きそうです。
今年のTシャツは、みんなでデザインした6種類を販売しましたが、自分のデザインが何枚売れてるぞ!と、売れるたびに励み
になりました。
来年デザインが今から楽しみです。また、皆さんのおかげで出た利益は、お約束どうり、もやいのミッションである「社会
参加情報マッブ」シリーズの更新等に使わせてもらいます。来年もよろしくお願いします。
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シネマで愛して・・・精神
去年、大障協で「講談で学ぶ成年後見制度」という人権セミナーがあり、講談を生で聞いたのであります。
その芸の見事さを、思い出しては再び拍手を送りたいのであります。さてさて「講談師見てきたような嘘をつき」といいます
が、今回のシネマで愛しては、まさにわたくし講談師と同じく、見てないのに、語ります!初めての経験であります。
数は少ないけど、全国でいっせいに上映され、観客は長蛇の列だそうです。巨費を投じて宣伝し、収益を上げていく方式で
シネマの中身は「ナニッ!マジかよ!」的作品が多いシネマ界なのですが、このシネマはその手のシネマとは違います。
年間3万人以上の自殺者が出る国、その18パーセントがうつ病が占める国、その国の、ある地方のある場所で、であい、つど
い、くらし、いきがたさと向き合い、支えあい、傷つけあう、人々の精神の日常が描かれるシネマです。
普段の暮らしと同じように、BGMも、ナレーションもない。ドキュメントシネマは、そこに登場する精神障害当事者と観客を
ピュアに出会わせてくれます。
このシネマの監督の前作は、「精神」と同じ手法、まなざしで作られた「選挙」という作品でした。そこには見事に人間が描
かれていたのであります。
ドキュメントにつきまとう、あのいやらしさ・・・こう描いて、こうもっていこう、そして最後はこれで盛り上げて感動へつなげる、
よし、いけるぞ!出演者はそんな発想に合せられ、BGMとナレーションで補足して一丁あがり・・・とは無縁である。
うれしい!本当の人が見れる、人間とは何かの問いに近づけるのであります。ドキュメントの革命と言われて、数々の賞を
受賞しているのですが、本来あるべきドキュメントの王道を歩いているように思えます。
天神に見に行く予定が果たせずに残念ですが、鑑賞した友人の精神障害当事者の感想を聞くと、益々見たくなってしまうの
でありました。出演している精神当事者の方の自己をさらけだす覚悟と思いと決意に、声援をを送りたいと思います。
しかし、当事者に覚悟と決意を求める社会のありようって、やはり、変えていかないとな〜と思うのでありました。
あ〜早くDVDにならないかな〜とため息一つであります。
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涙を抱いた渡り鳥・・・水前寺清子
幼児体験は、けっこうやっかいで、納豆のように糸を引くのである。いい大人になって、なんでワタシはこうなんだろう?とそ
の原因の糸を手繰り寄せると、少年あるいは少女のジブンと再会することになるのであります。それはそれで気恥ずかしい
ものであります。
あの頃、どうも自分と他人は大きく違いがあり、そのことで人より多くいやな思いをするのは、自分がだめだからだと被害
者意識と自己否定に固まりつつあったのですが、そのとき、折れそうな心を少し支えてくれたのは歌であります。演歌であり
ます。水前寺清子さんであります。涙を抱いた渡り鳥であります。そのワンフレーズであります。
つまり、「♪いい〜さ♪」であります。
何があったかは知りませんが、旅行人の苦労や、寂しさや、切なさを、「♪いい〜さ♪」と、一気にひっくり返し、引き受け
て、渡り鳥であねことを肯定する歌であります。からっとした自己肯定は、大げさに言えば生き直しにつながるものであります。
こんな理屈は後からわかってくるものでありまして、その時はわけもわからないのでありますが、「♪いい〜さ♪」と口ずさめ
ば、辛さが減り、自分が少し元気になれたのであります。
演歌は援歌である。というのが水前寺さんの哲学だそうです。援歌は、自己肯定に向かう人の背中を押すのであります。
魔法の言葉や呪文は、短いほどいい!忘れずにすむからであります。
編集後記
国会は解散し、梅雨は退散し、私は計算した。なんの計算?言えない!しかし、「自立支援法改正法案」を廃案にしたまま
の解散はひどかったし、梅雨はこんなに雨を降らせてどうするんだと思うほどひどかった。
しかし、何はともあれ夏は来たのです。この夏を乗り切らないといけません。
みなさん、意外と夏風邪って多いですから気をつけて!それと熱中症の約半分は家の中で起こってるそうなので気をつけて!
と、声を大にして、皆々様の無事を心よりお祈りします。
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2009年5月10日発行
ページ1
-次の世に生まれ来るなら-
次の世に 生まれ来るなら なにげなく 君が目をやる TULIPになる
陽水の歌で「人生が二度あれば」という作品があります。かなり古い歌なのです。陽水のいつもの不思議な詞とはかけ離れ、
リアルで少し暗い歌ではあるのですが、「人生が二度あれば、この人生が二度あれば」というサビは何十年経っても胸の中で
リフレインされるから不思議です。
もし、「次の世に生まれ来るなら」という問いは、今を生きることを支えてくれる力があります。今の世で成しえない事柄を次
の世に託せるというのは、例え仮定の話しとしても、少し心が張り切るせいかもしれません。
想像力をもつ生き物である人は、もう一つの現実を生きることだってできるのだなと思います。人生が二度あれば、と思っ
たとき、今の自分と違う自分を知ることができるかもしれません。この問いは、多分色んな文化を生み出したに相違ありませ
ん。五月の薫る風になでられ、次の世ではTULIPになりたいと思ったのでありました。
TULIP一品種アンジェリケの花言葉は夢であります。
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五月の黒木は花の国!
四月二十八日。ゴールデンウィーク直前に、レクリェーションで黒木に行ってまいりました。
今を盛の「芝桜」が見事に咲き誇っておりました。それはそれは見事としか言いようのないもので、花の美しさと、香りに酔
いしれてまいりました。久しぶりに池田さんも登場!いつか絵になるかもしれませんね。
けっこう、もやいは花に執着するのです。芝桜と、藤を見に行こうということになり、花好きの池田さんと、めったに遠出がで
きない松本優子さんに声をかけ出かけました。
黒木はいいです。空気がおいしいのです。そのうえ花に囲まれ、ご飯もおいしく、幸せでした。
次は、何の花を見に行こうかな!
むらさきの 藤よ真紅の 芝桜 我が胸こそを 大地となして
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内輪なニュース・・総会などもありまして
Tシャツコンぺ決定!
今年のTシャツコンペは、なんと2人が優勝し、優勝した2人のアイディアを合体することとなりました。
一人は、Aさんで、携帯電話でTシャツをスキャンしSOSのホームページトップにアクセスができる「スキャンTシャツ」であり
ます。さすがパソコンオタクであります。
もう一人はBさんで、漢字をデザインしてクイズにする「漢字検定Tシャツ」であります。さすがB型意表をついたアイデアであ
ります。 おめでとう!パチパチ!
決算総会と予算総会
5月2日に法人の総会を行いました。2008年度の事業報告と決算報告・2009年度の事業案や予算案など全て全会一致で可
決されました。
2009年度も、障害者や高齢者の社会参加の情報支援のマップシリーズの更新や、夜会Vでの障害者と健常者の交流文
化活動、当事者同士の支え合いであるピアカン活動、重度障害者の生産と創作活動の場である地域活動支援センターの
運営など・・・。また、大障協や自立支援協議会など他団体との連携を大切にしていくこととなりました。
いつものように、障害当事者の主体性とペースを大切に、色んな人たちと連携して、全ての障害者の地域での自立と解放を
目指して、みんなでコツコツやっていこうということで盛りあがりました。
武田さんから、SOSも25周年だから記念誌かドキュメント映画を作ろうという提案があり、「俺」という自伝を書いた経験の
ある武田さんを中心に、考えていこうということになりました。
終了後は、みんなでお弁当を食べつつお酒を飲んでにぎやかになりました。こうしてゴールデンウィークの初日は開けたの
でした。
理事長ショック!
我らが有松温之理事長は、大ファンで、ライブにも時々行っていたロック歌手・忌野清志郎さんがガンで亡くなっ
たことで大きなショックを受けているのであります。
「俺はもう歌は聴かない」と弱弱しく文字盤で語り、嫁さんから、「馬鹿じゃなかとね!」と怒られたのであります。理事長がん
ばれ!忌野清志郎の死に負けるな、嫁さんの罵詈雑言?に負けるな!
♪どうしたんだいHey Hey Baby バッテリーはビンビンだぜ いつものように決めて ブッ飛ばそうぜ♪
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シネマで愛して・・・ザ・トゥルーマンショー
大胆不敵、荒唐無形でありながら、それでも成立するのがシネマのウイングの広さであります。よくもまあ、大風呂敷を広
げやがって!と思うし、「あるなと思います!」とは言えない設定が見えみえなのですが、ラストシーン主人公のトゥルーマンの
英姿颯爽と未知へと向かう時に感じる解放感は、結構心に沁みてくるものがあります。
ユニークな設定のストーリーはこうであります。
テレビ会社が、街のセットを作り、生れたばかりの彼を養子にして、セットの中で育て、テレビ放送し視聴率を稼ぎます。セッ
トの中で働いているのを知らないのは彼だけです。彼以外は俳優たちが仕事として、決められた役割を演じており、彼はそ
れが自分の人生だと信じて疑わないのであります。しかし、ふとしたきっかりで、彼はある日、自分の人生が全てセットであ
ることに気づき・・・ということなのですが。
このシネマなんだかいろいろ感じさせるものがあります。頭の中を色んなワードがグルグルと回ります。自由、自立、真実、
未知、安定、虚構、幸福、脱出、疑問、教育、商売、象徴、仮託、家族、脱出。作者が意図したかは別として、人間はどんな
環境下であろうと、自立の意味を教えられなくても、自立を目指す生きものであるという、人への希望を語っているかのよう
でもあります。
いや、そうではなく、テレビで彼の人生を見て楽しんでいる多くの視聴者とテレビ局で作り上げる虚構に参加する人々への
絶望こそを語っているかのようでもあります。
様々な見方が出来るというのは、あるいは、したくなるというのは、このシネマのもつパワーであります。
アクの強い、ジム・キャリーではありますが、そのアクの強さがこのシネマを成功に導いているのであります。
さすがジム・キャリーです。
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09SOSオリジナルTシャツ・・発売漢字検定Tシャツ
いつも、いつも、ご協力本当にありがとうございます。
今年のオリジナルTシャツは、漢字のクイズが楽しめる『漢字検定Tシャツ』になりました。携帯電話で、Tシャツのバーコード
をスキャンすると、漢字クイズの正解が見れるようになっています。
みなさん、クイズに挑戦してくださいね。
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BLOWIN IN THE WIND・・風に吹かれて ボブディラン
どれだけ?どれだけ?とつぶやきたくなるのが人生であります。人生は悲劇に満ちているわけですが、人生の悲劇は2つ
に集約できる気がします。金がない悲劇と夢がない悲劇であります。
できれば、夢がない悲劇は避けたいなと思うのですが、夢があればそればそれですむかといえば、夢をもったばっかりに、
艱難辛苦、四面楚歌。息も絶え絶えの夜を涙目で過ごすはめになったりします。そんな夜は、もしかしたら人生の悲劇は、
金がある悲劇と夢がある悲劇ではないかと、自分に毒づいたりするのであります。
こういう夜は、音楽を聴くしか、思いを浄化する方法がないのであります。そんな夜、聴いたのはこの歌であります。言葉を
飾らずに、どれだけ?どれだけ?と率直に問い続け、そして最後は、♪答えは/友よ/風に吹かれている/答えは/風に
吹かれている♪で終わるこの歌でありました。
答えがわからないと、わからないことに絶望する真面目な人や、わからないはずがないと背伸びをする人々に、「人は神で
はないしね、もう少し気楽にね」という至極もっともなメッセージを送っている歌であります。
「月見るは 目の力と思うなよ 月の光で 月を見るなり」という古い短歌もありますが、人は己の力をつい過信しがちであり
ます。己の力で見ているつもりでも、実は月の明かりで見せてもらっているのであります。この歌は、そんな思いもこもって
いるような気さえします。きっと夢のある悲劇を無くす歌であるかもしれません。
22世紀に残る名曲であります。
編集後記
「戦争と平和・朝鮮半島1950」という本を、読むことにしました。
知っている人が書いた本でもあるので、是非読破したい思うのですが、700ページもあるので覚悟がいります。
読書も格闘技の側面があるのです。
読む前に体調を整えておきたいと思いヤクルトばかり飲んで1ページもめくっていません。あー。大丈夫かな?
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2009年4月10日発行
ページ1
-乗り物が変われば-
乗り物が 変われば景色 変わりゆく やゆーんやゆーんと ぶらんこ揺れろ
昔、むかし、わたくしの家の庭には、桜の木があり、その横にブランコがあったのです。
そのブランコの板は白いペンキで塗られていたので、ビリーバンバンの「白いブランコ」をヒットさせた時は、感傷にひたった
ものです。車いすに乗っていると、車いすの目線からしか桜が見えないのですが、ブランコに揺られ、高くなったり低くなった
りすると、桜の木も違った角度で、見ることができて、とても新鮮な気がしたものです。
しかし、最後は、腰の安定が悪いこともあり転落!「酷いブランコ」となってしまったのでありました。このことによる教訓は2
点でありました。
教訓T「ブランコをなめちゃいけません!」
教訓U「当事者の目線と非当事者としての目線を知らないといけません!」
が導き出されます。春の小公園で、ブランコに揺られると心も揺れまして、自分なりの小さな哲学がうまれるのでした。
ページ2
夢芝居 終われば 桜吹雪かな
4月2日のSOSの花見は快晴でありました!
寒くもなかったのです!(パチパチ!)暑くもなかったのです!(パチパチ!)天候に恵まれた花見はゆったりとした空気の中、延命公園の
満開の桜の樹の下で行われました。
それぞれの顔が見え、一人一人会話が交わせたり、みんなで会話を交わせたりとなかなか楽しいものでした。
恒例の「その場でつくる俳句大会」催されたのであります。各自こころをひねったり、頭をひねったり。全員で俳句を作り、みんなで投
票して3位までを選びました。
今年の優勝は!中川透さんでありました!見事な句であります。
準優勝は!古賀佐和子さんでありました!素敵な句でありました。
3位は!ヘルパーさんでありました!温かい句でありました。
参加者のみなさんおつかれさまでした!
第2回「その場で作る俳句大会」の優勝を見事手にしたのは、中川透さんでありました。俳句歴?十年の俳句会の巨匠であります。
『夢芝居 終われば 桜吹雪かな』
さすがに大人だねって感じの句であります。還暦を迎え、ちょい悪親父の雰囲気と共に、句にも深みが増してまいりました。
また、帽子のセンスにも磨きがかかり、なんだか青春のリフレイン状態であります。優勝おめでとうございます!
『桜降る 新たな出逢い 道標』
準優勝の賞品を手に微笑む古賀佐和子さんであります。
五行詩で新境地を開拓中。やはり永遠の「言の葉少女」であります。
『桜舞う ヨチヨチあゆめ 四男坊』
有松由里子さんのヘルパーさんは、母「心」のこもった句で賞品をゲット!さすが「心介」であります。
ご協力ありがとう!
ページ3
内輪なニュース・・SOS&もやいの動き
★定年退職
SOS(応援センター)やもやいを間接的に支えてくれる人たちがいてくれるので、わたしたちの活動が出来ています。
その人たちのひとりである田中さんは、学校の教師として、子供たちに人権の大切さを伝え続けてこられたのですが、この
たび、定年退職を迎えられました!教師という、子供たちと向き合う忙しい日々の中で、もやいのバザーや夏祭りを中心に、
柳川から駆けつけてもらい、暑い中、また、寒い中、元気な声と、素敵な笑顔でバザーの販売を行ったり、女性障害者の介
護を手伝ってもらってきたところです。
定年という大きな区切りに、SOSともやいの障害者一同心を込めて、言いたいと思います。
「定年退職というゴールお疲れ様でした。そして、新しいスタートおめでとうございます!」
これからもよろしくお願いします。
★リニューアル
SOSのホームベージに載せている「ピープル」のページがリニューアルされました。
池田さんの「介護要請ビラ」や「200字コラム」など、ピープルの人以外の人にも見てもらえるようになっています。
ピーフルの人だけが見れる会員専用ページもリニューアルされています。
ぜひ一度ご覧ください。見に来た方には画面上で池田さんがご挨拶いたします。ふぉー!
★お便り
久保田恵さんよりお便り届きました!
彼女が宗像に帰ってから随分になりますが、こうしてお便りをいただくのはうれしいものですね。
彼女のペースで一生懸命地域の中で生きている様子が伺えて、さらにうれしくなります。共にたたかったSOSのハートを胸
に秘めて、彼女らしく輝き続けて欲しいと思います。
福岡養護の先輩としてひとこと、二次障害には充分気をつけてね!
★コンペ
「もやい夏のオリジナルTシャツ」の時期が近づいています。
今年も、もやいメンバーによるTシャツデザインを決める「コンペ」がまもなく開催されます。
最優秀賞が今年のデザインになるのです。みんなそれなりにライバル意識が火花散らしております。
前年度の優勝者、久冨宏二さんのV2なるか?
★名刺
温泉・自立・福祉マップなどの活動などで、名刺を使うときがあるのですが、その名刺を、中川透さんがつくったところ、
みんなに好評!
次々と注文が舞い込んでおります。中川さんあんまり無理せずにがんばってください!
ページ4
シネマで愛して・・・ショーシャンクの空
どこであろうと、どんなワケがあろうと、身に覚えがないのに、長時間特別な特別な場所に、隔離されると、人はどうなってし
まうのかは、体験しないとなかなかわからないのであります。望んでいない場所だから抜け出したいのでありますが、時が
降り積もると、人は抜け出したいという希望が手のひらに載せられそうになると、怖くなるのであります。何が怖くなるかって
いうと希望の実現です。
このシネマ、人間のもつ根源的な意思の強さ、その意思の強さを支える希望の存在が基本的なテーマとなっているのであ
ります。その部分は主演のティム・ロビンスが見事に演じきっております。
そのエピソードも、泣かせます。しみじみと心に沁みてくる、人であることの幸福感は、シネマの醍醐味でもあります。
しかし、このシネマを名画としているのは、希望の前でうろたえ恐怖する人の存在であります。わたくしは、どうしてもその人
に感情移入してしまいます。死んでいく老人を通して描かれる、人であることの切なさは、このシネマに奥行きを与えていて、
単なる脱獄劇でない物語を成立させているのでありました。
物語を語っていく副主人公のモーガン・フリーマンの渋い演技も、いいのであります。
シネマは、原作・脚本がよいと監督、役者、スタッフも、いい人々が集うようになっているのであります。そして、そこまでそろ
うと2時間半という長さも気にならないのは言うまでもありません。
しかし、小さなハンマーで20年間こつこつと壁を崩していく意思の強さは、感動すると共に、ブログを書いても3日ともたな
い、禁煙誓っても3日ともたないわたくしごときにも、勇気を与えるエピソードでありました。そうそう、このシネマにちりばめら
れているエピソードは、図書館の話しにしても、本当に感動的であります。
暗く地味なヒューマンドラマとカテゴリー化されているシネマですがわたくし的には、人と希望のせめぎあいの哲学ドラマのよ
うに感じたのであります。
名画といわれれるシネマはラストシーンが印象に残るものですが、このシネマも、すてきなラストシーンが用意されていま
す。生きてるっていいね。
ページ5
街はぱれえど・・・泉谷しげる
♪街はぱれえどさ 街はぱれえどさ だけどだれも たれも迎えに来ない♪
入所型の施設はなぜか山の上だったり、日本昔話に出てくる畑のそばだったりすることが多い。「花は咲き、鳥はさえずり、いい環境
ですね」といわれるたびに。違うだろ!と心の中で叫んだものであります。
見渡す限り、スイカ畑の中で、この歌を聴いたときは「おー!」てな感じで心が騒いだのであります。いま、自分はどこにいるのか?
どうなっているのか?どうなっていくのか。3つの?答えを教えてくれる人もなく、鬱々としていたあの日々・・・。わたくしを支えるお友
達は、職員に隠れてやるマージャンと、スイカ畑で聴く歌でありました。
♪外を見てみろよアベックが通るぜ いい服着てどこかに行くんだろう♪
この歌を、暗い僻みのうたであるという人は多いですが、はたしてそうでありましょうか。少なくともわたくしはこの歌で3つの?の1つ目
の「どこにいるのか」を理解したのであります。
自分が「いま、ここ」に居ることがわかり「いま、ここ」から「街はぱれえど」を眺めなおしたとき、わたくしの「ショーシャンクのそらに」が
始まったのであります。
当事者でないと歌えない本物の歌は、人を旅立たせる力をもつのであります。
♪朝 仕事場に来たとき あいつの目を一番気にする あいつしだいだもんな♪
あれから35年。わたくしと同じポリオの泉谷さんは、還暦を越えてなお過激なライブをこなしているのでありますが、
一方で、ポストポリオに悩まされているのかなと心配するこのごろであります。
編集後記
「爛漫の桜に妬けて風散らす」「鬼嫁と離れて座る花見かな」SOSの花見は俳句で盛り上がりました。
寒い春も終了。緑がエンパワメントして若葉が萌えだすゴールデンウィークが目の前です!
みなさん遊ぶ時は楽しく遊びましょう!
大型 連休終了後、もやいの中でエピソードが聞けるのを楽しみにしています。
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2009年2月10日発行
ページ1
-胸さらうエイブル・アートの-
胸さらう エイブル・アートの ウエイブよ!
社会福祉法人「地域福祉を支える会」主催の「現代国際巨匠絵画展」(2月7日〜9日・文化会館)の会場には、めったに見
る機会のない世界の巨匠の作品と共に、我らが宇耐さんを始めとした障害のある人たちの作品が展示されていました。
会場は、とっても素敵な雰囲気で、わたしたちの心の中の隅々までやさしく、そして激しくアートの波が押し寄せ、幸せな気
分にしてくれました。これが文化の力だなと思います。
障害があると、悲しいことに様々な制約を受け、なにものからか遠ざけられがちですが、文化という目に見えないものから
は、特に遠ざけられてきた感があります。障害のある人々の体や心の中に眠っているかもしれない文化の力を解き放つ試
みをみんなで進めていけたら・・・と思いました。主催者の皆さんありがとう!
ページ2
障害学のーと・文化革命
昨年の「サン・アビまつり」では、中国障害者芸術団の「千手観音の舞」の素晴らしさに息をのみ、知的障害者太鼓集団「瑞
宝太鼓」の織り成す太鼓の響きが心の奥底に届き酔いしれました。その前年、北九州行われたアジア障害者洋舞コンテス
トに「もやい」も参加しましたが、そのときのアジアの障害者のダンスにおける動きの美しさも印象に残りました。
もっとさかののぼれば、精神障害者劇団の舞台にも鳥肌が立った記憶があります。
そして今回の絵画展!これらの記憶に共通するものは、表現方法を超え、時空間を超え、障害者差別を超え、心と体を奥
底から揺らす力があるということです。そこに人がいて表現への思いのほとばしる人がいて、アート化されたとき生み出され
るものは、私たちが追い求める理念としての自立や共生や反差別ではなく、自立や共生や反差別への思いを醸成したくな
るほどに、人であることのいとおしさを「揺れ」ながら感じる感覚かもしれません。
そしてそれは大切なことのように思われます。
理論や価値観に依拠し、自分自身の正義を疑うことのないとき、その地面の下でひとへのいとしさや、かなしみの地層が崩
れ去っていれば、人をつらさから解き放つ活動をしているつもりなのに、逆に人を追い込んでいるのではないかと思えるとき
もでてきます。そうならないために人は無意識にその方法を探し、また、作りだそうとします。その行為の総体を文化という
のかもしれません。
極論ですが、人は全てパフォーマーです。表現しないことで表現することも含めて表現者ではないかと思います。その中で、
障害者というカテゴリーは、社会的にも表現の方法に制約を受けやすいといえると思います。
しかし、いま、障害者アートが広がりつつあるように障害のある人々の地域生活への移行によって、職場や地域の中で共に
生きるための文化革命が静かに人の心のありようを変えていくのかもしれません。
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障害者児福祉制度を若干お伝えします!
☆ほんとかな?(応能負担へ!)
新聞が伝える「応能負担」への転換記事
自立支援法の中でも異議申し立てが強かった「応益負担」がどうやら「応能負担」に戻されそうというという記事です。
素朴に「ほんとかな?」とおもいますよね。改正法案を見て、内容を確認しないとね。
『障害者自立支援法』の見直しを検討している与党は10日、障害者が介護など福祉サービスを利用する際の負担を軽減するため、
原則「1割の自己負担」から、所得などに応じた「応能負担」へ改める方針を固めた。来月にも改正法案を国会へ提出し、来年度中
の実施を目指す。(読売新聞2009年2月10日)
☆少し前進かな?(駐禁除外問題)
「駐車禁止除外規定」の利用者の範囲については障害者団体が警察に規制緩和を要望していましたが、その成果もあっ
て、少し前進しました。
ただ、駐車については、健常者のマナー違反が多く、障害者が利用できないケースがずーっと続いています。
この問題の解決も忘れずにね!『平成19年に「障害級別が1級から3級までの各級」に該当するものを対象としたところであ
るが、これを「1級から4級までの各級」に変更する。(警察庁より都道府県警察本部長への通達文より)
★障害者権利条約にまつわる2つの情報?
2つのお知らせを!
1つは、障害者権利条約が国連総会で採択されてから2年が経ちます。早いものですね!日本はこれを受けて、署名をおこ
ない、批准に向けて用意を進めてきましたが、やっと3月の上旬に通常国会に法案の提出をするようです。遅いですよね!
しかし、やっと「お互い違いを尊重するための合理的配慮」の実現へ一歩踏み出します。でも心配なのは、「中身のない形
ばかりの批准」になるんじゃないかということです・・・
Nothing about us Without us
わたしたちぬきに わたしたちのことを きめないで
であります!
もう1つは、このわかりにくい障害者権利条約の知的障害者向けのわかりやすい条約まもなく刊行されます。この本は知
的障害者当事者も参加して造られた本です。知的障害者だけでなく、ワタクシもほしいと思います。
ご近所支え合いネット?
大牟田市が始めている事業で「大牟田市災害時要介護者支援制度」いわゆる「ご近所支え合いネット」は、災害時に援護
を希望する高齢者や障害者の登録を進めています。
ページ4
シネマで愛して・・・THE GRADUATE 卒業
「青春」という言葉は、わたくし的にはヤな感じがするのであります。それに「恋愛」という言葉も、ヤな感じになるのでありま
す。つまり、わたくしは青春時代に手ひどい恋愛を経験し、そのトラウマを今もひきづっているのであります。
あー、なんて心の狭い人間でありましょうか。
このシネマ「青春」と「恋愛」で成り立っているのであります。ヒェー!勘弁してよという感じで見たのですが、意外にも、青春
と恋愛に対してひねくれたわたくしにも、さわやかな風を送り込んでくれたのでありました。
別にストーリーに感動したわけではないのですが、ダスティ・ホフマンの身体的動きそのもので感じさせる「青春の疾走」の
表現の素晴らしさと、キャサリン・ロスのまなざしの輝きそのもので感じさせる「恋愛の政治」のダイナミズム!
いやいや、それよりなにより、なんといっても音楽である。SGによるサウンド・オブサイレンスに見る見事な「人生の迷路」の
メロディーとハーモニー!「青春の躍動」と「恋愛の政治」と「人生の迷路」が揃って、わたくしの安っぽいトラウマが解消して
いくのでありました。
走るダスティン・ホフマンのスピードや、「エレーン!」「ベン!」と呼び合う名のシーンのあまりのドラマテック性に、少し引きなが
らも、わたくしのドラマから卒業させてくれた「卒業」やはりいいシネマではあるのです。
このシネマを境に、ダスティン・ホフマンもキャサリン・ロスも役者として疾走し始めます。うーん、二人とも青春だよな!
この作品1969年度の作品なので、40年の時を超えるのであります。青春の御伽噺は、時を越えて多くの人に何がしかの
メッセージを発信するのでありましょう。
名画と共に生きる幸せを感じつつ今回は退場!SGのCDを聴きつつ乾杯!
ページ5
出稼ぎのうた/高田 渡
♪冬が来るとおいらは渡り鳥 暖かい働き場所を求め 冷たい汽車に乗り込む 雪が解けて春が来るまで♪
こんなはずでは・・・という社会状況が続いている。ヤな時代なのだ。どの企業がどのくらいの赤字決算で、どのくらい人員整
理をするかというニュースが続く。寒風吹きすさぶ中で誰もが暖かい働き場所を求め、冷たい夜汽車に乗り込んでいるの
だ。「働く」がとわれる。もっと正確に言えば、働く量が問われている。
しかし、この働く量にまつわる問題が一時的に沈静化すれば、人はまた、ひと時の安定になすすべもなくなるのではないか。
その時代に沁みる歌というものがある。
今は高田渡だ。彼が大牟田で何度かライブをし、もやいをそのたび訪れてくれたから言うのではない。どうしてもその歌の空
気がそのまま心に沁みてくるからだ。
「働く」の量ではなく「働く」のありよう自体を自己に問わないと、もうワタシもマチもクニもやっていけないのではないか?詩人
をまねて言えば、「暖かい働き場所」へいくな!「暖かい働き場所」をつくれ!なのだと思う。1月29日、東京での小規模作業
所全国大会のパネルディスカッションの席でそうひらめいた時、この歌が鳴り響いた。
「働く」から排除された場所にこそ、暖かき働き場所が生れる可能性があるのだ。地域における社会システムの転換へ!
金が真ん中の市場原理主義から特定の人々を排除しない人が真ん中の協働原理主義へと針路をとろう!
編集後記
1月は行き、2月は逃げ、3月は去り、そして春が来るのであります。
インフルエンザが猛威を振るいましたが、みなさん大丈夫でしたか?春は目前です。
紅梅の美しさと香りを今のうちに楽しんでくださいね。もう少しすれば「桜の国」となります。
四季があってよかったなと思います。色んな花を楽しみましょう。興が乗れば俳句でもひねって!
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2009年1月10日発行
ページ1
-謹賀新年-
うれしいこともかなしいことも草しげる
芭蕉の句には感心させられ、山頭火の句には感動させられます。句は、短いことばの羅列なのに、何故こんな違いを感じ
るのか不思議です。
二人ともこの国を放浪した句人ですが、その放浪のありようは大きく違います。芭蕉は芸術性を極める旅行を山頭火は命の
ありかを求める旅をしていたような気がします。両者の句を味わえる現代人は幸せですが、新年を前に思い浮かんだのは、
すべての権威に無所属な放浪家である山頭火の上の句でした。
この句は、深い諦めと深い望みを表しながら、それでいて人を励ます力を宿している気がします。
さて、"09年が始まりました。今年もいくつかの草がしげることでしょう。うれしいこともかなしいこともやっくるてしょう。
でも、いつものように、できることをできる限りやって、そして、少し笑って参りましょう。今年もよろしく!
ページ2
クリスマス会と忘年会で"08年にさよならだ!
☆ SOSのクリスマス会は、「クリスマス難民?救済!」みたいな感じで始まった歴史ある集い?なのです。
今年もやりました。もやいの引越しのおかげで、ケーキ屋のとなりの事務所なので、ケーキには不自由しません(拍手パ
チパチ)色んなケーキを食べつつ、ワインも飲んで、みんなご機嫌になりました。メリークルマイス!いやさ、メリークリスマスであります。
☆クリスマス会の目玉は、プレゼント交換!みんな300円で工夫を凝らしたプレゼントを用意。
意外なプレゼントに歓声があがるのでありました。
☆全員参加の早抜けゲームでは、シンさんが一番に抜け出してみんなを驚かせました。
結局、有松理事長チームが逆転優勝!見事に豪華商品をゲットしたのでありました。
☆"08の締めくくりは、ミニ忘年会。温泉マップ作りの年だっただけに、場所も玉名の謀温泉。
みんなお湯につかり、今年の疲れを洗い流し、すっきりしたところで、なべを囲んで、1年間の思い出話にゆっくりと夜が更けていくのでありました。「ほんとに、ほんとに、ほんとに、ほんとに、ご苦労さん!」
ページ3
シネマで愛して・・・ミリオンダラーベイビー
C・イースウッドは、私の中で、いまだ英雄であります。「ダーティハリー」シリーズは衝撃でしたし、シネマを作る側に回って
も、いい作品を生み出しています。
才能豊かな人なのだと思います。「ミステックリバー」などは最高でありました。数年前、わざわざ劇場まで出かけたのです
が、そのかいがあったというものです。
さて、このシネマ。作品としては手堅い作品なのですが、シネマの外で議論を呼んだ作品でもあります。
百ドルを稼ぐ女になった主人公マギーが四肢麻痺患者となり、死を望み、フランキー(C・イーストウッド)がその願いを実現さ
せた部分に対して論争が起きたのであります。
ワタクシと同じように障害学(当事者による視点からの社会学)を志す、障害者団体が抗議の声を上げたのであます。その
主張は鋭く、かつてバリアフリーに関する法律制定において、障害者団体と対立した過去を持つC・イーストウッドに向かいました。
寝たきりになった重度障害者の尊厳死の問題をはらんだ論争は、今でも繰り返されているのであります。障害者団体の抗議の根拠は、ワタクシの主張ともつながっています。その主張は少数ではあるものの、いやというほどの差別のまな
ざしを受けてきた者として、人の真の尊厳とは何か提示するものでもあります。
いつも、シネマの中で障害者は感動を誘う小道具として配置される時代が続いてきたのであります。しかし・・・
しかし、悔しくともせつなくとも、シネマそのものやC・イーストウッドに教条的な理論を振り回してはいけないのであります。
シネマは社会を移す鏡でもあり、作品は生き物であります。ワタクシ達の思いは、日々の活動の中で、また、このシネマのよ
うに多くの感動を呼ぶシネマや他の文化的手法でひろげるべきであります。
障害学のーと
自立賀新年?
あけましておめでとうございます。
いつも、勝手気ままに、感じたことを書き連ねてまいりましたが、本年もよろしくお願いいたします。
さてさて、1960年代後半。介護が必要な重度障害者が、地域での自立を意識して施設を飛び出したのが、日本に
おいての、いや世界においての自立生活運動の始まりのわけですが、「自立を意識して」というところが、肝心な
ところです。
何からの自立か、何のための自立か、施設から出て地域で暮らすのは命がけの時代です。何度も自問自答が繰り返され
たと思いますが、親も親戚も絶対反対の中、公的介護システムは何ひとつ無いのに、彼ら、彼女らは飛び出しました。
彼ら、彼女らは、自分だけの自立を求めたわけではありませんでした。同じように重度の障害がある人々の自立へつなげる
ことが根っこにありました。
ビラを撒き、介護者を募り、少ない介護者を障害者同士で紹介しあい、食事や入浴やトイレをがまんしながら、自立生活の
地平を切り開きました。航路を選ぶ自由を得た重度障害者たちにとっては、自立生活のつらさを笑いへと転化することさえ
可能だったのです。そしてバトンは第2自立世代に渡されていきました。
あれから40年経ちました。時がたち、社会がどんなに変わろうと、いまだに、私たちは、自立が信念であり続けています。
信念明けましておめでとう!今年も活動の源へいざ!
ページ5
吉田拓郎・・・イメージの詩
♪闘い続ける人のこころを誰もが分かってるなら 闘い続ける人のこころはあんなには燃えないだろう♪
「戦い」でなく「闘い」の定義はむずかしい。いえることは、闘いは門構えの中にあるように、自己の闘いに力点があることだ。
戦いはどうしても他者との戦いに力点が置かれる。外に向けての戦いは正義の旗が翻り、どれだけ違う価値観を持つ他者
を傷つけるかが目指される。それに比べ、内に向けての闘いは、正義とは何か、公平とは何か共生とは何かと迷い、わたし
はそれに向けて生きているのか?と自分を問い続ける旅だ。
あー、なんて暗く、かっこ悪く、地味なんだ。しかし、それでいいと思える瞬間がある。それは、信じても信じても何かに裏切ら
れ続ける毎日の中で、戦いの斧を手にしたい欲望に誘われたとき、それを止める声がしたときだ。
「かっこ悪くてけっこう、人間なんてラララだからね・・・」様々な場所で、様々な形で、「共に生きる」を生きようとする人々が
いる。戦いの斧を手にせず、闘いの鍬こそを手にし、ワタシを耕しマワリを耕し続ける人々・・・戦う人々に比べ、なんてかっこ
悪く、なんてわかりにくいんだ!しかし、希望ってやつは、耕された大地からしか生れてはこないのだ。
この歌を聴くと、いつもそういう思いにとらわれる。浜田省吾がカバーし、拓郎よりうまく歌ってみせたが、この歌はうまく歌っ
てはならないのだ。叫ぶように祈るように、そしてかっこ悪く歌わなきゃね!
編集後記
「牛はのろのろと歩く」なんとなくそこがいいと思います。
スピードや能率や効率だけが評価されがちですが、「のろのろ」もまた人に必要なあり方ではないかと思いませんか?
何があろうと「のろのろ」と歩き続けて、いつの日か小さな望みを牛(ギュッ)と抱きしめたいものです。
さて"09年のスタート!今年もよろしく。
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2008年11月10日発行
ページ1
-祝!還暦U-
先月号に続いての「祝!還暦」なのであります。武田さんに遅れること1ヶ月。
なんと中川透さんが還暦を迎えられました。おめでとうございます!
10代の頃は、ワイルドでありましたが、地域での長い在宅生活を経て今は充実した自立生活を送られているの
であります。時の流れは、ワイルドからマイルドへ中川さんを変えました。俳句で表現される中川さんの世界は、
停止した3坪の空間が、風や虫や匂いや音や気配などを通して、流動する社会と切り結んでる気がします。
もやいでは還暦の先輩武田さん差し入れの手作りケーキや赤いパンツやシャツのプレゼントで盛り上がりました。
ページ2
-2008年完走!-
"08おおむた障害者支援センター・地域活動支援センターもやい 365日なんとか完走!したよ!
★バザーも頑張りました!
"08年の地域活動支援センターもやいは、メンバーも増えて、新鮮で賑やかになりました。そのメンバーでビ
ーズつくりや夏のオリジナルTシャツ作りと販売にがんばりました!
今年の特徴は、もやいが加盟している「大牟田障害者協議会」の関係でバザーの種類が増えたことです。
文化会館の中でのバザー(部屋の中で楽です)や、市役所の厚生会館の中での新たなお客さんと出会えました。
また、例年協力してもらっているTシャツ販売では、今年も多くの人に協力いただきました。
本当にありがとうございました!地域活動支援センターは、厳しい財政状況ですので、来年もバザーをがんば
りたいと思います。よろしくお願いします。
☆ナショナルキッドは口笛を吹くだろうという「二人芝居」を夜会Uで上演しました。
「障害者文化の応援と文化を楽しむ」をコンセプトにした「夜会」シリーズの第2弾を4月に行いました。
8ヶ月かけて芝居の稽古は大変でしたが、役者さんもスタッフも力をあわせて、みんなで作りあげた芝居は野
外音楽堂で演じられ、シニカルでコミカルでそれでいて真正面から人間の見つめるそのまなざしは、多くの人
の心に何ものかをお届けできたかなと思います。
さてさて、その後、来年の秋に大阪で二人芝居「ナショナルキッドは口笛を吹くだろう」公演のお誘いを受けました。
年が明けたら、大阪公演に向けて、まだハードな練習が始まりそうですが、でも遠くの地でやるのも、新しい
出会いがありそうで少し楽しみでもあります。
★温泉マップを障害者週間に合わせホームページにアップしました!
桜の花びらが散り終えたのを見届けた後、「障害者の地域での自立と解放」を目指す活動の一環として「SOSの応援マップ」づくりの第3弾「温泉マップづくりプロジェクト」をスタートさせました。
障害者週間の開始日である12月3日にホームページにアップし多くの人に利用してもらおうということになり
ました。
事業所の協力を得ながら「4名のお湯お湯探検隊」が調査を開始!集まった情報をみんなで仕分けし、レイアウト、ホームページにアップする作業をやりました。
おかげさまで、12月3日にアップに成功しました。新聞やテレビも大きく取り上げてくれたので、アップした3日の日だけで、500件近いアクセス(拍手!パチパチ!)があり、うれしい限りです。"09年も引き続き調査を続行
し、ホームページの充実と冊子作成に取り組みたいと思います。
☆研修やレクレーションをみんなで楽しみました!
"08年の1泊2日の研修は、大分の九重の「夢大吊橋」を見て渡ってきました。
電動車いすでも渡れたので、全員大吊橋を実感!そのほかにも、もやい独得の、今から行こうか!今からしよう
か!のかけ声で始まる「突然レクレーション」をいっぱい行いました。
ひまわり見学、河川のバーベキュー、お買い物ツアー!カラオケ大会!シネマ観賞!・・などなど。
来年も楽しみたいと思います。
ページ3
-障害学ノート-
「みんな一緒に働いても不思議じゃないよね」という文化を作り出そうね
"08年の後半になって起きた、地球規模の金融危機にあける不況のリンクはこの国にも及び、円高等の影響で全
国の労働者の三分の一を占める派遣社員の人々が次々と契約を打ち切られるなど、社会情勢が不安定化してきて
います。そればかりではありません。その影に隠れ有名企業の正社員も巧妙なリストラの嵐に襲われています。
そして当然のように、障害者のリストラが深く広く進行中です。
「障害者はいつも最後に雇用され最初に解雇される」
この現実は好景気であろうと、不景気であろうと変化しませんが、特に不況のときは、「健全者でさえ解雇の嵐
の時、障害者なんかにかまう余裕なんてないよ」という言説を生み出し、それは説得力を持つのです。
そう、悲しいことに障害当事者やその支援者さえも納得してしまいがちです。しかし、ここに差別のマジックが
仕掛けられています。先ほどの言説が正しければ、好況のときは「障害者がかまってもらえる」という事になりま
す。しかし、どんな好況時でも障害者の就労率が上がっていません。また、この言説を成り立たせているのは、
雇用においても障害者は救済されるべき存在という基本的位置づけが了解事項になっている現実です。
この現実を変えずして、障害者雇用の進展はありえません。そのためには、労働の意味や協働の意味を捉えなお
し、地域ニーズを支える経済活動などを作り出すなど、障害者というカテゴリーを超えた新たな労働・経済文化
を模索することから始まります。いくつもの模索や試みのパーツが揃い、ある日それが合体し、働くキーワード
にした新しい地域の形が出現するのではないかと思います。
ページ4
-時の過ぎゆくままに-
♪もしも二人が愛せるならば 窓の景色もかわっていくだろう♪
今年も、いろんな人のことばがあふれたのですが、記憶に残ることばは、次期大統領のオバマさんのことばでは
ないかと思います。色んな言い方で、色んなことばをあやつり多くの人々を勇気づけたと思います。
みんな、希望のもたることばを持っているんだなと、あらためて思いますよね。
そしてなにより、少しずつではありますが、希望のことばを胸に抱いて歩き始めると、窓の景色が変わっていく
のであります。
20世紀最高の演説とされる、キング牧師のあのフレーズがよみがえります。
「私たちには夢がある!黒人の子供たちと白人の子供たちが何の隔たりもなく仲良く遊ぶ姿・・」で始まるあの演
説です。
私たちも、障害児と健常児が共に育ち、学び、働き、愛し合う夢を持って生きてきているのですが、夢の途中で
くたびれたり、あまりの遠さにあきらめたり、道草くったりしている自分にあきれながらも、窓を拭き、目をこ
らしてみれば、やはり少し景色がかわっています。そんな心境になったとき、オバマさんの「イエス・ウイ・キ
ャン」が心に沁みてくるのであります。
もしも二人が(白人と黒人が、障害者と健常者が)愛せるならば
窓の景色もかわっていくだろう。
沢田研二さんの甘くせつないこの歌は、男女の恋愛を歌ったものですが、それだけではない、深い哲学というか
希望がこめられた歌ではないかと、一人思い込んでいるのであります。
編集後記
もやいの"08年の変化は、新メンバーが増えたことでした!
おかげで、すごく新鮮で面白いと好評です。そして、温泉マップの第1弾の完成です。
新聞テレビでも取り上げてもらい、ホームページのアクセス数が急激にアップしました。
今年もあとわずか、皆様、良いお年をお迎えくださいね! "09年もよろしく!
2008年10月10日発行
ページ1
-祝!還暦-
ここまでの道のりが波乱万丈だったのか、そりとも波乱爆笑?だつたのかは定かではありませんが、プレゼントさ
れた赤いハンチングで花束を抱き素敵な笑顔を見せているのは武田さんであります。
「武田さん還暦じゃないの?」というSさんのメール情報で、急遽お祝いの席が作られて、もやいは盛り上がったの
でした。 おめでとうございます!
ページ2
"08地域活動支援センターもやい研修
九重夢の大吊り橋を渡ったぞ!温泉ゆっくり浸かったぞ!
☆9月22日〜23日秋晴れの中、もやいは研修を行いました。渡るぞ!浸かるぞ!食べるぞ!を目的に楽しんでまいり
ました。「九重夢大吊り橋」は19億2200万円をかけて作られた吊り橋です。
標高777m.長さ390m(日本一)高さ173m(日本一)の吊り橋です。
電動車いすで渡りましたが、怖くもあり、景色が美しくもあり、充分楽しめました。高所恐怖症が2名ほどい
ましたが、何とか渡れました。
☆宿は温泉宿にしました。バリアフリーなので、ずいぶん助かりました。ロケーションもよくて別荘地に来た気
がしました。また、何といっても空気がおいしいのでありました。夕食までのひと時、電動組は近くを散歩。
こういうゆったりとした時間が楽しめるのはうれしい限りです。いつもビルの中でパソコンの作業が多いので、
緑に囲まれ「目」が一番喜んだかもしれません。そして、温泉に浸って、身も心も温まり、気分は上々!
☆夕食は、バーベキュー!準備が進む中で段々と暗闇が迫り、食べ始める時には回りは真っ暗に!一体何を焼いて
いるのか、何を食べてるのかがわからなーい!状態に。それにもめげず、食べるだけは食べ、飲むだけは飲ん
だのでありました。闇の中の食事は大変です。スリルとサスペンスを感じたのでありました。しかし、野外で
のバーベキューは気持ちのいいもので食が進んだのでした。
☆下の写真は「阿蘇望橋」であります。阿蘇市波野にある屋根付きの木橋です。この橋は、ベストセラーになった
小説マディソン郡の橋(シネマにもなったよね)に出てくるような屋根付きであります。木造の橋としては、
橋長41.6mは木造の橋としては、日本最長であります。
なんと、なんとロマンチックな橋でありましょうか。
この佇まい、大変よろしゅうございます。夢の大吊り橋とは違って、地味ですけど色々と物語りを創造させる
夢の橋であります。
ページ3
ひまわり娘
♪誰のために咲いたの それはあなたのためよ
白い夏の陽ざしをあびて こんなにひらいたの♪
阿久 悠さんの詞は1本のシネマを見たような気にさせますが、この歌に限って言えばプロの技巧を使わず、シ
ンプルにシンプルに出来上がっています。恥ずかしくなるくらいですが、ストレートに言い切ってしまうと恥ず
かしさを超えることが可能です。この歌に隠されたキーワードは「あなただけを見つめている・あなたは素晴ら
しい」という、他者肯定と、それを信じる自己の肯定だと思えます。つぶれない思いは本物を感じさせるので、
いつまでも歌い継がれるのであります。
さて、もやいは突然動いたりします。今からひまわり見に行かん!となって、行っちゃうわけです。そういうわ
けで、青空の下ひまわりに会いに行きました。もちろんこの歌を心で口ずさみつつであります。
真っ青な空の下、黄色いひまわりが咲き乱れ、そのひまわり畑の中から白い日傘をくるくる回しながら、一人
の女性がやってくる・・夏目雅子に会えそうな幻想は一瞬にして壊れましたが、気持ちのいい一日が遅れたので
あります。
青い空と黄色のひまわり
とても素敵な組み合わせであります。
ぶれない思いと始めに始めに書きましたが、ソフィアローレンの「ひまわり」もぶれない思いのすごさと悲しみが
描かれていましたが、私たちもまたぶれない思いだけを抱きしめてここまで来ているので、ひまわりを見ると
すこし心がシュンとします。
さてさて、黄色い花が与えてくれた元気を、もやいに持ち帰りましょう。
黒いダイヤの街が黄色いダイヤの街に変わった1日でした。
ページ4
川の流れのように
♪でこぼこ道や 曲がりくねった道 地図さえない それもまた人生♪
障害があっても育ち、学び、働き、出会い、別れ、泣き、笑い、怒り、悲しみ、喜び、病み、祈り、憎み、
許し、挫け、やり直し、生きを生きるという思いの強さが色んな活動を支えてきた。でもそれは、誰も見たこと
もない国を目指すものなので地図などないのだ。そのことが、いっぱい混乱をもたらしてきた、そのなかでいつ
もいつも私たちは深いため息をついてきた。「あ〜」と。
その「あ〜」とこの歌の「あ〜あ〜」が重なってしまうのだ。それは、それは深い「あ〜」なのだが、見たこともな
い国へ進む希望があるからこそつく深いため息なのだ。苦しいし切ないけど、それもまた人生と・・・。
川を見ると過去と未来に思いをはせてしまう。川は不思議な力があるなと思う。諏訪川沿いで、川の流れを横
目にバーベキューをやりながら、しばし感慨にふけっていると、この歌が自然によみがえりました。
名曲ゆえのことでしょう。
こつこつと「温泉マップ」の地味な制作の日々が続くもやいのメンバーが、今日はパソコンのない世界で笑い声
をあげる。すごくいい気持ちである。風を感じ、水を感じ、緑を感じ、カルガモの命を感じ、空を感じて「申し
訳ないが気分がいい」のである。川沿いで遊ぶのはもやい23年の歴史の中で恐らく、初めてのことだ
「これでいいのだ」とハカボンのパパのようにつぶやく。
焼き肉の匂いと、川風の心地よさと、川面に写す過去と未来が、静かに流れていくこのときに、乾杯だ!
我ら食らって飲んで身も心も解き放さん!
酒なら任せて!ウタさんとコウジさんは、食い気より飲み気
川沿いで酔って候秋の夕
前夜より、串刺しを作っていたので、焼きやすかったです
串刺しで食べて候秋の空
諏訪川をBGMに集合写真。川に落ちないようにね!
合鴨も後ろでチーズしているのだ
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雨上がりの夜空に
♪こんな夜にお前に乗れないなんて こんな夜に発車できないなんて♪
自分がどのように人からみられているのかが、本当にわかるときというのは、人間関係が一番強く求められた
ときだと思う。そのひとつに恋愛がある。いくつかの恋愛らしきものに向かう中で感じてきた「置き去りにされ
た」という実感。常に恋愛のステージに上がれないという予選敗者の現実。車で言えばエンジンがやられ最初から
発車できにいようなものです。これはけっこう、腹が立ち切なくなるものです。
せめて、ステージ上で振られたいと何度も願ったことか。あ〜。
障害のある人は、多かれ少なかれ、その障害に起因して意識的に無意識的に、なにかをあきらめながら生きて
きているわけですが、その中において、あまりに語られない部分が、本当は一番語りたい部分でもあります。
さう、恋愛や性に対する扉をノックしなくてはと思います。この歌を聞いたり、口ずさむとなおさら思いが募り
ます。わたくしの中では、この歌は愛のノーマライゼーションを求めるシュピレヒコールであります。
この歌を、大阪であった共同連の全国大会の交流会で聞きました。女性ボーカルのプロのバンドの演奏でしたが、
とてもいいのりで久しぶりにわくわくしたのでありました。
忌野清志郎はやはり最高であります。
編集後記
早すぎないか?今年も後わずかになりつつある。うーん。早い。今年中にやろうと思っていることの半分もやれ
てないのにね。子供の頃の夏休みの終わりと似ていて、少し焦ります。皆さんはどうですか?
これから先風邪を引かないようにしないと、益々宿題が残っていくので、先ずは健康管理をと思っています。
2008年8月10日発行
ページ1
-みんなで楽しくいこうぜニャロメ!-
その子は、先生から体育の時間に視力障害のある同級生の面倒を見るように言われ、仕方なく教室から二人で運
動場を眺めていました。お腹が空いてきたので、皆より先に「早弁しようか」と、二人でこっそりお弁当を食べた
のでした。視力障害のある子は、そのことをとても喜び、いつもこの思い出をしたそうです。その子にとっては
初めて障害のある子との接触でした。その子は、その日の経験から、障害のある子といっしょに楽しむことは大
事なんだと自覚したそうです。
それから幾十年。その子は漫画家になりました。そしてその時の思い出が果たされます。視力障害のある人もな
い人も共に楽しめる絵本が完成します。
「さわる絵本よーいどん!」
点字や触図で作られており、多くの視力障害のある子ども達がニャロメやケムンパスと友達になり楽しみました。
先日、その子が亡くなりました。
赤塚不二男さん。ありがとう。 ご冥福をお祈りします。
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いつもの事ではあるけれど・・・
08大蛇山踊って歌って飲んじゃった
「HEY!ブラザー!どうよ調子は?」
ひと山、ふた山、大蛇山、夏くりゃ祭りは超常識。
暑い、きつい、つらいは棚に上げ、踊ればそれなり井上陶酔、
高齢、加齢、乗り越えて、 いつもの事ではあるけれど、
CP流の夏の舞、踊ってみせましょ、さのよいよい!
踊れば汗もかきましょう、のどもからからかわきましょう、
ついでにおなかもへりましょう、いつもの事ではあるけれど、宴の席をひらきます。
天下御免の無礼講!
鯛や平目の舞い踊り、岡本真夜のTOMORROWに、止まらぬ手拍子続きます。
ページ3
シネマで愛して…ガープの世界
自分と同じ年齢の人って気になるのであります。作家だったらどんな作品を書いているのか?歌手だったらどんな
歌を歌っているのか?生死も含めて気になるのであります。シネマの世界ではもはや大御所のロビン・ウィリアム
ズが同じ年なのです。結構この人のシネマは見るように心がけているのであります。
思い起こせば、最初にこの人を見たシネマは「ガープの世界」。彼も私も30代の生意気盛りの頃であります。
もともと「ガープの世界」は小説だったという基本情報も知らず、もちろんロビン・ウィリアムズが売り出し中の
コメディアンであることも知らず見たのであります。わたくしの世界では、未だにこのシネマが洋画NO1であります。
シネマ冒頭、怪奇で非常識な出来事でガーブが誕生するのですが、もうその瞬間にわたくしはカープの世界の住
人にされさており、不合理で、不条理で、笑うしかない世界が次々と重ねられる中で、ガーブの人生をいっしょに
歩いていくのでありました。
ストーリは怪奇、テンポは軽快、常識は全壊という感じですが、各役者さんは魅力に溢れており、普通なら軽薄
でごちゃごちゃとして終わってしまうシネマが、基本がしっかりしているので、そうはならないのであります。
とにかく最後までガーブと共に生ききった気がしました。原作の良さと役者陣の良さが合体しているので、わた
くしの名作になったのであります。
名作になると三年に1回は見直します。そのときによってお気に入りのシーンが変わるのも面白いです。
本当のところ、なぜこのシネマが気に入ったのかよく自分でも説明がつきませんが、シネマってそんなところも
魅力のひとつかもしれないのであります。
ページ4
残暑お見舞い申し上げます
夏祭りが過ぎ、お盆が過ぎ、とうの昔に暦上の秋は来ているのですが。
理念の見事さと現実の剥離がひどいこの国の在りようのように、私たちは未だ炎暑の夏が続いています。
この暑さを一瞬忘れさせてくれる言葉が届きました。言葉ってすごい力を持つのですね。
北は網走の友人の手紙に書き連ねられた言葉たちが、わたくしを北に誘います。
森と草と土と香りに包まれて、平原を吹き抜ける風を受け、虫たちの生き生きとうごめく様を感じながら、東
の空に二輪の虹を見た事が記されていました。
わたくしは、なぜか子供の頃から風が好きで。特に夏に一瞬吹き渡っていく涼風が好きで、心待ちにしていた
ものでした。「風を呼ぶんだ正義の風を♪」と歌ってたあの頃、確かに吹いていた風が、今はめったに吹きませ
ん。できれば、気持ちのいい風の吹く場所で暮らしたいなと思うのですが。
網走の友人は、風に吹かれながら、ドストエフスキーの「未成年」を読破中とのこと。
そうか、こういう夏の過ごし方もあるのか。
何かに夢中になっていると、いい風が吹きぬけるのかもしれません。皆様にもいい風が吹きますように。
残暑お見舞い申し上げます
ページ5
いつもの事ではあるけれど・・
08長崎九州ピースサイクル来牟
平和への取り組みは、色んな人が色んなやり方で行っていると思いますが、もやいには夏になると、炎天下の中、
平和を願い長崎へ自転車で向かうピースサイクルの皆さんが訪れます。
今年も7日に訪れました。一番乗りは左の写真の森谷さんです。水俣を立ち、夜を徹してやってこられました。
夜の道路は昼間の熱は冷め、少し涼しいのだそうです。
やがて仲間の方も到着。みなさんわずかな休息時間を過ごされて、再び炎天下の中出発。
私たちは無事を祈ることしかできません。Tシャツまで買っていただき感謝なのでした。
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オリジナルTシャツ購入ありがとうございました!
皆様、お元気のことと思います。
08年度のオリジナルTシャツを製造・販売しましたところ、多くの皆さんからご購入いただき誠にありがとうござ
いました。
毎年、どのようなデザインにしようから始まり、悪戦苦闘!あ〜でもない、こ〜でもないと試行錯誤を繰り返して
やっとこさ完成するというのが現状です。でも、みんなで頭を抱えて試行錯誤を繰り返すというのは、苦しいけ
れど楽しくもあります。デザインが完成してからは、一枚一枚手作業で印刷。ラベル作りや注文表作りなど、皆
の作業ができてきて、それなりにチームワークが強まる気がします。何より、多くの人が購入してくれるのが励
みとなっています。
目標販売数まであと少しです。目標数に達すれば、ささやかな利益があがり「第3回夜会」開催が可能になります。
どんな文化も楽しもうか、ワクワクします。
では、残暑厳しいおり、皆様、お身体ご自愛ください。
編集後記
炎暑の最中、「温泉マップ」の取材が続いています。汗が噴き出す地獄の取材であります。
こんな日程作ったのは誰だ!叫びたくなりますよね。そこに現れたピースサイクルのみなさんの汗を見たとき、
うーん、甘えちゃいかんと思い至ったのであります。暑いけどがんばります。
心を入れ替えた夏。もう少しで秋風が来ます。
2008年6月15日発行
ページ1
-暑中お見舞い申し上げます-
後期高齢者医療制度という台風襲来中であります。
この制度の前提である後期高齢者医療はお金がかかるという言説は、この制度に反対する人も認めるところで
す。
しかし、はたしてそうか?75歳以下の人と以上の人の2006年度の医療費の平均値は75歳以下の人が多く、33兆
円かかっているいわれる後期高齢者医療における公費負担は8兆円程度です。
正しい前提の上にたたない議論ってどうよ?
障害者福祉も意図的に作られた前提に乗っかっての議論がいっぱいあるような気がするのであります。
「はたしてそうか?」という物差しを人はもたねばなりません。人権を守りつくの育てる「福祉」というカテゴリーなら尚更
であります。
「梅雨明けたよ!」 「なに、はたしてそうか?」
ページ2
シネマで愛して ・・・ALWAYS 続・三丁目の夕日
第2作であります。あれから4ヶ月という設定であります。なんだか今や国民的シネマでありますよね。「そう
だよね、そうだよね」っていう予定調和が与えてくれるカタルシスが心地よいのであります。
多くの人々の琴線に触れるストーリや小道具たち。ここが私たちの帰る場所なのだ!という気にさせるのであり
ます。役者の持ち味がうまく引き出され、作品としての質の高さや拍車がかかっております。
しかし、なんといってもこのシネマのすごいところは、その作品の質の高さにおいて見た人の想像力に確かな
翼をあたえるところかもしれません。その場所に帰りライフヒストリーと再会し書き換えることだってできるの
です。「オーッと!買い物帰りでありましょうか、買い物かごにはジャガイモ、たまねぎ、にんじんが溢れており
ます。今夜の夕食はカレーライスのようであります。サーテ!買い物かごの底に見えるのは肉であります。兄弟
で激しい争奪戦が予想される肉がちらっと見えております!肉はいつものように鯨肉のようであります。いった
いいつになったらこの家族は牛肉のカレーライスが食べられるのでありましょうか!あの安月給では当分無理で
ありましょう!」
昭和34年。私は小学2年生の古舘伊知カだった。重度の障害児としてこの世デビューした私には、いくつもの
言葉の石や、まなざしの礫が飛んできたが、ひょいひょいと交わしながら生きていくための存在証明として、唯
一動く口をフル回転させたのであります。プロレスの実況中継を文学まで高めた絶頂期の古舘伊知カのように、
ご近所の奥様の買いもの帰りの風景などを実況中継する私に、周りはなんとなく一目置くようになりました。で
も、乳母車に乗って口だけ動かす私に、大人が必ず子供に聞くお約束のセリフは投げかけられませんでした。
「大人になったらなんになるの?」しかし、ある日あの買い物かごのおばさんが聞いてくれたのであります。私は、
びっくりして自分も何者かになることを考えていいのだと思い始めたのでありました。
私の三丁目の夕日で出会った私はそれなりに生きていたのでした。このシネマ、希望の匂いがします。
ページ3
4月夜桜散り果てて割れた月が照らしたる
野外の舞台に現れし男二人の物語
ナショナルキッドは口笛を吹くだろう
4月19日に上演した「ナショナルキッドは口笛を吹くだろう」のDVDが遂に完成! 生の舞台とは違った面白さ!
「もやい」で販売しております。ご希望に方は、是非お求めください。売り上げの益金は、次回「夜会V」の資金
にさせてもらいます。
夜会U 二人芝居 DVD販売 500円
ページ4
千の風になって
SOSの活動が始まって25年が経過します
その間色んな障害者がかかわってくれました
分かりあったり誤解しあったり色んなことがある場所として
SOS・もやいは存在してきたのだと改めて思います
しかし、長いことやっているとどうしても永遠の別れが訪れます
同じ場所を共有した大切な仲間が亡くなることほどつらいことはありません
いつも夏が近づくと亡くなった人への思いが募ります
首をつった人、飛び降りた人、死を覚悟で真夏に歩き続けた人
病死した人、事故死した人
この場所が時間を積み上げるほどに悲しい別れが増えていきます
誰もとめることもできませんし
亡くなるたびに万感の思いをこめて
「お疲れ様でした」ということしかできません
せつないものです
最近誰が作った詩なのか
「千の風になって」という詩が歌われています
私のお墓の前でなかないでください
で始まるこの詩は
あの大きな空を吹きわたっています
で終わります
この歌が少しせつなさを癒してくれる気がします
光になって雪になって鳥になって星になって
この場所を見守ってもらってる気がしてきます
そろそろ梅雨が明けそうです
そうなれば、せみ時雨まであっという間です
真夏の夜の星空を見ながら
今年も吹きわたる風の音に
耳をすませたいと思います
ページ5
障害学
周りが求める「らしさ」と自分が求める「らしさ」は全然違うのかもね
誰もが自分らしく生きたいと願っていると思います。自分の中にあるやりたいことや、自分でも気づかずに持
っている力を発見し発揮したいという欲求があると思います。人生というのは、自分らしさと出会い自分らしさ
を発揮するステージのような気がします。
しかし、人生はそう簡単ではありませんよね。色んな環境があり色んな出来事が人の志をくじきます。不本意
ながらと意に染まぬライフスタイルをとらざるを得ないときもあるでしょう。それは誰もが人として経験すると
ころかもしれません。その部分以外にも志をくじくときがあります。それはその人の特性や属性や所属や性など
カテゴリー化がされているのです。その中に「障害」もあります。
人として基本的に自分らしくできない部分と、障害に起因して自分らしくできないところという二重の生き難
さを抱え込んで生きるのは、自分にたどり着く困難が増えるということになります。複数のカテゴリー化を受け
ていると、それは倍々ゲームのように困難を増やしていくでしょう。
さて、自分らしく生きていくためには、周りが求めてる「らしさ」という役割規定にさよならして、自分が求め
る「らしさ」に向けた歩みをはじめなければいけません。
そのときに周りの支配文化と新しい文化が衝突するわけですけど、気にすることはありません。恐れるほどに支
配文化は強くないのです。周りに意義を唱えつつも、自分らしく生きる意志を強く持てば生き生きします。どん
なにきつくても自分らしく生きているのですから、さわやかさがにじみ出ます。そのさわやかな生き方こそが支
配文化を突き崩していくのだと思います。
ひとり、またひとりと、与えられた役割規定の衣を脱ぎ捨てること、自分らしく生き始めることが、他人の自
分らしさにも拍手を送る文化を作り出していくのだと思いませんか?
人権の文化は希望の取り戻しでもあるのです。
★編集後記
もやいの木曜日はにぎやかです。普段もやいにこれない人たちが自然に集まります。
昔のもやいに比べ広くなったとはいえ窮屈な状態です。しかし、狭いながらも楽しいセンターで、そのほうがか
えっていいのかもしれません。人が集えば課題も増えますが笑いも増えます。
今までに無いギャグも誕生して新鮮でもあります。ぜひお立ち寄りを!!
2008年5月15日発行
ページ1
-夜会U終了!-
夜会U終了! 御礼特集号
生きて在るということは、いくつもの社会的不条理と出会い、いくつもの自己欺瞞と出会っていくことだ。
そして2つの不幸な出会いは、化学変化を起こし、一方の極北に殺人が、一方の極南に自殺が起きるのではないか。
しかし、人は社会の隅に何かを見つけ、自分の中に何かを見つけたとき、殺さず、そして死なぬ「セイ」を生き始める。
その何かを問うために文化はあり、表現者が存在する。ちっぽけな舞台にも、その志は隠れ住み、おどけながら、叫
びながら、歌いながら、踊りながら、その何かを探し続けるのだ。そこに1人でも観客が居る限り。
ページ2
夜会Uー2人芝居 ナショナルキッドは口笛を吹くだろう
当日、ご観劇いただいた皆々様に申し上げます。
寒い中、私どもの演技を最後までご覧いただき、誠にありがとうございました。
心より心よりお礼申し上げます。
また、アンケートにもご協力いただき、なおかつ身に余る激励や賞賛いただき感謝にたえません。
私たちの演技やセリフのひとかけらでも、皆様のこころの奥底に漂着したのなら役者冥利に尽きます。
今後もよろしくお願いいたします。先ずはお礼までに。 ★役者より
☆月明かりの下で、練習に練習を重ねた役者の演技が続くのであります。切り取られていく人生のピースが、
ぶしつけに現れては消え、叫び、泣き、笑い、歌いながら、やがてジクソーパズルの終焉を迎えていくのです。
(役者のリハーサル風景より)
★言葉だけで物語をつぐむストーレプレイの劇だけに、効果音と照明が重要になるのであります。長期間続けた
練習の成果を最大限に発揮せんと・当日はリハーサルから緊張が走ります。強風という難敵と戦いながら、より
よい表現を求めてスタッフの最後の努力が続くのでありました・・。
もやいの大型新人?宇耐さんも大活躍なのでした。
最終リハーサル風景。強い風がマイクを直撃。一時リハを中止。
音響担当者と役者の打ち合わせが続くのでありました。
(スタッフの打ち合わせ風景より)
★翌日、「もやい」でささやかな打ち上げが。大阪から見に来てくれた平野さんの友人吉田さんも参加してくれました。
話すうちに、なんと!カンパックさんの介護に入った過去が!なんという偶然。話しは弾み、演劇論から、障害者運
動論から、文芸論まで!そしてなぜ?腕相撲大会(なぜなのかわかりません)へ!
(劇の打ち上げより)
みなさまのご協力で終了! 本当にありがとうございました!
脚本を形にするために、長期にわたり支えたくれたスタッフの皆さん。また、寒い中、朝の食事から手伝っ
てくれたボランティアのみなさん。そして、当日に会場に来ていただいた全ての皆さん。本当にありがとうご
ざいました。最後に、わたくしの思いを見事に表現してくれた役者のご両人にも感謝します。
また、いつかこのメンバーで何かやれたらと願っています! ★脚本担当者より
ページ3
シネマで愛して・・・魂萌え
シネマの楽しみ方って言うのは、人それぞれでしょうが、シネマにこめられた主題がグーッ胸にくるときは、
見てよかったなと思うし、記憶に残るシネマとなるのであります。
わたくしごとですが、自分を生きてるぞ。そんな実感が持てたのは30代前半だった気がします。そうです。シ
ネマのタイトルのように魂の萌える状態であります。それまでは何というか、最終ページの障害学のように役割
規定に縛られ、施設という名の支配文化に慣らされて、社会のための私達ごっこをしていたのであります。
シネマの主人公風吹ジュンが主婦という役割規定の優等生をしていて、突然旦那の死という衝撃を受け混乱し
ながらも自分を生き始めたように、わたくしもまたなんの見通しもなく脱施設という衝撃の中で混乱しながら、
自分を生きる実感を持ったのでありました。大切なのは、人生がうまくいくどうかなのではなく、いや、今よりも
もっとひどい人生になろうと、自分を生きることだ。
そんな思いがこみ上げるシネマであります。ふいにやってくる衝撃は拠って立つ地面を揺らします。混乱は隠
れ住む自分の正体を明らかにしてくれます。それにしても、風吹ジュン。素敵な役者さんです。目がいいなと思
います。それだけではなく、三田佳子始め他の役者さんの演技の素晴らしさはどうだろう!
さらに、アコーディオンの奏でる哀愁と女性の歌声が作り出す地の底からの人間賛歌のメロディーはどうだろ
う!さらに、あの古典的名作シネマが暗示する人間の悲しみと強さはどうだろう!いったい今回は「!」をいくつ使う
のだろう! つまり、このシネマ満足したのです。一言で言えば、これはひとりの女性が外から与えられた文化に
内側から作り出した文化を突きつけた、文化と文化の「きしみ」のシネマであります。
ページ4
塚本宇耐さん もやいデビュー!!
4月桜が咲き始めた頃、うたえさんはやってきた。そのやわらかな笑顔とほんわりとした会話は、もやいをな
ごませるのであります。しかし、いざ催し物だとなると、一生懸命のお手伝いを始めてくれるので助かるのであ
ります。「きょうは天気よか!」とうたえさんの声がゆっくりもやいにひびきます。
けっこうまじめなうたえさん。パソコンを使ってひらがなの練習を欠かしません。もやい以外にもパソコン教室
や、絵の教室にも通っています。「やるね〜!」けっこうお酒も強いのであります。もう一度「やるね〜」好きなTV
番組は「無理な恋愛」、さぁもう一度「やるね〜!!」
うたえさんのもやいでの一番のお友達はシンさんです。年が近いしお互い字の勉強をしていることもあり、いつ
もいっしょです。お買い物や、たまにはもやいで映画を見たりしています。時々うたえさんがシンさんの頭を「よ
しよし」となでると、すかさずにシンさんが「やめなさい!。まるで漫才コンビのように意気があっています。
うたえさん最後に一言どうぞ。「シンさんカネもーち!!」
ページ5
障害学
ーらしく、らしく、らしくあれ、らしくなるほど、らしくなれー
「らしく」あれと、外側からの圧力と自分の内側からの圧力がかかります。いったい、らしくって何サマ?
支配文化があって、皆がそれに従っているとき、その支配文化が一人の人の人権を奪う扱いをしたとします。
そんな扱いを受けた人は「ひどいじゃないか!」と言いたいのだけど言えないときがあります。どんなときでしょ
う?もし、その人が「障害者は人の世話になるんだから、障害者らしく控えめにしときなさい」と聞かされ育ってい
ったらどうでしょう。そして周りの人たちもその通りと思っていたら?
話は少しずれますが、私が大好きな小林ハルさんという100歳を超えた視覚障害者の女性がいます。人間国宝で
ある彼女は視覚障害者として生まれ、幼いとき祖父からこういわれ続けます。まるで私たちといっしょです。
@人のじゃまになるな A思っても余計なことは言うな Bいつもはい言え C人様にさからうな・・これを守
らないとおまえは生きていけない!たぶん祖父は知らせたかったのです。この世の支配文化に従わないと障害者は
特に生きていけないことを。そして従うテクニックを・・これって役割規定ですよね。
さて、支配文化の中で「障害らしさ」として「控えめ」、あるいは「あるいは自己主張しない」という役割規定(らし
さのルール)が決まっていたら、もし、その人が「ひどいじゃないか!」と啖呵をきったらどうなるでしょう?
多分「らしくない人」と見られてしまいます。そうなるとその人の周りの人間関係は少し気まずくなります。そのこ
とがきっかけで今までやさしくしてくれていた人が離れていったりすることさえ起きます。えー本当かよ!と思わ
れる人がいるかもしれません。本当です。
私自身もいっぱい経験してきました。この経験ってやつは誰にも否定できないものです。役割規定を「おいらいち
ぬけた!」とおさらばすると、周りと摩擦が起きます。なぜ、摩擦が起きるかというと役割規定を求める支配文化と
「おいらいちぬけた」という新しい文化が衝突するからです。
★編集後記
夜会Uが終了しました。
なんだか祭りのあとの寂しさを実感しますが、さぁ普段のもやいに戻りましょう!今もやいでは、塚本宇耐さん
が登場!大活躍中であります。もやいの空気がより柔らかく、よりゆっくりしてきたような気がします。
宇耐さんの天気予報や笑顔や一言コメントがつくりだすワールドに浸りに来てくださいね。
2008年4月15日発行
ページ1
-新年度が始まった-
新年が始まった。それに伴い障害福祉も国や県、市の制度が少し変わる。医療制度も微妙に変わる。
変わる制度に共通するキーワードは「負担増」だ。また、原材料の高騰により、有明ホームのおいしい豆腐も生産
中止となるなど、今後福祉施設にも影響が出てくるだろう。どこもキーワードは「財政難」だ。
なんだか厳しい時代である。といって、このまま障害者福祉の制度や社会資源の変わり方を持っていては、障
害のある子どもの希望を奪うことになりかねないだろう。
願いを待つ人たちよ、もう、何かを待つのはやめよう。何かを始めよう。何かを当てにするのはやめよう。何
かを自分で考えよう。何かを批判するのはやめよう。何かを提案しよう。
願いを持つ私たちのほうから、発案し、提案し、説明し、説得し、行動し、このまちを変えていこう。
キーワードは「じんけん」だ。「だれひとりの希望を殺すな」から始めよう。
ページ2
4月3日、花見をしました! ついでに句会もやりました!
★木曜日のもやいは、いろんな人が来てデイサービス状態なのです。3日の日は天気もよかったので、急遽
花見をしました。皆で桜を見ながら、全員アドリブで俳句を作り、全員で投票をして最優秀と優秀と特別賞
を決ました。いやー桜が満開のせいか、お天気が良かったせいか、どの作品も素晴らしいできでありました!
★子どもから、高齢者?までそろった花見はゆったりとして楽しめました。あまり暑いので子どもたちはアイ
スを食べ、大人たちはビールを片手に木陰で雑談。とにかく暖かすぎる1日でした。その熱さの中で、一心不
乱にマイクを握り続けているのは松山さんであります。さーすがであります。
★参加賞全員の俳句を張り出し多数決で賞をきめました。
最優秀賞は介護者の女性Hさんに!優秀賞は武田さんと木下さんに!
そして、特別賞は有松温之さんに決定!この4人には桜餅が賞品に贈られました。おめでとうございました!
最優秀作品
☆ ふぞろいに 行きも帰りも 桜咲く
特別賞作品
★ゆりよりも さくらのほうが やさしいぞ
○ 陽だまりの シートの上に 散るさくら
○ さくらかな 花見まじりの 酒味無し
○ いちにちを 風にまかせて さくら咲く
○ 桜見の よきともだちと たのしけり
○ 花見には 晴天の空 暑すぎる
○ 青の空 ピンクの桜 なおはれる
○ ハイカラの 帽子かぶって 花見かな
☆ リフトカー 枝に当たって 花が散る
☆もやいの花見はここ数年「企画すれば雨」がつづいておりましたが、今回は天気にあわせて「それやるぞ」とい
う感じでやりました。 参加者のみなさん、介護者のみなさんお疲れ様!!
ページ3
ナショナルキッドは口笛を吹くだろう
4月19日(土)18:00開場・19:00開演
野外音楽堂(旧青年の家横)
(セリフ一部抜粋)
話しかけないでくれ。
み、みんな見に来てくれないかな?
ふ、不安だな。
君は不安じゃないの?
そ、その衣装で寒くないの?
けっこう君って無口だね!
ページ4
入院時生活支援事業4月より実施
福祉情報一速報!
重度の障害者が入院したとき、家族等の手伝いが望めない場合があります。
その場合、入院生活上の支援が受けられます。そのルールは以下の通りです。
詳しくは福祉課へお問い合わせを!!
Q このサービスを使える人は誰?
市内に住んでて非課税所帯か生活保護所帯の方で、次の4つの条件をすべて満たす人です。
@住宅介護(ホームヘルパー)の支給決定を受けている人
A原則として、障害程度区分5以上の人(ただし、障害程度区分4以下であっても全身性障害者1級等の重度障
害者で、特に必要と認められる人は対象になりよ)
B単身、又は要介護状態の家族のみで構成される世帯に属し且つ入院中における生活支援する人がいない人
C原則として、市内の医療機関に入院さりる人
Q どんなサービスを受けられるの?
@下着の洗濯 A日用品等の買い物 Bその他必要な生活支援
※身体介護はできません
Q 利用料はいくら?
@生活保護世帯の方→事業費の1割です
A非課税世帯の方 →事業費の2割です
※事業費は30分600円で、30分ごとに算定します
Q どれくらい利用できるの?
週に2回まで利用できます。時間は2回合わせて4時間までです
Q 申請の仕方は?
福祉事務所にある申請書に記入して提出して利用決定を受けてください
問い合わせ 福祉課障害サービス担当 電話41-2664
ページ5
障害学
※役割規定。難しい言葉ですよね。おなたはこういう人であってください。
いや、こういう人です! という決め付けや思い込みみたいなものです。
KY(空気が読めない)の「空気」の正体は、共通する言葉、態度、振る舞いを要求する支配文化だというところにた
どり着きました。その支配文化に対して「それは間違っている」と差別された側がなぜ言えないのか?不思議ですよね。
でもそこには、役割規定というマジックが仕掛けられているからだというところで先月は終了。
さぁー先に進みましょう。
役割規定。性の役割規定として、男は仕事、女は家庭、男には男らしさを、女には女らしさの役割を求められる
事があります。同じように障害者の場合も、障害者は助けられる人、健全者は助ける人、あるいはできる人、でき
ない人、などに役割が規定されがちです。これが行き過ぎると障害のある女性は子どもを産んではならない人につ
ながり、子宮摘出の手術を強制されたりしてきました。また、高齢者の場合も生き方を規定されがちです。どこの
だれだれというキャラクターよりも、高齢者だからこうあるべきという役割規定が優先したりします。
男らしく女らしく障害者らしく高齢者らしく。らしくらしくのオンパレードですね。さて、ここからが問題です。
一見すると、この役割規定を当事者が望んでいるようにみえるのです。いやたしかにそう思い込んでいる当事者が
多いのです。役割規定を果たすことが生きがいになっている人もかなりいます。そういう人たちからは「こんなにが
んばっているのに、ケチをつけるのか!」と怒られそうです。
けしてケチをつけてるのではありません。ただ、誰が、何故、何のために、役割規定をつくり人の生き方を「外側」
から指導し、誘導するするのかを確かめたいと思いませんか。謎を解かないと安心して眠れないですよね!
★編集後記
5月の連休が終わったら「湯快だネ!温泉福祉マップ」プロジェクトがスタート予定です。市内に限らず近場の温泉
施設をめぐり、ホームページにアップしバリアフリー情報をお届けします!障害者も高齢者も温泉行きたきゃ行きま
しょうよ!健康にも好影響!というわけで、半年以上はかかる超ロングな取り組みになりそうです。
2008年3月15日発行
ページ1
-電動車いす騒乱隊-
電動車いす騒乱隊がデビューした
夜会・壱
あれから1年半の時が過ぎ
桜吹雪で清められた野外音楽堂に
障害者と健全者が作り出す舞台劇
夜会・弐 参上!
ー二人芝居 ナショナルキッドは口笛を吹くだろうー
4月19日19:00に野外音楽堂の上弦の
月の下逢いませう!
ページ2
電脳福祉マップ最新版完成
4月1日 OPEN
SOSのホームページで解説している「福祉マップ」を大幅更新しました。
みんなで手分けして、調査を重ね新しく増えたお店を掲示しています。
閉店したお店は削除しましたが、読みやすくなっていると思います。
そよ風のように街に出て、いろんな出会いを体験しよう!そこからいろんな物語が広がると思います
どうぞご活用ください。
また、掲載されてないお店等があれば56−0115までお知らせくださいね!
4月1日 OPEN
SOSのホームページで開設している「自立マップ」を、大幅更新しました。
自立支援法の登場で、障害者福祉サービスの社会資源のあり方が大きく変わったことに対応するためです。
介護派遣事業所もアンケートを取り直して、最新の情報を掲載しています。
多くの皆さんに活用していただければ幸いです。色んな社会資源を使いこなして自立生活をひろげていきまし
ょう!
ページ3
ナショナルキッドは口笛を吹くだろう
4月19日(土)
18:30会場
19:00開演
★場所:野外音楽堂(延命公園) ★入場料:無料
★主催:NPO法人おおむた障害者応援センター
★後援:大牟田市教育委員会・NPO法人大牟田障害者協議会
ページ4
産地地消のオリジナル二人芝居
タクシードライバーとカラオケ教室経営者。2人の中年男の人生の
ジグソウパズルが交差する時、もう一つの、あらねばならなかった人生が現れる!
☆CAST:平野信義vs木下和彦
「からあなたをおいしげておりましたうことならになりとういますかよこ」・・わかるか健!
「な、な、なんなんです!何を言い出すんです父さん。いったい何のことです!」
私たちは、気軽に文化を楽しむアリーナとして「夜会」という催し物を開催しています。といっても、まだ1回しか開催
していませんが・・このたび2回目を開催いたします。前回は「歌と踊り」を楽しみました。今回は芝居です。
「夜会」の特徴は、入場料が無料なことと、スタッフと出演者に障害者と健全者が入り混じっていることです。
さて、最初に気軽に文化を楽しむと言いましたが、障害があるとそうとも言えません。文化の作りて、あるいは受けて
として、障害者の文化への参画が進むことを目指しつつ、夜会の幕を上げたいと思います。ご来場熱烈歓迎であります!
夜会:弐スタッフ一同
ページ4
障害学
周りの空気は、人に同じような言動や振る舞い態度を促していきます。そしてルールが作られます。
そのルールを作り出した世界は・・・
人権白書の事例から、人権侵犯という差別の正体への旅が続きます。寄り道をしながらぼちぼちと参りましょう。
先月号では、KY(空気が読めない)について考えました。あなたを囲む場所に漂う空気に人もあなたも促され
ていきます。時にはジャンプもします。
この空気は、同じ言動や態度、振る舞いを生み出し、それらのアクションは一定のルールを生み出します。
そうなると、これは空気というよりも何と言いましょう?とりあえず「文化」としておきましょう。それも皆にそ
う求める圧力と持った文化ですから「支配文化」ということにします。
支配文化を作り出す「空気」。問題はこの空気が人権を侵害する空気だったらということです。ここで疑問が
おきます。その空気が人権を守る空気か、侵犯する空気かは誰が判断するかということです。難しいようで、
易しい疑問ですよね。それは、空気を受けて、悲しい思いを感じる人です。人権侵害を受けたと感じる人です。
じゃあ、その人がこの空気は間違ってると声を上げて、皆がそれに気づき空気を変えれば問題解決ジャン。
それはそうなんですが、そう簡単にいかないとこが人権の問題の難しいところです。人は人権侵害を受け続
けるとどうなるかということも考えなくてはいけません。人権侵害を受けたと感じるには、その前提として、
私は人であり、人権侵害は犯さないし許さないという強い意識が必要です。
長い時をかけ人権侵害を受け続けると奇妙なことが起きます。お前はだめな人間だといわれ続けたとします。
それも特定の人からではありません。周りに居る大多数の人から言われ続けたら?同じように。もう40才を過ぎ
ているのに子ども扱いされ続けたら?
不特定多数の人から同じような言動や振る舞い態度を受け続けると「内面化」という現象が起きてきます。
つまり、自分に対して行われている言動や振る舞い態度を自分の中に取り組んでいくのです。「私はだめな人間
である」と自分で自分を決めつけます。子ども扱いされるのなら、子どものようになって甘えて助けてもらおう。
そのほうが周りの人は喜ぶのだから・・・つまり、空気を読むほうが楽になれるという気がするのです。
だめな役、子どもの役と、支配文化は勝手に配役を決める。態度の大きなディレクターみたいです。
その「役割規定」に応える演技が始まります。
ページ4
何のためさやかに咲くか桜花稟々しく散るか一夜の雨に
桜が好かれるのは、ひとつに旅立ちの象徴だからだ。
卒業した学生たちは4月それぞれの桜の門をわくわくしながらくぐり新たな社会と出会うのだ。
その旅立ちを満開の桜が彩る。
しかし、と思う。あの頃・・・養護学校を卒業した私にくぐる門などなく、満開の桜は竹の棒でつついて落と
す対象でしかなかった.行く当てもないのに卒業生の答辞を担当させられ「胸を張って卒業します」などとしら
じらしく言ったときから、もう私には桜は咲かないだろうと漠然と思ったものだ。あれから随分すぎる時がた
った。にもかかわらず、支援校と名は変わっても未だに卒業する後輩達の多くはくぐる門もなく桜も咲かない。
ノーマライゼーション?それは誰にも桜が咲く季節を言うのではないか?
★編集後記
夜会Uが来月開催だ。あの「ダンスと歌」から1年半。事務所の引っ越しなどで遅れに遅れましたが、何とか
開催できます。 今回は二人芝居に挑戦です。去年の秋から地味な練習が続けられています。野外劇なので天気が
心配ですが、暖かい闇の中で、月光に照らされて観劇したいものです。ご来場お待ちしています。
2008年1月15日発行
ページ1
-あけましてめでとうございます-
あけましておめでとうございます。
劫初より作りいとなむ殿堂に われも黄金の釘一つ打つ
古い歌人の歌がけっこう心に沁みたりするので、なんとなく年の始まりに無意識にそんな歌を探してしまうの
だ。与謝野晶子の歌は恋歌が多いが、時には心が勇むワードを投げつけるときがある。2008年になって偶然この
歌にであった。少し元気が出る。どの場所にいても、名もなく欲なく、黄金の釘を打つ人がいる。そのことを励
みに、私たちもこの歌を胸に抱き、人が真ん中の街づくりの黄金の釘を打ち続けよう。
ページ2
変えようbut変わろう
自立支援法が発効して二年度目が終わろうとしています。黒船に例えられるほどの大きな衝撃をもって受け止
められた法でした。影響も大きく、当事者・家族・事業所・行政の4つの悲鳴が交差しました。
今、政府で見直しがされています。一体この法律は何のための法律だったのかという基本が問われずに、表面
的なプラスマイナスだけが問われているように思います。
この法律を誘発したのは、福祉の基本構造改革です。「改革」という言葉はいい響きです。
しかし、改革を目指す前提の状況認識が甘ければ、改革は良薬変じて劇薬になります。福祉の構造改革が簡単
に成り立つほど、また、自立支援法がタイムリーに的を得るほどの前提条件が熟していたでしょうか?そうは思
えません。障害者の所得保障も未完成のまま、事業所の支援スキルも社会性を獲得できないままでした。
改革は必要ですが、見切り発車は大きなリスクを負います。着実に改革の歩みを進めるはずが、見切り発車に
よってついていけないと思った人々は、取り残されてしまったというのが、この2年度の感想です。
もうすぐ3年度を迎えます。この2年度の苦しい経験は、今後の私たちの生活の中で活かせるものと思います。
自立支援法は、今現在の状況にあわせたオーダーメイドに作り変えねばなりません。それとともに、私たちも、
政策への批判だけではなく、どういうノーマライゼーションを作り出すかを共有し、その望む社会作りに向けて
変わらなければなりません。
変えようbut変わろう!
そういう志が今必要だと思います。
かって私たちは、誇りをもって「人が真ん中の街づくり」の水先案内人と自己をなぞらえました。血縁でなく
もなく、地縁でもなく、思援でもなく、宗援でもなく、利援でもなく、志援でつながった全国の当事者、家族、
支援者とともに、オールを漕いでいきたいと思います。
ページ3
シネマで愛して・・・タイニーラブ
三丁目の夕日の時代、わたくしは12歳の少年として松葉杖を付き、大牟田駅で我が家に泊まりがけで遊びに来
る彼を待ったのであります。彼は電車から降りると手を振って私の元へ。その時、駅にいた全員のまなざしがい
っせいに注がれ、人はひじをつっ突いて知らせあい指を指して確認をし始めました。松葉杖の私も人のまなざし
をいつも受けており慣れっこでしたが、その比ではないまなざしの量と深さであり少なからぬショックを受けた
のでした。彼は低身長症でした。
あれから45年目の正月。偶然にこのシネマを見たのであります。
低身長症の役者がいきいきとした演技を見せて、かっこいいし、笑わせてくれるのでありす。美化も卑下もなく
すごくいい雰囲気がシネマを覆っているのであります。
さてさて、シネマの本筋は、その低身長の家族親戚の中で、唯一低身長症ではない男性と、その男性を愛した女
性の恋愛、結婚、妊娠、出産。そして家族のありようを描きます。その中に、低身長症の兄が交わり女性の心が
揺れ始めます。いっぱい印象に残るシーンが出てきます。低身長症の家族が居ることを隠していた男性に詰め寄
るシーン。
女性が初めて低身長の兄と出会うシーン。女性の家族が相手の家族と初めて会うシーン。妊娠がわかったときの
男性の戸惑いと女性の決意のシーン。生まれた子供への対応が分かれるシーン。切ないシーンが胸を打ちます。
低身長症の我が子を受け入れられない事に悩む父親になった男性。どうしても枷がはずれないつらさが伝わるの
であります。一方、低身長症の家族の生き方によって枷をはずした女性は母親として我が子と生き始めます。
そして、せつなくも甘酸っぱいラストシーンが待っています。それにしても、ヒロインのケイト・ベッキンセ
ール。パールハーバーでは全然だめ演技でありましたが、このシネマではとてもいい演技であります。
ストーリーの力が役者をエンパワさせるところがあるのでしょうか?ヴァンパイヤのヒロインでは終わらない役
者さんのような気がするのであります。
さて、今年も唯我独尊、勝手にシネマを語ります。よろしくお願いします。
ページ4
本年もマイペースで
★ピープル活動
昨年の池田さんは、何度も救急車で搬送されるなど、体調が思わしくありませんでしたが、最近は体調も落
ち着いてきて一安心です。昨年の暮れにはピープルのホームページを開設して、介護者の方はパソコン上で介
護ローテーション表が見えたり情報交換ができるようにしています。活用してください。
担当責任者:案浦
★ピアカン・ケアマネ活動
大障協との連帯で今年も丁寧な取り組みを行います。
担当責任者:有松ゆ
★ヘルパー利用者の会活動
今年こそはきちんとした企画を立てて、みんなで楽しみたいと想います。生活に役立つ勉強会もちょこっと
出来ればと思い ます。
担当責任者:久富
★ビーズアクセサリー作り活動
去年は新製品「雪だるまのペア」が評判がよかったので、今年も、新製品を作りたいと思います。
担当責任者:松本
★福祉マップ・自立マップ活動
春には改訂版をアップします。そうしないと鬼嫁から怒られます!
担当責任者:有松
SOSプランニングPRESENNTSー夜会・弐
06年ダンスを中心とした「夜会・壱」は、若い人たちがいっぱい出演してくれてすごく楽しめました。
電動車いすダンスも出来て最高でした。
今年は、「夜会・弐」を4月に行います。昨年の11月より準備に入り、練習も始まっています。次回の通信で日
程等をお知らせいたしますのでよろしくお願いします。
今回は「芝居」を予定しています。今年もいろんな形で障害者が参加できる文化活動を展開していけたらと思い
ます。
担当責任者:歩
「地域活動支援センターもやい」 として生まれ変わり、事務所移転をおこなって1年目に入ります。バタバタと
ユッタリが同居して、苦しいやら楽しいやらよくわかりませんが、プラスマイナス「面白い」にたどり着きそう?
本年もがんばらずに自然に参ります。
支援スタッフ
★電動宅急便みたいな活動
新聞の配布、もやいの買い出しなど。今年もねずみのように動き回ります。よろしくお願いします。
そういうふうな動き担当責任者:末藤
ページ5
障害学
今回の障害学は「障害者の人権白書」の3事例を取り上げました。VOL5では、その3事例に共通するもと
して、まず、傷つける側にある「私たちと違う」=「劣ってるジャン」にたどり着きました。そして、一体なぜそうなるのかの旅がはじまりました。
「K・Y」という言葉が去年流行しました。「あいつK・Yだよね」などという言い回しで使われています。その場
の空気(K)が読めない(Y)ということです。この空気という言葉あるいは状況に注目です!
空気は見えないですよね。でも、たしかにそこに在る。幻想なのか現実なのか迷います。しかし、空気その
場を支配します。その空気に逆らうと「あいつ・・・」となります。「劣ってるジャン」にいたる大きな原因には、
この空気が絡んできます。どんな絡み方?それはさまざまです。
人間って学習する生き物です。多分自分を守る潜在意識がかかわっているのでしょう。身を心を守るために周
りの空気を読み、それに合わせること、あるいはその空気が望む方向にジャンプまですることがあります。
そのこと自体が悪い行為と思いません。人を傷つけない空気にあわせ、それをだんだん自分のものにしていくこ
とも出来るのですから。問題は、人間を傷つける空気を胸いっぱい吸って人は育ちます。そして学習します。
そして自分のものにしていくことです。
繰り返される言葉や振る舞いがいっぱい繰り返されると、どうなるか?
ルールができます。ルールができるとどうなるか?簡単です。ルールに従って言葉や振る舞いが統一されてきます。
先を急ぎます。4ページの「シネマで愛して」に書かれている状況を見てみましょう。低身長症を見た人々の振
る舞いです。まなざしの放射・肘による気づきの促し、眉をひそめる感情表現・指をさす共同確認・顔を寄せあう
情報交換・声をひそめる共有感情確認等々。
そして、その振る舞いが作り出す。健全者というアイディンティティの全体的確認が一瞬にしてされています。
同じような振る舞いをしなければ不安になると思われます。
振る舞いが作り出すルールは、生まれてきた赤ん坊から高齢者までふわっと包みます。でもそのふわっとは見え
ません。なにしろ空気なのですから。そこに在ることさえ誰も気づかずに空気に合わせる人々を作り出します。
実に不思議な空気でありますよね。
ページ6
倚りかからず
もはやできあいの思想には倚りかかりたくない
もはやできあいの宗教には倚りかかりたくない
もはやできあいの学問には倚りかかりたくない
もはやいかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶん耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
年賀状ありがとうございました!
みなさん、いっぱいの年賀状ありがとうございました。もう1月も終わろうとしているのにお礼が遅れ申し訳あり
ません。2008年のもやいの一歩を踏み出しました。福祉マップ改訂版・自立マップ改訂版を桜が散る前に完成させ、
チューリップの咲く頃には「バリアフリー温泉マップ」づくりが始動します。
今年もよろしくお願いします。
★編集後記
「お正月、待ってましたと雪が降り」・・・元旦の朝、トイレの窓から雪を見ました。なんだかうれしい!
お屠蘇をいただくと今までで一番おいしかった・・な、なんだかうれしい!2つのうれしさが有頂天の新春でし
た。 皆様のお正月はいかがでしたか?
もやいの通信本年もよろしくお願いします。
|
2007年12月10日発行
ページ1
-猫はコタツで丸くなる-
猫はコタツで丸くなる
年をとるとコタツの魅力が増す。
この暖かきコタツという国家は、安心と安全を与えてくれる。未だこの国が与えてくれないぬくもりがそこに
在る。 だけどな〜と思う。そのぬくもりが、わたくしをここに留め、世界との出会いを奪ってないか?と確かに
思うのだ。その昔、 ある歌人は「家出のすすめ」という本を書いたが、家を出る前に、どうこのコタツから出るか
が先じゃないか?と思う。
コタツというと猫である。「猫はコタツで丸くなる」と私たちは決めつけてきたけど、いつの間にか、わたした
ち自身が猫になっている気がする。猫でもかまわないのだが、丸くなってもかまわないのだが、コタツという国
家にゴロニャンしているだけでは、「何か」と出会えないのではないか?うーん、「何かって何よ?」と聞かれそうだ。
何かがわかれば何かではなくなるのだよ明智君!何かわからないけど何かを求める、それがいいなと思わないか?
何かを探す生き物でありたいと思いつつ08年を迎えよう!
ページ2
07年、応援いただいたみなさまへ
07年度、さまざまな場所から、さまざまなやり方で、また思いで、SOS活動を応援していただいたみなさん。
本当にありがとうございます。
わたしたちの目指す自立と共生の世の中は、未だ遙か彼方でありますし、私たち自身も年を取り2次障害に苦しめられてい るのですが、しかし、あせることなく、且つ、惰ることなく、早くゆっくりの歩みを続けています。
福祉が産業化され、経済の論理が人間関係を規定していくつまらない時代ですが、私利私欲、公利公欲ではない
解放された人間関係が作れないと、障害者の夢は開かれないのだと思います。
わたしたちは、写真のようなに心の奥深くの「叫び」が聴こえ続ける限り、活動を進めていきます。当事者と
して生まれた私たちの唯一の社会貢献の証として。08年もよろしくお願いします。
ページ3
帝京大学の学園祭で体験!明日の福祉機器だジョー!
立つんだジョー
ビデオ屋で、お目当てのDVDを探し当てた時は幸せである。が、それが手の届かない棚にある時、幸せは手の
ひらからこぼれ落ちるのである。まあ、それほど大げさではなくとも困るのである。車椅子だとそれは日常茶飯
事だ。ビデオ屋に限らず場所を変えて多々ある出来事である。
届かない悔しい!その時、後ろからあの声が!丹下段平の声が聞こえるのである!「立つんだジョー!」そんなこと言
われてもどうにもなんないよ・・・だが、あの声に応える、立ち上がる車椅子が登場したのである。重度障害者
の景色を変えるこれって、いろんな使い方が出来ると思います。世界を広げる機器ここに登場です!
積むんだジョー
車椅子をどう積むかは重要です。車を運転する障害者とっては負担なのです。自力で積むには重い、つめない、
だめだとあきらめたとき、再びあの声が!「積むんだジョー!」なんと、車がかってに車椅子を車の屋根に積み収
納!社会参加に強力な支援機意気ここに登場!
ページ4
ハローキッズ!君たちこそ希望の種だよ!
小さな靴がもやいの玄関に並ぶ
色とりどりで色んなサイズ色んなデザイン
靴をみていると
つくづく人はみんな面白い生き物なのだと思う
それをつまらなくさせるものがこの世に満ちている
だからこそ
君たちは僕らの希望の種なのだ
今日はようこそ
ページ5
SOS研修IN鹿児島・・ぼくらはおいどんになる!
●鹿児島研修は盛り上がったのです。桜島、夜の天文館のイルミネーション。
そして黒豚ラーメン、知る人ぞ知る白熊アイス!うーん、ぼくらは確かにおいどんになったのでした!
原点復活のSOS忘年会終了
SOSの忘年会は、忘年会などと無縁な世界に置かれている障害者を主役にという、原点に戻した忘年会とな
りました。 少人数ですけど、それぞれが主役で、語り合え、笑いあえる、心のこもったいい忘年
ページ6
福岡県南筑後地域労働者福祉協議会より・・ パソコン2台と周辺機器の寄贈をうけました
12月14日に労働者福祉協議会よりパソコンの寄贈をうけました。
労働者福祉協議会の皆さん本当にありがとうございました。
パソコンを通じた作業や活動が増えていたので 大変助かります。
当日は松岡会長始め7名方がもやいを訪問され、贈呈を受けた後、交流もさせていただきました。
心よりお礼申し上げます。
編集後記
高田渡さんというフォーク歌手がいて、もやいにも何度か遊びに来てくれましたが、今年亡くなられました。
その息子さんである高田蓮さんのライブを先日福岡で見ました。スチールギター奏者の蓮さんの演奏は見事で、
とても癒されたのでした。古いフォーク歌手の人たちと最後に渡さんの歌が歌われ涙・・・
2007年10月10日発行
ページ1
-ムーンライト-
ムーンライトセレナーデだよね
秋の存在証明はムーンライトで事足りる気がする。
ほのかな月光の下で、ワインにほほを染め幸せのステップと戸惑いの
ターンでワルツを踊れば、もう世界は手のひらの中だ。
ムーンライトは、人に詩を書かせ絵を描かせダンスを躍らせる魔力がある。
人の心の奥底にある何かを引き出す不思議なエンパワメント。
さまざまな文化を産みだして人を飽きさせない秋。ムーンライトを浴びると
ここではないどこかへ心が向かい始める。
☆赤い羽根共同募金
本センターに平成19年度の共同募金配分が決定しました。
この配分は運営に使わせてもらいます。
寄付の方、ボランティアの方、関係者の皆様、本当にありがとうございます。
ページ2
自分だけの地図を描こう
自立マップ改定作業 ぼちぼち開始!
自分は一個の人間でありたい
誰にも利用されない/誰にも頭を下げない/一個の人間でありたい
他人を利用したり/他人をいびつにしたりしない
そのかわり自分もいびつにされない
一個の人間でありたい
武者小路実篤さんの詩であります
けっこう沁みてくるものがありませんか?
人は時に自分の思いを言い当てる言葉を探します
探し当てたとき自分の思いが完成するような喜びを感じます
そのための旅ならいとわないぞという気になります
武者小路は続けます
自分のもっとも深い泉から/最も新鮮な/生命の泉をくみとる
一個の人間でありたい
生命の泉を汲み取り一個の人間になる旅には
私たちの場合必要最低限の社会サービスが必要となります
生きるための新しい地図が必要となります
ということで、「自立マップ」を最新情報に書き換え
改定作業を開始します
各方面のご協力よろしくお願いします
ページ3
★福祉の街づくり
こんな街になればいいのにネ。
★やさしい物づくり
こんな物があるといいのにネ。
いきいきふれ愛あきない祭りの中に
メッセージボードを設置し
祭りを通して市民の思いを発信したいと思います
この街がこんな街であってほしい
こんなものがあればとっても助かる
福祉の街づくりに関するあなたの願いや思い
生活を豊かにする物づくりへの願いや思い
ちょっとした願いや思いをお寄せください
メッセージボードを願いや思いで埋め尽くしましょう
それはきっと
福祉の街づくりとやさしい物づくりを進める
大きな風となって吹きわたると思います
みなさんのFAXお待ちしています。
ページ4
シネマで愛して・・・善きひとのためのソナタ
静かで地味でしかしキラリと心に残るこのシネマは、なんだかいつまでも忘れられない恋人のようであります。
東ドイツという今は無き国家は、盗聴と密告によって体制維持が行われていたのであります。これって独裁国家
のお約束ですよね。支配する側の権力の乱用というこのカタチ。私たちは、子どものころから施設という場所で
とっくに経験済み。驚くに値しないのであります。支配者が被支配者に相対する方法は2つであります。アメと
ムチ。ホホエミとロウソクなのです。
アメをもらうために、てぇへんだてぇへんだ!「タバコ吸ってるよ」「おしっこしかぶってるよ」「賭けブリッ
ジしてるよ」「人にものばっかりたのんでるよ」「先生の悪口ばかりいってるよ」と、同じ障害者にチクリまく
られ、支配者から好感度は最悪だったあの頃。毎日盗聴されてたのも当然でありました。
さてさて、そんなことはどうでもよくないのですが、とのあえずこのシネマであります。浅く不確かな人間観
に基づく登場人物が出てきて、なんともかんとも乗っていけないシネマが多い中、なんと素敵な人物描写であり
ましょう。
最初から最後まで緊張の糸が切れずに乗せてくれたのでした。監督の名さえ知らないのですが感謝申し上げた
いのでありました。井上光晴は「全身小説家」を名乗りましたが、このシネマの主人公、そのたたずまいは「全
身官僚家」という感じでありまして見事な演技力であります。支配者側の最先端の駒として、反体制派を徹底的
に盗聴するのであります。しかしこの主人公権力の最先端にいても、その暮らしはどうかというと近所の住民に
嫌われ、娼婦とのセックスは殺伐とし、組織の中では政争の具に利用されるのであります。この暮らしのどこに
希望があるのか、見ていてため息が出るのであります。ところが主人公が盗聴と言う業務を通じて変わり始めま
す。不思議であります。人の会話、物音、ピアノのメロディー・・・・「音」がだんだんと主人公を変えていくの
であります。
主人公を変えたのは何なのか?これがシネマの主題です。答えは見た人次第でありましょう。
わたしは主人公は多分希望の音を聞いたのではないかと思えました。あなたなら?
ページ5
障害学D
障害者の人権白書という一冊の本があります。
障害者自身やその家族が語る「いま、ここから」の話は、多くのことを教えてくれます。
3つの事例に共有するものの一つに「誰かが傷ついている」というのがあります。いや、誰かではなく明らかに
障害のある人とその家族が傷ついています。傷ついている理由はなんでしょう?その傷つく原因にも共有するもの
があります。それは、なかなか一言で説明するのは困難です。ただ「障害」がなければ傷つかずにすんだわけです
から「障害」があることが原因なのは明らかです。なぜ「障害」あるとこんな目にあうのでしょう?
次々と疑問がわきますよね。なぜこんなに傷つけられないといけないのか、差別されないといけないのか、考
えずにはいられませんよね、
この私を傷つける相手はなぜ私を傷つけようとするのか?なぜ仲良くできないのか?もしかして私を傷つけること
で相手も実は傷ついているのではないか?もしそうだとしたらどうすればいいのか?
?????が続きます。
「そんなことどうでもいいじゃない」「無視すればいいのよ」心の北側からそんな声が聞こえます。すると南側か
ら「いや正体を確かめないといきていけないよ」という声が聞こえます。西からも東からも、いろんな声が聞こえ
てきます。
でも、旅を続けましょうね!いくとこまでいきましょう!それが障害学という、人として生きるための学問のつ
とめでもあります。
さて、「誰かが傷ついている→それは障害者である」まできました。じゃあなぜ人は障害者を傷つけるのか?を考
えてみましょう。
まず気づくのは、傷つける側には「私たちと違う」という思いがありますよね。そこから変化して、よく見ると
「私たちのようにできない」という見方がでてきます。そこから「ということは、私たちより劣っているジャン」ま
ではひとっ跳びです。
ここで疑問がわきます。「劣っているジャン」という考え方に、傷つけた人たちは自分の力だけでたどり着いた
のでしょうか?
編集後記
吉田拓郎コンサートが筑後であったので行ってきました。
ここのところ体調が悪くて最近のコンサートも中止になっていたので心配しておりましたが、拓郎は元気でした
コーラスもつけず、自分の声のみで歌う拓郎は素敵でした。アンコールの名曲「ファイト」は心の奥に届く地鳴り
のようで、ギター1本で歌うシンガーの原点を見ました!
2007年9月10日発行
ページ1
-残暑お見舞い申し上げます-
残暑お見舞い申し上げます。
もやいを訪れた夏の訪問者の中で、本当に久しぶりだったのは山本シンさんなのです。
ブルースシンガーのシンさんともやいの付き合いは長いのですが、広島に転居されてからは会う機会はなくな
ってしまいました。思い起こせば、旧もやいの事務所が完成したときに、あの5坪の事務所でシンさんがお祝い
のライブをやってくれたのでありました。そして、23年後、もやいが新しい事務所に転移した瞬間に訪ねてく
れました。偶然とはいえ不思議な偶然であります。シンさんは相変わらずシンさんでありまして、変わったこ
とといえば、1枚のCDが出来ていたことでした。そのCDにはシンさんの入魂のライブが納められていました。
昨年亡くなった高田渡さんの思い出話やらができて、うれしくもありました。
訪問者が与えてくれる懐かしさや新鮮さは、もやいの原点を思い起こさせてくれます。「ブルースを生きてり
ゃ色々あるさ!」去りゆくシンさんの背中が語っていました。今日もどこかの街でライブをやってることと思いま
す。又のお越しを!そしてブルースに乾杯を!
ページ2
北九州&アジア全国洋舞コンクール
大胆不敵!とはこのことか?
ありえないダンスが
北九州のステージで実現!
オリジナル曲「SO乱TAN鉱節」に乗って
支配文化に規定されない自己執行の
ダンスパフォーマンス
ジョイステックによる電動車いすの操作と
身体操作との同一感の中で
心を解き放ってきました!
台湾の小人症の女性のコミカルでエネルギッシュなダンス。韓国の視力障害者の見事な集団でのダンス。台湾
の片足の男性の椅子を使った信じられないダンス。アジアの障害者のダンスを出番を控えながら舞台袖でみた。
何とも言えずに心が高揚する。というよりも心が何かを楽しみ始める。そう、とても楽しい一瞬だったのだ。
そこには、誰にも強制されず「踊りたいから踊るんだ」という自己執行のダンスがあり、障害者がつくりだす芸術
と文化が広がっていたからだ。アジアの女性が、ひじから先が切断されているその手を高く揚げる。その時、あ
るはずのない左の指の先までもが美しく見えた。そう、見えた。そんなダンスと出会えてよかった。
御礼
今回のイベントへの参加にあたっての費用捻出として、Tシャツの販売を行いましたところ、
多くの方にお買い上げいただきました。買っていただいたみなさん本当にありがとうございました。
今後も、既成観念にとらわれず、いろんなことをやっていくなかで、希望は鳥より高く飛べ!
ページ3
シネマで愛して・・・300(スリーハンドレット)
CGのすごさはわかるのでありますが、CGのシネマばっかり見せつけられると「なんだかな〜」って感じになるの
です。故にわたくし的には、非CG派を自認しております。反CG派までに過激じゃないのは作品によって、CGの良
さが一役も二役もかってるときがたまにあるからであります。
さて、話題のこのシネマ、マトリックスなどひとっ飛び的なCGのできでありまして、ひとつひとつの戦闘シー
ンが、いちいち名画のようで美術館にいるような気さえしたのでした。
10代の頃、ベンハーの小説を読み、頭の中でくるくるとシーンを思い描いて興奮し、数年後、テレビで戦車の
戦いのシーンを見て、すごいなーと感心した事を思い出してしまいました。
ストーリーというのはもうそれはシンプルなものでありまして、ともすれば退屈してしまうのですが、ベンハ
ーがカメラワークで魅せたように、このシネマはCGが退屈さを棚上げにしてくれて、ストーリーを盛り上げてく
れるのであります。
さて、このシネマのキーワードを漢字一文字で表すと「凜」という気がします。何のための「凜」かというと、自
由のためなのであります。自分ひとりのための自由ではなく民族というカテゴリー、つまり仲間全体のための自
由なのであります。他のカテゴリーに支配されないための自由。そのために戦う。そう「わたくし」を捨てて、
そして死んでゆく。うーん、このヒロイズムの誘惑に、わたくしのハートも引っ張りこまれます。
ここから、なぜこくな連想をしたのかわかりませんが、思い浮かんだのが最後の将軍徳川慶善の大成奉還であ
ります。英雄的戦いを行ったスパルタと真逆!であります。戦わず江戸を去り一部戦う部隊を尻目に、この将軍逃
げるのであります。弱気だなと思っていましたが、ここにきてというよりこの年になってふとこういう見方もで
きるのではと思うのであります。
あれは、逃げたのではなく、新しい時代の日本を作るために、その障壁になる
「わたくし」を捨て、そのカテゴリーを静かに葬る行いだったのではないのか?そうであるなら、この誰にも理解
されそうもない「戦わないヒロイズム」にもわたくしのハートは引っ張られるのであります。
ページ4
平和
炎天下の中、ペダルを踏みしめてナガサキへ。ピースサイクルの皆さんが今年ももやいを訪れてくれました。
15年続く恒例行事です。もやいでしばし休息。再び炎天下の中を元気に出発されました。某大臣の原爆に関する
発言が大きな批判を招いた2007年の夏。今一度、核を保有し、核を望み、核を頼る人間のありようを見つめなお
すことが必要だと思われます。たとえ、正義の名においても、自己防衛の名においても、すべて「殺すな」から
はじめなければ・・・。夏が来るたび、ピースサイクルが来るたび、命について考えざるを得ないのであります。
交流
や、や、山田さんです!お元気そうでなによりです。九州で障害者議員の「始めの一歩」を踏み出した伝説の人で
あります。キャラクター的には「まじめの一歩」というかんじであります。そして介護保険適用まで「いま一歩」
?であります!
山田さん、ようこそ!
久留米の共同作業所「無限企画」の人たちが、もやいを尋ねてくれました。もやいのメンバーと縁のある人も何
人かいてとても楽しい交流の時間が過ごせました。暑い中みなさん大変お疲れ様でした。それに、おみやげあり
がとうございました。機会があれば今度はこちらからお邪魔するかもしれません。そのときはよろしくね!
ページ5
差別の中にも物語は生まれる!
施設百話・・・社長と呼ばれた男
男は常に上目遣いで見た。
榊は「なんで身の回りのこともできん奴が授産施設にいるんだよ。こんなの有り?」と言ったが、その男の卑屈な
態度は謙虚さとして評価され、計算高いコミュニケーションは敵を作らなかった。
この男のため、年老いた神父が月に一回やって来た。2人きりで相談室で十字をきる姿を誰もが渡り廊下から
見た。榊は「こんな所でアーメンかよ」と見るたびに吐き捨てが、その男は多分みんなに愛されていたのだ。
いつのまにか社長と呼ばれていた。
軽度の障害者たちは、社長秘書みたいにその男に尽くして身の回りの介護を行った。神父の横で奈緒美は時々
満ち足りた笑顔を見せた。その際は必ず社長を一瞥した。社長も上目遣いの顔をほころばせて笑った。2人きり
の儀式に加わって半年が過ぎていた。奈緒美と出会ている榊は、秘書のように社長の手伝いを始めた奈緒美にい
やな顔を見せたが、まだ余裕があった。「お前も物好きだな」と榊はいつもの皮肉を言ったが、奈緒美は「障害
者は助け合わないとね」と笑った。20以上も年上で頭の禿げあがった重度の男への尽くす事に榊もそれ以上はふ
れなかった。
夏が過ぎた頃、奈緒美は儀式への参加を始めた。榊は切れた。しかし、おとなしい奈緒美が頑として聞き入れ
なかったのだ。二人の間にすきま風が吹き始めていた。酒癖の悪い榊は時々奈緒美を殴るようになった。それで
も奈緒美はぶれなかった。
不思議な光景だった。理屈や宗教などとまったく無縁な女であるはずの奈緒美が、日に日に香りを発しだす花
のように見え始めていた。酒臭い息を吐き目を据える榊は蛾のように見えた。
榊の退所が決まったのは早かった。奈緒美が血を流して当直室に駆け込み、救急車が呼ばれ、消灯後にかかわ
らず誰もが起きだし寮は騒然となった。加害者の榊は相談室に鍵をかけられて隔離されたらしく、いつも奈緒美
達が十字を切ったその部屋は電気がついていたが、薄汚れたカーテンが榊を隠していた。
あの夜救急車に乗り込む奈緒美と当直の職員を見送りながら、ふと横をみるとその男が上目遣いに奈緒美を見
ていた。顔がかすかに笑っていた。その男と視線があった。「ひどい男だね」かすれたような声でその男は言っ
た。そして十字を切った。「こんな時にアーメンかよ」俺は腹の底で言った。
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障害学4
障害者の人権白書という一冊の本があります。障害者自身やその家族が
語る「いま、ここから」の話は、多くのことを教えてくれます。
事例@
小学校4年くらいの男子が3〜4人、いつも家の前を通るときに娘の名を呼び捨てにしたり、ゲラゲラ笑いながら「うつるから
息せんとけ」といって「うっ!」と口を手で押さえて息を止めて走りすぎ、2〜3軒向こうで立ち止まって「ハアー
ハアー」と息を吐いているのです。それが頻度を増し、殆ど毎日になっています。
※知的障害者(療育手帳A判定)の母親
事例A
病気のことを話さずに結婚して新婚生活を送っていたが、その後病気のことを、夫の親に知られて離縁させられ
た。夫は少し理解してくれていたようだが、親の反対に屈してしまった。
※精神障害者1級・女性
事例3
手話サークルの人たちと、ファミリーレストランで会食中、店員より「他のお客様の迷惑になるんで静かにして
ください」と注意を受けた。みんな手話で話しているし、声を出していないのに何故「静かに」なぜのか不満に思
い「どうしてですか?」と聞いた「手話で話されるとガサガサする」とのこと。手話を母国語とする者の心を傷つ
ける言葉と思う。しかし、他の人はそれに腹を立てる訳でもなく「仕方ない」ですませたので、私も何も言えなか
った。
※聴覚障害者・男性
編集後記
夏の悲しみのひとつに、せみの死があります。その短すぎる生を泣き続け、路上に落ちたせみの死がい。
電動車いすを止めると、路上の木の上で鳴くせみたちの声。失った仲間の葬送曲のように、受け継がれた第
2楽章のよう に感じます。わずか7日間の命を懸けて、いったいせみはなんのために鳴くのでしょうね。
夏のミステリーは少し悲しみ色であります。
2007年7月10日発行
ページ1
-暑中お見舞い申し上げます-
暑中お見舞い申し上げます。
梅が咲き、桜が咲き、菖蒲が咲き、若葉が萌えたと思ったら、日中の暑さに夏を感じて「何故こうも時の流れは
・・」と、1年の半分が過ぎたことに唖然とします。
誰にも平等に時は降り積もっているはずですが、志が遅々として前に進まないと、けっこう心は疲れるものです。
その疲れた心に現実という夏の日差しが降り注ぐと、志がグラリとゆれたりしますよね。いくつもの蜃気楼が表
れ、志の放棄を誘ったりするものだからなおさらです。そんなときは、木陰に身をかわし一休み。あわてない、
あわてない。木陰を吹き渡る風の涼やかさは不思議ですよね。どうしてあんなに心地よいのでしょうか。まさに
この風の一陣を得るために夏はあるのだとさえ思えます。木陰の中でKO寸前の志がスクッと立ち上がると、蝉時
雨さえも、私たちがたどり着くはずの「見えない国」からのエールのように聞こえます。一息ついて歩き出すと夏
の暑さもいとおしく思えたりするから不思議です。この夏、お体と志、どうぞお大事に。
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もやい移転
地域活動支援センターもやい「移転」のお知らせ
1986年に借金背負ってもやいを開設。あれから21年。このたびもやいは移転することとなりました。この場所で、
様々なドラマが生まれました。いくつもの笑顔がこぼれ、いくつもの涙がおとされ、未だ手にすることのない希
望が語られました。
わずか10坪の場所が、私たち障害者にとって無限の広さを感じる宇宙でもありました。去り
がたい思いは強いのですが、わずかな荷物と、共に活動する中で亡くなられた人たちの思いを肩に乗せ、新しい
事務所へと移転します。事務所は変わっても今までとおりのもやいです。
お近くを通られたときはお気軽にお立ち寄りください。
ページ3
シネマで愛して・・・ディアハンター
製鋼所に勤める5人の若者たちは、休日には山脈へ繰り出し鹿狩りを楽しんでいた。1968年、ベトナムに徴兵
されるマイケル、ニック、スチーブンの歓送会と、スチーブンとアンジュラの結婚式が合同で行われたのだ。大
勢の人々が駆けつけ、スラブ系の民族舞踊が次々に披露された。戦場へ行く者たちは別れを紛らわそうとハメを
はずしてはしゃいだ
このシーンの長さにギブアップする人も多いのであります。私もそう思ったのであります。しかし、しかし、
日常の退屈さと同質の感情を巻き起こすことを監督は狙っているのであります。つまり、罠なのであります。そ
のことに気づくのは、3時間後シネマを見終わった後であります。うーん。こういう手法もありだよね!クラシ
の宴の後、仲間達は山へ最後の鹿狩りに出かけるのであります。このシーンとても良いと思います。
延々に続いたクラシの宴が終わると、いきなりイクサの宴が始まるのでありました。
北ベトナムの戦場は泥沼。逃げ惑う農民達を手当たり次第に虐殺する兵士。北の攻勢に若者3人は捕虜となりま
す。そしてあの有名な「ロシアンルーレット」のシーンへと続きます。
久しぶりに見直すと、このシーンの役者さんの打ち込み方ともうしましょうか。鬼気迫るというより鬼気来ちゃ
ったぞ!という感じでありまして、改めてすごいなと感じ入るのでありました。
クラシの宴の緩やかな時間の流れ、予定調和のにぎやかさと静けさ。悠々の命の表現している山や鹿。
イクサの宴の身を削る時間の流れ、世予定不調和の騒乱と叫びだしたくなる沈黙。命をゲーム化した泥水や拳銃。
クラシとイクサに共有するのは現実という事実であります。ベトナムから帰還した若者たちを、クラシの宴が誘
いますが、もう若者たちは、それぞれの人生の影を持って生き始めているのでありまして、用意された宴は成立
しないのであります。
片足を無くした若者の一人は、陸軍病院で、電動車いすに乗って登場するのであります。そうだ。電動車いす
はこの時代から私たちの元へ来たのだと妙なところで関心。
あー名画は名画。何十年ぶりに見ても、色あせぬテーマを物語にして届けてくれるのでありました。
ページ4
差別の中にも物語は生まれる
施設百話・・・カルネアデスの船板
地図製図は才能よりも性格がものをいうと朝枝は思った。どうしても自分が園田に勝てないのは、才能や障害
のせいではないのだ。出来上がるスピードに差はないのだが、ミスの少なさにおいては園田は群を抜いた。指導
員の町田は園田の注意力こそプロに求められるものだと、事あるごとに賞賛した。そしていつも町田の視線は朝
枝に向いた。
園田が入所してきたとき、朝枝は歯牙にもかけなかった。生まれつき障害があり、いやというほど施設で暮ら
してきた朝枝には、一見して園田にどれだけのことができるかが判定できた。くも膜下出血による縦半身麻痺の
園田にも妻も子供もいたが面会に来ることはなく、かといって園田が土曜・日曜に自宅に帰ることもなく、一人
製図の練習を行った。しかし、線にはぶれがあり、どう見てもものになりそうにはなかった。朝枝は時々園田の
練習に付き合い、優位者の持つ謙虚さで園田に接した。
園田の孤独な練習は続き、気がつくと線のぶれはなくなり、製図のスピードが上がった。それは予想を超える
展開だった。あっという間に朝枝ナンバー1の席を侵食し始めた。
そんなとき、T社から1名障害者を雇用する話が舞い込んだ。誰もが園田か朝江か何れかだと噂した。どちらが選
ばれるかは、指導員の町田の推薦がすべてである。町田のここのところ両者の製図の仕上がりの評価をみれば、
朝江には園田が選ばれることが見えていた。
障害者施設を渡り歩き30年を超えた朝江にとって、2年前に入所したこの施設の地図製図の仕事こそが己を娑婆
に出す切り札だと思えた。就職するのだ。そして同じ車いすの美紀子といずれ結婚するのだ。中途障害で家庭持
ちの男などに奪われてはならなかった。窓を開けると裏庭に園田の妻と2人の子どもが園田を囲んで弁当を食べ
ていた。製図の技術への自信や就職への推薦への期待がそうさせるのか、そこには幸せへの日差しが当たってい
た。朝江の頭の片隅に、いつか読んだ本の一説があいまいに浮上しつつあった。遭難し海に放り出された二人が
船板にすがり、どちらかが手を離さないと船板が沈むとき、相手を突き放しても罪とはならない。そう、罪とは
ならないのだ。なんとかの船板という論理だった。朝江の頭に浮上した滲みは広がり始めた。甲高い妻や子供の
笑い声をBGMに、園田を沈める策略が土曜の昼下がりに出港しはじめた。
ページ5
障害学3
与えらるルールより、つくりだすルールが用意されないとね。
景色は変わらないですよね。例えば子供扱いの景色とかね。
前回、人はなぜ障害者を子供扱いするのかを少し考えました。いろんな社会経験の中でいつの間にか身についた
価値観(ものの考え方)ではないか?そうであればこれはかなりやっかいだ!というところにたどり着きました。
さて、そうだとすれば、価値観から発生する障害者を子供扱いする言葉や、態度振る舞いを一つ一つモグラ叩
きするのではなくて、価値観を作っている材料、素材を点検してみたほうがいいかもしれません。つまり、なぜ
そう思うか、そう言うか、そう見るか、そう感じるか?価値観の前提になっているものに「えっ、それって本当?」
と問いかけてみる事は大切なことと思います。
誰でも、自分の考えていることは正解だと信じたいわけです。いや正解だからこそ信じているわけです。
しかし、例えば年上の知的障害者の人と向き合ったとき、認知症の高齢者の人と向き合ったとき、私たちは言葉
のわかりやすさや言い換えなどの配慮をしますし、コミュニケーションを図る意味からも、そのことは当然かも
しれません。しかし、それとは別に向き合ったその瞬間に、関係性として、守り守られる、支援する支援される、
立場生として普通の大変、幸せと不幸、などに分けられた行く感覚があります。この感覚は理屈ではないような
気がします。自分の考えてること、感じてることを疑ってみましょう。「信じたいために疑い続ける」ことをメ
インテーマに旅を続けましょう。
障害者の人権白書といものがあります。さまざまな障害者に聞き取りをした本です。えー、いまどきこんな差
別があるの!という世界が広がっています。そこでは、障害に起因して、年相応の大人として、また、市民として
の扱いをされない人々が登場します。
次回から、その白書に語られてる「子供扱いの現場」にワープしましょう!
事件は現場でおきているのですから!いざ、現場に。そしてみんなで謎を解きましょう。
編集後記
降り続く雨はメロディーのようで、そのテンポや強弱の違いでロックのようでもあり、クラシックのようにも
聞こえます。そう思えると、雨を見上げて、タバコをふかせばメロディーにあった詩が自然と浮かんでくるので
す。梅雨に素敵なラブソングができれば、大切なひとにプレゼント!これが本当のツーユーだ。チャンチャン!
2007年4月10日発行
ページ1
-昔から・・-
「昔から・・・・」
いつからを昔というのかはわかりませんが、もやいが誕生して20年以上を経過しているので、昔と言えると思
います。4月から事業名が「共同作業所」から「地域活動支援センター」に変わりましたが、もやいは相変わらず
もやいでありまして、時々いろんな人が、いろんなものを背負って訪れたりする場所であります。これは昔から
そうですし、こりからも多分そうであると思えます。
「もやいは変わらないね」
と、時々成長しない子どもを見るまなざしで言われたりしますが、「変わらない」であり続けるということは、
常に変わり続ける営みがどこかで続けられているということでもあります。なんだか禅問答みたいですが、華麗
に変わり続けるということは、実は変わり続ける営みの放棄になっていることがあります。人生はそう単純では
ないのです。大切なものの多くは見えないものの影に隠れ住んでいたりしましすね・・・。
さてさて、もやいに持ち込まれるいくつものため息と、いくつものせつなさ。しかし、時には、影に隠れ住ん
でるものを希望のまなざしで探す者たちも訪れます。子どもといわれるその人たちは、言葉の香りとともに、も
やいを元気にしてくれるのであります。
ようこそもやいへ!
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アジア洋舞コンクール出場・・応援Tシャツ販売!
毎年、毎年、応援センターの「オリジナルTシャツ」をお買い上げいただくみなさん
ありがとうございます。
そして今回初めてお買い上げいただくみなさん
ありがとうございます。
NPO法人おおむた障害者応援センター一同心より御礼申し上げます。
Tシャツの売り上げの純益は障がい者の自立と文化の活動に使わせてもらっています。
2007年は応援センターの障がい者で構成するダンス集団
電動騒乱隊
「アジア全国洋舞コンサート」参加のための資金にしたいと思います。
ダンスと無縁の世界に育った私たちですが
私たちと一体化した電動マシンとともに人間解放のパフォーマンスを
大牟田より発信して参りたいと思います。
よろしくお願いいたします。
企画:NPO法人おおむた障害者応援センター/製作:SOSプランニング
販売:地域活動応援センター・もやい/電話:FAX=56-9142
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シネマで愛して・・・・暖(ヌアイ)
シネマの醍醐味のひとつに、カメラワークがあるのであります。そのワークの真の豊かさは、それだけでドラ
マを生みあげる力を宿すのだなと思わせるのであります。
例えば川の風景ひとつ、今にも壊れ落ちそうなつり橋のひとつとってもそうであります。そのつり橋で10年ぶり
に交差する男女の息づかい、まなざし、水音、陽光、セリフなしで提示されるシーンは、見事にこの男女とこの
故郷の位置を素早く暗示するのでありました。
果たして、このシネマにセリフなど必要かという気さえするのであります。いろんなDVDを見ます。大半は何
の予備知識もなく見るのですが、始まってすぐのカメラワークで、ぐっーと気持ちが入っていく時と、気持ちが
のらない時とにわかれます。
久しぶりに、ぐっーとくる中国シネマに当たり嬉しい限りであります。なんだかストーリーはどうでもいいやっ
て感じで、人の心の揺れとまなざしと、人の住む居場所のたたずまいと、風景が悲しみの名画のように表れるの
でありました。なつかし〜いがあふれ、せつな〜いがこぼれ、人生ってそうだよな〜が確認できるシネマであり
ます。
聴覚障害のある夫、足に障害を負った妻。その夫婦の前に10年ぶりに表れる男。同じ場所に生まれ育った3人に
起こる愛という名の厄介でせつない荷物を背負いながらの再会を描いたシネマであります。
障害が、3人の生き方に大きな影を落としているのでしょうが深追いせずに、1シーン1シーン絵画を楽しむ気持
ちで見ると心が落ち着くのであります。
4000年の歴史の余裕か?な。
ロッキーやスパイダーマンなどのハリウッド系のパートものの量産にさすがに「勘弁してよ」と、中国シネマに
逃げ込んでいるという訳ではないのですが、見て落ち着くカメラワークに腰をすえて見る今日この頃であります
ページ4
君のペースで僕のテンポで SOS・もやい活動開始!
"07年度対応の自立マップへ!
自立支援法で一変した障害者福祉サービスに対応できるように、ホームページ上の自立マップをただ今工事中
です。6月中くらいにはアップできると思います。その際は又ご活用くださいね。
リクエストに応え福祉マップ冊子版
昨年市民の方からのリクエストで作成した福祉マップの冊子版が好評で、福祉課からもリクエストがありまし
たので、今年度も作成することにしました。自立マップ完成後に始めたいと思います。
からだが騒げばダンスでショー
8月の洋舞コンテスト本番に向けて、現在オリジナルソングの編集作業とアジアバージョンの振り付けの検討
中です。5月中に完成し6月より練習に突入です。
こころが騒げば夜会でショー
様々なダンスパフォーマンスで楽しめた昨年の夜会に続いて、本年4月の夜会で2人芝居を予定していました
が、諸般の事情で10月に順延いたしました。名月の下で「平成残侠伝」を楽しみたいと思います。
ヘルパー利用者の会再起動!
しばらく活動が停滞していたヘルパー利用者の会の再起動を開始したいと思います。6月の会議をきっかけに、
少しずつでも活動を進めていきます。介護者との距離感やコミュニケーションのあり方などをとおして、好い
関係と介護スキルを目指します。
ページ5
障害学A
与えられるルールより、つくりだすルールが用意されないとね。
景色は変わらないですよね。例えば子ども扱いの景色とかね。
前回の続きです。「何故?障害者は子ども扱いされ続けるのか」の旅はまだまだ終わりません。けっこう大事
なテーマがそ こにあると思えるからです。では先を急ぎます。
言葉の投げかけ方の難しさは、障害者に限らず誰もが暮らしの中で経験しています。ただ、障害者にとっては、
その存在を決めつけられるという意味で、子供扱いされるか、されないかでは天と地ほどの違いが出来てきます。
ことは、存在証明に関することになると思います。
子供扱いされたとき、どう自分の存在証明(大人として)を回復するかです。その答えを得るためには、もう少
し子供扱いする人の価値観を分析しなくてはいけないと思います。相手の真意を知ることから回復の道が開ける
と思えるからです。
何故子供扱いするのか、単純な質問ですが論理的に「こうだから子供扱いするのだ」という答えを言える人は
少ないのです。子供扱いするのは何故なのか考えてみても良くわからない?というのが大多数の人の正直な答えで
はないかと思います。こうなるとけっこうやっかいです。
こういう体験があるのでこうなった式の方程式ではなく、色んな社会経験の中でいつの間にか身についていた価
値観。そう、いつのまにかとはいえ、価値観となっているということは重要です。価値観とは、その人をその人
たらしめている原因ですから、少々の風が吹いても、雨が降っても、揺るぎません。
地上の変化で揺るがないなら地面ごと!
過激ですがいい発想と思います。子供扱いする人の言葉とか、態度振る舞いを切り取って批判しても、言葉の変
化や態度振る舞いは改まるかも知れませんが、価値観そのものはびくともしないかもしれません。やはり、大地
ごと揺るがす震度7の地震が必要なのかもしれません。 (続く)
編集後記
桜から藤へ。藤から菖蒲へと、花たちの色合いと香りの変化を楽しんでいますか?
終わりゆく花と始まりゆく花。季節の終電車と始発電車は、それなりの感慨を人に与えてくれます。
考えてみれば花というのは、古代から人に創作意欲を引きだして文化を支えています。
人をエンパワさせる花を部屋に一輪飾りましょうね!
2007年3月10日発行
ページ1
-アジアのダンスフェスタ-
アジアのダンスフェスタ・・電動騒乱隊・初参加へ
「応援Tシャツ」近日発売
歌ってええじゃないか踊ってえじゃないか
ー文化なんて誰のポケットにも入ってるさー
8月、北九州でアジアのダンスコンテストが開催される。その中の一部門に「電動騒乱隊」が参加する予定です。
どんな曲で、どんな踊りをするのか、今、その表現方法をめぐって構想を練り始めています。 何故電動車椅子で?
何を表現するの?なんのために?いくつものハテナを打ち砕く人間解放のパフォーマンスを作り上げたいと思います。ただ参加するには、経費もかかるので、'07年度のSOSのオリジナルTシャツは、コンテスト参加応援
Tシャツとして販売させてもらいます。5月には完成しますのでご協力をお願いします。
ページ2
歴史のギアが入ったよ! 障害者の権利条約採択
日本でも認めさせよう!
障害者差別禁止法へ始めの一歩
そして差別禁止方へつなげよう!
2006年12月13日。ニューヨーク国連本部。ひとつの条約が採択された。その条約は世界の障害者を代表するNGOが
長い時間をかけ、説明し、議論し、説得し作り上げた条約だった。気がつけば4年以上にわたる時を重ねていた。
日本からもSOSが加盟するDPIのメンバーが参加した。
「私たち抜きに私たちのことを決めるな!」
という世界中の障害者の願いが叶った瞬間。すべてがすべてに拍手を送った。障害者の権利条約採択の瞬間。
その拍手は、歴史的なギアが入る音になって響きわたった。この採択を差別の終わりの始まりにするための新た
な動きを進めていこう。
★ 障害者権利条約ミニ知識
この権利条約は
自由権(国が奪ってはいけない権利)
社会権(人間らしく生きるための必要な権利)をまとめた形になっています。
たとえば条約は
障害者であるという理由で雇わないという差別を禁止しています。
これは自由権に関することです。と同時に障害者が働ける環境(段差をなくす・手話を使うなど)を義務づける合理的配慮
を求めています。これは社会権に関することです。
合理的配慮?むずかしい言葉です。これは障害者が必要としている配慮のことをいいます。障害者が健全者と同じ機会が
平等に与えられるために行われなくてはいけません。この合理的配慮が否定されると、健全者は機会があるのに障害者に
はないということになるのでこれは差別となります。
また、手話が言語として認められたり、この権利条約を妨げる法律や制度は直されるか、なくすようにいっています。
(国の法律より条約が優先します)
ページ3
シネマで愛して・・‥復讐者に憐れみを
久しぶりに見る「ハードボイルド」であります。松田優作の「甦る金狼」以来ではないかと思います。
つまらない笑いも、安易な涙も、不必要な名所旧跡もそこにはありません。「小気味よし!」であります。
でも、何故韓国シネマ?なんで聴覚障害者?どうして移植?突然CP?いまさら誘拐?いまどきテロ?
このシネマ、分解していけばいくつもの?があるのに、統合すると緊張が最後まで持続して、ハードボイルの世界へ
連れて行ってくれるのでありました。そして私はその世界に無事到着。めでたしめでたしなのであります。
シネマの醍醐味に乾杯!気持ちよく深夜一人でヤクルトを飲み干したのでした。
それにしても、ハードボイルシネマに主人公が聴覚障害者という設定で、しかも手話がどんどん出てきて、それで
リアリティーが壊れないのはたいしたものであります。ただ、わたくし笑ったシーンがあります。どこかというと
ストーリに関係なく現れるCPの青年が登場するシーンであります。何故かというと、その青年の動きがSOSの理事長
の若いころにそっくりであったからであります。理事長が抗議活動やバンド活動で燃えていたころを思い出しながら
笑いました。
しかし、その青年の指の先までの動きの見事さをみると、この役者のこの演技にかけた思いも垣間見え、笑った
後は関心してしまいました。役者魂ここにありなのであります。
とてもクールで過激なシネマでありますが、このタイトルだけはハードボイルドとは言えないのではないでしょ
うか長島さん?「うーん、どうでしょう、いわゆるひとつの、うーん」はい、ありがとうございました
ページ4
大牟田吉野病院を高次脳機能障害の拠点に!
3月10日、支援センターハーツと大障協共催の「高次脳機能障害って何?」という啓発講演会が開催されました。
21日には、三池高次脳機能障害連絡会議主催で「脳のリハビリを考える」というパネルディスカッションも開催
されました。見えない障害と言われる高次脳機能障害に関する2つの催しには、当事者や家族、医療・福祉関係者
や民生委員など多様な現場から予想を超える参加がありました。福祉関係者はもちろん医療関係者さえ把握でき
てる人は少数といわれているケースが多い中、どのように当事者や家族支援を組み立てていくのかが問われてい
ます。その障害特性に対する社会的理解が得られていない場合に、当事者が受ける人権侵害や家族にかかる過重
な負担が、当事者自身の心理や身体面に、そして家族との関係性にどのような影響を与えていくかは、障害当事
者である私たちには想像がつきます。
出産時の酸素不足における脳の損傷に障害であるCPも又、高次脳機能障害の可能性がないとは思われません。も
しそうであるならば、ピアカウンセリングを始めとした各種生活支援、就労支援等のありようも一考を要してき
ます。 そう考えていくと、まず必要なのは高次脳機能障害の症例から障害の解明を進め、認知リハビリ等、当事
者の自立支援の合理的リハビリを推進する拠点です。
その拠点として相ふさわしいのは、三池炭鉱災害による多くのCO中毒による高次脳機能障害の人々の支援に一生
を捧げたお医者さんたちがいた大牟田吉野病院です。この病院を有明地域の高次脳機能障害の拠点にして、そこ
に福祉の生活支援というピースを連動させていくことによって、当事者の望む生活実現のためのジグソーパズル
を完成させていくことができないかと思います。いや、そうしたいと思います。
長い道のりになるでしょうが、知ったからには始めの一歩を踏みだしましょう。
人権の格差こそ問題だ
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日本は権利条約へのサインを! そして、私たちは監視と参加を!
この条例は、障害のない人と同じ権利、当たり前の生活を障碍者にも約束するものです。この約束を守るため、
合理的配慮
をしなければいけないと書かれています。このことを、多くの人に伝えていかなければいけません。
多くの障害当事者が参加して作った国際条約です。この条約を広めていくことが今後大切です。
3月30日には、世界の国々がこの条約を署名する式があります。日本はまだ署名するかどうかきめていません。
必ず署名してほしいと思います。署名すると、日本としてもこの約束を守るために、国の法律や法律も手直しが
必要となります。それで嫌がっているのかもしれません。署名すると国は条約を守らざるを得ません。すると本
当に約束を守るのかどうかというのがポイントになります。その監視は、当事者である私たちがしなくてはいけ
ません。そして、その約束を守ることに私たちは参加しなくてはいけません。
私たちは、ただ国に要求するばかりではありません。私たちにできる部分は私たちが担います。
そして、最終的にはアメリカのADAのように「障害者差別禁止法」を作りたいと思います。
誰が障害者になっても、差別されずその人らしい生き方ができるように。
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障害学@
与えられるルールより、つくりだすルールが用意されないとね。
景色は変わらないんですよね。例えば子供扱いの景色とかね。
なぜ?「障害者は子供扱いされ続けるか」といテーマは、いろんな課題を含んでいて、どこまでもテーマが広がっ
ていきます。あまり広げずにテーマに直接応える旅をしましょう。
@子ども扱い【される側】が【する側】を理解できていない
この場合どうなるかというと、目の前の子ども扱いという表面的な出来事に対して【される側】に、A感情的な反発
、B情 緒的な依存、両極端な反応が起きます。Aは「馬鹿にしやがって」であり、Bは「この人に守られたい」です
。まるでこぶし 振り上げ敵と位置付けるか、手のひらすりあわせ味方に引き込むかという感じです。
Aパターンでいくと【する側】が二つの反応を見せます。反省と対立です。反省は「しまった。こういう言い方しちゃいけない
んだ!」という感じです。これって実感からいえば極めて少数だと思えます。もう一つの対立は「何て奴だ、障害者のくせに
横着な!」という感じです。
反省が生み出すものそれは「言葉や振る舞いを気をつけよう」と「子ども扱いした理由はなんだろう」に分かれます。言葉
や振る舞いに気をつけようという表面的な反省とどまる人が多いのですが、それに「なぜ子ども扱いしたか?」にこだわり
立ち止まって考える人もいます。自分を変えることを恐れない人と言えるかもしれません。
Bパターンの場合は【する側】は【される側】に頼られるわけですから、子ども扱いは何の疑いもなく続いていきます。そこ
には反省も対立もないかわりに、障害者の自立への歩みは足踏みしたり後退したりします。さて、大切なのは子ども扱
いされた時【される側】がどういう課題の投げかけをするかです。投げかけ次第では人間関係も壊れるかもしれません。
一番いいのは、課題を投げかけ、考えてもらい自分を変えてもらい子ども扱いをしない気持ちのいいお付き合いが続くこ
とです。そのためには、課題の投げかけ方が重要になります。ということは! (続く)
編集後記
梅の木が春の香りを運んできたと思う間もなく、暖冬の影響で妙に早く桜が咲きました。
ちょっと不思議な春ではあります。風邪や花粉症で苦しんでる人、新たな旅たちに追われてる人、変わらぬ環境
にため息つく人、それぞれの春が訪れることと思います。どんな春であれ、あまねく吹き渡るそよ風にしばし心
をお任せください。
2007年1月10日発行
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-新しき春よ来い・1-
粉骨砕身努めれば 粗忽武骨の誹りうけ
理屈道理に生きたれば 冷血怜悧の誹りう
ほんにこの世は生き難し 猪突衝突煙突激突
我は猪いざ土蹴りて
新しき春よ来い・Tーー性と文化のメロディーを♪
新春早々「あじさい」で開催されたピアノライブに行きました。
障害のある女性が奏でるメロディーは心地よく、まるで心を解き放つように「おたまじゃくし」の妖精たちが飛
び回ったのでした。
音楽を前提に作られた部屋ではないので、音響的には充分ではないのですが、なんというのでしょうか。完成度
の高いCDでは得ることのできない「場の空気」がつくられ、ある人には励ましの、ある人には癒しのメッセージ
が届いたのではないかと思えました。
福祉系といわれる私たちは、けっこう生真面目に物事に取り組んむのですが、そのなかでも置き去りにされがち
なのが、性と文化なのかもしれません。この見えない2つのテーマに向き合わないと、取り組んでいる物事も本
当は解決しないのではないかとも思えます。
人としての解放は、様々な性のありようや文化のありようが花開く中で迎えられるものかもしれません。障害の
ある人を縛り付けるものから抜け出すには、正しい理論だけではなく、楽しさや心地よさの翼がいるのかもしれ
ません。
小さき翼よ羽ばたきなさい、空はそこにあるのですから
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'07年 おまえのオールを任せるな!
☆SOS・そしてもやいにとって多難な年がスタートしました。今までも多難の連続なので「たいしたことないじ
ゃん!」というな かれ、今年は本当に「大変」の予感なのです。しかしながら、事務所開きはリラックスムード?
まぁいいか。みなさん今年 中にやりたいことを紙に書いて保存。今年の終わりにみんなで書いた紙を取り出すという
ことに。世界一短期間のタイム カプセルごっこ開始であります。
★今年は自立マップの大幅改定、福祉マップの改定が日常的基本活動になると思います。時々「夜会」をゲリラ
的に楽し みながらやっていきたいと思います。不十分ではありますが、運動の成果としてガイドも使える状況
になっているので、 多くの障害者は、障害者だけに固まらず、市民の行事や新しいお付き合いを進めたほうが
いいなと思います。私たちは そういう制度が使えない外出困難な人たちと出会いながら原点に戻った小さな活動
を進めたいと思います。
活動がきついとき、落ち込んだとき、私たちを支えた歌の一つとして、中島みゆきの「ファイト」という名曲がありますが、
そ の中島みゆきの最新曲「宙船」の一節である「おまえのオールをまかせるな」というフレーズは、私たちの合言葉である
「私 たち抜きに決めないで」というフレーズと共振して、私たちの心を励まします。時々この歌を口ずさみながら、進みた
いと思 います。今年もよろしくお願いします。
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萬話という形あるいは手法がある。早い話が現実を描くのに、もうひとつの現実をもって言い換えていく。
いい萬話というのは、時としてもう一つの現実ーおとぎ話ーが現実に以上に人間をとらえる時があるのだ。
このシネマ、文化大革命という政治的行動を告発しているシネマということになっているが、果たしてそうか?
シネマで愛して・・・芙蓉鎮
朝まで笑顔で接してくれた人が、急に視線さえ避けるようになる。そんな経験の2つや3つは誰にでもあるので
あります。そして胸に手を当てれば自分自身が視線を避けたことも・・・
その人のありようは変わらないのに、社会状況が変わると人間関係を規定するその人への評価が劇的に逆転する
不思議を、私たちは障害のあることで経験してきたのであります。現代を形作るいじめや虐待にもつながる人の
心の最深部にある暗黒は手ごわいのです。あー。人は心と心が繋がっているとの幻想が打ち砕かれるときを描い
たこのシナリオ、人とは何かをわかりやすいおとぎ話の中で説いてみせたのでありましょう。さすが中国4000年の
歴史。手だれているのであります。登場人物のいずれかに感情移入が出来るので、誰もがドラマに参画出来やす
いのであります。
わたしは、主人公で健気な豆腐料理店の女性ではなく、掃除を芸術に転化させるインテリの男性でなく、また、
権力を追い求めるやや怖い系の女性でなく、このシネマの道化役である王(ワン)という冴えない中年男に憑依し
ました。他の人物と違い、意志の強さもなく、お調子者で、状況が奏でるメロディーに合わせて踊るだけのこの
おじさんに、自分を重ねるのはけっこうつらいのですが、私たちって多分、状況に踊らされていることに気づか
ずに生きているのかも?という疑いを持つにはいいかなと思うのでした。
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差別の中にも物語は生まれる
施設百話・・・バナナ
その人は九十を超えてるはずなのに、あのなめるようなまなざしをカメラに向けていた。国会議員を引退後も
政局の見通しは鋭く、もっと先の展開も知っているが、ワイドショーの政治ネタならこの程度で充分だという余
裕と、自分を高く見せるしゃべりは健在だった。カメラがターンすると画面の下のほうに右手が見えた。しわだ
らけの手だった。35年前この手が自分の頭をなでたのだった。
その人は一人一人食堂に集められた障害者たちに1本1本バナナを渡していった。若いやり手の事務長がマイクを
握り、その人を持ち上げる演説をよどみなく言っていた。
俺の前に来ると、めんどうくさそうに笑顔でバナナを差し出し、受け取ろうとした俺の頭を幼児をあやすように
なでた。すーっと全身の血が下降した。
「よかか、先生のお陰でおまえ達はここで仕事ば覚えながら生活の出来とるとぞ。そのご恩返しばせんなら人間
ちゃいわれん。投票日には自分だけじゃなく親や親戚にも言うて、先生をトップ当選させなんぞ。よかか、誰が
わざわざこげんとこまでバナナば持ってくるか!先生だけだぞ。ありがと思え」
生まれて始めての選挙だった。応接室が投票所になっており行列が出来ていた。誰も政治のことなどどうでもい
いのに、行列をしていることに少し興奮していた。「名前ば書ききらん」重複障害の幸恵が退屈して体を回転さ
せながら言う。「せからしか。事務長の書いてやらすたい」車椅子の本多がいらだった。
部屋に入ると、事務長と若い職員で男の障害者に人気のある柳瀬久美子がいた。「書いてやらんか」事務長が言
った。柳瀬久美子が俺の目を見た。「書ききるです」壁に貼ってある候補者の名前を見ながら言った。「お前は
髪ばきらんか、おなごのごとしてみたみなか」事務長のいやみをBGMに、その人と違う名前を一気に書き込んで
柳瀬久美子に渡した。投票箱に入れるのをまとうとしたが、確認する前に事務長が俺の車椅子を回転させ部屋か
ら出した。
翌日、朝礼が終わり仕事場に向かうと、後ろから事務長の足音が聞こえた。後少し行けば右側にトイレがあるの
でそこに入ってやりすごしたかったが追いつかれていた。
「ぬしゃ、妙な名前ば書いたごたるな」トイレに入るタイミングを失っていた。「髪ば切れていうたろが、アカ
かお前は、今月中に切らんと退所ぞ」
20年後、事務長は県議選に出て大敗した。その人も国会議員を引退したが、政界のフィクサーとして時々ワイド
ショーや政治番組に登場した。俺はバナナの嫌いな女と結婚した。
あの時書いた名前さえ覚えていないのに、血が下降する音は未だかすかに残り耳をすますとやってくる。
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活動報告
1月
- 9日 事務所開き
長いお休みが終わり、みんなそれぞれに元気な顔や冴えない顔が?集まりささやかな出発
式をしました。飛び入りもあったり歌ったりと少々楽しんだのです。
- 10日 ピアカン会議
ほっとかんへご初出勤
- 施設ピアカン
新しい事業体系に移行したたんぽぽへ、自立生活プログラムをどんな感じでやるのか、職員
との打ち合わせをやりました。
- 12日 手芸教室
少人数ですけど今年も始まりました。リーダーの松本優子さんはお正月休みに仕上げた作品多
数持参。さすが工場長といわれるだけのことが・・
- 総合相談/ピアカン
今年も地味に続けます。3月には特別編講座「高次脳機能障害」について取り組む予定です。
見えない障害といわれるこの障害のことを少しでも知りたいと思います。将来的には当事者
のセルフグループや家族会などできたらいいなと思います。
- 事務局会議中止
週1回必ずやってきた事務局会議ですがメンバーの大半が風邪や体調不良のため、やむなく中
止となりました。天候と健康には勝てませんよね。
- 16日 アンテナショップ会議
ほっとかんの根本さんが今年度で退職されるので、今まで甘えていた部分を何とか自分たち
の力でやって自立しなければと思います。
- 17日 施設ピアカンーたんぽぽ
打ち合わせの続き
- 18日 潮主催の精神講演会へ参加
すごくよかったです。詳しくは最終面の「当事者性のブルース」を読んでね。
- 養護学校生徒への自立プログラム vol4
前回の自立障害者訪問の感想や、卒業後に向けた自立支援法の制度について学習しました。
- 19日 あじさい主催ピアノライブ
すごくよかったです。詳しくは1ページの「性と文化のメロディーを」を読んでね。
- 24日 ピアカン会議
- 施設ピアカンーたんぽぽ
ロールプレイを使った自立生活プログラムがスタートしました。
- 25日 総合相談/ピアカン
- 事務局会議
当面の活動の打ち合わせをしました。大切な話として他者とのコミュニケーションの話が出て、
みんなで少し考えました。会議の途中の寄り道の議論ですが、本筋の会議よりも重要だなと思い
ました。脱線したり寄り道しない会議よりも、少々時簡がかかってもゆっくり話せる会議なら誰も
置いてきぼりになりませんよね。さてさてこつこつと真摯な活動を続けていると、一番困ったと
き何かが起きてどうにかなるときがあります。「何事がおはしますかは知らねどもかじけなさに
涙あふるる」を感じる一瞬です。こつこつとミッションインポッシブル達成に向けてまいりまし
ょうか!
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猪突猛進よりも君のスピードで僕のテンポで!
新しき春よ来い・Uーー当事者性のブルース
新春早々「潮」主催の精神関係の講演会が開催され参加しました
前半、精神障害当事者の講師の方が話された。リアルで切実なストーリーは、一人の人間の実感に支えられた喜
怒哀楽で表現されるだけに、より深く参加者の心に響いたのではないかと思えます。また、「誠実」というキー
ワードが降りなす空気は、決定的にこの講演会に血を通わせたと思います
後半、支援者として地域医療にかかわる講師の方が話されました。
冒頭、「自分もまた当事者であります」という投げかけから始まったお話は、冷静で温かな視点から、社会の不
条理を解き明かしながら、この社会が人間性や公平性を取り戻すためには、当事者の気づきや社会とのかかわり
が必要なことなどが、静かにわかりやすく説かれました。ここにも「誠実」があふれていました。
当事者性が大切にされ、確立された上に、家族や、支援者との対等な関係が作られ、それぞれのカテゴリーが理
解を深め、互いにエンバワメントしあうことがとても大切で、その輪が地域の人々にも徐々に広がっていくこと
が豊かな地域作りに繋がるのだと思いました。
当事者性のブルースを口ずさめ、ステージの幕はあがったぞ!
編集後記
フランスで鉄幹と共にひなげしに囲まれた与謝野晶子は、その情景を「君もコクリコ我もコクリコ」と詠みま
した。幸せな歌です。ひなげしはフランス語でコクリコというんですね。いい響きですよね。わたくしの大好きな歌の一つです。
'07年色んな花に出会いたいなと思います。そして、晶子のような歌が歌えたら最高です!
今年もよろしく!
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